無風帯から
格納庫から戻って来たとたんに、隊長に呼び出された。自分の部屋……つまりは狭苦しい軍の独身寮で、重いブーツを脱ぎかけていたコウは舌打ちをする。
良く無い。こういうタイミングで呼び出されるのは大抵良く無い知らせだ。インターフォンを切ってから、とりあえずコウは考えた。知らせというか、まあ、予感がするというか。
「……ウラキ少尉、入ります。」
果たして、呼び出されて向かった先は基地司令の部屋だった。待ってくれよ。この基地に配属されて二年近くになるが、こんな御大層な部屋には近寄ったことも無い。ここに隊長も居るというのか。……俺は酷く盛大な失敗でもやらかしたか?
公務員らしく、暗い顔つきになってしまって、それでもそのドアをコウはノックした。
中には、女が居た。私服だったので、軍人か民間人かは分からない。
「来たな、ウラキ少尉。」
少し居心地の悪そうな自分の隊の隊長が部屋の隅でそう言って、俺は部屋に向え入れられた。……そりゃそうだよなあ、自分達はなんだ、と言ったらテストパイロットだ。つまり、モビルスーツ評価試験パイロット。隊長だって、めったにこんな部屋には入らないに違い無い。コウは軽く自分の直属の上官に敬礼をしてから、基地司令と女の方を向き直った。ちなみに、基地司令の顔は逆光だものだから、いまいち良く見えない。
「……そう、彼が……」
ヒールの音を響かせながら近寄ってくる女の声がもう、実に嫌な感じだった。……なにがどう、と言われても説明出来ない。コウは、とりあえず背筋を延ばした。
「『コウ・ウラキ』なのね?」
「そうだ。」
何故か基地司令がそう答えた。……おいおい。今までちゃんと会ったこともないだろうが、あんたと俺。
「そう……」
女が自分の回りをひとまわりした。猫みたいな感じだった。更に、香水の臭いがむせるほどした。……嫌な感じだ。
「……安心していいのよ。」
女はひとまわりしたら満足したらしい。そして、非常に簡潔にこう言った。
「私…………諜報部じゃ無いから。」
――― 時に、0085、九月。
さて、その女が話すにはこういうことであった……ウラキ少尉、一ヶ月ほどバカンスしてみない?
「はあ!?」
さすがにコウは変な声を上げてしまった。……それから、ここが基地の、オークリー基地の大食堂だったことを思い出した。女が『是非に』というので、場所は基地司令の執務室から、大食堂に移されていたのである。女は、実にコウにだけ用事があったらしい。
「……なんですか、バカンスって。」
「バカンスはバカンスよ。……のんびりするのよ。」
表情が読めない感じだった。回りでは、いつもどおりにむさ苦しい軍人達が飯をがっついているのに、この女の回りだけ空気が違う感じ。いや、もとよりコウには、女の表情など読めなかったが。コウは思わずため息をついた。
「あのですね、ええとミス……いや、ミズ?」
「アリスン・ドッグヴィル。さっき名刺を渡したでしょう? 中佐よ、一応軍属。……諜報部じゃないから安心して、って言ったじゃない。」
女はなんとも言えない笑顔で、コウの顔を見ながら続ける。……ああ、そういう問題じゃあないんだ。俺が女が苦手なのとかって。確かに別次元で諜報部は苦手だ。刑務所から出たばかりの頃、あまりに回りに張り付かれたから、懲りている。……ああ、でもやっぱりそういう問題じゃあないんだ。コウはもう一回ため息をついてから、先を続けた。
「しかしですね、俺はここで仕事を……テストパイロットをしていて、それで一ヶ月なんて休暇をとっている余裕は無く……」
「医療部が全部引き受けるっていってるのよ。基地司令だって文句は言わないわよ?」
コウは思わず渡された名刺を見直した。……地球連邦軍、ノースアメリカ方面、オーガスタ基地所属医療部、アリスン・ドックヴィル中佐。……なんだろう、オーガスタだからその権利がある、って話でもなさそうだしな。もっと上……ジャブローとかが絡んでそうな感じだ。
「……しかし……」
「ねえ、ノースアメリカ方面の基地って言ったらどこかしら。」
「はあ?」
女は急に話題を変えて来た。コウはまた困った顔をしてしまった。……してしまってから、失敗した、と思った。ダメだ。この女は上官の上に、かなり手強い。案の定、コウの困ったような顔を見て相手は自分のペースだと思ったらしい。にんまりと微笑む、その私服の中佐の唇にひかれた、赤がひたすら凶悪だった。
「どこかしら?」
もう一回、そう質問される。
「……ええっと、北米の基地ですか、北米ね。カリフォルニア、オーガスタ、それからオークリー……。」
「ええ、それはここね。オークリー。」
「……それくらいしか思い付きませんが。」
コウは素直にそう言った。……目の前の女は、もう大満足、という顔をしていた。
「それでね。」
「はい?」
「そうじゃない基地に行って欲しいのよ、一ヶ月。」
「……はあ……」
そんな返事しかしようがない。……どこからともなく連邦軍の医療部の(大体、医療部ってなんだ、そこって何をやるところなんだ?)女が現れ、自分に一ヶ月どこかに行け、と言っている。……何が目的かは知らないけれど。
「……そこでも、テストパイロットの仕事をしたらいいんですか?」
コウは思わず聞いた。……基地司令に直接ワタリをつけるくらいのコネがあるのだから、ここで自分が抵抗してみても、多分無駄なのだろうなあ、とは思いつつも。
「違うのよ。ただ、『話し相手』をしてみて欲しいの。」
「……はあああ?」
コウは更にへんな声を上げてしまった。……まて、それは逆効果だ、分かってはいるのに。
「『話し相手』よ。あなたのバカンス中の仕事は。」
いやそれは表現として間違っているだろう、だいたいバカンスってのは休暇だ、休暇中の仕事っていったい! というようなコウの疑問の全ては目の前の女の笑顔で曖昧に臥された。
「あなたに言ってもらいたいのは、シャイアン……」
コウはもう、諦めた気分で頷いた。
「……本当に苦労して探したのよ、『あなたの経歴』を持つ人間がなかなか他には居ないわ。」
……果たして数週間後、コウはシャイアン近郊の町に降り立って居た。……近郊の、というのはシャイアンがあまりに僻地過ぎ直接辿り着く手段が無かったからである。連邦軍のベースであることには間違い無いのだが。
「……なんだってんだ……」
私服で、バックを一つ抱えただけのコウは思わず毒づいた。……本当になんだってんだ! 『医療部』とやらの命令で、本業が『テストパイロット』のはずの自分が、こんなノースアメリカでも間違い無く田舎の、とんでもない場所に来させられてしまった。
「………だぁああ!」
とりあえず、駅のプラットフォームで叫んだら少し気が晴れた。気を取り直して、駅前でタクシーを拾うと、シャイアンの基地に向かうことにする……恐ろしいことに、出迎え一人出ていなかった。……よくない。こういうのは、絶対良く無い出来事の前兆だ。どうなるんだ、この『バカンス』とやらは。仕方が無いので腹を据えてタクシーの座席に座り込み、運転手に向かって「ベース・シャイアン!」と叫ぶ。
並み大抵のことではヘコまないくらいの尽力は、確かにあの『敗北』以降、身についていた。
「……おおおー、君がウラキ君かねー、良く来たねー。」
「…………」
シャイアンというのは、想像を絶して田舎であった。……北米の田舎はオークリーで見慣れているが、そういう次元じゃない。
「まあまあ入ってー。座ってー。」
妙に語尾を延ばしたがる目の前のかなりくたびれぎみの老人、その人が、実にシャイアンの基地司令だということだった。……小さい。なんて小さいんだ、この基地!
