それは三月の、良く晴れた日曜のことであった。私は、習慣としてよく本を読む。ディスクではなくて紙の本である。その日も、一冊の本を手に、庭へ椅子を引っ張り出していた。自分は木陰に、そして面倒をみるように頼まれた学校にも上がらない年の孫は、目の前の芝生で遊んでいる。何処から探し出して来たのやら、彼は手持ちの小さなテレビを持っていた。庭まで出て来て、そんなもので遊ばなくても良かろうに。そう思ったが、まあ息子夫婦の教育方針に口を出す訳にもゆくまい。息子夫婦は共稼ぎで、そして日曜が休みの仕事にも就いていなかったので、私は常日頃からこうして孫の面倒を見ていた。
 私はその日、どうもぼんやりとしていたらしい。椅子に座り、本を広げて読んでいたつもり・・・・だったのが、気が付くとうつらうつらとしていた。ふと目が覚めて、慌てて孫を探す。彼は、まだ庭の真ん中で、小さなテレビを覗き込んでいた。大丈夫、帽子はかぶっている。これから冬になる、オーストラリアの三月の陽射しが、そう強いわけでも無かったが、だがあまり彼を一人で放りだしておくわけにもゆくまい。そう思って、私が声をかけようとした矢先に・・・・急に、孫が立ち上がると叫んだ。
「・・・・・・・・ねぇ!」
 叫びながら四歳の彼は、私の方に向かってぶんぶんと腕をふる。
「ねえ、たいへん!・・・・・・・あの・・・・ほら・・・・・・」
 彼は非常に何かを私に訴えたいらしいのだが、彼の言いたいことをそのまま理解するには、私は年をとりすぎている。そこで、私は椅子から立ち上がると、孫の元へと歩いて行こうとした・・・・・その時、また、彼が叫んだ。
「・・・・そう、がん・・・・ええっと、がんだむ!!」









 ・・・・・・私は一瞬固まった。・・・・何故かは分からない。読みかけだった、ウィリアム・ブレイクの詩集は私が拾う前に芝の上へと落ちた。
「・・・・・・・・・・何を、」
 私は、おそらく孫の言った言葉の意味が、とっさに理解出来なかったのである。・・・・彼はなんと言った?・・・・・がんだむ。そうだ、『ガンダム』と言った。しかし私はその言葉自体を忘れていた
「だから・・・・ええっと、がんだむ!がんだむが映ってるよ!」
 そう言って、無邪気に孫は私に笑いかけてくる。その、彼のもとまで辿り着く時間が、やけに長いものにその時の私には思われた。ただ・・・ただ、庭を半分横切るだけだというのに。ともかく私は、彼の脇までたどりつき、そしてその小さなテレビの画面を覗き込んだ。彼が適当にいじって遊んでいたせいだろうか。そのテレビから、音は出ていなかった。そこで私は、ひどく無音の小さな箱の中に、その映像を見る事になった。









 確かにガンダムだった。・・・・・私は、それを知っていた。遠い遠い昔。しかし、昔過ぎて、もう思い出す事も無くなっていたほどだ。
「がんだむでしょうー。・・・・ね、これ。」
 得意げに指差す孫の小さな手のひらの先に、白い・・・・・・白いモビルスーツが、今、戦っているのが見えた。














 そして私は、全てを思い出した。・・・・・実に、四十年ぶりに。
























南半球
これまで私にとって、コウを書く理由となりつづけ、その情熱を支え続けて来てくれた樹さんに捧ぐ。


























 私が生まれたのは、オーストラリアと呼ばれる大陸の、とある小さな町であった・・・何故、名前を言わないのかというと、その町はもはやこの世に存在しないからである。ともかく私は、その町で生まれ、宇宙移民華やかなりし頃だったにも関わらず、政府関係の仕事に就いていた両親の元一度も宇宙に出ること無く育った。ごく普通に地元の小学校を出て、そして中学からは、ずいぶんと僻地の寄宿舎制の学校に入った。・・・・これも正確に言うと、入りはしたものの卒業しなかった、ということになる。公立で言うジュニアハイ・・・つまり、中学校の過程を終え、高校生になった年にそれは起こった。
 『ジオン独立戦争』である。
 もちろん、最初その戦争には名前などついてはいなかった・・・・戦線布告の日、私はクリスマスと新年を両親と共に過ごし、そして長旅の果てに寄宿舎へ戻ろうとしていた。戦争になったのは知っていた。実家を出て長距離バスに乗る直前のターミナルで、新聞の号外が配られていたからである。しかし、私がこのまま両親の元にいても、戦争などどうもなりはしまい。そう思って、バスにのって生まれた町を離れた、その選択が私のその後の人生を大きく変えた。
 まさか、あんなものが降って来るとは思わなかった。私が寄宿舎に着いた、ちょうどその午後・・・・・・長距離バスは、一昼夜走った後であったのだが、空からコロニーが降って来たのだ。それは静かに降って来て・・・・しかし、やがて空を埋め尽くした。俗に言う『ブリティッシュ作戦』である。このコロニーの落下により、シドニーはただのクレーターになった。・・・・そして、私の生まれ育ったその郊外の町も。ただの、一面の焼け野原になってしまったのである。
 だから、私が生き残ったのはまったく偶然の出来事で、更に私は生き残るのと同時に孤児になってしまった。両親が生きているとは思えなかった。冷静に物事を考えるには、あまりに大きな穴がオーストラリアに空いてしまっていたのである、そして、当然なにもかもが混乱した。私はたまたま『学校』という空間にいたので、幸運にも路頭に迷う事は無かったが、一ヶ月後にはその状況も一転した。ジオン軍による、『地球侵攻作戦』が始まったからだ。混乱を極めていたオーストラリアは、ジオン軍にとって格好の攻略拠点であったらしい。みるまに、町にはジオン軍があふれ、彼等による・・・・・統治政治が行われはじめた。学校長の判断により、私を含む学校の生徒は集団で辛うじて残っていた都市部に『避難』させられ、そこで実に奇妙な生活が始まった。つまり、ジオン軍の為に軍需工場で働くのである。いや、それは一体地球市民としてなんたることか、と読んでいる方は思うかもしれないが、実際、そうするのがその時にはいちばん『安全』だったのである。後になってから知った事なのだが、私の学校のような非常な僻地は、その後の一年間、指揮系統の乱れきった連邦軍残党ゲリラと、進駐して来たジオン軍の争う、格好の戦場となったのであった。ともかく、私が二度と学校に戻る事は無かった。
 そうこうしているうちに、時間が流れ、やがて終戦となった。端から見ていても分かったが、地上に降下したジオン軍は日に日に衰退してゆき、結局のところ、宇宙での大きな会戦により、連邦軍の勝利となったらしい。いや、私がこの事実をこんなにも淡々と感慨も無く話さざるをえないのは、自分がその連邦軍勝利の瞬間を見た訳ではない、というのと、決して自身の見たジオン兵達が、人としてどこか劣る人々では無かったから、という実感に基づいている。彼等は、ジオンの人間一人一人は、決して自分となんら変わる事のないただの人間であった。しかし彼等は負けた。そして、その事実により、私はもう一回ただの孤児としてこれから自分がどうするか考えねばならなくなったのである。コロニーが落ちた場所にいた両親のことを思って泣き暮らすのも無意味に思えたし、なにより食べてゆけはしない。学校も、もはや再開する見込みは無かった。しかし、ジオンの軍需工場で働く、という仕事も無くなってしまったのである。
 そこで、私は今考えてもとんでも無い事をしたものだ・・・と思うのだが、なんと、今度は地球連邦軍に志願した、のであった。志願というか、なんというか。相変わらず、戦争が終わってもオーストラリアは混乱したままで、中途半端に学校を出ただけの自分が就けそうな仕事など到底無い。そこで、私は今度は、連邦軍の仕事が出来ないものかと思ったのであった。いや、実際他の仕事など無かった。運良く、戦争はもう終わっている。軍人になったからと言って、すぐに死ぬようなこともあるまい。しかし、後片付けの仕事が連邦軍には山ほどあるだろう。そう思って、連邦軍の新兵募集事務所の扉を叩いた私は間違っていなかった。・・・・・戦争中に、ジオンの軍需工場に『駆り出された子供』、更には『コロニー落としで両親を失った子供』という肩書きがこれほどモノを言うとは思っていなかった。あっさり、連邦軍は私を採用した。思えば、両親が政府関係の仕事に就いていたという事実も少しは役にたったのかもしれない。ともかく、私は放り込まれた兵学校の寮で、その自分のあまりの人生の空しさに一瞬笑った・・・・・・それから、少し泣いた。それが、一年戦争で私が流した涙の全てだった。思えばこの頃から、私にはどこか人を避けるような、そういうとっつきの悪さのような厭世感があったのかもしれない。兵学校では、大した友達も出来なかった。いや、戦後の兵学校それ自体が、なにやら奇妙なやっつけ仕事のように、そこに存在していた。ともかく、私は三ヶ月をかけて適当に兵学校を出、そして地球連邦軍の伍長になった。配属された先は、同じオーストラリアのトリントン基地であった。十七歳の春のことだった。
 それから、三年ほどは何ごとも無く過ぎた。私がトリントン基地という、コロニーの落ちた跡に無理矢理作られたような基地で就いた仕事と言うのは通信兵の仕事であった・・・・・しつこい様だが、戦争は終わっている。だから、良く考えてみれば、こんな地上の、しかもオーストラリアにあるような連邦軍の基地に、そんなにも仕事は無いのであった。自身は、なにしろ通信兵であったから、大したことは知らなかったが、結局のところこのトリントン基地というのは、地下に核貯蔵庫がある、というのと、新型モビルスーツの試験場である、というのが主に重要な基地であったらしい。私はその中で、三年間インカムを付けて話したり、書類をまとめたり、記録保管室までの道のりを歩いたりして過ごした。・・・・・とりたてて面白い事も無かったが、平和で、そして食いっぱぐれはない日々だった。そして、三年目の九月。




