・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










 アナベル・ガトーが、連邦軍トリントン基地からガンダム試作二号機を奪い、そうしてユーコン型潜水艦U-801でオーストラリア大陸を脱出してから、3日が過ぎようとしていた。・・・・ユーコンは、アフリカ大陸にあるキンバライト基地と言う、ジオン残党軍の基地に向かって航路を進めていた。・・・・もっとも、アフリカの大陸内部までこの潜水艦が行けるわけでは無いので、大陸に着いてからは陸路になるのだが。ともかく、そこに向かうしか今のガトーには方法が無いのだった。










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










 ジオン残党軍のネットワークは、細々と、だが驚くほど地球の多岐の土地に渡って張り巡らされていた。・・・・それまで宇宙にいたガトーが思っていたより、非常に堅固に。それはかつて、確かにジオン公国軍が『地球降下作戦』を行った事の名残りであった。
「・・・・水の上に上がって大丈夫なのか?」
 ガトーのそういう言葉に、U-801の艦長ドライゼは、この3日で初めての、面白そうな笑顔を向けた。
「いいのです、ガトー少佐。ここは、随分とインド洋を南極に向けて下った海域だ・・・・クジラがいるのですよ。」
「クジラ?」
 ガトーがそう答えるとドライゼ艦長は更に面白そうな顔をした。
「そうです、クジラです。・・・・クジラと潜水艦の区別は、連邦の衛星には出来やしませんよ。」
 そう答えると、ドライゼは楽しそうにガトーを浮上した潜水艦のデッキに誘った。ガトーは、有り難くその言葉を受け入れる事にした。・・・宇宙戦艦の比では無く潜水艦と言うのは狭い。・・・外に出たい。










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










 ガトーは、その自らの暗号名に『バルフィッシュ(くじら)』という名を使いながら、ホンモノのクジラを見た事はもちろん無かった。
















[ みずのそこ ]

















 久々に吸う外の空気は、やはり気持ちが良かった。空気と、それから海の上に何処までも広がる空間は。・・・・夜の海。見上げると、やはり一面の星空で、ガトーは無性に戻りたくなった。・・・・この空間は、頭上に星空が広がり、ゆらゆらと揺れ、その潜水艦の下には真っ黒な海が広がるこの空間は、宇宙に似ているもののやはり宇宙では無い。・・・宇宙に。宇宙に戻りたい。
「・・・・・この艦には、あまり年若い人間は乗っていないのだな。」 
 空気の補給の為短い時間だけだが海の上に顔を出した、ユーコンのデッキに上がって来たドライゼとガトーは、しばらく何も言わずに海を眺めていたが、やがてガトーがそう言ったのでドライゼは振り返った。
「・・・・と、言いますと?」
「いや・・・だから、学徒動員の兵だったものなどが、だ。この潜水艦には乗っていない。」
 そのガトーの言葉に、ドライゼはああ、と頷いた。・・・そうして、しばらく考えてからこう言った。
「・・・・少佐は、もちろん地球降下作戦がいつ行われたか御存じですな?」
「ああ?・・・もちろんだ、0079の2月の中旬から、3月13日にかけてだ。・・・・北米、キャリフォルニアベースの占拠をもって、第二時地球降下作戦までが終了した。」
 すると、その言葉にドライゼはただ頷いた。さらに、長い沈黙をおいてからこれだけを言う。
「・・・・・・そういうことですよ。さて、換気が終る。・・・・もぐりますよ。」 
 今、上がって来たばかりなのに。そう思いつつ、ガトーはドライゼの後についてまたハッチから降りていった。・・・・・潜水艦は、また海の下に沈みはじめる。・・・・ああ。










 ・・・・クジラを見損ねた。










「・・・・もう、3年と7ヶ月になります。」
 降りて来た不思議な色の灯りのともる潜水艦の狭いブリッジで、ドライゼはガトーにそう言った。
「・・・・と、言うと?」
 ガトーは答えた。
「地球に降りて、潜水艦で海に潜ってからです。・・・・3年と7ヶ月。地球降下作戦の頃には、まだジオンも兵が不足していませんでしてね。・・・だから、この艦には年若い人間は居ないのですよ。」
「−−−−−−−−−−−−−−・・・・、なるほど。」
 ガトーは、妙に納得してそう言った。・・・そうか。それは、考えてもみなかった。ドライゼは、他のブリッジ要員がいることも気にせず飄々と話を続ける。
「・・・・なぜそんなに、年若い兵士の事を?・・・・誰か、末期に宇宙で死なせましたか。学徒動員の兵だったものでも。」










