『・・・・今日は、ここまでだ!』
そう叫ぶバニングの声がモニターから聞こえて来た時、ウラキ少尉とキース少尉はほとんど口もきけないような有り様になっていた。
「り、了解・・・っ・・・・」
『・・・き・・・・・・・帰還しますぅ・・・・・・・』
自分がどうにか呟いた返事に続けて、それより更に情けないキースの声がモニターから聞こえて来たので、ウラキは思わず苦笑いする。そうして、痕がつくほど強く握りしめていた操縦桿をやっと離した。
−−−−−−時は、0083.11月07日。
月の都市、フォン・ブラウンを発った強襲揚陸艦アルビオンは、11月10日にコンペイ島に於いて行われる地球連邦の観艦式を警護すべく、かつデラーズ・フリートの警戒を兼ねつつその宙域へと進んでいるところであった。・・・とは言っても、アルビオンのモビルスーツ隊のメンバーの内二人は、初めて宇宙に上がったと言うほとんど宇宙戦のシロウトに近い人間だ。・・・コウ・ウラキ少尉とチャック・キース少尉。この二人を、なんとか一人前にしなければ・・・と、モビルスーツ隊の隊長であるサウス・バニング大尉は焦りにも似て思っていた。確かに、この二人は飲み込みの早いパイロットではある。しかし、明らかにこれから実戦があると分かっているのに、ここでそれを誉めて生半可に甘やかしてもいいものかどうか。
「このあたりは、暗礁宙域のはしっこだ・・・ゴミが多いぞ!気をつけろ!」
それだけ言うと、まだ心もとない動きで一息ついているウラキのガンダムとキースのジムキヤノンを放っておいて、さっさとバニングはアルビオンへと機を向けた。
『・・・・大尉!』
と、ウラキがその時、唐突にそう叫ぶ。何ごとだ?と、思わずバニングは慌てて振り返った。
「何だ、ウラキ!」
『あの・・・ええっと・・・なんだ、あれ?』
ウラキは一向に的を得ない返事をして、機を上へ下へ小さく動かしている。キースのジムキャノンでさえ、すぐにバニングについてアルビオンへの帰還の徒についたと言うのに、ウラキのガンダムは三人が戦闘訓練をしていたフィールドから一向に、動く気配が無いのだった。
『何やってんだよ、コウ?』
キースもそう言ってウラキに声をかける。・・・・バニングは、しかたなしにそんなウラキ機を眺めているのを諦め、その機体の浮いている方へと自分の機の向きを変えた・・・・・・・と。
「・・・ウラキ!?」
驚いた。
その瞬間、急にウラキがコックピットのハッチを開くと外に飛び出したからである。それを見たバニングは、さすがにウラキが狂ったのではなかろうかと思い、大慌てでガンダムの脇に急いだ。・・・もっとも、ウラキはヘルメットのバイザーはしっかり下ろしていたのだが。
「ウラキ!?何をやっている、返事をしろ!」
『・・・はい!すいません、面白いものが浮いていたので・・・・』
バニングが近くまで来た時には、もうウラキはコックピットにもう一回飛び込んだ後だった。モニターからは、そんなとぼけた声が聞こえてくる。・・・思わず頭に来て、バニングは自分のジムを軽くウラキのガンダムにぶつけた。
「・・・何をやっている!・・・このあたりは、ゴミが多いとさっき行ったばかりだろう!流れてくるタイミングによっては、ノーマル・スーツの人間なんぞあっという間に切り裂かれるんだぞ!」
・・・そうだ。宇宙ゴミと言うのは、それが恐い。宇宙では、無重力の空間では、一度ついた『慣性の法則による物体の動き』は空気の摩擦が無い為永遠に弱まる事が無い。つまり、勢い良く飛んでいるものはずうっと勢い良く飛んでいる・・・爆発で弾け飛んだ何かの破片などがだ。何年でも。
『すいません、しかし・・・ゴミには見えなかったもので・・・・』
「・・・説教はアルビオンに戻ってからだ!・・・・・・・・それで、何を拾った。」
バニングが少しため息をつきながらそう言うと、ウラキが映像回線をオンにする。
『はい!・・・ええと・・・やっぱり。はい、クマでした。』
『クマぁ!?』
素頓狂なキースの声が、そんな二人の会話に割り込んでくる。すると、ウラキがモニターにちょうど映るようにと、自分が手に持った物体を掲げて見せた。
『そう、クマ!・・・クマじゃないかな、と思ったんだけど。』
とたんに、モニターいっぱいに、なんだか良く分からない茶色の物体が映し出される。
・・・・・・・なるほど、それは『クマ』だった。
(・・・・・・・・宇宙を三年漂っていたかもしれない。・・・・・・そうではないかもしれない。)