コウは窓から見渡せる基地の風景を見て思わず目をこすりたくなってきた。
「あ、おかまいなく。」
基地と言うより検問所かなにかの間違いじゃ無いのか、ここは、というくらい小さかった。その時、恐ろしいことにその基地司令本人がお茶を入れようとしていることに気付いたので、慌ててコウはそれを止めた。
「まあ、のんびりやってくれて構わないよー。この基地にはあんまり人数もいないので、寮の部屋もたくさん空いているしー……」
そうだろうなあ、とコウは思う。ジープくらいしか見えない。何を思って連邦軍はここに基地を作り、何を思ってこの基地を維持しているというのだろう。
「あの……失礼ですが、ここにモビルスーツは……」
「ほっ! そんな物騒なものはナイよー、ナイナイ!」
コウの質問に、基地司令は実に面白そうに笑い出した。……軍人なのに、兵器に対して物騒もなにもないだろう、と思う。ああ、しかしこれで確実に一ヶ月モビルスーツ断ちが決定か。
「そもそもだな、昔、シャイアン族ー、ってのが居てなー……」
「……はあ。」
「原住民だよー、原住民。……そういう名前の一族が、このあたりに住んで居たー。だからここは”シャイアン”だ。」
「…………」
コウはどんどん不安になってきた。これは、もう早めに仕事の話を始めた方が良さそうだ。
「それで、話の腰を折ってしまって申し訳ないのですが、あの、自分がここに来たのは『一ヶ月話し相手をしろ』という命令が下ったからなのですが……」
自分の任務について切り出してみた。
「……その、相手はどこに?」
「ほっ! ああそうか、そうだったなー。……よし、待っていてくれ、今呼ぶからなぁー。応接室は廊下を出て突き当たりだー。」
やっとこの老人から解放される。そう思ったコウは、そそくさと基地司令の部屋を後にすることにする。肝心の『話し相手』はまだここにはいないらしい。扉を閉める直前に、どこかに電話をかけているらしい基地司令の小さな後ろ姿がチラリと見えた。
廊下を出て応接室に向かうと、そこは小さな基地に似つかわしいサイズの、それはそれはこじんまりとした応接室だった。一般家庭の居間の方がまだもう少し広いんじゃ無いのか、というくらいの。まだ寮の部屋には行っていなかったので、一組しかないソファの片側に、持って来た荷物を投げ出す。それから少し考えたが、もう一方のソファに陣取って座ることにした。……まあ、相手が来たらその時に譲ればいいや。それくらい、そのソファも小さかった。
……無音だった。オークリーも、規模が大きい割には確かにのんびりとした田舎基地だったが、ここの静かさには負ける。そう思った。なんていうか、耳が痛くなる。……耳が痛くなるくらい、『静か』、だ。やがてコウは、ここでは風の音すらしないのだ、ということに気付いた。……もっとも俺の人生そのものが、今やこういう程度のモノなのかもしれなかったが。
あまりに相手、とやらが来ないので、ついにコウは哲学的なことを考えはじめてしまった。そうだ、『静か』だ。……軍人の本業が戦うことなのだとしたら、あまりに俺の人生は今、『静か』だ。あれからずっと……もう二年も、もう二年も『静か』なままだ。そしてもう二度と、『嵐』には出会わない気がする。人生において。……だって俺の戦う相手は、もういなくなってしまったから。
考え事を続けるコウの耳に、低く、セスナ機だろうか、何かの飛翔する音が響いて来た。……ああよかった、この基地、飛行機くらいはあるのかよ。しかしセスナなんて今どきアナログだよなあ、操縦できるやつがいるのか……
というより、まて、本当にセスナか? 重油系の燃料の? それが飛んでいるのか? だったら凄いよな、まだ現存してたんだ……と、そこまで考えた時、どうやらその飛行機が基地の滑走路に止まったらしいのが分かった。
「………」
コウは起き上がった。というのも、考え事をしている間にズルズルと、ソファから滑り落ちるほどくつろいでしまっていたからだ。いや、だって多分今のが、そうなんだろ。……だったら、いくらなんでも人を出迎えるのに寝転がっているわけにはゆかない。案の定、一分もしないうちに、応接室のドアがココン!とノックされ、そして開いた。
「……どうも。」
コウはとりあえず立ち上がった。……扉の向こうから覗き込んでいるのは、なんとも言えない感じの、同年代くらいに見える人物だった。
「……研究所の人間じゃないのか?」
彼は言った。……男だった。……どこかで見たような顔にも思えるが、知らないと言えば知らない。そんな感じの、まあごく普通の見栄えの、中肉中背の男。少し暗そう。身長は俺の方が高いな。コウは急いで、彼が着ている制服の襟元の、階級章を確認した。中尉。てことは上官だ。俺は戦時中の艦長特権でしか中尉にはなったことがない。……つまりは上官の話し相手か、うーん。
「研究所? ……あ、いや、自分は……なんて言えばいいかな、医療部から辞令を貰いまして……」
あれを辞令と言うならな、とコウは数週間ほど前の女とのやりとりを思い出しながらそう言った。
「医療部? ……じゃ、カウンセラーか何かなのか?」
男はすっ、と部屋の中に入って来た。おい、名前も名乗らないのかよ。コウはどこかで見たようで、でも見たことの無いようなその男の顔をじっと眺めながら、先を続けた。……赤毛だ。うん、赤毛だな。一言で言って良ければ。
「いや、カウンセラーではないです……が、似たようなことを頼まれたことになるのかな……『一ヶ月あなたの話し相手をするように』という辞令でした。」
だから、あれを辞令と言うならな。ともかくコウが素直にそう言うと、その赤毛の男はちょっとバカにしたような目でコウを見た。
「ふーん……君が? なんだ、『ただの』話し相手を送ってくれるのなら、もっと可愛い女の子とかを送ってくれればいいのにさ……なんで男なんだろう。」
その台詞にはさすがにちょっとムカついた。……なんだ、自分はわけも分からずここに来ているんだぞ、それを、本当になんだ!
「あー……それは本当に申し訳ない……じゃあここで、『残念ながら気が合いませんでした』って言って帰るのはアリでしょうか、中尉。」
どこかで見たような気はするのだが、まあ知らない人間には違い無い。コウはつい、笑顔と共に慇懃にそう言ってしまった。すると、相手も首を軽くすくめながら返す。
「いいんじゃないのかな。……僕が頼んだわけじゃ無いんだし……」
「……あのな!」
その相手の台詞を聞いて、ついにコウは相手に掴みかかってしまった。……何だよ! なんなんだよ、コイツ!
「いいか! あんたが何者かは知らないが、とりあえず初対面の相手にはもう少しマトモな挨拶をしろ!人間の基本だ!」
赤毛の男はかなり驚いたらしく、まんまるな目でコウを見上げている。
「俺の名前はコウ・ウラキ! 階級は少尉、オークリー基地のテストパイロットだ、それが本業だ! だけど、なんだか断れない感じでここへ来させられてしまった、仕事はアンタの話し相手!」
「……テストパイロット。」
何故か相手は、妙なところに引っ掛かったらしい。
「彼女っぽいのはいるけど、年上なのでちょっと微妙! 年は二十一歳、出身は旧ヨーロッパ地区のドレスデン、好きなものはモビルスーツで、嫌いなものはニンジンだ!
……以上。……あの、ごめん……」
そこまで話したあたりで、コウはさすがに恥ずかしくなって来た。……上官に手を上げてはならない、という軍規の基本中の基本を犯してしまっているよ、自分!