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










「・・・・ああ。」
 ガトーは正直に答えた。・・・そうだ。何故か、トリントンであのガンダム一号機のパイロットを見てからこの方、自分は自分の死なせたテディの事ばかり考えてしまっている。
「そうだ。・・・だから、この艦には若い兵が居ない事に気付いて意外に思ったのだ、ドライゼ艦長。」
「それを、あなたは幸福な事と言いたい様だ、ガトー少佐。」
 何故か、ドライゼは航海日誌をめくりながらガトーの言葉に答えた。
「・・・・・・だが、この船にも悲劇はある。・・・・私達は、帰れないのですよガトー少佐。・・・・これからおそらくあなたが戻るのであろう宇宙に。・・・・3年と7ヶ月前から。・・・・ずーっと海に潜ったきり。・・・・・帰れないのですよ、少佐。」
 その時、ガトーはようやく気付いた。確かに、艦長は航海日誌を見たまま微動だにしない。・・・だが、他のブリッジにいる乗り組み員達の目が、じいっとガトーを見つめているのだった。・・・・いつの間にか。・・・・1人残らず。










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










「我々はジオンの軍人である事を誇りに思っています。・・・・だからこそ、投降せずにこうして戦争が終った後も各地の残党軍を結ぶ、連絡網の役割を果たしている。・・・だが、ガトー少佐。・・・・減るのですよ、毎年確実に。」
「・・・・・・・・・」
 ガトーは、思わず言葉が出ずにドライゼの言葉を静かに聞いていた。
「減るのです、その残党軍の拠点は。残党狩りで潰されたり、自ら耐えきれず投降してしまったりして。・・・・我々も、いつ補給をどこから受けられるのかも分からないままに、こうして海の下に潜っている。・・・とんでもなく長い時間が流れましたよ。・・・あれから。」










 ・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










「『地球降下作戦』とは、確かに名前だけは大層なモンだ。・・・しかしね。実際は、宇宙生まれでそれまで潜水艦になんぞ乗った事も無かったような、我々のような人間を、最終的に地球においてけぼりにする作戦ではあったのですよ。・・・・いや、私は随分ととんでもない事を言っていますかな?」 
 そう言って疲れたように笑うドライゼ艦長が、ひどく小さく見えたのでやはりガトーは返事をし損ねた。










 ・・・・・ゆらゆらゆら。みずのそこ。










「・・・・死んだのですか、あなたの年若い兵士は。」
 随分と長い時間が経ってから、ドライゼはようやっとそれだけをガトーに言った。ガトーは、非常に考えてからこう答えた。
「・・・死にました。そうして、私は実はジオンの理想の為などでは無く、その兵は何故死んだのかを自分で納得する為にジオンの理想を利用しているのかもしれない。」
「・・・・・・・・・・・そうですか。」
 不思議な事に、その言葉をガトーが発した瞬間、ブリッジの空気が変わった。全ての、ガトーに注がれていた目が、急に穏やかなものとなる。
「・・・・・あなたは、宇宙に戻るのでしょう。我々は戻れないが。ひょっとしたら、永久に。・・・しかし、我々はここで生きてゆくと決めたのです。それこそ、ジオンの理想を縦にして。・・・3年と7ヶ月。・・・・きっとこれからも、いつまでこの状態が続くのか知らないが、それでも長い事。・・・・ここで。この、海の底で。」










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










 何故かガトーは、この潜水艦に乗ってから初めて、自分が人間扱いされるのを肌で感じていた。・・・そうか。何処にも、悲劇はある。そうして、人の幸福というものはどの人間も大差はないが、悲劇には本当に様々な種類があるのだ。ガトーは、改めてドライゼ艦長を見つめた。・・・それから、他のブリッジ要員も。・・・・そうして、一言だけ言った。
「水の底にいるのは・・・・・宇宙にいる事に似ているのだろうか?」










 ・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










「・・・・外に出ると一発で死ぬところだけは、非常に似ていますな。」
 ドライゼ艦長は、まったくおどけた感じでそんな言葉を返した。・・・・そうだ。ゆらゆらと。ゆらゆらと、船は揺れ続け。・・・・随分な悲劇を乗せたまま。
「しかし、やはり宇宙とは違うのでしょう。・・・・だから、我々は宇宙に帰りたいのです。」










 ・・・・・ゆらゆらゆら、みずのそこ。










 2日後、U-801はアフリカの海岸についた。・・・結局、ガトーはクジラを見る事が出来なかった。しかし、こう思った。・・・私は演じ続けるだろう。心の奥底からくすぶり続ける私怨が、だがしかし、まるでそうせねば何もかもが解決出来なかった、たった一つの『理想』の様に。










 ・・・・・ゆらゆら・・・・・・・










 その後もう二度と、この忘れられた潜水艦部隊が歴史の表に現れる事も、無かったのだが。もちろん、ガトーがドライゼと二度と会う事も無かった。ガトーは星の屑となり、ドライゼは水の底で、それぞれの役割を終えたのだが。
 ・・・・それぞれの悲劇とは、そういうものだ。















『テディ』 みずのそこ 終り。



















2000.10.20.










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