 九月は、いつも新しい人員が、基地に補充される季節である。兵学校を卒業した人間なら、三ヶ月ごとに補充されているのだが、そういうのではない、つまり士官学校を出た士官候補生であるとか、もしくは上層部の人事・・・・例えば基地司令が変わるであるとか、財務補佐官がジャブローから出向してくる、であるとか。もっとも、そういうことは基地でも一番下っ端である自分のような人間にはあまり関係が無かったし、興味も持っていなかったので、その年も私はいつも通り自分の仕事をして過ごしていた。・・・・0083年であったように思う。
「・・・・・・・・何でこんなものを書類で。」
 その日、私は確かいくばくかの書類を胸に抱えて、基地内の別棟に向かって急いでいた。・・・・いや、四十年も前のことなので良くは思い出せないのだが、私のその頃の上司にはネットワークで送ればいいような連絡事項をわざわざ御大層に書面で伝えたがる趣味があって、それで私は実に通信兵らしく、基地の中をうろうろしていたものだ。ともかく、私がその日もモビルスーツ格納庫と事務棟を隔てるフェンスの横を、黙々と歩いていると・・・・急にガシャン!という、すさまじい音がした。
「!!?」
 驚いて、私は立ち止まる。あまりに自分の真横でその音が響いたからだ。下を向いて歩いていた私も、気付かなかったのだから人のことは言えないのだが、良く見るとモビルスーツ格納庫側に、フェンス越しに自分の真横に一人の人物が立っている。そして、その人物は私になど全く気付かない様子で、力いっぱいフェンスにつかみかかっているのだった。
「・・・・くっそぉおおおおおおお!」
 更にその人物は、フェンスにつかみかかるだけではもの足りなかったらしくそれを殴り始めたので私は怯えた・・・・・ガシャン!もう一回ガシャン!・・・・・いや、もちろん私に向かって激高しているのではないのだろう、それは分かっているのだが急に人に真横で怒鳴られたりしたら、普通の人間なら怯えるものだ。そこで私も少し後ずさりをしてしまった。その体勢が悪かったのだろう、ばらばらと、腕に抱えていた書類が何枚か散って、足下に舞い落ちる。
「・・・・・くっそ、何だよ、どうして僕がっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、え?」
 下を向いて、フェンスに殴りかかっていたその人物は、書類が降って来たことでやっと目の前に私がいる事に気がついたらしい。慌てて、はじけるように顔を上げると、私を見た。
「・・・・えっ、あれ!?・・・・・・・・・・あれ、いつからそこにいましたか!?・・・・っていうか、誰ですか?」
 ・・・・・・誰ですか、もなかろうに。私はその人物の返事を聞いて少し呆れた。モビルスーツパイロットで、少尉なのは分かった。胸に、パイロット章がついている。そして、襟章の星の数は1つだった。
「自分は・・・・・・通信兵の、ウェーバー伍長です。」
「・・・・・ああ、え?・・・・・・・ええっと・・・・・あ、そうか、あの、自分は・・・・自分はテストパイロットの、ウラキ少尉です!九月一日付けで、この基地に着任しました!」
 彼がそう言った時には私はもう彼の名前を確認した後だった・・・・K・URAKI。彼が飛び上がるように姿勢を正したことで、私には彼の名札が見えていた。見ると、御丁寧にウラキ少尉は私に向かって敬礼をしている。・・・・・・・私はまた呆れた。自分は伍長である。着任したてなのは良く分かったが、そんなにも生真面目に自己紹介をしなくても良かろうに。
「・・・・・はあ。」
 そこで私は思わず気の抜けた返事をしてしまい、軽く敬礼を返しつつ自分が取り落とした書類の事を思い出した。・・・・・そうだ、拾わないと。そこで、身をかがめると、何故かフェンスの向こうのウラキ少尉も身をかがめる。
「ああ、すいません・・・・僕のせいで書類が・・・・・」
「・・・・いや、別に。仕事なので。」
 私の返事も大概だったが、ウラキ少尉がフェンスから手を出して書類を一緒に拾おうとしてくれたことで・・・・私の呆れは絶頂に達した。・・・・・なんなんだ、この人物は!!
「・・・・って、あれ、そうか、ダメか・・・・僕がこっちから拾っても、渡せないや。」
 ウラキ少尉は手を延ばして、そうして書類を拾おうとしてからその事実に気付いたらしい。
「本当にお気づかいなく。」
 私はそう言って、書類を拾い続けたが、ウラキ少尉も私が屈んでいる間何故か立ち上がろうとしない。・・・・ついに、しゃがみ込んだままの私とウラキ少尉は妙に目があった。彼は、黒い髪に黒い目の、いわゆる東洋系の人物で、こう言ってはなんだが非常に地味で平凡な顔だちの上に、私の目から見るとはなはだ年若く見えた。というか、東洋系の人物はみな年齢不祥に、私などには見えるのだ。
「もう終わりますから。」
 書類を拾い終わった私はそれだけを言うと立ち上がる。すると、やっとウラキ少尉も立ち上がった。立ち上がった彼は、身長が170センチほどの自分より更に十センチほど背が高いことを私は確認した。
「あの・・・・すいません、本当に、驚かせてしまって。」
「いえ、別に。・・・・では失礼します。」
 それだけ言うともう一回軽く敬礼して私は歩き出す。最後まで彼は妙に恐縮しているようで、私は変な気分にならずにはいられなかった。最後に少しだけ振り返ると、ウラキ少尉はまた生真面目に敬礼を返して私を見送っていた。




 その日、彼が何に激高していたのかは知らない。・・・・・ともかく、それが私とウラキ少尉の、最初の出会いであった。




 軍、と一言で言ってもその集団には実に様々な仕事をする人々が含まれている・・・・と知ったのは、自分がトリントン基地で通信兵の仕事をし始めてからである。つまり、どう言えば分かりやすいだろうか。似た組織で言えば、警察などがそうである、連続殺人犯を追っているのも警官ならば、交通免許証を発行する為に事務仕事をしている人物、それもまた警官なのである。そのように、軍にも様々な仕事があった。例えば私がやっていた基地通信兵の仕事などは、限り無く事務員に近いようなものである。いわゆる軍人でも文官にあたる。
「・・・・・・・あ。」
 二度目、私がウラキ少尉に出会ったのは、トリントン基地の大食堂でだった。・・・・・九月も半ば。私はいつも、寮の食堂で食事を済ませることが多かったので、大食堂に寄ったのはたまたまだった。基地の中で私が一番いる時間が長いのは中央指令室や通信センターのある司令棟で、そこからは自分の寮が目と鼻の先にある。寮の食事はタダであったので、私は出来うる限り・・・・つまり、夜勤などで食堂が開いていない場合を除いて可能な限り寮に戻って食事をとっていた。その日エアポートや戦艦用ドック、それからモビルスーツ棟に近い大食堂に来たのは届けた文書にサインを貰うのに手間取って、そうして寮に戻る頃にはランチタイムが終わってしまっているだろう、と判断したからである。トリントン基地は周囲十キロ四方ほどの広大な敷地面積を誇っていた。
「・・・・・ああ!えーと・・・・・そう、ウェーバー伍長!」
 そう言って、自分に背中から声をかけてくる人物がいて私は驚いた。・・・・こんなところに知り合いはいるまい。いや、知り合いが居ようが居まいが、自分はたった一人でいつも食事をするような性格の人間ではあったのだが。
「・・・・・・・・・確か、ウラキ少尉。」
「ああ、そうです!先日はすいませんでした・・・・・食事ですか?」
 トレーを持って食堂で、食事以外のことをする人間も滅多に居まい、と私は思ったがとりあえずうなづいた。自分に声をかけてきた人物、というのがまさにウラキ少尉であったのだ。彼は、友人と一緒らしく、脇にアッシュグレーの髪で眼鏡をかけた、やはりモビルスーツパイロットで少尉らしい人物が立っていた。
「ちょうどいい、それじゃ一緒に食べませんか。・・・・あ、キース、こちらはウェーバー伍長、この間ちょっとしたことで知り合って・・・・ウェーバー伍長、こちらは友人のチャック・キース少尉。」
 知り合ったのか?と私は思ったが、さすがにそう口に出すのは止めておく。そうして、仕方ないので相席に着いた。キース、というのがウラキ少尉の友人の名前であるらしかった。
「・・・・・知り合いって・・・・あの、コウ、お前がか?」
「うん・・・・え?・・・・僕が。・・・・・・・なんか変か?」
 食事を食べ出してからも、キース、という少尉は実に訝し気な視線を、私に向けて来たので、ああ、それが実に普通の反応であるよな、と私は思った。だから、先にも言ったように軍には実に様々な仕事の人々がおり、例えばモビルスーツパイロット、という人種は一通信兵の自分からしてみるととんでもなく別世界の人間のようなものなのである。彼等は軍の中でもいわゆる『花形』に属していた。・・・それは小さな子供達が、その仕事を知った時に、軍の場合は軍に入ろうと思った時点で、夢見がちに思うメジャーな職種である。それに比べて私は、といったら一介の地味な通信兵である。
「・・・・・そういえば、ウエーバー伍長のフルネームを知らない。・・・・なんていうんですか?」
 都合上、例えば自分は基地司令に伝達を流すことになったり、また司令から直接返事を受け取ることもある・・・ものの、逆にある意味、到底一生口を聞くようなことも無いだろうと思っていた『モビルスーツパイロット』と今、自分は会話を交わしている。その事実は面白いことだよな、と思いつつ私はピラフをつつきつつ、ウラキ少尉の質問に答えた。ピラフはその日の日替わり定食のメニューだった。
「・・・・ファーストネームはステフ・・・・ステフ・ウェーバー。・・・・・皆は、ステファン、と呼びますが。」
 そう、例えば。・・・例えばモビルスーツパイロットと直接会話をするような通信兵は、強襲揚陸艦のオペレーターくらいのものだろう。そう私が思った時に、実に納得したような顔でウラキ少尉の隣に座っていたキース少尉が頷いた。・・・・あだ名らしいあだ名も無い。・・・・・そんな、おそらく私と言う人間をこの上なく象徴するような一点に関して彼は頷いたのだ。それは、自分でも良く分かっていた。私には特に目立った特徴も性格も、何も無い。そこらに大量にいるようなブラウンの髪にブラウンの目の、身長170センチ程度の人間で、それどころが『付き合いづらい』と人からは良く称される。いや、よく考えたらさして親しい友人などきっぱり一人も居ない。そういう・・・・そういう私は事務屋の軍人だった。キース少尉はそのような人の性質を見抜くようなところがあり、そうしてウラキ少尉が友人だと紹介した私をなんでまた、と思って見たに違い無い。新米ではあるのだろうが、階級も自分より上の『花形』であるモビルスーツパイロット二人と食事をとるのは、私にはとても窮屈な作業に思えた。
「ステファン。・・・・ははぁー。そうだな・・・・ステファンね。聖人の名前だ。えー、実に覚えやすくて呼びやすい。」
 妙に納得しているキース少尉とは裏腹に、ウラキ少尉は実に丹念にピラフからニンジンのかけらを取り除きつつ、それでも言う。
「・・・・・・ステファン。・・・・・・・えー、確かにそのまんまだけど、えー・・・・そんな風でいいの、あの、愛称とかって。」
 私はときたら、それを見て『ああ、ウラキ少尉はニンジンが嫌いなのだな』と思ったきりだ。ともかくなんとも言えず会話の弾まない昼食を、その日私はウラキ少尉とキース少尉として、自分の持ち場へと私は帰った。
 それが、自分とウラキ少尉の二度目の出会いであった。