……とりあえず、胸ぐらを掴んでいた手は離した。バツが悪くなって頭を掻いた。それから荷物を避けて、ソファに座りますか? と少し白々しく聞いてみた。額には青筋を立てたままだったとは思うのだが。
「……同い年だ。」
「そーですか。」
相手は押されると弱いタイプの人間だったらしく、そう言いながらストン、とソファに腰を降ろす。
「僕の、出身は旧アジア地区。日本の山陰だ、分かる?」
コウは分からなかったので素直に首を横に振った。……赤毛の男は最初のふてぶてしさが少し無くなって、なんだか疲れた感じでため息をついた。
「テストパイロットなんだ、君。……ってことは、モビルスーツに乗ってたのか?」
「……一昨日まで。昨日はここに来る準備をしていたから乗ってませんけど、それで、今日ここです。」
男はもう一回ため息をついた。しばらくの沈黙の後に、その赤毛の男の言った台詞は衝撃的だった。
「僕はもう、五年も乗ってない。」
「……パイロットなんですか。」
「……多分ね。」
多分ね、という返事も不思議なものだと思ったが、とりあえず自分は、五年もモビルスーツに乗れなかったらかなり辛いだろうと思う。もし、モビルスーツパイロットなのに乗れなかったりしたら。そこで、コウは答えた。
「乗りたくはならないんですか。だったら乗った方がいいですよ、そういう人種もいる。」
「……」
相手は何とも言えない顔で、自分の方を見上げて来た……そこで、自分も目線が合うように、そこで初めてソファに座る、という行動を思い出した。……やっぱどこかで見たことがあるような気がするんだけどなあ、この人の顔……。
「出来たらそうしている。……いや、乗りたくは無いかな。……難しいな、その辺は。」
「はぁ……」
とりあえずコウはそんな返事を返した。……それから、相手の名前をいまだに聞いていないのを、やっと思い出した。
「ああ、中尉。それでね、自分は中尉の話し相手をするように、ってことで一ヶ月間この基地に来させられたわけなんですが、その……中尉の名前は?」
「あぁ。」
赤毛の男は何故かちょっと嫌そうに、そこで初めて名前を名乗った。
「………アムロ・レイ。」
コウは頭ががんがんして、とても眠れそうに無かった。……自分が何をしてしまったか? といったら、『英雄』に掴みかかってしまったのである……狭苦しくてちょっとカビ臭い基地の寮の一室で、コウは穴があったら入りたい気分に陥っていた。
「そりゃ、顔も、知ってるって……」
一年戦争終結直後に、嫌と言うほど見た顔なのだった。もう五年ほど前になる。すぐに気がつかなかったのは、「アムロ・レイ」が成長していたからだが、彼も人間なのだから、当然年くらいとることだろう。とにかく、戦後に士官学校を出てパイロットを志願したコウにとって、彼は英雄だった。……ああ、英雄だった、それに掴みかかって、あまつさえ怒鳴ってしまった!
「……恥ずかしい……」
あのあと、さすがにコウが絶句していると、アムロは小さくため息をついてこう言った。……ともかく僕は「話し相手」なんていらないから、帰りなよ。そう言われても、来るのに丸一日かかるような僻地だから、帰るのも簡単にはゆかない。そこでこうして一晩シャイアン基地で眠ることになっている訳だった。
「……待てよ?」
そこまで考えて、コウはふと医療部の中佐のことを思い出した……相手に断られました、と言ったところで素直にオークリーに戻してもらえるのだろうか。いや、そんな簡単な話ではないように思えた。それに実際、アムロ・レイの話し相手をしてみたいかと言われたら……少ししてみたい。いや、少しどころか凄くしてみたいかも、話。
「……よし。」
何故かコウは興奮して来てしまって、カビ臭いベットの上に起き上がった。よし。よし、やってやろうじゃ無いか話し相手! しかし今は夜中なのでどうしようもない。今度は別の意味で眠れなくなってしまったコウは、仕方が無いので真夜中の寮で準備体操を始めた。
「……この基地では暮らしていない?」
「そうなのだよー、ウラキ君ー。……もうちょっと基地を説明して回ろうかー?」
「いや……もう三周目なので、結構です司令……。」
だがしかし、アムロ・レイの話し相手というのはなかなか簡単には出来そうになかった。……語尾の長い基地司令に聞いたところ、アムロ・レイはこの基地に所属はしているものの、特に任務に就いている訳でもなく、少し行った先に屋敷があって、普段はそこで暮らしているという。
「あそこに丘が見えるかねー、ウラキ少尉ー。」
基地司令が牧歌的な基地周辺の、ひとつの丘を指差した。
「見えますねー。」
まずい、この人と話しをしていると、俺まで語尾が長くなる。コウは思った。
「その、向こうだなー。十キロほど行った先だー。屋敷があるのは。」
「……十キロも? そうですか……で、彼は良くここには来るんですか? つまり、この基地に。」
すると基地司令は面白そうに笑った。
「ほっ! 滅多に来ないなー、昨日のアレは、つまりアレだな、私が呼んだから来た訳だー。セスナでー。」
「今日もう一回呼んで貰うわけにはいかないですよね……というか、俺、帰れって言われたんだから、向こうが来るわけないか。」
コウが呟くと、基地司令は更に面白そうに笑った。
「昔はそりゃあ沢山だなー、人が会いに来たー。あの子になー。」
「いや、アムロ・レイに対して『あの子』はちょっとどうかと……」
「あの子は人と会うのが、もう本当に嫌になったのかもしれんなー。」
「聞いてないだろ、おっさん……」
「誰がおっさんじゃ、ほっ!」
妙なところだけは話がちゃんと聞こえているらしい。コウは腕を組むとうーん……と考えた。すると、司令がへんなことを言い出した。
「ウラキ君ー、弁当を作ってやるぞー。」
「……そりゃあつまり……」
見ると、司令は食堂に向かってさっさと歩き出している。というか、食堂兼寮兼格納庫兼司令本部の建物にだ。この基地には恐ろしいことにたった一つしか建物が無かった。
「……ジープの一台も貸して貰えないってことですよね……」
「貸すほど余裕のあるものはー、この基地には一つもないなあー。」
果たして数十分後、コウは手弁当を片手に、往復二十キロのピクニックに出発した。……まあいい。時間はたっぷりとあるし、俺は休暇中だ。ひたすら歩き続けるコウの頭の中では、何故か先ほど基地司令が言った台詞が回り続けていた。
あの子は人と会うのが、もう本当に嫌になったのかもしれんなー。……あ、語尾がのびている。
……結果は惨敗であった。惨敗であったにも関わらず、他に方法がないのでもう一週間も同じことを繰り返してしまっていた。いくら休暇が一ヶ月あると言っても、四分の一を使い果たしてしまったことになる。
「……うぅん……」
コウはカビ臭いベットに寝転がって、天井を睨み付けていた。
「うぅううううううん………」
一日目、元気にコウが十キロ歩いて辿り着いた場所は、確かにお屋敷だった。すごい。飛行機の格納庫も、門の向こうの庭にはプールまで見える。ただ、敷地内には入れなかった。門が閉まっていたからである。呼び鈴を鳴らすとどうやら執事らしい人物が顔を出した。実に陰気な顔をした執事だった。「アムロ・レイ中尉に会いたいのですが。」コウがそう話すと、執事はおじぎをして屋敷に入っていった。しばらくすると、また戻って来てこう言った。「御会いになりたくないそうです。」……これで会話終了。というか、本人と話せてさえいない。
二日目は、更に運が悪かった。……十キロの道のりを、半分ほど歩いたところで、頭の上をセスナが飛んでゆくのが見えた。……それも明後日の方向へ。シャイアンの方角じゃ無い。それでも一応屋敷まで辿り着いて見たのだが、案の定「今出掛けてらっしゃいます。」と言われた。これで会話終了。いや、この日も話せず仕舞、というか。
三日目は少しラッキーだった。どのあたりがラッキーかというと、屋敷の門が開いていたのである。犬なんか離してありませんように、と祈りつつ、コウはここぞとばかりに屋敷の中に駆け込んだ。不法侵入だと自分でも思った。しかし、建物の前まで行って、一応叫んだ。「中尉ー!
俺と話をしませんかー!」……物凄く長い時間が過ぎてから、やっと二階の窓が開いた。「話し相手なんかいらないって言っただろ。」……これで終了。ああ神様、俺はアムロ・レイの顔は見たことがあったけど、ここまで凄い性格とは知りませんでした!
四日目あたりからは、少し会話らしくなった。屋敷の門は開いていたので、コウはまた昨日の窓の下にゆくと、同じ台詞を叫んだ。「中尉ー!
自分はこのままでは帰れませんー!」昨日より少し早く窓が開いて、赤い頭が顔をだした。「君、すごく変な性格だよね。」……なんだって。「他に方法がないのでこうしているだけなんですけど……」「やめればいいじゃないか。」……いや、絶対あんたの方がすごく変な性格だって!
そう怒鳴ろうかと思ったが、上から水でもぶっかけられると嫌なのでやめておいた。
五日目は、少し核心に触れるような会話をした。「中尉ー! そう言えば、俺は『経歴』で選ばれたんだって医療部の中佐が言ってました。」「……へえ。」「簡単に話しましょうか?」「男の過去の話なんか聞いてもなあ。」「えー、ドレスデンで生まれ……」「軍に入ってからにしてくれよ。長過ぎ。」「えー。ナイメーヘン士官学校卒業後、テストパイロットとして任官、地上軍オーストラリア方面トリントン基地に所属、宇宙軍に転属、第三地球起動艦隊に所属、それから刑務所、で今はノースアメリカ方面オークリー基地所属!」「……刑務所?
