・・・・この女が嫌いだ。アナベル・ガトーはその時そう思った。・・・・いや。










 正確には、ガトーは女性全般があまり好きでは無かったのかも知れない。・・・・それは。














 ・・・・・・・・それは、濡れた、生き物だから。
















[ こぼれおちるもの ]
















 宇宙歴0083.10月31日。茨の園でシーマ・ガラハウ中佐からひどく喧嘩腰の挨拶を受けたガトーは、部屋に戻って来て考え込んでいた。
 ・・・・・あの女は嫌いだ。いや、ガトーにも、好き嫌いくらいはある。そうして、その基準であの女を見た時、どう頑張っても自分はこの女を好きにはなれない・・・そう思った。
「・・・・・・・・・・・・、」
 ガトーは、ふと思い付いて自室の机の上に置いてあった数冊の本をひっくり返してみる。そして、中の一冊を取り出すと、ベットに戻って横になった。枕元の灯りだけを残して後は消す。
「・・・・・シーマ。・・・シーマ艦隊・・・・」
 ガンダム試作二号機を無事奪取し、戻って来たと言う事で、ガトーには形ばかりの休暇が、半日ほど与えられていたのだった。・・・ベットの枕元には一年戦争の時の写真が一枚と、大きなダイヤモンドというなかなかに不釣り合いなものが、並べて置いてある。・・・この茨の園に戻って来たばかりの時に、ガトーがそうしたのだった。
「・・・・無いな。当然か・・・・・」
 シーマ艦隊、というのは通り名である。正確にはあの女の艦隊はアサクラ大佐貴下の、特殊任務部隊のどれかであったように思う。・・・ガトーが覗き込んでいるのは本と言うより、正確にはジオン軍の、一年戦争時のジオン軍の月報をとじた綴りの様な冊子であった。・・・・アサクラ大佐というのはギレン総帥の直下で、ソーラ・レイなどの極秘開発を行っていた人間のはずだ。そして終戦後、この人物はアクシズへ行った。・・・少なくとも、そう聞いている。
「・・・・・・・・なんで、」
 あの女は嫌いだ。・・・・嫌いだが、理由が上手く説明つかない。ガトーはその理由を自分の中で説明付けたかったのだが、世の中には白黒はっきりしない感情と言うものが存在するらしい。・・・が、ため息をつくのだけは情けないのでやめておこうと思った。
 ガトーは、先ほどデラーズ中将の『星の屑』の開始を告げる演説に同伴して来ていた・・・・それが、まさに「ガンダム二号機奪取作戦」の、最後の仕上げだったわけだ。・・・奪取された二号機の披露と、宣戦の布告。・・・それを、連邦側がどう受け取るかは知らないが。いつもの事ながら、デラーズ中将の言葉はとても分かりやすかった。・・・分かりやすくて、心に響いた。・・・それは、あのア・バオア・クー戦の時から。ガトーを捕らえて離さない、単純な生きる為の理由だった。・・・怒り。復讐。疑問。・・・・・・・・・何故ジオンは負けたのか。そんなことがあっていいのか。
 ・・・ともかく、その演説に向かう直前にガトーを追い掛けて来たと言う、連邦の船を叩き潰しにゆくと自ら名乗り出たシーマ・ガラハウは、今頃戦闘中か、もしくは戦闘が終ってここへ戻ってくる途中のはずであった。










 ・・・・嫌いだ。・・・・シーマ・ガラハウが何故か嫌いだ。・・・私は。










 一年戦争の末期、ガトーは嫌な噂を聞いた。・・・・ジオン軍が、無抵抗の市民に対して大量虐殺を行ったと言う噂。・・・・開戦。一週間戦争におけるサイド1、サイド2、サイド4の完全なる制圧。ルウム(サイド5方面)における連邦軍との初めての総力戦。・・・ルウムはともかく、ブリティッシュ作戦の方に配属されていたガトーは、一週間戦争でジオン軍がどのような方法で、幾つものサイドのいくつものコロニーを制圧したのか実は良く知らなかった。・・・どうやら毒ガスを使用したらしいと聞いたのは、もう戦争も末期になってからである。・・・間抜けと言えば間抜けだ。ジオン軍は、最後まで「ザビ家の私兵」という印象が抜けない、稚拙な軍隊だった。・・・今は、心からそう思う。ザビ家のどの人物の部下になるかによってまったくその部隊の事しか分からなくなるのである。・・・・シーマ・ガラハウが所属していたのはアサクラ大佐の下、ということはギレン総帥直下で、ドズル中将の下にいたガトーとは少し遠かった。・・・そうして、そこでまさに、シーマ・ガラハウは毒ガス作戦の指揮をとっていたらしい。・・・・そうなるともう軍人では無い。・・・ただの大量虐殺者だ。