 次に、私とウラキ少尉が出会ったのは、面白いことにパーティーの会場で、であった。このことについては、多少説明をしなければなるまい。
 先にも話したように、九月は新しい人員が基地に補充される季節である。そうして、この時期には毎年、やたらとパーティが開かれるのであった・・・・パーティというと響きはいいが、要するに『懇親会』である。基地内の人々の交流を計って世話好きの人間などが企画する無礼講で酒を浴びるように飲む、そういう会だ。そこで、女性オペレーターなどは出世の見込みがあって、玉の輿に乗れそうなパイロットなどを物色し・・・逆に、女好きのパイロットなどは可愛い女性が居ないかどうか品定めをするのだった、当然、私はこの手の催しが大嫌いであった。もとから社交的ではない性格の上に、酒もそう好きでは無い。私の唯一の趣味と呼べるようなものは、この頃から紙の本を読むことであり、人に大声で話したいような仕事の愚痴も上司の悪口も私は特に持ち合わせていなくて、おまけに私はあまり出世の見込みのない平凡な叩き上げだった。しかし、歴然と人付き合い、というものが職場には存在する。それは、古今東西、いつの時代でもあるものなのだろう。
「ウェーバー伍長!」
 作戦会議室だったか大きめのミィーティング・ルームだったかもはや忘れたが、本部のそんな部屋を貸し切って開かれていたパーティ会場のすみっこで、そう声をかけられてさすがに私は声の主に気付いた。
「ウラキ少尉。・・・・飲んでいますね?」
「・・・・そんなことはないです!自分は大丈夫です!」
 そういうウラキ少尉の声は明らかに酔っていて、だが楽しそうで、少し赤い顔をしながら自分の脇に来ると彼がずるずると壁に寄り掛かって座り込んだので、私はまたも多少呆れつつ自分も座り込んだ。・・・・・さすがに、この人物とは多少縁があるらしい。そう思いはじめた。よくよくあたりを見渡すと、近くの集団の中にこの間ウラキ少尉と一緒だったキース少尉の姿も見える。上司らしいパイロットに羽交い締めにされながら、しかし楽しく総務の女性職員と話しこんでいた。
「・・・・こういう場所は好きですか。」
 私はとなりで、グラスを持ったまま床に向かって唸っているウラキ少尉に聞いてみた。
「・・・・・いや、あまり。ウェーバー伍長は?」
「・・・・・私もあまり。」
 そこで初めて、私はウラキ少尉と言う人に親近感が湧いた。良く考えたら、自分と少尉とは同じ年頃のはずである。つまり、少尉が通常に学校を出て、通常に士官学校で任官され、ここに着任していたら。
「可愛い女性を発見しなくていいんですか。」
 私がそう言うと、少尉は面白そうに顔を上げた。
「はあ、まあ・・・・・、つまり、自分はそういうのはからっきしで。でも、出ないわけにいかないじゃないですか、こういうの。」
 そういって膝を抱えている自分の真横で見たウラキ少尉の顔は、初めて会った時と同じように実に平たんでのっぺりとした、平凡な東洋人の顔だったが、フェンス越しでなかったせいだろうか、自分は更に少尉に親近感を覚えた。・・・・・こんなことは珍しい。自分でも思った。今まで、約三年間この基地にいたが、こんなに普通に会話を・・・・つまり、仕事以外の話を出来そうな人物に出会ったのは初めてだ。
「・・・・・・私もそういうのはからっきしで。」
 しかし、それでも私はじっくり少尉の顔を見ることは出来なかった。あまりに、そうしない生活を長く送って来ていたからである。そうしない生活、という表現もどこかおかしいな。つまり、人と深く関わらないような生活を、である。自分は、両親を失ったあのコロニーの落ちた日から、どこか常に一人であった、そうして人は生きてゆくものだと思いきることで立ってこれた。・・・・が、この少尉の考えていない風はどうだ。私がどんな性格だろうと、ウラキ少尉は見かける度に私に声をかけてくるのである。それも、恩着せがましい態度でもなく、だ。いいかげん、やはり何か縁があるに違い無い。
「そういえば、少尉は年はいくつで・・・・・」
 私がそう言いかけた時、近くの集団でどっとざわめきと笑い声が起こった。なんだろう、と思って私達が顔をあげると、一人のパイロットが膝の上に、衛生兵の女性を乗せたところであった。いや、何がそんなに面白かったのかというと、あまりにその救急班の女性の体格が良すぎて、膝に乗せたパイロットが折れそうになっていたからである。皆が大笑いしながらその様子を眺めていたが、見ると、白い紙を互いに持っている。・・・・・ああ。そこで私はやっと分かった、なるほど、先ほど配られたこの紙は『王様ゲーム』のものであったのか。それで、そのパイロットも巨大な女性を膝に載せなければならないような事態に陥っているらしいのだ。
「・・・・あ、え?僕は・・・・僕の年は、」
 ウラキ少尉が私に質問をされたことに気付いて、そうして返事を返しかけた時に、王様らしい整備兵の、こんな声が響いた。
「・・・・・次!よーし、次行くぞ!!!三番!!・・・・・三番だれだ!?」
 私は一応紙を見た。その小さな紙切れには、十三番、と書いてあった。違うな。・・・・と、思った矢先に、隣のウラキ少尉が手を上げて立ち上がる。
「はい!・・・・・ええっと、僕です三番。」
 すると、王様は手元の紙を眺めながら、続けてこう言った。
「んじゃ、三番!!・・・・・・が、十三番にキス!さー、誰だ十三番!」
 ・・・・・・・・・私は一瞬しらばっくれようかと思った。これだけ酔っ払った人間が大量にいるパーティー会場なのだし、しらばっくれても平気なのではないかと。・・・・が、即座に返事の返って来ない状況に、誰もが自分の持っている小さな紙を再確認するのを目の当たりにして私は妙に焦った。・・・・思えば、多少飲んだ酒が少し回っていたのかもしれない。
「・・・・・・・・自分です。」
 私もそう言って、壁際で立ち上がった。と、そのとたんに主に私の性格と人となりを、良く知る基地スタッフの方から大爆笑がおこった。
「・・・・・ウェーバー伍長かあ・・・・!」
「いや、なんというか・・・・ステファンか、はは、なんていうか面白いな!!」
「ってことだから、そこの新人!・・・・・ステファンにキスだ!」
 それはそうだろう、可愛らしい女性ならともかく、私とキスをすることになってしまったウラキ少尉は、誰の目から見ても面白いに違い無い。隣の少尉を見ると、王様ゲームがそういうゲームだと知らなかったわけでもなかろうに、妙に紙を持ったまま固まってしまっているのであった。・・・・どうしたものだろう。私が考えはじめた時に、どういうことかウラキ少尉がこう叫んだ。
「・・・・って!そんなに笑ったら、ウェーバー伍長に失礼かと思います!!!」
 ・・・・・・・ウラキ少尉がそう叫んだことで、周囲は更なる爆笑の渦に巻き込まれた。・・・・いや、失礼もなにも。そういうゲームだろう、と思わず私が説明してやりたくなったほどだ。
「・・・・・面白れぇ・・・!!」
「えっと、なんていったっけ、新人!」
「ウラキ少尉だよ、テストパイロットの。バニング小隊の。」
「そうだ、ウラキ少尉!・・・・だっから失礼にならないように早くステファンにキスしろよ!!」
 周囲はとめどなく笑い続けていたが、ウラキ少尉はなかばやけっぱちで私にキスをする気になったらしい。そこで、私の方を向き直ると、小さく深呼吸した。
「ええっと・・・・・では、やります。」
「・・・・・はあ。まあ。」
 私はしかたないのでそう答えた。まあ、確かに私とキスをしなきゃならないのは大笑いだろうが、真面目になられるとそれはそれで困るな。・・・・そんな程度の事を考えていたように思う。
 周囲が大笑いしている中で、ウラキ少尉は顔を青くしたり赤くしたりしばらく戸惑っていたが、やがて・・・・思いきったように私の方へ屈み込んだ。そうして、少しだけ私の頬に触れた。それはもう、微かに。
「・・・・・・・済みましたよ。」
 何で自分がきつく目を閉じたウラキ少尉に向かってそんなことを言ったのかは、今でも分からない。ともかく、周囲はまだ大爆笑を続けていて、そうして興味は、王様が次に出す命令に移ったようで、誰ももはや私達になど興味を払ってはいなかった。
「・・・・・え。・・・・・ああ、うん、そうなんだけど・・・・すいません・・・・・・・あの、ごめんなさい。」
 ウラキ少尉はそんな事を答えた。ただ、私は考えていた。・・・・・ああ、そうか。久しぶりであったのだ、と。