そこだけじゃないか、面白いの。」「自分もでもそう思いますね……」「もういいよ、エリートだったんだけど出世に失敗したのは良く分かった。」「………」
六日目、さすがに毎日二十キロ歩くのは疲れるよな、などと思いながらアムロの家の門をくぐると、何故か彼は屋敷の玄関の前でキレていた。執事と言い争いをしているらしい。「……だから、僕が何処へ行こうと僕の勝手だろう!」「……もちろんです。しかし、二日は前に御予定をお話いただかないと、こちらも対応が……」「対応って、見張ってるだけじゃないか!
もういい、じゃあ二日後には町にゆくからな!」そこまで怒鳴ってから、彼はやっと俺がいることに気付いたらしい。「……来てたのか。」「はあ、まあね。……俺が来るのはいいのかなあ、俺が勝手に来てるわけだけど。」ちょっと驚いたので、敬語を使うことすら忘れていた。「いいんじゃないのか!
こいつが黙っているんだから。」それだけ言うと、アムロ・レイは屋敷の中に入っていってしまった。俺は、少し嫌な気分になりながら陰気な執事を見た。執事はしゃあしゃあとこう言った。「……報告を受けておりますので。」
……七日目。つまり、今日だ。コウは思っていた。このままじゃあダメだ。なんというか、根本的にダメだ。「中尉ー!」どんなに窓に話し掛けても、アムロは出てこなかった。……一人の人間と会話を交わすのが、こんなに大変だとは思わなかったな。「……あのー、考えたんだけど、直属の上司じゃ無いわけだし、『アムロ』って呼び捨てでもいいかなー。」俺は勝手に話し続けた。「あと、敬語も面倒臭いんでもうやめるけど、いいかな。」……やはり出てこない。「明日、町に行くのか?
セスナで?」……どうするかなあ。
次の日の朝、とんでもなく早朝にコウはシャイアンを出発した。つまり、張り込もうというのである。行き来するのももう面倒臭いので、基地司令に頼んで、このままの状態が続くようなら野営用のテントを一式借りようか、とも思いはじめていた。ジープは貸してもらえなかったが、多分それくらいなら貸してもらえるだろう。そして、アムロの屋敷の門の前でキャンプでもしようかとやけっぱちに思いはじめていたのである。そんな朝、なんと言うタイミングか、コウに一本の電話がかかってきた。出ると、オーガスタの医療部の中佐だという、例の女だった。
『……どうかしら? 順調?』
「……帰りたいんですけど。」
『あらあらあら。あなたにあまり興味を示さなかったの? 彼は。』
電話の向こうだというのに、あの赤い唇と嫌な香水の香りが滲み出してくるように感じて、コウは思わず顔をしかめて受話器から手を話した。画像付きじゃなくて良かった。
「そんなこと言ってますけど、全部知っているんでしょう。……なんなんだ今回のは、本当に。」
電話の向こうで女が笑った。
『そろそろの筈なのよ。……今回は、本当にいろんなことが起こりそうなの。あなたと会話をして、どうなるかも気になったけど、もっと凄いゲストも後からそっちに向かっているらしいことが分かったのよ。』
この女、本当はやっぱり諜報部なんじゃ。コウはうっすらとそんなことを思った。
「言っていることの半分も分かりません。……自分はもう用無しだ、っていうんなら帰りますよ。」
『あら、もう少しお願いよ。……じゃあね。』
電話はそれで切れた。……くそう。コウは受話器を置くと、靴紐を結び直した。……そうだ、もう少し頑張ってみよう。
並み大抵のことではヘコまないくらいの尽力は、確かにあの『敗北』以降、身についていた。
早起きの甲斐があって、コウはアムロを屋敷の門の前で捕まえることに成功した……というより、門から飛び出して来たアムロの車に、強引に飛び乗ったのである。セスナでなくて良かったな。あれにはさすがに飛び乗れないよ。
「めちゃくちゃだな、おい……」
アムロが運転席でぶつぶつ呟いていたが、コウは降りる気は無かった。クラッシックなオープンカーで飛び乗りやすかった。
「……っていうか、すげえ! これ、ガソリン車じゃないのか!? こんなのまだ、地上にあったんだ!」
「……車好きなのか。」
「機械がね。……かなり。」
「僕もだ。」
そこまで会話してから、コウは気付いた……なんてことだ! やっと、やっと会話らしきものが出来た!
「苦節十年……やっと会話が……!」
「いや、まだ一週間だろ。あと、僕は別に話し相手なんていらないから。」
「盛り上がってるんだから放っておいてくれよ。……あ、私服初めてみたな。あんた、あの地上軍の軍服、似合わなかったよな。」
コウは隣にすわるアムロの、ラフな服装をみてそう思った。……うん、似合ってなかった。これまでアムロは、いつもサンドベージュの軍服をだらしない感じで着ていたのだが、それが実際似合っていなかったのだ。
「自分でも似合わないと思うよ。」
「宇宙軍の制服とか、あとフライトジャケットの方が似合うと思うよ。きっと。」
「お見立てありがとう。……そんなことは軍の上層部にでも言ってくれよ。」
そこで車はスピードを上げた。……歩いている時には感じなかった風が、頬にあたるのをコウは感じた。
「……なあ、俺思ったんだけどさ。」
「なんだよ。」
同い年の、二十一歳の二人が、クラッシックなオープンカーに乗ってアメリカ中部の大平原を抜けてゆく。……昔、シャイアン族、という原住民が住んでいたらしい土地だ。
「このあたり、風が吹かないよな。基地も、アムロの家のあたりも、なんか無風だ。」
「……今吹いてるじゃないか。」
「これは車に乗ってるからだろ? そういう意味じゃ無いよ。」
「……僕の人生なんか、もうずっと無風だ。……五年も。」
初めてシャイアンに辿り着いた晩、自分が考えたのとまったく同じことをアムロが言うので、コウは少しびっくりした。そしてアムロの顔を見た。見ながら言った。
「俺もそうなんだ。もう二年ほど無風だ。……そういう場所なんだな、ここ。」
「ああ、きっとそうだ。……そういう場所なんだ。」
アムロがそう答えて、今度こそ会話は途切れた。車は、最初にコウが辿り着いた、シャイアン近郊の町に向かっているらしかった。
「……おー、町だ……なんて久しぶりなんだ、この人の波……!」
「勝手に言ってろ。……おい、僕はゆくぞ。」
アムロは車を預けると、さっさと一人で行ってしまいそうになったのでコウは慌てて追いかける。冗談じゃ無い。
「……何するんだ。買い物か?」
「君には関係ない。」
「確かに関係ないけどさ。」
コウはアムロを追いかけて、隣に並んだ。アムロは少し嫌そうな顔をしたが、それでも歩き続ける。……何か気になることがあるのかな。コウは思った。そうだ、そんな感じがする。何か他に気になることがあって仕方が無い感じ。女が電話で言っていた『凄いゲスト』とやらのことだろうか。
「君がいると都合が……いや、待てよ。逆に都合がいいのかな、気付かれなくて……」
コウの心中を知ってか知らずか、アムロはぶつぶつと呟いていたが、やがてコウのシャツの袖を少し引っ張ってこう言った。
「左の後ろの方に、オーバーオールを着た平和そうなおっさんがいると思うんだ。気付かれ無いように見ろよ。」
コウは言われた通りに、脇の店に並んでいる商品を見るふりをして少し振り返ってみた。……いるな、確かに。平和そうなおっさんが。いかにもアメリカ中部の農民のオヤジです、という感じだ。あからさますぎるくらいの。
「顔見知りか?」
コウはまた歩き出してから、そう聞いた。アムロは頷いた。
「諜報部だよ。……だからまあ顔見知りと言えなくもないな。この町の担当らしくて、いつもいる。」
「ははぁー…なんか大変そうだとは思ったけど、本当に大変なんだな、あんた。」
「ともかくだ、だけども僕はちょっと用事があって……人と会いたい。」
「それで?」
その瞬間に、通りすがりの子供がアムロの身体にドン、とぶつかって、アムロはコウの方によろけてくる。
