その時、サウス・バニング大尉は呆れ果てて『その物体』を見ていた・・・・いや。正確には、それが何であるのか彼にはとても良く分かっていたのだが、分かってはいたのだが、そうだと認めてしまうと激しい頭痛に悩まされる事になると知っていたので、敢えて分かろうとはしなかったのである。
 -----時は0083.10月22日。
 今、バニングはペガサス級の戦艦であるアルビオンの通路の一本に立っていた。左足を怪我していたので、松葉杖をついて通路の左側に、である。何故なら通路は、左側通行だったからだ。
 ・・・・その通路の向こうから、『その物体』はやってくる。
 ちょっと駆け足になったり。
 急に立ち止まって、通路の壁にぺたっと触ってみたり。
 ・・・・挙げ句の果てには、その壁に張り付いて嬉しそうに頬ずりしたりしながら。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 いい加減、近くにやって来ても『その物体』が自分に気付かないようなので、遂にバニングはそれに声をかける事にした。・・・何故なら、『それ』は誰かが止めなければ、もう今にもアルビオンの壁にキスをしだしそうな勢いだったからである。そうして言った。
「・・・・・・・ウラキ少尉。コウ・ウラキ少尉!」
「・・・・!!」
 『その物体』・・・・正確には、コウ・ウラキ少尉(19)はその声で、やっとすぐ近くにバニングがいた事に気付いたようであった。驚いたように顔を上げると、しかしバニングの顔を見てぱっと嬉しそうな表情になる。
「バニング大尉!・・・・何をしてらっしゃるのですか、こんなところで?」
「それは俺の台詞だ・・・・・」
 バニングはついため息をつきながらそう答えた。そうして、身体を支えていた松葉杖で軽く向こうを差す。
「お前は何をやっていたんだ、こんなところで。今は、休息中のはずだが?・・・・うろうろしてるなら、ラウンジに行くぞ。」
「そうです、自分は休息中です!・・・・なので、アルビオンの中を散策していました。」
 コウは嬉しそうに、歩き出したバニングについてゆきながら、そう言った・・・・何故戦艦の中を歩き回るのに壁に頬擦りする必要がある?バニングはそう思って、思わず言ってしまった。
「・・・壁にへばりつかんでも、散歩は出来るだろうが。」
 すると、コウはこう答えた。
「ええっと・・・でも・・・・自分があの、『ペガサス級』の戦艦に乗ってるんだなあと思ったら・・・・・・!」
「・・・・思ったら?」
「なんだか嬉しくて!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、理由はそれだけか?」
「はい?」
 ・・・・バニングは、この男をガンダムのパイロットに自分が推薦した事を、少し後悔し始めていた。
