 あの日、コロニーがこの大陸に落ちて来て、そうして両親がクレーターの一部になる直前に私にしてくれたお別れのキス以来、実に久しぶりに人に触れたのだ、と。そのキスは暖かかった。両親と同じように暖かに、そして遠慮がちにウラキ少尉は私に触れたのだ。・・・・その事実が、私は嬉しかった。どうしたことか、本当に嬉しかったのである。パーティーがお開きになる直前にウラキ少尉は私に言った。「・・・・・えっと、そう、だから僕は十九歳です。ウェーバー伍長は?」・・・・・・・・私は二十歳であったので、そう答えた。するとウラキ少尉は嬉しそうにうなづいた。・・・・私は、友人など一人も居ないような性格で。
 そうしてこれからもそうして生きてゆこうと思っていた。それで良かった。・・・・その自身を立てていた価値観が、微妙に崩れ出すのを感じていた。ウラキ少尉、という人物に出会ってから。









 自分の心の内が、自分でも分かっていなかった。・・・・・・・・・0083年の、九月末のことだった。









 私がウラキ少尉に最後に会ったのは、十月の第一週のことだった。正確には最後に『きちんと会ったのは』ということになる。いや、こう書くとほとんどの方が、なんだそれは、と思われるに違い無い。しかし、それは本当のことなのだ。私は実に数回しか、ウラキ少尉と会ったことはない。そうして、その0083年の十月第一週に彼と会ったのが、私にとっては最初で最後の少尉きちんと話す機会になっだのだ。曜日はよく覚えていない。・・・・・・人生とは、多くの抗えない出来事に満ちている。私は、落ちて来たコロニーによって両親を失ったのと同じように、またしてもこの次の週、つまり十月の第二週に人生を揺るがすような大事件に遭遇したのだが、それに関してはまたおいおい話すことにしよう。
「・・・・ウェーバー伍長?」
 そう言って、ウラキ少尉に話しかけられた時、私は休息時間で、そうして寮の裏手にある木陰で、本を読んでいた。それは私のお気に入りの行動で、ほぼ毎日のようにそうしていたのだが、誰かに声をかけられたのは初めてだった。・・・・その時読んでいた本はなんだっただろうか。エミリ・ブロンテの『嵐が丘』か何かかだっただろうか・・・・・・・・・ともかく、柄にもなく恋愛小説だったのだけは確かだ。
「・・・・少尉。・・・・・なんでこんな所にいるんですか?」
 私はそう聞いた。ウラキ少尉はこの時、訓練用の深緑色のノーマルスーツを着ており・・・・それは、陽射しが徐々に強くなってきた十月のオーストラリアで見るには、多少なからず暑苦しいものに私には思えた。
「いや、僕はですね・・・・・うーん、本来ペナルティは腕立て伏せが基本なんですが、でもまあ今日はバニング大尉の機嫌が悪かったらしくてマラソンをしろ、と言われて・・・・・・・・・まあいいや。少しくらいならバレないだろ。」
 そう言うと少尉は私のとなりに座り込む。
 どこにいるのやら知らないが、セミがじんじん鳴いていた。気の早いセミだな。それから私は、制服姿で無い少尉を見るのは初めてだな、と思った。
「・・・・大変ですね、パイロットも。」
「まあ・・・・そうだな、ペナルティで基地内三周マラソン、とかさせられるあたりは。・・・・・・・確かに大変かもしれないですが。」
 どうやら、ウラキ少尉は訓練中になにかミスをしたらしい。・・・・それで、ノーマルスーツのまま基地内をマラソンしていて、私を見つけた、という事なのだろう。
「・・・・・暑いですね。」
「もうすぐ、夏ですからね。」
 そう言って、私達は十月の南半球の空を見上げた。




「そういえば少尉は・・・・何故、あの日フェンスに掴みかかっていたんですか?」
 私が本を閉じながらそう言うと、ウラキ少尉は苦笑いをした。そうして私を見た。
「あぁ!・・・・あの時は本当にすいませんでした、驚かせてしまって・・・・・」
 なんなのだろうなあ、と思いながら私はウラキ少尉のその顔を見つめ返す。・・・・ああ、そうか。つまり、人と話す時に目を逸らさない人間なのだ。ウラキ少尉と言う人が、である。これは、凄まじい労力であるように私には思われた。私は、といったら、全ての周囲の現状に、己が立つ為に出来るだけ影響を受けないようにと、そうして揺るぎない自分のペースを作ろうと、達観するように突き放して来た人間だ、だがしかし少尉という人はまっすぐにものを見るひとなのだ。
「・・・・で、実のところ理由は?」
 結局、その時も気前が悪くなって私の方から、何故か微妙に視線を逸らした。ウラキ少尉に話し掛けられるのはもう慣れた。・・・しかし、人ときちんと向かい合い関わるのはやはりどこか億劫で、私にとって慣れない行動だった。
「ああ、それがザクのことで・・・・・・・・・ええっと、僕はザクに乗っているんですが。」
 そういえばそうだったよな。私は思った。新米のパイロットは皆、訓練をジオニクス社製のザクで、つまりはこの前の戦争での戦利品で受けるのだ。いくら自分が一介の通信兵でも、それくらいの連邦軍の常識は知っていた。
「ええ、はい。・・・ザクが。それが何か?」
「いや・・・・それが、そうしたら言うんです、先輩が。主にアレン中尉が・・・・・ああ、こういう名前の人が僕の隊にいるんですけどね、その人が、『お前らジムに乗るにはまだ早ぇ、ザクがほんとにお似合いだ。』って・・・・・あまり言われ続けるものだから、あの日僕は、どれだけザクが素晴らしいモビルスーツで、それがどんなに革新的な機体で、そうして一年戦争の作戦行動においてどのような役割をしたかを延々と話してしまい・・・・・・ルウムや一週間戦争の事をね。いや、だからその、実際にその戦いを経験してきたアレン中尉に向かって、なんだけど。」
 ・・・・・私は思わず吹き出しかけた。手に取るように、その熱くザクについて・・・・よしんば、ザクについて、だ!・・・・語るウラキ少尉の姿が想像出来たからだ。それから驚いた。・・・・吹き出しかける。この、自分がだ!少尉の行動を思っただけで笑いそうになっているのである。
「はあ、なるほど・・・・」
「そうしたら、やっぱり怒られて『お前はザクに乗る価値もねぇよ!』・・・・って・・・・・・それで格納庫掃除一週間させられる事になって・・・・・」
 私はついに本当に笑い出した。・・・・・・人となりが分かる。この少尉が、何が好きで、そうしてモビルスーツパイロットとなり、ここにいるのかが。私は笑った。何がそんなに面白かったのか自分でも分からなかったが、それでも笑った。見ると、ウラキ少尉は少しぶ然とした顔で私を見ていたが、それでも私は笑い続ける。・・・・・三年ぶりに、心から笑っている気がした。
「・・・・・・・・・・少尉は、」
 ひとしきり笑ってから、私は思いついて聞いてみた。
「・・・・ザクを見たことは?いや、だから連邦軍に接収されたあとのザクではなくて、敵としての・・・・ザクや初期型ザク、なんといったっけかな、そうだ、ザクI・・・・・・・・街を占領する、そういう『ジオン軍』のザクを見たことは?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無いです。僕は、ヨーロッパ出身でその頃ナイメ−ヘンにいて・・・・予備科の学生だった。モビルスーツは軍報や、テレビの中でしか見たことが無くて・・・・もちろん、連邦軍にモビルスーツがあることも知らなかったし・・・・・」
 私はなんとなく頷いた。・・・・・ウラキ少尉が体験した一年戦争とは、ではそうか、そういうものであったのか。
「ウェーバー伍長は見ましたか?」
 すると、今度はウラキ少尉が私に質問してきた。私は答えた。
「見ましたよ。・・・・たくさん。ドムや、グフやゲルググも少しだけ。・・・・最後の方に。」
「・・・・・・ええっと、ウェーバー伍長はその時、どこにいたのですか?御両親とかは?」
 どうしようかなあ、と思ったが、別にこんなことでウソをついても仕方あるまい。この大陸には、そんな人間ばかりなのだ。・・・・仕方あるまい。そこで私はまた答えた。
「私は・・・・この大陸に。」
 そして、金網の向こうに見えるコロニーの残骸を指差す。
「それで、両親はクレーターになって。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ウラキ少尉は少し、目を細めて固まってそのコロニーの残骸を見つめる。アイランド・イフィッシュ。・・・・・確かそんな名前だったはずだ。いや、落ちて来たコロニーの名前が、である。そのコロニーにも、もちろん生きた人々が沢山住んでいた。そうして、それが落ちた場所にも。