「おい、大丈夫か?」
「ああ大丈夫……あ、ちょっとそのまま。」
アムロは何故かコウに身体を預けたまま、ごそごそとなにかをしている。見ると、いつの間にやらアムロの手には一枚の紙が握られていた。……なるほど、コウの身体に隠れたこの角度なら、あの平和なおっさんからは死角になっていて見えないことだろう。
「……すごい。推理小説みたいだな……!」
コウが少し感動してそういうと、馬鹿か、とつぶやきながらアムロが身体を離した。
「……場所が分かった。行こう。」
「行こう、って……その『会いたい人』とやらと会うんだろ、俺も一緒でいいのか?」
「その方が都合いいような気がしてきた。……会いたいっていうか……いや、正確にはあまり会いたくないっていうか……。」
「なんだ、それ。」
とにかく二人は人込みの中を、どうやら町の中心部にある市場らしき場所に向かって歩いていった。
市場をぐるりと回る建物の一角に、オープンエアのカフェテラスがあった。どうやら、アムロはそこに向かっているらしい。幾人かの人間が談笑するその席を見て、何故かアムロが一瞬……ひどく緊張したらしいのが分かった。足も止まる。
「おい、今度はなんだ?」
「……いいか、僕が先に座る。君は、向いの席に座るんだ、そうしたら、僕と君が話をしているようにみえるだろ?」
「なるほど。」
それはつまり、アムロは自分では無い人間と会話を交わす、ということだ。……なにやら風景は賑やかな町並みなのに、妙な展開になってきたなあ、とコウは思う。ともかくカフェのテラスに上がって、言われた通りにアムロの向いに座った。……ウェイターが来て、注文を取る。コウはコーヒーを、アムロは紅茶を頼んだ。……しばらく、アムロは何も話さなかった。
「……あの、」
あまりに沈黙が長く続くので、どこかで見ているであろう諜報部の平和そうなおっさんの為にも、もう少し会話が盛り上がっているふりをした方がいいんじゃないか……と、コウが話しかけようとしたその瞬間だった。
「……本当にあなたなのか。」
何故かとても低い声でアムロがそう言った。顔は、自分を見たままだ。
「私だよ。分からないか。」
驚いたことにアムロの真後ろから返事が聞こえてきた。そこで、コウは気付いた、隣の席に一人で座っている客がいる。もちろん、向こうを向いて座っているので顔は見えないが、どうやらその人物が話しているらしい。明るい金髪の男性だ、ということだけは良く分かった。それから、耳に残る心地よい声をしているのも。
「分かる。それで、なんで戻って来たんですか。いつ戻って来たんですか。」
「どれも答えられないな。」
「……何故僕に会いに来たんですか。」
そこで相手は沈黙した。……コウは、本当に自分はここにいていいのかなー、と思いつつも、仕方が無いので頬杖をついてコーヒーを一口飲んだ。
「連れは誰だい?」
「あなたに答える必要はない。」
……妙な会話だなあ。コウは思った。しかしまあ、自己紹介をするわけにも行くまい。
「軍人なのは分かる。しかも君よりちゃんとした軍人だ。……正規の訓練を受けた。」
身も知らぬ人物に何故かそんなことを言われて、コウはへんな気持ちになってきた。今のは褒められたのだろうか、お礼を言った方がいいだろうか。……ところが、何故か次の瞬間に、アムロがひどく怒った風でこう答えた。
「……僕は軍人じゃない、僕はもう戦ってはいない! ……だから、僕に会いに来って無意味だ、分かっただろう! もう、あなたとは戦えない!」
驚いたな、相手は敵かよ! ……コウは思わずコーヒーを吹き出しそうになったが、それより別の箇所の方がよりひっかかった。そこで思わず、口を挟んでしまった。
「……いや、それは違うと思うぞ、アムロ。」
「何がだよ、僕は……僕は馬鹿にされるのはもう沢山だ!」
馬鹿になんかしてない。……コウは少し困ったが、どうやらアムロは興奮しているらしい。
「その……なんていうか、どういう敵か知らないけど、その人アムロの敵なんだろ。だったらその……戦えるよ。相手さえいれば戦えるんだ。だから、なんていうか……」
「言ってることの半分も意味が分からないぞ。」
アムロは紅茶を飲んで少し落ち着いたらしく、今度は静かにそう言った。すると、何故かその向こうの、後ろを向いた金髪の人物が少し笑うのが分かった。
「どうやら、とても面白い連れと一緒らしいな。友達なのか?」
「一週間前に会ったばかりだ。別に友達じゃ無い。」
「あ、『話し相手』をするようにと医療部から辞令が来まして……」
顔も良く分からない人物にこんな説明をするのも妙な話しだが、しかたないのでコウはそう付け足した。金髪の人物はよほど楽しかったらしく、まだ笑い続けている。ともかく、コウは言いかけたことを最後まで話そうと思った。
「……だからさ。凄く、幸せなことなんだ、戦う相手がいる、って。」
「………」
アムロは本当に黙り込んだ。金髪の人間は何か考え込んでいるらしかったが、やがてこう言うのが聞こえて来た。
「医療部と言ったな? ニュータイプ研究所とかではなくて?」
「ニュータイプじゃ無いのは一目見れば分かる。いや、あなたも分かるでしょう、感じで。」
コウはどうやら自分のことを言われているらしいと気付いて、少しムカっとしたが、まあ事実だ。なんだ、ニュータイプなんて言葉、久々に聞いたなあ。しかも、そう言えばアムロってそのニュータイプというのだったっけか?
などと、コウはそこで初めて思った。
「……経歴が、って言ってましたけどね。俺の経歴を持つ人間が居ないから、探すのに苦労した、って。」
「君、失礼だけど名前は? ……少し都合があって、私は名乗れないのだが、申し訳ない。」
金髪の人物は、どうやら今度はコウに話しかけてきたらしい。俺達は二人で座ってるからいいけど、この人こんなにべらべら話をして、変に思われないのかな……とコウは思ったが、良く見ると向こうの人物はちゃんと新聞を顔の前に広げていた。
「コウ・ウラキ、と言います。」
アムロは黙ったままだ。コウは、どうしようかなあ、と思ったけれど結局素直にそう答えた。……ああ、と向こうの人物は何故か頷いた。そして、綺麗な動作で立ち上がった。
「……確かに凄い経歴だ。アムロ君、私は彼を知っているよ。君は本当に気付かなかったのか?」
「何にですか。」
アムロは後ろの人物を睨むことが出来ないので、変わりに俺を睨んでいる、みたいな凄い顔で俺を見ていた。……ああ、困ったな。コウは思った。
「……私はまだしばらくここにいる。……また連絡をするよ。」
「しなくて結構……!」
「アムロ、君の目の前にいるウラキ君はね………ガンダムのパイロットだ。」
気がついたら、いつの間にやら金髪の男性はいなくなっていた。……アムロは、何故か凄い顔のままコウを見つめ続けている。
「……いや、自分でも気付かなかったな。……なるほど。そうか。そう言われればそうだよな。俺の経歴で必要だったのはそこか……。」
アムロから返事は無い。……困ったなあ、とコウは思った。別に隠していた訳では無いし、大体あれは消去された経歴の筈だ。が、実際ガンダムに乗ったことのあるパイロットというのは、連邦軍内すべてを捜しまわってもあまり居ないに違い無い。その上、俺はアムロ・レイの近くにいたのだ。同じノースアメリカ方面だし、何故か年齢も一緒だ。……そうか、そういうことだったのか。
「……でもまあ、一ヶ月だけだったんだ。」
「僕だって、三ヶ月だけだ。……でもそのせいで、いまだにこんな目にあっている。」
「俺もしばらく刑務所に入ったけどね。……あと、これから一生出世も出来ないと思うけど。」
ここでしばらく沈黙。……アムロはやがて目を伏せると、帰るか、と呟いた。
「……って、ああ、俺も一緒に乗っていっていいのか?」
「歩いて帰りたいならそうすればいい。僕はどちらでも構わない。」
「……あと、俺もアムロの家に行っていいのか?」