 もっとも、散策という行動を今ウラキ少尉が取っている事だけは、バニングにも十分納得出来る事であった。何故なら、ウラキはアルビオンに乗ってから昨日までの一週間を、ずっと独房で過ごしていたからである。
「・・・・いつも一緒のキース少尉はどうした。」
 ラウンジは、昼過ぎの中途半端な時間で有る事も手伝って非常に閑散としていた。その窓辺の席に座りながら、バニングはウラキにそう問いかけた。
「ああ、キースは、僕が出て来たらアルビオンの中を案内してやる・・・・って言ってくれてたんですけど。」
 ウラキも向側の席に座りながら、こう答えた。
「会えないんです。つまり、休息時間がまだ重なってません。」
「そうか・・・・・」
 バニングが、この男をガンダム試作一号機のパイロットに推薦したのには、それなりの理由が有る。まず、コウ・ウラキはトリントンでテストパイロットの指導をしていたバニングの目から見ても、同世代の中ではピカイチにMSの操縦が上手かった。それに、二人がこのアルビオンに乗って、試作二号機を追い掛ける事となったきっかけの強奪事件で、成りゆき上とはいい初めて一号機に乗り、それなりに乗りこなしてみせた。・・・・いや。乗りこなしてみせた、というより、初陣の新米少尉にしては、異様なファイトを見せたのである。敵に突っ込んでゆく気概。それが、なかなか他に無いほど素晴らしかった。
「・・・・・で、話は元に戻るがな。・・・・『ペガサス級』に乗っているのはそんなに嬉しい事か?・・・・つまり、その、壁に頬擦りしたくなるほど、だ。」
「・・・・嬉しいですっ!」
 信じられない事に、ウラキは自分で入れて来た自動販売機のホットミルクに、更に砂糖を入れながらバニングにそう答えた。・・・・その有り様を見ながら、バニングはやはり少し目眩を覚えた。・・・・なんというか。なんというか、確かにパイロットとしての素養は有ると思うのだが、この男の普段の生活ぶりは、何とかならないものだろうか。・・・ホットミルクが好きなだけでなく、確かこいつはニンジンも食べられなかったような気がする。
「・・・あちっ。」
 熱いミルクで下の先をやけどしたらしいウラキに、それでもバニングは自分のポケットから小銭を取り出すと言った。
「・・・ウラキ、俺の分も買って来てくれ。コーヒー。・・・砂糖もミルクも入れるなよ。」
「はい。」
 とたんに、ウラキが小銭を掴んで自動販売機にかけてゆく。・・・アルビオンのパイロットの制服は、なかなか似合うな、あいつに。バニングはその濃紺のジャケットと、ウラキのまっすぐな黒髪の後ろ姿を見つつそう思った。・・・・だがしかし、とにかくもうちょっと何とかなら無いのか。
「で、なにがそんなに嬉しいんだ?」
「え?ええ、はい・・・・・・」
 コーヒーの紙コップを持って戻って来たウラキに、バニングは更に聞いた。ウラキは、一瞬分からないような顔をしたが、すぐにアルビオンの事だと気付いたらしく、勢い良くこう続けた。
「だって、大尉!・・・・『ペガサス級』なんですよ!?・・・・『ホワイトベース』と同じです!ガンダムが・・・RX-78が乗っていた!!」
 ああ。・・・・その返事に、バニングは実に戦後世代っぽいな、と思った・・・・自分がパイロットを、軍を目指した頃には、もちろん地球連邦軍にモビルスーツなど存在しなかったし、それが使われはじめたのは一年戦争の最末期で、RX-78の存在が連邦軍全体に知れ渡ったのですら、実は戦争が終った後である。しかし戦後世代のウラキは、もちろんそれを当然のものとして、士官学校で勉強して出て来ているのだった。
「・・・そうだな。確か、ホワイトベースはペガサス級の三番艦で、第十三独立部隊で・・・・ガンダムの・・・ああっと、新型モビルスーツ専用の母艦として作られたんだったな。」
「このアルビオンもそうじゃないですか!!・・・・それで、自分は、ガンダムに乗れるんですよ、この船で!どうしようっ・・・・・・・・」
 バニングが焦った事に、ウラキはそこで真っ赤な顔をして息を少し詰まらせた。
「・・・・・・・・ウラキ?・・・・おい、ウラキ!」
 バニングが慌てて声をかけると、辛うじてウラキは息を吹き返す。
「・・・ああ!びっくりした、自分はちょっと嬉しくて息をするのを忘れてました!!・・・ああ、すいません、苦しかった・・・。」
「・・・・・・・・・・・」
 バニングは思わず窓の外に広がるアフリカの大地見ながら、コウ・ウラキの適性についてもう一回考えはじめてしまった。すると、そんなバニングには気付かない風で、ウラキはこんな事をバニングに言いはじめた。
「・・・大尉は、『ガンダム』を見ましたか???・・・一年戦争の戦場で。」
「あぁ?」
 思わずバニングは間抜けな返事をしてしまった。・・・一年戦争の時に、『ガンダム』を見たか、だと?
「・・・見ちゃいないな。ウラキ、一年戦争末期で、俺がモビルスーツに乗って出撃した戦場ってのはどれも宇宙だった。それも、大きな作戦ばかりだ。ソロモン戦、ア・バオア・クー戦、どっちもすげぇ数のモビルスーツと戦艦がごちゃごちゃいた戦場だ。この間のトリントンみたいに、全体で数十機、てのとは訳が違う。・・・・見ちゃいないな。」
 確かにあの戦場に、『ガンダム』も・・・白い悪魔と呼ばれたその連邦唯一のエースパイロットも居たのだろう。だが、本当に自分は見ていない。・・・ガンダムの存在すら、その時は知らなかったと言うのが本当のところだ。確かに、自分の乗っているMSのこの凄まじい戦闘パターンをテストしたテスト機は、一体どんな機体なのだろう、くらいには思った。・・・・だが、ガンダムとは、連邦にとって初めてのMSであり、戦闘パターンを取る為のテスト機であったのだ。その存在は、戦争が終ってみるまでほとんどの軍人は知らされもしなかった。
 その、バニングの味気ない返事に、だがウラキは残念がる風でもなく、更にこう続けた。
「ああ!・・・その、ソロモン戦とかア・バオア・クー戦はどんな感じでしたか?」
「どんなって・・・・・そうだな。そうだな、こう・・・ごった煮のスープみてぇな感じだ。」
「ごった煮・・・・・の、スープ?」
「そうだな。・・・勝手にぶつかるんだ、敵に。狭い鍋にいきなり放り込まれたんでな、場所が無くてな。じゃがいもやニンジンみたいにな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ニンジン、というところで、ウラキの顔色が少し変わった。・・・・おおかた、向こうから自分に向かって巨大なニンジンが迫ってくるところでも想像してしまったのだろう。・・・バニングは、ため息をつきたくなるのを何とか我慢しながらもう一回窓の外を見つめた。夕暮れだ。
「・・・・・あの、大尉。」
 それこそニンジンみたいな色だ・・・と、バニングが考えていたところに、ウラキからまた質問の声がかかった。・・・・今度はなんだ。
「あぁ?」
「・・・・・ガトーには・・・・・・・・・」
 そう、小さく呟くように言ったウラキの声が今までと全く違ったので、思わずバニングは正面のコウに向き直った。夕日を見るのをやめて。