ともかくウラキが手に持ったそれは、茶色の小さなテディ・ベアだった。・・・・バニングは唸った。
「・・・・・・ウラキ。」
『はい?』
ウラキのどこか間の抜けた声が聞こえる。バニングは、必死に堪えながらこれだけを言った。
「・・・・アルビオンに戻ったら説教プラス腕立て伏せ100回だ・・・・・・!」
『えええっ!』
テディ・ベアだった。・・・・・・・・三年宇宙を漂っていたかもしれない。・・・・・・・・そうではないかもしれない。
アルビオンに戻り、ガンダムから降りて来たウラキの姿を見て、バニングは軽く目眩を覚えた・・・・似合い過ぎる。その、テディ・ベアを抱えてコクピットから出てくる様が。・・・いや。コクピット云々ではない。テディ・ベアを抱えたウラキ少尉、というのが妙に違和感がないのだ。
「・・・・・・・・・腕立て伏せは200回だ。」
そう小さく呟くバニングの脇で、先にジムキャノンから降りて来ていたキースは軽く首をすくめた。・・・コウのヤツ、何考えてるんだか。仮にも、訓練の最中に上官の命令を無視して、宇宙にクマを拾いに飛び出したりするかぁ!?・・・俺は冗談じゃ無いけどそんなことはやる気にならない。
「・・・・おーお。士官学校出のおぼっちゃまは、遂にクマさんがいないとおねんねも出来なくなったかぁ〜?」
そんなバニング達の後ろを、入れ替わりで哨戒任務に出て行くモンシア中尉が軽く行き過ぎながら声をかける。『くだらねぇこと言ってる暇があるならとっとと行け!』と、モンシア中尉までとばっちりのようにバニング大尉に次の瞬間怒鳴られた。
「・・・・どうもすいませんでした。あんまりに変なものが浮いていたものですから、目が離せなくてつい。・・・罰は受けます。」
さすがに、ウラキもアルビオンへと戻る道すがらで自分がどんなに妙な事をやってしまったか分かったのだろう。格納庫の入り口で自分を待つ、バニングとキースに合流して第一声、そんな事を言った。
「・・・本当に分かっているのか。」
「はい。」
そんなバニングとウラキの会話を、キースはすこし離れて聞きながら急に整備兵達の注目を自分達が一身に集めている事に気付いた。・・・そりゃそうだろう。訓練に出ていって、テディ・ベアを一匹拾ってくる連邦士官。・・・思わず頭を振った。
「分かっているなら、腕立て伏せ200回だ!・・・それからシャワーを浴びて、ラウンジに来い。・・・キース少尉もな。」
「えっ・・・自分もでありますか!?」
自分はまったく関係ないと思っていたキースは、少し慌ててそう返事をした。・・・何だって!
「話がある。・・・二人ともにな。・・・・今日の訓練は以上で終了だ、解散!」
それだけ言うと、バニング大尉はさっさと先に歩いて、格納庫を出て言ってしまった。
「・・・・・コウぅぅぅぅぅうう!!ふざけるなよ、きっとお説教だぞ!・・・そのクマの事でだ!」
キースがそう叫びながらウラキに飛びかかると、ウラキは恐ろしい事に腕にしっかりとそのクマを抱き直しながら言った。
「あー・・・・悪い、キース。」
「悪いと思うならなぁ、お前・・・・!」
キースはまだ何か言いかけたが、その時思い直してしみじみウラキとテディ・ベアを見る。・・・・・・やっぱり似合ってる。・・・何がと言われたら困るが、ウラキとテディ・ベアはこれ以上なく、ぴったりお似合いなのだった。
「も、いい・・・・・」
そう言いながら、キースはウラキをシャワールームへ引きずって行った。
「・・・・気色悪くは無いか。」
頭から説教を食らうと思っていたキースの思いとは裏腹に、ラウンジに到着した自分達にバニングが初めに言ったのは、そんな言葉であった。
「へ?」
「え?」
キースもウラキも、もちろん分からない、という顔をする。・・・地球時間的にはその時刻が夜更けにあたることもあり、ラウンジは人もまばらで、灯りも極力暗めにしてあって、しかもわずかについているだけであった。
「何が・・・でありますか?」
ウラキがそう聞くと、バニングは軽く頭を振りながら、しつこくウラキが抱えて来たクマを指差す。
「・・・そのクマだ。・・・そんなものを持ち歩くな、軍人なら。」
「あー・・・すいません。でも、さっき自分がシャワーを浴びていて思い付いたので、後で洗濯をしてやろうかと思って・・・・」
「そのクマをかぁ!?」
キースが三人分のコーヒーを載せたトレーを持って来つつ、呆れてそう叫んだ。