「それは連絡しないと、多分うるさいな……執事が。」
「あの陰気なやつか。」
「君は陽気だな。」
「まあね。」
……並み大抵のことではヘコまないくらいの尽力は、確かにあの『敗北』以降、身についていた。二人は来た時と同じように肩を並べて、車のところまで歩いて行った。………やっと会話が始まった。
始まってみると意外に簡単で、アムロ・レイはそんなに嫌な人間でも無かった。もちろんコウはシャイアンのカビ臭い部屋に別れを告げて、アムロの家に転がり込んだ。
「コア・ブロックシステムは。」
「付いてた。……試作一号機の方に、だ。」
「他に特徴は。」
「初代ほど汎用性は無かった。宇宙に出る時は宇宙用に換装しないとダメだった。」
「大分違う?」
「かなり違う。……パワーも出るけど、地上用のままじゃバランスさえ取れない。ジム以下だ。」
「武器も変わる?」
「それは変わらない。ライフルとバルカンとサーベルだ。」
「Iフィールドは。」
「三号機にはあったな……あ、パンのおかわりください。」
食事をしながらもそんな話をした。これまでの分を全部話すんだ、というくらいの勢いで二人は話続けた。外は無風で、耳が痛くなるほど静かな原住民の大地だった。
「俺は思うんだけど、もうコア・ブロックシステムの機体は作られないんじゃないのかな。」
「うん、そうだな、僕もそう思う。戦闘機は戦闘機だけで開発して、脱出ポッドみたいなものを別に取り付けた方が利便性がある。……一つ設計図がある。見るか?」
「そりゃもう、もちろん。」
何日間が嵐のようにガンダムの話をし続けて、一週間ほど経ったある日、セスナの格納庫で油にまみれながらそんな話になった。アムロが、油で汚れた顔のまま脇にある部屋に、図面を取りに行く。コウが聞いたらそこは製図をする場所だ、という話だった。相変わらず執事に見張られてはいるのだが、アムロはそんな生活に慣れっこのようだった。
「すげ……」
コウは図面を見て驚いた。ある程度なら自分も図面を引くし、機械にも詳しいつもりでいる。しかし、ここまでのレベルは無理だ。
「……これが、必要なのか? ニュータイプの場合。」
コウが画面を指差しながら聞くと、アムロが頷いた。
「うん、そうだね。サイコミュのようなものなんだけれど、脳波を増幅させる装置だ。……が、このサイズでは、実を言うと現存しない。」
「現存しない、って?」
「つまり、今の技術ではこの装置はこのサイズで作れないんだ。……そうなると、全体のバランスも本当は変わってくる。……だからこれは、僕の希望と予想で書いた、夢の図面だってことになる。」
そこでアムロはため息を一つついた。
「……いや、全般的にいつも夢なんだけれども。僕は、ここから出られない。モビルスーツにも、きっともう乗らない。」
「それは分からないだろ。」
「どうかな。」
遂にアムロは下を向いて黙ってしまった。……ここから出られない。それは、良く分かった。何故かは良くコウには分からないものの、軍の上層部がそうさせているらしい。
「……でもさ、この間の人とか、いるだろ、まだ。」
「………」
「だからさ、諦めない方がいいと思うな、俺は。」
「………」
会話をし始めてから初めて、モビルスーツのことではない話になった。アムロはしばらく下を向き続けていたが……やがて顔を上げると、ちょっと笑って指を一本自分の口の前に立てた。……『話すな』の合図だ。どうやらこの屋敷には陰気な執事だけではなく、ご丁寧に盗聴器も幾つか仕掛けられているらしかった。理由が分かったのでコウも頷いた。……さすがに、敵らしい人間と密会した話は、人に聞かれたらまずいだろう。
「……昔の戦いの話なら出来る。」
少し経ってから、アムロはそう呟いた。コウは、もう一回頷いた。アムロが、いいという話をするしかない。俺はここに一ヶ月しかいないが、アムロはもう五年もいるのだ。そして俺が帰った後も、きっとずっといるのだ。
その次の一週間は、だから戦いの話をした。……戦闘のこと、敵のこと、仲間のこと。
週の中程に一回、もちろん二日前に予定を話してから、二人は近くの丘までピクニックに出かけた。ピクニックと言っても、本当に近所だ。屋敷が見えるような丘である。しかし、反対側を向けば、どこまでも続く無風の原住民の大地を眺めることが出来るのだった。それから、もちろん屋外に盗聴器はない。執事の目の届く範囲で、自由な行動の出来る場所が、この距離なのだろうなとコウは思った。
「……なあ、俺、来て良かったか。」
コウはずいぶんと聞いてみたかったことを、戸惑いつつも聞いてみた。……アムロは恨むかもしれない。話し相手としては申し分なくの内容を、確かに俺は話せると思う。だけど俺は出てゆくから。もう一週間ちょっとも経ったら、ここから居なくなる。幾ら何でも、アムロの話し相手をするためだけに、ここに居続けろ、という辞令は下らないだろう。
「……ああ。そうだな、そのことは僕もずいぶん考えた。」
そう言うアムロは、初めてあった時よりはずいぶんと顔色が良く見えていた。
「コウが帰ってから、凄く恨むかもしれないよ。……こんな話相手は、もう見つからない気がする。」
「そうか。」
「ああ。」
二人の目の前に広がる原住民の大地は、とても良い天気で、だけど今日も無風だった。
「……風、吹かないな。」
「僕にとっては、コウは少し『風』だった。戦い程では無いけれど、この五年では一番の風だった。」
コウはにやり、としてこう返した。
「まあ、確かに俺も戦いが大好きなわけじゃないし、戦争になればいい、なんて思ってるわけじゃないよ。……ただ、アムロの風はもう一回吹くかもしれないじゃないか。……あの人もいるんだし。」
アムロもにやりと笑って、まあ、今日は外だからな、と答えた。
「コウの話す、倒せなかった、っていう……」
「ガトーか? アナベル・ガトー。……ああ、倒せなかった。」
「そういう感じの人間なんだ、僕にとって。」
そこまで言われると、さすがにあの日、隣のテーブルに着いていた人物が誰か予想もつくというものだ。……凄いなあ、英雄の相手はやっぱ大物だよな。コウはそんなことを思ったが、口には出さないでおいた。
「決着を着けたいのか?」
「……さあね、分からない。そんな機会がまた来るかどうかも分からない。」
「いつかきっとそのチャンスが来るさ。」
コウの台詞を聞いて、アムロは声を上げて笑い出した。
「……ああ凄いな、コウは本当に前向きだな。……だけど、僕はこの無風に慣れ過ぎた。……そしてもう、考えるのも疲れてしまっている。」
「俺が前向きなのは……並み大抵のことではヘコまないくらいの気力が、あの『敗北』で俺が得た最大のものだからだよ。……そうだ、俺の場合は決着がもう着いている。俺は、もう戦えない。本当の意味で『戦えない』。……相手が死んでしまっているんだから。」
アムロはなんとも言えない顔で地平線を眺め続けている。
「ああ、だから、僕は知らなかったので、あのカフェでは悪いことを言ってしまったな、と思っている。……戦える、という可能性があるのは、幸せなことだって言う意味が、やっと分かった。」
「そうやって、これから知ることもたくさん有るかもしれないだろ。……いいよ、気にして無い。それから、あの人……ほらあの、金髪の人だけどさ……あの人の方から、連絡って来たんだろう。そうしたらあの人だって、確かに風じゃないか。風を起こそうとしてくれているんだよ。」
コウはそこで思い付いて、バスケットを開くとサンドイッチを取り出した。……アムロの家の陰気な雰囲気はともかくとして、確かに料理は美味しかった。これは確かだ。
「そうか、そういや思ったんだけど……」
コウがサンドイッチと紅茶を差し出すと、アムロは紅茶の方だけを受け取った。
「……あれだけ盗聴器やらが仕掛けられててさ。荷物とかだって、検閲無しで届くことなんてないだろ、どうやってあの人、連絡をとって来たんだ?