「・・・・・・痛かった?」




 ずいぶんと経ってから、ウラキ少尉はそれだけを呟いた。私は一瞬、なんのことやら分からなかった。この手の話になると、オーストラリア人はみな同じ反応を返す。『それは大変でしたね』とか。『分かります、私の親族も巻き込まれまして』とか。・・・・が、それとは全く違う一言を、ウラキ少尉は言った。私は思わず顔を上げて彼を見た。・・・・私はいつの間にやら地面を見つめていたのだ。しかし彼は面白いくらい真剣に、私を見つめ続けていた。・・・・私の目を見つめていた。そしてもう一回、言った。
「・・・・・・痛かったのかな?」
 それから、何を思ったのか拳を握って、自分の胸をトントン、と二回ほど叩いた。・・・・・・そこが、痛かったのか、と。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・い、」
 答えようとした。・・・・私は答えようとした。しかし、答えようとした自分の声が涙声だったことに気付いて、自分で愕然とした。・・・・・何故泣いている。・・・・何故私は泣いている!!!
「・・・・いたかった・・・・・・・痛かった、痛かった痛かった痛かった、ほんとうにいたかった・・・・・・!」
 もはや、自分でも何を言っているのやら良く分からなかった。ともかく、そう言って私がひどく泣き出すと、ウラキ少尉はひどく困ったような顔になった。ここは、誰も通らないような寮の裏手である。それでも、何か心配そうに彼はあたりを二、三度見渡してから、急に私の手を掴んだ。
「・・・・・そうか、痛かったんだ。」
 大変だったね、とも分かるよ、とも、ウラキ少尉は言わなかった。ただ、掴んだ私の手を今度は自分の手に包んでポンポン、と軽く揺すったきりだ。私はときたら、どうしてこの人物にあってから、こんなにも自分の中の感情が蘇ってしまって、そうして笑ったり泣いたり大騒ぎな事態に陥ってしまっているのか分からずに戸惑っていた。・・・・そんなものは捨てたはずだ、そんなものは無くても生きてゆけるよう思いきったはずだ。だがしかし、今私は泣いている。自分の経験していないことを『分かるよ』などと彼は言わなかった、その誠実さに打ちのめされたのだ。・・・・これはなんだ。私は何を感じているんだ。
「・・・・・って、ああ!ウェーバー伍長、僕はいいかげんマラソンをしないとまずい!」
 ・・・・恋だ。ついにそう言って、ウラキ少尉が私の手を離した時に、何故か私は唐突にそう思った。・・・・そうだ、これは恋だ。きっとそうに違いない。気がつくと、私の休息時間も残りわずかになっていた。数分後には、基地の主なる要員の交代を告げるサイレンが響き渡ることだろう。だがしかし、恋だって?
「だから、僕行きますが・・・・・ええっと、そうだな、そういえばキースが・・・・僕がウェーバー伍長と友達だって言うと・・・・・」
 そうだ、恋だって?私は軽く錯乱していた。・・・・・ウラキ少尉相手に恋もあるまい!そんなことは不可能だ。現実にモノを見ろ、せめて覚めてモノを見て、落ち着いていられるのが私の特技では無かったのか。ウラキ少尉は既に立ち上がっていた。そして、相変わらず暑苦しそうなノーマルスーツのまま、走り出そうとして数歩私から離れたものの、何を思ったのか・・・・また、急にとって返して来た。
「・・・・・そう、だからキースが!・・・・僕とウェーバー伍長が友達だっていうといつも笑うんだけど、僕はそうは思わない。・・・・・それじゃあ、また!」
 それだけ言うと、少尉は思いきったように屈み込んで、また私にキスをした。・・・・・ちょっと待て。だから、恋とか。




 ・・・・・恋とか。そんなとんでもないことをしている場合では無いだろう。少尉が走り去った後も、私はしばらく呆然と木陰に座り続けていた。それから、放り出していた本を拾い上げ、やっとの思いで立ち上がった。・・・・少尉は全然そんなことを考えてはいないよ。自分に言い聞かせてみた。それでも生き返ってしまった私の中の感情は、私を自由にしてくれそうもなかった。
「・・・・・・また。」
 私は小さく呟いてみた。・・・・・また。良い言葉だ、と思った。・・・・・それじゃあ、また。









 しかし、実際には次の機会は無かった。・・・・・かわりに、あの晩がやってきた。・・・・・0083年、十月十三日。









 その晩、私は非番であった。夕刻に自分の勤務が終わり、交代要員と引き継ぎをし、シャワーを浴びて着替え、そしてベットに潜り込もうとしたまさにその瞬間・・・・振動が響いた。
「・・・・・・・?」
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。その証拠に私は、もう一回よろけた体を起こして、ベットに潜り込もうとしたほどだ。その日、私はとにかく疲れていた。午後にジャブローから新造戦艦がこの基地に到着したのだが、その入港手続きの為の通信業務で、ここ数日ほどの仕事の量は倍以上に跳ね上がっていた。それは、間違い無く自分がこの基地で働きはじめてから一番くらいに重要な仕事であった。新造戦艦というのが・・・・ペガサス級の宇宙艦であったからだ。
 大気圏内に『宇宙艦』が降りることはほとんど無い・・・というのは誰もが知る所であると思う。それは、連邦軍のサラミス級であっても旧ジオン軍のムサイ級であっても同じことだ。理由は簡単で、宇宙艦は大気圏中を飛ぶことが本来出来ないからだ。大気圏への突入には両方ともが専用のポッドを利用するしかない。おそらく、私がトリントン基地で働きはじめてから一番多く見た艦は、ミデア輸送艦であり、トリントンはそれくらいしか飛んで来ない、実に平和な基地であったとも言える。
 さて、だがしかしその日基地にやってきたのはしつこい様だがペガサス級の宇宙艦であった・・・・ペガサス級ともなるとミノフスキークラフトを装備しているのだ。それで、自由に大気圏内も泳ぎ舞われるのであった。しかも、私は自分で通信電文を処理しておきながらその内容のほとんどに高レベルの暗号が使われていた為知ることもなかったのだが、そのペガサス級の戦艦にはとんでもないモノが乗っていたのだ・・・・艦の名前はアルビオン、と言った。
「・・・・・・しかたない、」
 ともかく私はそれでも寝ようと思いベットにしがみつこうとしたのだが・・・・その時に、二度目の振動が襲って来た。・・・・おかしい。明らかにこれはおかしい。と、次の瞬間には幾つもの光がきらめき、遅れて細かな振動と爆音が聞こえて来て寮の部屋を揺るがす。・・・・・私はついに寝るのを諦めた。そうして、シャワーを浴びる前に脱いだばかりの制服にまた腕を通す。・・・・どうせ、寝るどころではなくなるだろう。
「・・・・・・起きろ!全員、起床ー!!」
 私の予想は当たっていた。ベルトを通しながら部屋を飛び出し、寮当直の兵のそんな叫び声が聞こえて来た時には、基地中のサイレンがけたたましく鳴り出した後だった。・・・・・午後の九時過ぎに起床、もないだろう!しかし確かに、こんな時用のマニュアルは無かったな。私はサーチライトが上空をやみくもに照らし、異様な興奮に包まれはじめた基地内を基地司令本部に急いだ。