「・・・・・ガトーには、会いましたか?・・・ガトーを見ましたか?」















 その時バニングは、何故か急にウソをつきたくなった。・・・ウソを。どうしても、この目の前の男の為に。
「・・・・ああ。ガトーには、会ったな。」
 それがウソだ。もちろん、一年戦争の戦場でガトーに会った記憶など、バニングにはない。
「・・・いいか、ウラキ。・・・ジオンのエースパイロットっていうのはな。ガトーだけじゃなくて、赤い彗星も、白狼も、稲妻もみんなそうだがな。・・・全く違う。連邦の軍人とは、本当に違う。とにかく目立つ。そいつがやってくるだけで、戦場のそいつの目の前に道が開けちまう。空気が変わる。その中をな。・・・その中をそいつは、凄い勢いでたった1人でやってくる。・・・それが、『敵』だ。それが、ジオンのエースパイロットだ。・・・そんなヤツは連邦にはいなかったからな。ガンダムですらそうじゃ無かった。だから連邦のパイロットの事は覚えちゃいねぇ。・・・・だが、ガトーは覚えてる。」
「・・・・・・・・・・・」
 ウラキは、凄い顔でその話を聞いていた。・・・・そうだ。バニングは、そんなウラキの顔を見た事が無かったのだった。凄い顔で。










 まるで目の前の、見えないものを睨み付けるような顔でウラキは話を聞いていた。・・・こんなウラキは知らない。










「・・・・そうですか。」
 随分と経ってから、ウラキはようやっとそれだけ返事をした。・・・・ただの。男と言うのにも語弊が有るような、アルビオンの壁に頬擦りをするようなニンジンの食べれない少年なのに。
「・・・そうだ。」
 バニングも、それだけ返事をした。・・・・あんな顔をするのか。・・・・敵の事を考えた時。・・・本気になった時には。
「・・・・・じゃあ、行くぞ?休息時間はもう終わりだろうが。次の仕事はなんだ?」
「あ・・・・はい、これ、最後まで飲んでもいいですか!?」
 バニングの声に、ウラキはふと我に返ったようであった。慌てて、目の前にあったもう随分と冷えていたはずのホットミルク(砂糖たっぷり入り)を飲みほして立ち上がる。
「俺のも片付けておけ。」
「はい。」
 自動販売機の脇にあるダストシュートに向かって、ウラキが二人分の紙コップを持って走ってゆくのを、バニングはちらりと見てからさっさと自分だけ先にラウンジの外に出た。










 ・・・・あんな顔をするのか。・・・その敵の事を考えた時。・・・本気になった時には。










 この戦いが終った時、ウラキは少年では無くなるだろうか。・・・バニングはそんな事を考えながら、ウラキに追い付かれる前に自分の部屋に戻ろうと思った。あいつは勝手に、アルビオンに頬すりでもしていればいいのだ。・・・ただ。










 ウラキをガンダム試作一号機のパイロットにした事だけはもう後悔していなかった。・・・・あいつはきっとやる。










 アルビオンはもうすっかり暮れた空の中を、アフリカ中央部に向かって飛び続けていた。



















『アルビオンの少年』おわり。










2000.10.25.

註:ホワイトベースはペガサス級の二番艦で、三番艦がホワイトベースがア・バオア・クーで沈んだ後就航した
『ホワイトベース・ジュニア』らしい。アルビオンは七番艦らしいんですがそう言う小説でもないしまあいいか、
ということでこのまま(笑)。










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