 そんな事を考えながら、ガトーはいつの間にやら眠っていたらしい。・・・そう、嫌いだ。










 ・・・・嫌いだ、あの女が。・・・・「何の為に戦っているのか」、自分も分かっていないのは確かなのだが、その自分より更に行動の怪しいあの女は。










 ただの、目的を見失った女性が、ヒステリーで戦っているようにしか見えない。















 幾ばくかの間睡眠をとり、目が覚めたガトーは、デラーズ中将に食事に呼ばれていた事を思い出した。・・・そこで、部屋を出る。出ようとして、何故か急に気が向いて、枕元の写真を手にとった。・・・・これを持っていこう。そう思って適当に胸のポケットにその写真を入れる。
 部屋を出、グワデン内の通路を少し行ったところで、その通路を向こうから歩いてくる靴音に気付いた。・・・・男では無い。もっと甲高い、一瞬で分かるような高いヒールの音が、通路に響いている。
「−−−−−−−・・・・・・・・・」
 ガトーは思わず、曲り角で立ち止まった。・・・まさかな。だがしかし、案の定通路の向こうからこんな声が聞こえて来た。
「・・・シーマ様・・・・・・」
 シーマ・ガラハウの部下の声らしい。どうやら、『手みやげ』を作るのに成功して戻って来たところのようだった。・・・・ガトーは、今来たばかりの通路を思わず引き返そうかと思った。・・・自分はあの女が嫌いだ。・・・会いたくないのだ。が、このままいると、確実に会う事になる。すると、その部下が、続けてこういうのが聞こえて来た。
「・・・・シーマ様。あの・・・・『シアワセ』ってなんでしょうかねぇ・・・・」
 ・・・しかしまた、その部下もとんでも無い事を聞くものだ。ここは、茨の園である。軍艦である。その内部である。・・・・そこで、唐突に『シアワセ』とは何か、だと?・・・思わずガトーは、その会話に耳をすまして聞き入ってしまった。とんでもない事を聞く男だな。・・・すると、面白い事にシーマもそう思ったらしい。甲高い靴音が、歩みを止めるのが分かった・・・・そうして、パシリ、と扇子を叩く音がする。
「・・・・・・『シアワセ』って何かってぇ?・・・コッセル、あんたぁね、頭でもどっかで打っちまったんかい!」
 舌打ちをしながら、シーマがそう答えるのが聞こえる。・・・・が、更にしばらく沈黙した後に、シーマは結局こう答えた。
「『シアワセ』ってぇのはね、コッセル・・・・・・」
 コッセルというのがその部下の名前らしい。















「・・・・『シアワセ』ってぇのはね、コッセル。・・・・・・・こぼれおちるもの、だよ。・・・・この手のひらから。両腕から。・・・・だから、『シアワセ』なのさ。・・・バカなこと聞くんじゃないよ!」















 ・・・・・・・・・・この女が嫌いだ。・・・・本当に嫌いだ。その台詞を聞いた瞬間、ガトーは本当にそう思った。















 ・・・・嫌いだ。















 ・・・・妙に濡れた生き物だから。濡れた事を、平気で話す、ウエットな生き物だから。















 あまりの事態に、ガトーが動けないでいる間に、シーマとその部下はついにガトーの突っ立っている曲り角まで来てしまったらしかった。・・・唐突に目の前に現れたガトーにさすがにシーマも驚いたらしく、もう一回そこで立ち止まる。
「・・・・おや、まあ・・・・・」
 そう言うシーマにガトーはどう反応していいのやら分からず、思わず少し後ずさってしまった。・・・だから、この女は嫌いだ。・・・その瞬間に、タイミングの悪い事に胸ポケットに適当につっこんでおいたテディの写真が、服から飛び出して通路の床に落ちた。・・・それを見たシーマがマントと長い髪の毛を広げながら、ひどくゆっくりした動作で屈んでその写真を拾い上げる。
「へぇ・・・・・・・」
 シーマは面白そうにその写真を眺め・・・・それからガトーに返した。
「・・・大方、あんたが戦場で死なせたカワイイ部下の写真かいね、ガトー少佐?」
 シーマがそう言うので、ガトーはしかた無しに頷いた。・・・シーマ・ガラハウはガトーより階級が上なのである。
「・・・・そうです。」
「へぇ・・・・『死なせた部下の写真』を持ち歩くなんざぁ、やたらと愛くるしい所があるもんじゃないか、あんたも。」
「・・・・・・・・・。」
 ガトーはもう、返事をするのを諦めた。・・・・この女は嫌いだ。だから、返事もしない。・・・バカにされても。
「・・・・だがねぇ・・・・」
 すると、シーマは続けてとんでもない事を言った。
「私は、自分が死なせた部下の為になんか、絶対に泣きやしないよ?・・・そういや、今日も何人か死んだねぇ、コッセル?」
 そう言いながら、シーマは本当に面白そうに高く笑う。・・・隣にいた部下のコッセルという男は、無言で頷いた。・・・こういうシーマの性格に慣れているらしいのだから凄い。
「・・・・部下が死んだくらいじゃ泣かないよ。・・・私はいつもねぇ・・・・」















「・・・・私が殺した、何十万もの『ただの市民』の為に泣くのさ。・・・それから、殺した敵の為に。・・・部下なんざぁ、死んで当たり前だ。戦争が仕事なんだからね。そうするように私が命令したんだからね。・・・それが士官の責任ってもんだ。それで、じゃあ誰の為に泣くんだいって言ったら、敵の為に泣くしかないじゃないか。・・・・・・・自分の不幸の為じゃ無くてね。運悪くあたしに殺されちまった敵の為に泣いてやる。・・・そういうのがね・・・・・・。」
 ここでシーマは一息つくとこう続けた。















「そういうのがね。・・・・・『戦争』に残された、最後の『正気』なんだよ。」















 ・・・・・・・・・・・・・・・この女が嫌いだ。















 ・・・・いいや、女が嫌いだ。















 ・・・・泣きながら人を殺すような、濡れた生き物だから。




















 ガトーはもう、ただ写真を受け取ると、軽く敬礼だけをしてその場を去った。・・・・いや。心から、立ち去りたかった。・・・・シアワセは。















 こぼれおちるものだと今日知った。・・・・別に知りたくも無かった、と思った。・・・・そんな必死で、どうにもならない事は。














 もう二度と会えないテディに会いたくなった。・・・それが自分の『シアワセ』だ。・・・そうなんだ。・・・・この女が何と言おうとも。















 ・・・・・そうして、『星の屑』は続く。















『テディ』 こぼれおちるもの 終り。





















2000.11.07.










HOME