……待てよ、ニュータイプって頭の中で会話を交わせたりするのか。」
そのコウの台詞を聞いて、アムロは笑った。そして空を見上げる。
「……すごいタイミングだ。来た、ほら。」
見ると、空から舞い降りて来たのは……一匹の伝書鳩だった。足に、小さな手紙が括りつけられている。
「こいつが凄いことに、場所、ではなくて僕のところにくる。」
「……凄い。アナログ過ぎて逆に思い付かない……」
「僕も最初信用しなかった。……まだ、あの町にいるみたいだ。」
「行った方がいいと思うな。」
アムロはしばらく考え込んでいるらしかった。コウは、サンドイッチをひとつ飲み込んでから、もう一回こう言った。
「行った方がいいと思うな、今度は、一人で。」
更に長い間、無風の大地を見つめて沈黙したあとで、アムロは一言だけこう呟いた。
「……ああ。それじゃまた予定を執事に話さないと。」
遂に最後の一週になってしまった。最初の一週間は会話を始める準備に費やし、その次の一週間はモビルスーツの話をし、その次の一週間は倒せなかった敵の話をして、気がついたら最後の一週だ。……俺にしては頑張った方だろう。実にちゃんと『話し相手』をしたと思う。コウは、アムロが出かけて行った屋敷に一人残って、そんなことを考えていた。アムロは車もセスナも好きに使っていい、コウは壊さないだろうから、と言って出かけて行ったが、まあそんな気分でも無かった。……こんな風で良かったのだろうか。
その時、屋敷のどこかで電話の着信音が響き、しばらくするとコウの滞在している部屋の扉がノックされた。……なんだ。俺にかよ。
「女性の方です。」
陰気な執事にそう言われて、コウはげんなりとした。……こんなところまで電話をかけてくる女と言ったら、例の医療部の中佐しか考えられない。
「……画像は。」
「受信できますが。」
「切ってください、そうしたら出ます。」
コウは執事にそう言った。
『あらあら、嫌われたものね、元気でやっているかしら?』
相変わらず神経を逆なでするような声だった。
「あのですね、中佐。自分は疑問なのですが、結局何故自分はアムロの話し相手をしているのでしょうか。……これで、あんた達は何か得なのか?」
『敬語を忘れているわよ、ウラキ少尉。……そうね、まあ一種の実験だったことは白状するわ。ここまでのところ万事順調よ。ゲストも本当に現れたし。』
どうやら、あの町で金髪の男性に会ったことまで、この女は把握しているらしい。
「どこの部所なんですか。本当はやっぱり諜報部? アムロはやましいことなんか何一つやってないし、可哀想だ早くからこんなところから出してやるべきだと思います。」
『彼がその気にならないとダメなのよ。……だから少しは変化があるかしら、と思ってあなたと話してもらったの。部所は……だから、嘘なんかついてないわよ。本当に医療部よ、オーガスタの。ただ、オーガスタには……』
「オーガスタには?」
コウは先を促した。
『……ニュータイプ研究所があるの。ムラサメ研究所と同じくらい大きい。そういうことよ。』
何がそういうことよ、だ。……しかし、謎の一端だけでも解けた気がして、コウは少し納得した……いや、納得出来ない部分はもちろんまだ大量にあるが。
「とにかく、ある程度感謝もしています。……アムロと話が出来て良かった。こんなことが無ければ一生話す機会も無かったかと思う。」
『驚いた、あなたの方の治療にもなったのね。……嬉しい誤算ね。』
……その、実におまけっぽい感じはなんだ! 確かに自分は重要人物でも特殊な才能があるわけでもないが、そんな表現をされるとどこかむかつく。コウは、やはりお礼なんて言うんじゃ無かった、と思った。しかし、気になることも幾つかはある。
「もう一つ聞いてもいいですか。……検閲されようがなんだろうが構わない、誰もが聞いていても構わない、俺と……俺とアムロは、これからも話をすることが出来ますか。電話やメールで。」
『私が決められることではないわね、それは。もっと上の方が決めることだけど、誰が聞いていても構わない、って分かっているのなら、それはアムロ次第なんじゃないかしら。』
「まあ、そりゃそうだ……」
『あら、随分長く話をしてしまったわね?……じゃあ、これで終わりよ、ちょうど一ヶ月たったら、いつでもオークリーに戻って構わないから。……さようなら、ウラキ少尉。』
……それで終わりだった。……なんとも言えない気分になって、コウは部屋に戻った。
「……ただいま。」
町から戻って来たアムロは、とても顔色が良くなっているように思えた。……ほら、やっぱあの人も風を運んで来てくれただろ。コウは少し嬉しく思ったが、後数日で自分がここを出てゆくことを思うとどうしても気分が重くなってくる。しかし、ここまでくると出来ることはわずかだ。それをやるしかない。コウは思った。
「……上手くいったか?」
「ああ。」
会えたか、とは聞けないのでそう聞くと、アムロは小さく頷く。……良かったな、と思った。
「俺は……あと数日で帰らないとならないんだ。」
「……ああ、知ってる。……ずっとここにいるわけには行かないさ。こんな場所には、人は本当はこない方がいいんだ。……僕ひとりで十分だ。」
アムロが帰って来たのは太陽が沈んだ後だったが、二人は夕食を後回しにして二階のベランダで星を眺めることにした。……相変わらず無風で、もう十月に近いというのに意外と過ごしやすい。
「ただ、俺は……『話し相手』をしろという辞令で確かにここに来たんだけど……この先も、話が続けられたらな、と思っている。」
「どうやって。」
アムロは、少し驚いたようだった。
「……メールや、電話でだよ。」
「全部検閲されるぞ?」
「俺は構わないと思ってる。……アムロは?」
「………嬉しい。」
少し子供地味た返事で思わず笑ってしまった。
「……つーか、俺凄く変な表現してるけど……つまり、まあ、友達になろう、ってことなんだ。」
「………嬉しい。」
アムロはもう一回そう言った。……良かった。アムロはここから出られないのかもしれない、もう二度と風は吹かないのかもしれない、それくらい悲しみは深いのかもしれない、しかし……しかし、俺に出来ることは全てやったと思う。
「……ああ、そうだ。司令にも挨拶してから帰った方がいいと思うな。」
その時、急にアムロが思い出したようにそう言ったので、コウは思わず吹き出した。……ああ、忘れてた! 確かに居たよな、語尾のやたらのびる老人が!