 良く考えれば私は勤務が終わって、非番だったはずなのだが、だがしかし自分がどうしたらいいのかも分からず、そうして飛び込んだ司令本部は、まさに蜂の巣を突いたような有り様に陥っていた。
「・・・・・ウェーバー!!ウェーバー伍長、良く来た!」
 良く知った声が自分を呼ぶので振り返る。・・・・それは、自分の班の班長のシュレーダー少尉であった。
「お前、動けるな?それじゃあ、ターナーと替われ!当基地は今、正体不明の敵から攻撃を受けている。・・・・・替わる前に余裕があったらターナーの様子を見てやれ。・・・・以上!」
 元から荒っぽく、そうしてやたらと書類で通信をしたがる上司ではあったが、私はシュレーダー少尉が嫌いでは無かった。なにより、分かりやすく必要なことだけをいつも言う。言われて、私が見るとオペレーター用の椅子から転げ落ちて、私と交代だったはずの女性兵が床に座り込んで大泣きをしていた。
「はい、分かりました。・・・・・ターナー伍長。・・・・だいじょうぶですか、ターナー伍長?」
「・・・・私、いや・・・・!!戦争なんていや!なのに、どうして・・・・!!」
 ・・・・・・軍人なんだからしょうがないだろう。私は思ったが、ともかくターナー伍長は腰が抜けて動けなくなったらしい。彼女は私の更に一年後輩で、まさに戦争なんかするはずもないだろうと思って軍に入って来たような女性であった。私は、急いで彼女の脇に座り込んだ。そして指差す。
「・・・・大丈夫、私が替わります。・・・・あそこが指令室の出口、分かるね?いっしょにゆけないけど、あそこに向かって、そうして降りたら、目の前に寮もあるし、医療部も目と鼻の先だから。・・・・歩けるね、出られるね?」
 彼女は泣きじゃくったまま頷いた。・・・・外の有り様を目撃するほうが、今の彼女の精神には良く無いのかもしれないのだが。しかし、この指令室で延々と泣きじゃくり、イマージェンシーのアラート音を聞き続けるよりはマシかもしれない。
 ターナー女史が出てゆくのを確認してから私は慣れ親しんだ椅子に腰掛けた。とたんに、次から次へと矢継ぎ早に通信すべく司令が届けられる。
「第十八駐機場の輸送機火災には、今消火班が向かっていると伝えろ・・・!!第三ブロックの倉庫は、火薬が多いので引火しないように人員を急いで向かわせるように上からの命令だ、それからモビルスーツ小隊は全て待機から実戦行動に・・・・ああっと、これは関係ない!」
 私が主に通信を担当していたのは、主に駐機場(ドック)、倉庫方面であった。だから確かにモビルスーツ小隊については関係ない。しかし、混乱した指令部の中で、そう叫ぶ上司の声を聞き、私は唐突にウラキ少尉の事を思い出した。・・・・・そうだ。ウラキ少尉は?しかし私は任務を遂行すべく、電文を打ったり現場からの報告を受け取ったり、マイクに向かって話したりする仕事を続けた、その間中基地内には鈍い振動が伝わり続け、ありとあらゆる方向からこの基地が攻撃を受けているのは、たとえ司令本部の建物の中にいても分かった。
「・・・・・輸送機火災はもう手がつけられないので放棄したいとのことです!」
「水がもったいねぇから他へまわせ!・・・・ウェーバー、お前の判断で構わん!」
 シュレーダー少尉が相変わらず荒っぽいことを叫び、私が呆れて司令本部内を見渡した時・・・・遠くには、マーネリー准将の姿も見えたのだったが、急に司令本部全体が真っ暗やみに包まれた。
「・・・・なんだ!」
 誰かの悲鳴がきっかけのように、ブゥンという低い音と共に非常電源に切り替わったらしいライトの元、コンピューターが立ち上がり直す。司令本部内は、ちょっとしたパニックになった。
「どうするんだ、このままじゃ・・・!」
「落ち着け!」
「各小隊はそれぞれ別個に基地内に侵入した敵を排除!くり返す、各小隊は・・・!」
 私はといえば、一回電源が落ちたことによって、連絡をとっていたほとんどの部署と連絡が取れなくなってしまい、途方にくれていた・・・そこで、その旨をシュレーダー少尉に伝えた。・・・すると、彼は急に立ち上がった。
「・・・・・ウェーバー。お前、走れ。」
「は?」
 私がそう言うと、彼は目の前のコンソールパネルを指差してこう言った。
「副管制室とは・・・・・第二指令部とは繋がるのか。」
「繋がります。」
「で、第二指令部とそれぞれの部署は。・・・・ドックや倉庫は。」
 私は急いで確認した。
「・・・・繋がっているようです。」
「・・・・では、お前が第二指令部まで走れ!・・・・そこへ俺が指示を出すから、それを伝えろ!」
 そう言って、私の上司は私の肩をポンっ、と叩いた。・・・・今まで良くやった、と言わんばかりに。
「・・・・・早く行け!」
 そう言われては仕方あるまい。私は、弾かれるように椅子から立ち上がった。基地司令本部の数百メートル向こう、その地下に、『第二司令本部』というのが確かにあるのである。だから、いわゆる副管制室、である。それは面白いことに、軍艦で言えば『戦闘ブリッジ』のようなものだった・・・つまり、安全な場所に作られた戦時用指令部、である。・・・・・・だがしかし、明らかに今が戦時、のはずなのだけれども!!誰もがそこに移る余裕すら無かったと考えるべきだろう。
 ともかく私は指令部を走って飛び出した。走って伝えろ。・・・・一体、いつの時代の通信兵の仕事だ、と言いたいくらいだ。私は飛び出した指令部の脇のホールで、一瞬エレベーターに乗ろうか階段を降りようか迷った。・・・・しかし、この建物はさっき一瞬停電したよな。
 そこで私は、猛烈な勢いで階段をかけ降りはじめた・・・・一階、二階・・・・・そして四階ほど。そのあたりまでかけ降りた時に、凄まじい衝撃が私を襲った。司令本部の建物は二十階ほどの高さがあった。私はその衝撃に耐えられずに、少し階段を転がり落ちた挙げ句に、壁にしたたかに打ち付けられたらしい。
 ・・・・・・どれくらい気を失っていたのか分からない。ともかく目が覚めると、あたりは真っ暗やみだった。数分か、もしくは数秒くらいの出来事だったのかもしれない。・・・・また停電か!壁に打ち付けられてその前あたりに倒れ込んでいたが、なんとか起き上がると、階段を・・・・これ以上下るものかどうか思い悩んだ。今の振動は普通では無かった。かなり近くに・・・・かなり近くに、着弾した振動だ。
「・・・・・・・っ、」
 私は向き直って、急いで階段を登りかけた・・・・が、非常灯の下で、呆然として立ちすくんだ。




 ・・・・・無かった。数段登った、その先には階段が無かったのである。パラパラと粉の舞い落ちる、妙にひしゃげたコンクリートの潰れた塊が、そこにはあっただけだった。・・・・・・・・・・・・では、なにか。




 ・・・・・・・・・・・直撃か?私は思った。ともかく踵をかえすと階段をまた急いで下りはじめた。・・・・・司令本部が直撃を受けたのか?・・・・・そうなのか?
 建物から外に出た瞬間に、私は振り返ってそれを見た。・・・・・あぁ!確かに司令本部はてっぺんを吹っ飛ばされていた。・・・・どういうことだ。つまり、なんなのだ。・・・・命拾いをしたのだ。




 今回もまた!・・・・両親と別れて、長距離バスに乗ったあの日と同じように。・・・・私は助かったのだ。私は生き残ってしまったのだ、ほんの偶然で!!司令本部にあのままいたら、私は間違い無く瓦礫の一部になっていた、しかし今回もそうなることを、神様がお許しにはならなかった!!!




 ・・・・・私はやけにゆっくりと、司令本部に背を向けた。そして見た。・・・・・燃え盛る、トリントン基地を。数百メートル先に、目的地である第二司令本部の入り口は見えていた。・・・・しかし、基地は燃えていた。・・・・・基地は燃えていた、どこもかしこも!!倉庫も、軍用ジープも、倒されたモビルスーツも・・・・である。
「・・・・・・・・かみさま、」
 砲撃戦用の重モビルスーツがいるのか。・・・・自分の頭上を越えて飛んでゆく、砲撃の音を聞きながら私は走るのを止めた。そうして、ゆっくりと、第二司令本部に向かって歩いて行った。
 歩いて行った、燃え盛る基地の中を。・・・・・・・・・・・その最中に、私は見た。









 頭上を、一機のモビルスーツが飛翔してゆく。・・・・それが、私にはガンダムに見えた。・・・・ガンダム。そうだ、へんな形だけど、あれはガンダムだろう。足が妙に重そうで、異様な重装甲だが、白くて、Vの字の角がついている。そんなガンダムが、頭の上を飛んで行った、まるで高笑いするように。しかしあんな機体が、この基地にあったか?と私は思う。しかし、私はガンダムに笑われようがなんだろうが、ともかくゆっくりと歩いて行った。花火のように弾薬の降り注ぐ基地の中を。第二司令本部に向かって。









