かなり奇妙な内容の放送が食堂内に、いや、正確には学内中に流れ、コウとキースは思わず固まって聞き耳をそばだてたのだが、大多数の学生達は気にもならなかったらしく、昼食時の喧噪がそれなりに続いている。
『・・・・・います。繰り返します。本日、イチゴーフタマルより演習地A-2、南門脇に於いて「カンオーカイ」を行います。意味の分かる方は是非御参加ください。繰り返します。本日、イチゴーフタマルより演習地A-2、南門脇に於いて・・・・』
・・・・・・・・・・意味の分かる方は?・・・・・・・カンオーカイ?何語だ?それは。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
コウもキースも共に定食の載ったトレーを持ったまま、しばらくじっとしていたのだが、やがてその謎の放送は終わってしまい、そうなるとなんで自分達はぼうっとつっ立っているのだろう、という気分になってくる。
時は、0082、四月末。
「・・・・・・・・今の聞いたか?」
「・・・・聞いたけど、んー・・・・『カンオーカイ』・・・・・んんー・・・???」
ここは旧ヨーロッパ地区、かつてオランダと呼ばれる国にあった、地球連邦軍ナイメーヘン士官学校。
「・・・・・・あっ。あっ、まてよ、キース!!僕、分かったかも!!」
「おう、何が?」
空いているテーブルを見つけて二人で座り、さあ昼食を食べようと思った瞬間にコウがそう叫んだので、キースはマジかよ、と思った。・・・・だって、本当に意味不明だったぜ、今の放送は。暗号みたいだった。案外、本当に暗号かもしれない。ここは、軍人を育てる施設だ。講師だって軍のお偉方だし、俺達は士官候補生だ。なのに、さっきの放送の意味が分かったって?そりゃすげぇ。・・・・テーブルの向いに座ったコウ見ると、ちょうどポケットからペンを取り出し、食堂に備え付けの紙ナフキンに謎の三文字を書き付けているところだった。
観 桜 会
コウが、目の前に広げて見せた紙ナフキンには『漢字』で三文字、そう書いてあった。・・・・もちろんキースには、その文字は読めない。
「・・・・・なんて書いてあるんだ?」
「『カンオーカイ』。・・・・・・これのことじゃないかなぁ。だって、演習地A-2、南門脇だろ?・・・・あったよ、確かに。・・・・・これは漢字、って文字だよ。・・・僕のおばあちゃんの国の言葉だ。」
コウは何故か、少し嬉しそうにそう言った。キースはフォークを握ってしばらく考えていたが・・・やがてこう言った。
「・・・・・で、お前そのカンオーカイとやらに・・・・行きたいのか?」
「あぁ、うーん・・・・!行きたいか、って言われたら行きたいよな、そりゃ。みんな行きたいと思うぜ。この時期になったら。」
意味不明この上ない台詞である。・・・・キースはそう思ったが、まあそれじゃ面白そうだし、俺も行くかな、くらいに考えた。
「・・・・今日、午後、授業無いよな。イチゴーフタマルとかから。」
「うん、無いな。実習も無いな。・・・・行くか。観桜会。」
「カンオーカイね。」
「そう、観桜会・・・・・って、あぁあああ!ダンゴがない!!ダンゴが!!・・・・まあいいか!」
・・・・ダンゴってなんだ。キースは更にそう思ったのだが、コウは何かを理解しているらしい。じゃあまあ、いいか。行くか。
・・・・そんな気分で結局コウと一緒に『カンオーカイ』とやらの会場・・・・つまり、演習地A-2の南門に向かったキースは、一瞬にして自分がどんなに場違いであるのかを悟った。
「・・・・・・・やあ、名前と所属を。」
どうやら主催、すなわち昼食時に謎の暗号めいた放送を流したらしい人物に迎えられながら、キースは非常に気まずい気分になってくる。・・・・・・・・・・・・なんていうか。
一種類の人種しかここにはいない。
あれだけ謎めいた放送であったにも関わらず、『分かる』人間には『分かった』らしい。・・・つまり平たく言うと、この場には、『カンオーカイ』らしいこの場には、キース以外の欧州系の人種が居なかった。見渡す限りの十余人。・・・・それが、全てコウと同じ、アジア系の人種ばかりだ。しかも非常に機嫌良く、酒の瓶(あとでキースはその名称を知ったのだが、『イッショウビン』などと言うらしい)を抱えて寄り集まっている。
「モビルスーツ試験大隊所属、高等士官養成科、二回生の・・・・コウ・ウラキです!」
コウにとっては十分に想像し得た状況らしく、明るくそう言うと、嬉しそうに上を見上げている。・・・仕方が無いので、キースも同じ所属を伝えた。