「そうだ、それじゃ明日はシャイアンに顔を出すか。久しぶりに。」
「ああ、そうしよう。……それから……」
アムロは何かを言いかけたのだが、それを止めた。何だ? と聞いたが何故か首を振るばかりである。……ここじゃ話せないのかな。コウは、それくらいしか考えずに、二人は夕食をとるため食堂へと向かった。
次の日、二人は車で基地に向かった。……この無風の大地では、風を感じられる極わずかな乗り物だ。セスナだと、空は飛べるが風は感じられないのだった。これは不思議だ。アムロは久しぶりにあの似合わない陸軍の制服を着ていた。この道のりを、良くも俺は一週間も徒歩で往復したものだよなあ、と我ながら思う。
「ほっ! 仲良くなったのかー、子供達はー。」
遂に俺まで子供扱いか!? コウはそう思ったが、悪い気はしない。大変お世話になりました、明後日にはオークリーに帰ります、ときちんと挨拶をした。
「何か、調子の悪いものある?」
アムロは何故かそう聞いている。すると、驚いたことに幾人かの兵士が、幾つかの物をもって集まって来た。……どうやら、壊れた機械らしい。……そりゃ、整備兵の仕事なんじゃ無いかと思ったが、ふとこんな小さな基地じゃ、ろくな整備兵もいないのかもしれない、と思い立つ。
……結局、建物の前で工場を広げてしまったアムロに付き合って、コウも一日機械を直して過ごした。こういう時の二人は共に無口だ。
「また、いつでも遊びに来ていいんだぞー。」
ニコニコと司令はそんな二人を眺めていたが、コウは苦笑いして答えた。
「……そうだなあ、でも、ここは無風だから。オークリーも無風だけど、ここよりは賑やかだから。アムロがオークリーに遊びに来れるのならその方がいいと俺は思う。……それくらいの努力してみてくれよ、アムロ。」
アムロも苦笑いしながら答える。
「うーん、頑張ってみるけど……勇気が出たらね……そのスパナ取ってくれる?」
……勇気が出るといい。そしてアムロの生活に、また風が吹くといい。コウはそう思いながらスパナをアムロに手渡した。司令は、始終ニコニコ笑いながら二人を見続けていた。……ここは平和な基地だ。平和で、そして、無風の基地だ。
最終日がやってきた。アムロが車であの町まで送ってくれるという。コウには話していなかったが、どうやらそういう『予定』はちゃんと執事に二日以上前に話してあったらしかった。
「……どうもありがとう。」
アムロが、車に乗り込む前にそう言って手を出してくるので、コウはどうしようかと思う。少し悩んだが、その手を取らずに、腕を引っ張ってアムロを抱き締めた。
「うわ……!」
「……友達だからな。これくらいやらないと。」
コウがそう言うと、アムロが低く笑うのが分かった。
「……ああ、そうだね。本当にありがとう。」
車に乗り込み、屋敷の表門を出る。………多分、もう二度とここに来ることはないんだろうな。コウはぼんやりと後ろに遠ざかってゆく屋敷を見ながらそう思った。
屋敷を出てからまだそう遠くない場所で、アムロが何故か車を止めた。なんだと思って見ると、ちょいちょい、と外を指差している。そこで、二人は車から降り立った。
「……ここが一番凄い眺めなんだ。」
アムロのその台詞に、コウも納得した。そこは、少し高さのある、そういう丘のてっぺんのような場所だった。しかし、屋敷の脇にあった丘とは少し違い、『何もなかった』。
……360度、見渡す限り、何も無かった。……いや、少し違う。……そこには、ただ無風の大地があった。今はもう居ない、シャイアン族という原住民の住んでいた、静まり返った大地が。精霊に満ちた大地が。
「……ああ。本当に凄い……」
コウは息を飲んでその光景を見渡した。……なんて風景だろう。……なんて静かで、そして寂しい風景だろう。……ここで、あと、何年。
「それで、これ……預かって来たんだ。コウに、って言われてさ。」
……あと何年、アムロは生きてゆくのだろう。無風の人生を。そう思った時に、アムロがごそごそとなにかをポケットから差し出すのが見えた。それは、簡単な封筒だった。
「……預かった、って、誰に?」
「あの人に。」
あの人、というのは多分この間町で会った、金髪の男性のことだろう。おそらく、名前は俺にも分かる。
「俺に? でも、何故。」
コウは少し不思議に思いながら、その封筒を受け取った。……俺も同じように無風の生活を送っているが、それでも割り切って生きている。それは、もう戦う相手がいないからだ、しかしアムロにはあの人がいる。だから、この無風の大地で、もうしばらくは生き続けなければならないとしても、決して諦めるべきじゃ無いんだ……そう思いながら、コウは封筒を開いた。
……中から出て来たのは、一枚の写真だった。
………風が吹いた。
無風のはずの、シャイアンの大地に風が吹いた。アムロはよほど驚いたらしくて、大きな目をさらに大きく見開いた。……空を見上げる。……俺はまったく固まってしまっていた。……なんだ。この写真はなんだ。……何故今、風は吹いたんだ?
「コウのことを話したんだ……『戦う相手がいるということは、幸せなことなんだ』という意味が、やっと分かった、って。素直に話したんだ。……かなりちゃんと話は出来たと思う。この間のことだけど。……そうしたら、別れ際に急に引き止められたんだ。」
「…………」
コウはまだ固まっていた。じっと写真を見る。……なんだ。これはなんだ。
「……そういえば、持っている、って。手帳みたいなのから引っぱり出して。たまたま一枚持っているから、彼に渡してあげてくれないか。……その方がいいと思う、って。」
……おそらくソロモンなのではないかと思う。自分が一瞬、生身で見た彼よりも、よほど若い彼がそこに写っていた。他にも知っている顔がある。ドズル・ザビはいくら何でも分かる。……それから、右の端の方に、金髪の仮面の人物。……これが、多分この写真を今まで持っていて、コウにくれた張本人だろう。……そして、左端に、
「……ガトー……」
涙が、出て来た。
見ろ、風が吹く。……こんなにも些細なきっかけで風は吹く。俺はもう戦う相手が居ないし、もう二度と戦うこともないのかもしれない。だけど風は吹く。だから俺は生きてゆくことを諦めはしない。……並み大抵のことではヘコまないくらいの尽力は、確かにあの『敗北』以降、身についたんだ。……俺は生きてゆく。アムロ、アムロもそうしたほうがいい。声が上げられるのならアムロにそう伝えたかった。しかし、口からは嗚咽以外なにも漏れてはこなかった。一年戦争の頃の写真だとしたら、このガトーは今の俺と同い年くらいじゃないのか。何気ない、士官幾人かの集合写真。そう見えた。だからこそ、素のガトーがそこには写っていた。
こんなものを、今頃になってこんな場所で、見ることになるなんて。コウは溢れ続ける涙を気にもせず、その写真を胸に押し付ける。
「……コウ、」
今度はアムロがコウを抱き締めた。……ずいぶんと暖かい腕だ、と思った。涙は止めどなく止めどなく溢れ続けた。……言葉が出ない。……出ないんだ、でも風が吹いている。……この無風帯に。分かってくれ、アムロ。
「……うん、分かった。」
驚いたことにその時アムロがそう言って頷いた。
………見渡す限りの、原住民の大地。その本当に真ん中で、二人は風を受けながら、抱き合ってしゃがみ込んだまましばらく動かなかった。
「……ありがとう。」
やってきた列車に乗る直前、コウはやっとそう言った。いや、俺が得たものをは大きかった。本当に大きかったんだ。
「別に、僕はあまり何も……ああ、最初の一週間は、やたら歩かせて悪かったとは思ってる。」
アムロはそう言うと、いたずらっぽく笑った。……本当はそういう性格なのかもしれないな。コウはここへ来て初めてそう思った。
「それから、あの……あの人にも、ありがとうって。……絶対伝えてくれよ?」
同じようにいたずらっぽくコウがそう言うと、アムロはちょっと顔を伏せた。……しかし、やがて顔を上げるとハッキリとこう言った。
「ああ。……次に会うことが出来たなら、必ず。」
コウは頷いた。……その胸ポケットには、あの写真が入っていた。……ベルが鳴り、列車のドアが閉まる。
「もしも……!」
コウは急に話したり無いことが沸き上がって来てしまって、思わず列車のドアに飛びついた。……アムロも、同じように動き出す列車の脇を走り出したのが良くわかる。
「……もしも……! もしももう一回、会えるなら……!」
……なあ。ガンダムに乗る、ってなんだろう。
『……! ………!』
ガラスの向こうでアムロも何かを叫んでいるらしかったが、面白いくらい全く聞こえない。……ああ、悪い。俺はニュータイプじゃ無いから、本当に何を言っているのかが分からない。コウは苦笑いをした。それから、思いきり手を振った。これくらいなら通じるだろ。そう思う。アムロも諦めたらしく、プラットフォームの端に立って、大きく手を振っているのが見えた。……ガンダムに乗る、ってなんだろう。……図面の話じゃなくて、倒せなかった敵の話でもなくて、今度会えたなら、
「……そういう話をしないか。」
明日からは、オークリーで通常の任務が待っている。それは出世コースから外れた、非常に緩慢な、テストパイロットとしての仕事である。……それでも構わない。コウは思った。何故なら、かつての原住民の静かな無風の大地にすら、いつかは風が吹くのだということを、
俺は知ったからだ。それが今回、身についた最大のことだ。……窓から見える大地は相変わらず静かだったが、コウは胸ポケットに手をやると座席に静かに沈みこむ。そして……次の駅まで、ゆっくり眠ることにした。
無風帯から、おわり。
コウとアムロ 2004.2.19. 合同CD『TRICOROL』収録 ガンダム乗りの友情
懐かしい!ともさん、majikoさんとの合同で出したCDに収録されていたものです。
シャアムとガトコウを本編設定でいっぺんにやるのは無理だ、とつくづく実感した作品(当たり前といえばあたりまえ/笑)。
タイトルは尾崎翠さんから第三段。今回文字数を確認したら「南半球」と匹敵するくらいありました。肩が凝るはずです。
2008/02/08
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