 妙に白ちゃけて、その次の朝はやってきた。・・・・・誰もが疲れ果てていたし、誰もが口などききたく無かった。しかし、それでも朝はやってくるらしい。
「・・・・・・ウェーバー伍長!ウェーバー伍長はいますか!」
 私を探す人がいることに、心底私は驚いていた。時間は、午前十一時近く。・・・・・そうか、もう十二時間以上もこんな状態か。ともかく、呼ばれたなら返事をしなければなるまい。そこで、地下にある第二司令本部の扉を開けて入って来たその泥だらけの兵に向けて、軽く手を上げた。
「・・・・私です。何か?」
 すると、その兵は軽く、だがしかしとんでもないことを私に向けて言う。
「・・・・第三通信小隊は、ウェーバー伍長とターナー伍長を除いて全員名誉の戦死をなさいました!・・・・なので、伍長が次の小隊長であります。ターナー伍長は、医療班第十八テントに収容されています。・・・・以上です!」
 夜明けが来て、ようやっと基地には、新しい指揮系統が生まれたらしい。・・・・・小隊長になってしまったのか、私は。思わず自分の足下をしみじみ見つめる。・・・・小隊長になってしまったのか、たった一晩で。現実味など湧かなかった、湧くはずもない。ともかく私は眠りたかった。もう、何時間寝ていないんだ。
 昨日の晩、第二司令本部に辿り着くと、私は扉を開いて第一声こう言った。「・・・・・・司令本部が吹っ飛びました。」その、副管制室に詰めていた全ての人物が、動きを止めて私を見た。それから指示を出していたらしい別の通信班の小隊長が、ゆっくりとこう言うのが聞こえた。彼は、私には空いているオペレーター席を指差す。「・・・・通信の断絶した司令本部と連絡を取るのは諦めろ。・・・・マーネリー准将の次にエラいのは誰だ。・・・・あぁ?入港しているアルビオンのシナプス大佐だ?・・・・それでは全ての指揮系統をアルビオンに回すように通信しろ!・・・・我々は基地の維持に最善を尽くす!・・・・ジャブローや環太平洋本部への連絡もアルビオンからやってもらえ!!」・・・・私はまた、事務仕事に戻った。消化作業やら、修復作業やらの指示を出す、通信の仕事である。
「・・・・・・・・」
 そうやって、一晩仮にも私の上司をやってくれた他の班の小隊長は、見ると、疲れ果てたらしく眠りこけている。第二司令本部にいるほとんどの人物が、同じように憔悴しきっていた。私は、これ以上ここに居てもしかたあるまい、と思って地下に這い出すことにした。
 足下が、妙な感じでグラグラ揺れているように思った。爆撃を受けている間中、地下にも凄まじい振動が響いていた。部屋は軋み、ホコリが舞った。すすけた顔をして、外に出て来た私は、粉塵ごしの薄い光の中、あたりを見渡した。
 ・・・・・・・・・惨状、だった。それはまさに、惨状、であった。そして自分は、遠くコロニー落としの火の玉を見たことはあったものの、これほどまでに戦争らしい戦争に、遭遇したのはなかったのだと。しみじみそう思った。全てのものが壊れて、ただのゴミと瓦礫の山になっているように思えた。自分のすぐ目の前には、てっぺんの吹っ飛んだ司令本部の建物が見える。その脇には潰れたジ−プや倒れたモビルスーツが転がり、それらは地面に妙な液体を垂れ流し・・・・・・・と、そこまで眺め回して、モビルスーツのコックピットから引っ張り出されるパイロットの死体を見た時に、急に私の心臓が鳴った。・・・・・・少尉は。ウラキ少尉はどうなったのだろう。彼の所属する小隊も出撃したはずだ。
「・・・・・・・っ、」
 私は思わず走り出しそうになった。・・・・いや、しかし、どこへ。いくら基地が非常事態に置かれているからと言って、私が道行く人々にウラキ少尉の行方を聞き回っていたら、さすがに妙に思われることだろう。そこで、私は思い直して、第十八医療テントに向かうことにした。・・・・ターナー女史は、では彼女は助かったのだ。それだけが、私にとって唯一の救いであった。あの時、彼女と交代して良かった。・・・・・シュレーダー少尉は亡くなってしまった。・・・・私に走れ、と言って。
 様々なことを考えながら、私が崩れ果てた司令本部の角を曲ると・・・・急に、モビルスーツの一団と出会った。・・・・驚いたことに、その中の一機はガンダムであった。まだ、動けるモビルスーツもこの基地には残っていたのか。いや、この基地にガンダムなんかいたのか?・・・・・そこで、私はやっと思い当たった。昨日も、自分はガンダムは見た。頭上を遥か越えてゆくガンダムを。しかし、それと目の前のガンダムは、まったくの別物に見える。そこで首を回して遠くドックに係留されているアルビオンの姿を見た。強襲揚陸艦。・・・・・ペガサス級。・・・・・・ガンダム。・・・・・・ああ、それで。
 それで、この基地は唐突に正体不明の敵の攻撃などを受けたのか。妙に納得して私は呆然とガンダムを見上げた。・・・・・白くて、Vの字の角がついている。と、そのモビルスーツの脇のジープで、一人の人物がわめいているのが聞こえて来た。
「・・・・大尉!もう基地ですからね、痛く無いですか、死なないでくださいよ!」
「うるせぇ、バカ・・・・お前の声の方がよっぽど足に触るんだよ・・・・・・・・って痛ぇ!」
 それは、私の知っている人物だった・・・・キース少尉。そう、確かチャック・キース少尉という名前だった、ウラキ少尉の友人だと私は紹介された。もう一人の、怪我をしているらしい大尉は、私は知らなかった。
「・・・・・・・キ、」
 私はキース少尉に声をかけそうになった。・・・・キース少尉なら知っているに違い無い。ウラキ少尉がどうなったか、をである。しかし、私がそのジープに向かって歩み寄るより早く、キース少尉が運転していた兵に向かって『医療班のテントに!』と叫び、ジープは走り出してしまった・・・・・しかも、キース少尉はガンダムに向かってとんでもないことを叫んだ。
「・・・・・コウ!お前、そのガンダム、さっさとアルビオンに返して来いよ!俺先に寮戻ってるから、う、わあ〜!!!」
 う、わあ〜、のところでキース少尉の乗ったジープは、瓦礫に乗り上げて少し傾いたのだが、私はもはやそんなことはどうでも良くなっていた。・・・・キース少尉はなんと言った?・・・・キ−ス少尉は、ガンダムに向かって、『コウ!』と叫んだのだ。・・・・では、これに乗っているのがウラキ少尉なのだ。私は何故か呆然とガンダムを見上げた、もちろんガンダムはかなりの大きさがあるから、ウラキ少尉が私に気付くはずもない。しかしそれでも見上げた、何故ウラキ少尉はこんなものに乗っているんだ?
『・・・・・動かします、ドック方面に向かうので、足下の方は気を付けてください。モビルスーツが動きます・・・・』
 と、そのようにガンダムを思わず見上げてしまっている人間は多かったのだろうか、そういう確かに少尉の声が、少し疲れたような少尉の声が、ガンダムの外部スピーカーから聞こえて来た。私も、それから回りに居た兵達も、慌てて通路を開けた。その中を、ガンダムは地響きをあげながらドックの方に向かって歩き出した。
 ・・・・・生きていた。良かった、何故ガンダムになぞ少尉が乗っているのか分からないが、ともかく生きていた!私は何故か泣きそうになりながら、今度こそ第十八医療テントに向かった。・・・・ターナー女史に会わなければ。









 さて、私の話もそろそろ終わりである。その後、訪れた医療班のテントで、ターナー女史は相変らず動けないような有り様でベットに寝ていたが、もうヒステリーを起こしてはいなかった。「・・・・・この仕事は辞めた方がいいと思うよ。」私は彼女にそう言った。彼女は黙って頷いた。きっと、こういう人間は多いのだろう。これを機会に、軍をやめるような人間も。瓦礫と成り果ててしまったこの基地が、これからどうなるのかも分からない。すると、彼女は少し不思議そうに私に言った。「・・・・なぜ、ステフは平気なの。」
 平気、か。・・・・平気であった訳ではないと思う、ただ今はまだ直中なのだ。一年戦争の時もそうだった。ずいぶんと後になってから、初めて私は少しだけ泣いた。きっと今回もそうなのだろう、と思った。きっと私は、感情がカチカチに凍ってしまっている分、それが溶け出して表にしみ出してくるまでに、人より時間がかかるのだ、と。しかし、そのことを彼女に説明するのはとても難しいことのように思えた。私も恐かった。私も心配だった。・・・私も泣きたかった。それは、もっとずっと後になってから表現出来るようになるのだろう、と。私にはそれを伝える方法が分からなかったので、そこでウラキ少尉が私にしてくれたように、ターナー伍長の手を、ゆっくりと握ってみた。・・・・・・彼女は、何故か嬉しそうに微笑んだ。そこで、私も少し寮に戻って休もうと思った。
 私の寮は、司令本部の間近にあったにも関わらず、奇跡のようにほぼ無傷に近かった。いや、窓ガラスなどはほとんど割れて吹き飛んでいたが。そこで、私はベットの上だけを片付けると、本当にそんな部屋で眠りに落ちた。・・・・生き残った建物は少なく、この寮も共有施設の部分は全て非常用の避難場所に割り当てられているらしかったが、そんなざわめきが階下のロビーなどから聞こえて来ていたが、ともかく私は眠った。食料の配給も、なにも受けずに。
 私が目を覚ましたのは、午後の四時くらいであったように思う。基地内にアナウンスが途切れ途切れに流れ、それは、アルビオンが抜錨することを告げていた。・・・・・1800時に抜錨。・・・・・後二時間ほどだ。それを聞いて、私は何故か起き出した。・・・・見に行こう。どうやら、小隊長になってしまったらしい私だが、実際なにをすればよいのやら分からない。そうしておそらくに、その全ての要因はあの艦であったのだと。あの、昨日入港した艦が、何かとんでもない騒ぎを、この基地にもたらしたのだと。その船出を見に行くことは、結構意味があることに私には思えた。
 ドックに辿り着いたのは、四時半頃だった。・・・・ドックを囲う金網はどこも無惨にちぎれていたので、簡単にアルビオンの近くにたどり着けた・・・・・と、凄まじい振動と共に、二機のモビルスーツがアルビオンに向かって近付いて来たので私は驚いた。一機はジムカスタムで・・・・もう一機は、今朝方見たガンダムだった。ウラキ少尉が乗っていたガンダムだ。
 私と同じように、アルビオンを見に来ていた泥だらけの基地の兵達も、驚いて少し下がる。群衆は、遠巻きに、そして物珍しそうにアルビオンとガンダムを眺めていたが、ふと誰かがジムカスタムは補充されたものだ、などと物知り顔で言っている声が耳に入って来た。見ると、確かに他のドックにミデア輸送機が係留されている。では、私が眠りこけている間に、基地にはある程度の物資が届いたのだ。・・・・しかし、何故今頃その補給されたモビルスーツと、それからガンダムが出歩かなければならなかったのか、私には分からなかった。
 二機のモビルスーツがモビルスーツデッキから中に入ると、さっさとその入り口のハッチが閉じられる・・・・と、タラップだけが開いて、そこから一台のジープが走り出してきた。続いて、もう一台。・・・・初めのジープには、ウラキ少尉と、キース少尉・・・それから、朝見かけた大尉が乗っていた。・・・・元気な人だな!私は妙にそんなことを思った。失礼な表現だったのかもしれないが。その大尉は、頭に包帯を巻いて、松葉づえを片手にだがジ−プに乗っていたからだ。と、アルビオンから一度離れかけて、ちょうど一群の見学者・・・要するに私達、基地スタッフなのだが・・・・の間近、十メートルほどのところまで来て、そのジープは後ろから追って来たもう一台のジープに止められる。なんだ、なんだ、と思わず私達は面白そうにそれを眺めた。
 後から走り出して来たジープには、銃を吊るした水兵が乗っていた。・・・だから、間違い無くこれはアルビオンの警備兵か何かなのだろう。その警備兵とおぼしき人物が、ウラキ少尉達に声をかけて、ウラキ少尉だけがジープから降ろされた。・・・・なんだ?と私達は更に息を飲んでその光景を見つめ続けた。・・・・・・と、驚いたことに、ウラキ少尉の両手に、手錠をかけたのであった。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・ですので。」
「・・・・はい。」
 何を話しているのかその声は、風に乗ってわずかしか聞こえて来なかったので内容は全く分からなかったが、ともかく怪我をした大尉が何かを叫んで、キース少尉とその大尉のジープは出て来たアルビオンに引き返す。・・・・ウラキ少尉ももう一台のジープの方に乗せられて、そしてやはりまたあの艦に戻るように思われた・・・・・・と、そうしようとして、ジープに乗りかけて彼は・・・・ウラキ少尉は群衆の中にいる私に気付いた。
「・・・・・・・・・・伍長、」
 そう少尉が呟いたのは口の動きで分かった。それから、声が聞こえたような気も。ともかく、私の方は目が離せずにずっと少尉を見つめ続けていた。と、ウラキ少尉がジープに乗りかけで動かなくなってしまったので、アルビオンの水兵がその背中を少し押す。すると、何を思ったのかウラキ少尉は手錠をかけられたままの手で、私の方を指差して何かを言った。水兵は、少し黙って聞いていたが、やがて頷いた。
「・・・・・・・ウェーバー伍長!」
 十メートルほど離れたまま、ウラキ少尉が大声でそう私の名前を叫ぶのが聞こえて来た。
「・・・・・・・はあ。・・・・はい?」
 私はどうしたらいいのか分からずに、小さな声でそう返事をした。回りの基地スタッフも、面白そうに私を・・・・私と、それからウラキ少尉を見ている。仕事のあるものは手を動かしながら、仕事の無いものはただ、野次馬根性丸出しで。そのまま、ウラキ少尉が何かを叫び続けそうになったので、近くにいた水兵の方が慌てて少尉の背中を押した。「・・・・聞いている方が恥ずかしいから近くでやってこい!」などと言っているのが聞こえた。
 少尉が私のところまで小走りに駆けてきた。そして、目の前に立つとこう言った。
「・・・・・ウエーバー伍長。・・・・あの、」
「はい?」
 私は答えた。少尉は、いつもと同じように私の目をまっすぐに見つめていた。すると、少し嬉しそうに少尉は私の手に触れた。
「・・・・良かった、生きてて。あの、お別れです。」
「・・・・そうなんですか。」
 私ときたら、その言葉の意味が良く分からずに、随分まぬけな返事ばかりをしていたように思う。
「ええ、あの艦に乗るんです。・・・・・・やらなければならないことが出来たんです。」
 そう言った少尉の目が、初めて会った時、あのフェンス越しに何かに向けて怒っていた、あの時と全く同じ光を帯びているのに気付いて、私はもうただ頷いた。・・・・そうか、やらなければならない事が出来たのか。少尉には。
「それで、最後に伍長・・・・・僕はあなたに聞きたいことが一つあって・・・・・・・」
 何故かそこで、ウラキ少尉は少し恥ずかしそうに言葉を濁した。それから、思いきったように顔を上げると、また私にキスをする。・・・・・・・・これが、三度目だった。その行動におおーっ、と面白そうな歓声がまわりから上がる。私はといったら、どうしたらいいのか分からずにただ突っ立っていた。
「・・・・・・ステフ・ウェーバー。いや、ステファニー・ウェーバー。・・・どうしてみんなは、『ステファン』なんてあなたを呼んで・・・・・・・男扱いするんだろう?・・・・・・・・・・・女性なのに。」
