「同じく、チャック・キースです・・・・・・・・・・・・お邪魔します。」
・・・・・・お邪魔します。・・・・・非常にそんな気分になった。
見渡せば、同じような黒髪に黒い瞳の人物ばかりが、まだどこからかこの場に寄り集まって来て、人数はどんどん増えている。・・・・地球が、地球連邦という一つの共同体になってから、もうどれだけ経つんだ?思わずそんなことを考えた。それから、普段気にもとめていなかったのだが、これだけのアジア系の人種が、確かにこの士官学校にも居たのだと認識した。そうして彼等は、三々五々、持ち寄った手みやげを手に、上を見上げている。手みやげとは、酒やら、食べ物だ。コウが食堂で叫んでいたダンゴ・・・・というのも、こういう事態で食べるものであるらしかった。ともかく、『上』を。・・・・空ではない。・・・・樹を、みているのだ。
演習地A-2、南門近くには確かに、桜の並木があった。
金網の向こうに延々と続くその樹を、誰も彼もが非常に幸せそうな顔をして眺めている。キースは、コウの祖父母あたりの出身地に、そのような習慣があることを初めて知った。『カンオーカイ』とはその樹を『眺める会』なのだと理解した。・・・・ともかく、コウは非常に幸せそうに、そのサクラ、とやらを眺めている。
「・・・・・キース!・・・・綺麗だろう、これが、『サクラ』だ。・・・・英語だとチェリーブロッサム?・・・・・有り難みがないな、この表現だと!」
これが桜だ。・・・・・そう誇らし気に言ったコウの顔が忘れられない。宗教でも神でも、なんでも無かった。彼が誇ったのは、ただ、花だった。・・・・だが実際、それを見る為に、たったあれだけの謎めいた放送で、これだけの偏った人種が、この場所に集っている。その現実を顧みて、とんでもねぇな、とキースは思った。それだけ重要なものなのだ、この人々にとって、桜は!・・・・とんでもねぇ。とんでもねぇことだし、とんでもねぇ人種だ、『カンオーカイ』とやらを開くの連中というのは。・・・キースは思った、そして俺は、たまたま親友のコウがそういう人種だった為に、今回のことに巻き込まれてしまったごく稀な人物だ。そうに違い無い。
「イッショウビン」とやらを持って来た人物が、酒をこれまた持参の紙コップに振り分けて皆の手に配分してからこう言った。手を高く掲げていた。
「・・・・・・今年の桜に。・・・・・乾杯!」
『コトシノサクラニ。・・・・・カンパイ!!』
黒い髪で黒い目のこの場に集った皆が叫ぶ。・・・・同意する。・・・・・キースはもう呆れ果てて聞いていた、今年のサクラに・・・・・だってさ!!
「えーっと・・・なんだっけ、『カンパイ』?」
「・・・・喜びの合図だ。・・・・綺麗だ、今年も。綺麗にこの樹は咲いてくれたんだ。・・・・嬉しい。」
戸惑いながら聞くキースに、コウはそんな返事を返した。・・・・・ああ、そうなのか。そういうもんなのかよ。・・・・・・・そういうもんなのかよ、『サクラ』とやらの喜びって。
・・・・満開に耐え切れないように、その花びらが散ってゆく。樹は咲き誇っている。葉も出さないままに、花だけが咲き誇る、それは不思議な樹だ。・・・・俺が生まれた場所にも、そしてその場所にかつてあった国にも、もちろん国の花・・・・国花、というのはあったはずだ。・・・・だがしかし、なんてことだろう。俺はそれが思い出せないし、誇ろうとも思わない。・・・・だけどコウの生まれた国の、いや、今はもちろんそんな国はないのだが、ただ、地球連邦というひとつの共同体があるだけなのだが、かつてその国の民族だった人々は集うのだ。・・・・この花の為に。花を愛でるのだ。花を想うのだ。・・・・花を誇るのだ。・・・・ああ、なんて、
くだらない。理解出来ない。どうしてそんなにまでこの花が好きなんだ。キースは酒を飲んで花を見上げる、上機嫌の集団を見ながらそう思った。思ったが、口には出さなかった。・・・・・そうだな、くだらない。
・・・・・儚くもくだらない。
・・・・・だが、確かに美しい、
面白い人種だ。・・・・そう思った。コウも、同じように黒い髪で、黒い目で、この場所に集っている人々も、だ。・・・・そうしてその『カンオーカイ』の宴会は日が暮れて、咲き誇る桜が夕闇で見えなくなるまで、続いたのだった。
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