「・・・捨てた方がいい。」
「え?・・・このクマを、ですか。・・・せっかく拾ったのですが。」
バニングの短い台詞に、ウラキは思わずそう言った。すると、バニングはやけに静かな目で目の前に座るウラキとキースの二人を見つめた。
「・・・いいか、良く聞け、俺のひよっこ共。・・・・お前らはこの前の戦争を知らない。・・・だがな、この前の戦争があるまで、『宇宙はもっと綺麗』だった。・・・・言ってる意味が分かるか。」
「・・・・綺麗・・・・・?」
分からない、と言ったふうでキースが首をかしげた。
「・・・つまりだ。人間が宇宙に飛び出してからこっちの歴史ってのはな。宇宙にひたすらゴミを増やし続けただけの歴史みてぇなもんだって事だ。・・・この前の戦争まで、宇宙はもっと綺麗だった。こんなにゴミは浮いちゃあいなかった。・・・じゃ、どうして増えたか分かるか?」
「・・・・あー、つまり、その・・・・・・増えたゴミは壊れたモビルスーツの破片、ということですか・・・大尉?」
キースよりは、少しだけ早くその言葉の意味が分かって、ウラキがまずそう言った。すると、バニングは腕を組んで何とも言えない顔をして続けた。
「それだけじゃねぇ。・・・・とにかくそんなクマは早く捨てちまえ、ウラキ。・・・そのクマは宇宙のゴミだった。ゴミになる前、何処にあったかは知らない、誰にもわからねぇ。・・・だがな。それは、モビルスーツの破片とは違う。・・・もっと気色の悪いゴミだ。・・・そのクマを、前に持っていたのは、ジオンにぶっ壊されたルウムのコロニーで、毒ガスに殺されちまった小さな女の子かもしれねぇ。避難する途中で撃沈された、民間の船に乗ってた小さな男の子かも知れねぇ。・・・血みどろで最後までそのクマを握っていて、それが宇宙を漂ううちに離れて、クマだけあそこに漂ってたのかもしれねぇ。」
「・・・・・・っ、」
そのバニングの容赦ない物の言い方に、さすがにウラキは少し肩を震わせた。キースに至っては、真っ青な顔をしてクマを気持ち悪そうに見つめている。そうして叫んだ。
「・・・捨てろよ、コウ!・・・気持ち悪いよ、そいつ!!」
「・・・・・・・でも・・・・・・」
まだ何かを言いかけるウラキを、バニングは軽く手で遮る。・・・そうして、席を立とうとして、こう続けた。
「何だかなぁ・・・そのクマを貴様が拾ったのは冗談じゃ無いくらい最悪な事だが、それで俺はひとつ気がついた。・・・・ウラキ、キース。」
「はい。」
ウラキとキースは、声をそろえて返事をした。・・・一体なんだろう?
「お前らはなあ・・・だいぶ、モビルスーツの操縦は上手くなったが、こう、足りねぇんだな・・・・戦争の、本当の意味がわかっちゃいねぇ。・・・それに気付いた。・・・・本当に戦争で。本当に人が死んで。・・・そうして宇宙のゴミになるって事の、その意味が分かっちゃいねぇ。・・・だからそんなものを拾っちまうんだよ。」
もう本当に立ち上がって、ラウンジを出て行きざま、バニングはもう一度だけ振り返るとこう言う。
「・・・・とにかく、そんなもんは捨てちまえ、ウラキ。」
気がつくと、いつの間にか日付けがかわって11月8日になっていた。キースはウラキに、「ほらみろ、怒られた!」と文句を言った。
・・・・そうしてその日、バニング大尉は死んだ。・・・・・・・・・・・・・宇宙のゴミになった。
ウラキは本当に人が死ぬ、ということの意味を知った。・・・・何故か、そう言う時涙は出なかった。慌ただしく周りだけが動いた。何故かウラキは少尉から中尉になった。・・・・どたばたしたものが過ぎ去ってから、やっとウラキは自分の部屋に戻って来た。
戻って来て。・・・・1人になって。
・・・・そこで、初めて泣いた。
見ると、ベットの上にテディ・ベアが乗っている。・・・・バニングが、さんざん捨てろと言ったものだ。・・・・捨てられない。ウラキは思った。捨てろとバニング大尉に嫌われたクマ。・・・・・そういう思い出。それが、このクマに関する自分の思い出。・・・・そんな思い出のあるものを、捨てられる訳が無い。そうして涙でぼやけた視界のままベットに這い上がって、それを腕に抱えてみた。・・・しっかりと。
不思議と少し落ち着いた気がした。
『アルビオンの少年』3、おわり。
2000.11.10.
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