 ・・・・・・・・これで本当に最後である。彼は私に質問したのに、その答えを聞かないまま立ち去った。・・・・・・ウラキ少尉が乗っていったあの白い艦が、それからどうなったか私は知らない。私はその後も、崩壊したトリントン基地で瓦礫を片付けながら働き続け、数年後には自分に似合いの同じ通信兵と結婚した。基地の外に家を借りて、結婚後しばらくも働き、そうして子供が出来たので軍を辞めた。一度も宇宙には出なかった。宇宙どころか、主人の勤務先もオーストラリア内の基地を転々としただけだったので、実質この大陸から出なかった。そこで子供を育て、年をとった。
「・・・・・・・・おばあちゃん?」
 見ると、心配そうに孫が私を覗き込んでいる。小さなテレビを彼から奪い取る勢いで眺め続け、そうして微動だにしなくなってしまった私を、四歳の彼はひどく心配に思ったらしい。そこでやっと私は我に返って、テレビの音声ボタンを押してみた。
『・・・・・・・府により、これまで報道規制がなされていましたが、未確認の情報によると、フロンティアサイド方面で謎のモビルスーツ部隊が展開、連邦軍がその阻止の為の実戦行動を開始したとの情報です。くり返します・・・・・』
 フロンティアサイド方面、とはどのあたりだ。私にはまったく分からなかった・・・・・昔の地名でいうと、サイド4あたりだっただろうか?
「・・・・・おばあちゃん、どうしたの。これ、がんだむじゃないの。」
「・・・・・ガンダムだと思うけどね。・・・・多分ね。」
 私は孫を引き寄せると、何度も何度も繰り替えし流される、そのガンダムや、他のモビルスーツと思われる部隊、それからフロンティアサイドのコロニーの外観、などを見た。テレビは話し続けた。
『報道規制により、これまでお伝え出来ませんでしたが、フロンティアサイド方面で戦闘が行われている模様です。モビルスーツ部隊は「クロスボーン・バンガード」と名乗っており、占拠したフロンティアIVにて本日、なんらかの意志表明をするものと思われ、連邦軍側は本格的にこれを連邦に対する反抗運動と認め、制圧軍を派遣する方針が本日の連邦総評議会で可決される見通しです。・・・・・・さて、連邦軍の大規模な軍事行動となると、U.C.100年にジオン共和国の自治権放棄をもって、戦乱の放棄を宣言して以来、23年ぶりとなるわけなんですが、これについて専門家の方々はどう思われるか・・・・・・・』
 そこで、テレビの画面はスタジオに切り替わった。これからありがちな軍事評論家などがしゃしゃりでて、ありがちな情情報分析などが行われ、現場から遠く離れたここ、地球で、言いたい放題を言うテレビ番組はそれでも流され続けるのだろう。・・・・・私は、思わずテレビの電源そのものを切った。あー、と孫は残念そうな声を上げ、そうして両手で私からテレビを受け取った。
「・・・・・・・良く、ガンダムだって分かったね。」
 私がそう言って孫の顔を覗き込むと、彼は嬉しそうにこう言った。
「おばあちゃんのへやに、あったのとおなじー。」
 ・・・・そうだ。自分でも忘れていた。私は一枚、ガンダムの写真を持っていた。・・・・・ウラキ少尉の写真、ではない。あの日、トリントン基地に確かに立っていた、ガンダムの画像を、後に見つけてプリントアウトしたものを持っていたのだ。・・・・・それが、もはや私がウラキ少尉と知り合いであったことを示す、唯一の証拠だった。しかし、自分でも忘れていた。その色褪せた写真は、今もベットの脇に飾ってあるはずだ。
「・・・・・・おばあちゃん?」
 私があまりに妙な反応ばかりしているからだろう。孫は、急に庭の中央に座り込んだままの私の頬に、手のひらを向けて来た。
「・・・・・おばあちゃん?どこかいたいの?・・・・・・・・なんでなくの?」
 ・・・・・・・・・私は泣いていたらしい。いや、私はどこも痛くはなかったのだ。ただ、どちらかと言うと私は怒っていた。・・・・何も変わらないじゃないか。あれから何度も、戦争がまた起こり、それを私は主人の勤務先が変わる度に、オーストラリアの何処かで見ていた。地上から、空を見上げ続けて来た。この、南半球から。・・・・・でも、変わらないじゃないか。人間は何も何も変わらないじゃないか!戦争が起こり、その度に地球には何かが降ってきて、その度にガンダムという名のモビルスーツが現れた・・・・・でもそれだけじゃないか!・・・・・・人間は何も変わらないじゃないか、歴史はただ、ただくり返しているだけで!!!
「・・・・・・・っ、」
 私の頬に触れた孫の手は、四十年前のあの日・・・・・私の頬に触れたウラキ少尉の、あの手と同じように暖かい手だった。そこで私は思った。
「これは・・・・・今泣きたいんじゃなくて・・・・それはもう遠い昔に、泣くことが出来なかったので、その分の涙で、」
 ふうん、というような顔をして孫は私を見つめる。そんな孫を私は腕に抱き上げるともう片方の手でテレビと、それからウィリアム・ブレイクの詩集を持って、午後の陽射しの中を部屋の中へ戻ることにした。・・・・・長くながく。私と言う人間は、涙を流すのに長く長く時間がかかるような人間であったので。・・・そうか、やっと分かった。初恋だったのだ。だから、私は今もこうして、暖かい涙を流すことが出来る。・・・・・ウラキ少尉のおかげで。









 彼の乗っていった白い艦と、ウラキ少尉自身がどうなったのか私は知らない。・・・・・・ただ。









 ・・・・・・・私は今も、



















 南半球に住んでいる。
























南半球、おわり。









2002.04.12、15.




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