預言




 通路の角を曲ったところで向こうから来た人物とはち合わせた。その日、ガトーは不思議な気分であった・・・どういう、と聞かれたら困る。ただ、今までに感じたこともないような気分に捕われて、そうして通路を歩いていたのだ。
「・・・・・おや。」
 向こうからやってきたその人物はそう言った。・・・・・ガトーはその人物を知っていた、というよりこの『茨の園』で彼を知らない人間はいないだろう。彼は『有名人』であった。
「ガトー少佐、面白い顔をしてるね。」
 彼に話し掛けられたのは初めてだった・・・・彼はガトーの部下でも、身近にいる人間でも無かったし、そもそも、何の為にこの茨の園にいるのかが多大に疑問なくらいだ。彼は珍しかった。どういうように珍しいか、というと彼は『年寄り』だったのである。
「・・・・そうか?」
 そう言ってガトーは立ち止まった。いつもならば、自分には関係の無い人物とただ通路ですれ違っただけ、で済んだのかもしれない。しかし、前述したとおりに、その日ガトーは不思議な気分だったのである。・・・こう、なんとも言えない気分の高まり。しかし、高揚感、というのも少し違うな。
「ああ、面白い顔だ・・・・いやぁ、面白いねぇ。」
 何がそんなに面白いのか知らないが、その男は歯の幾本か抜けた血色の悪い顔で、そうニヤニヤ笑っている。ガトーは、少しその男の顔を見ながら考え込んだ・・・・そう言えば、この男の名前はなんと言ったかな。皆が好きに、『じいさん』とか『おやっさん』とか呼んでいたような気がする。
「・・・・ふむ。」
 結局そう呟くと、ガトーは通路の少し先にある退避用のブースを指差した。ここは、ブリッジと居住区を繋ぐ無重力帯の通路だ。機関部や居住区ほど人通りがあるわけでは無いが、立ち話は人の邪魔になるだろう。
「・・・・・いや、本当に面白いね・・・・」
 男はガトーの指差す意味が分かったらしく、今度は声を上げてへっへ、と笑いながらガトーの後をついていった。そうして、ブースでガトーと向き合った。
 茨の園には確かに様々な人々がいる・・・が、比較的年寄りは少なかった。男の顔をいくら見ても、その変な風に皺が刻まれて変な風に歯の抜け落ちた顔からは、正確な年齢は分からない。年寄りだな、と思うばかりだ。さて、何故茨の園に年寄りが少ないのか、というと、茨の園に、というより軍にそもそも少なかったとここは言うべきであろう。そもそも、ジオン本国にはそれなりの年の軍人がいたし、初期の作戦(地球降下作戦など)には多くの玄人が関わっていたのかもしれないが、茨の園とはカラマ・ポイントでアクシズに向かわなかった公国宇宙軍の、突撃機動部隊の残存勢力が主に集まって出来た要塞である。最前線には、つまり体力がモノを言う突撃機動部隊には、戦時中から年寄りはあまりいなかった。
「で、何故私が『面白い顔をしている』と思うのだ?」
「何故と言われたってね。」
 まだニヤニヤ笑い続ける男の顔を見ながら、それでもようやっとガトーはこの男のあだなを思い出した・・・そうだ。『預言者』だ。何故『預言者』なのかは知らないが。
「いいことがあったかい、少佐。」
「ふむ・・・・・」
 そう言われて、ガトーはまた考え込んだ。そんな挙げ句の果ての茨の園に、こんな老人がいるのはやっぱり面白い。その日は、特にそう思った。そう思う、心のゆとりがあったというべきか。
「ふむ、実を言うとだな。・・・・・・・地球におりることになった、地球におりるのは初めてだ。」
「あぁ、それでね。」
 男はまた笑う。その姿を見ながらガトーはぼんやりとこう思った。・・・・そうか、この人物は来たくてこの茨の園に来たわけではないのだ。もちろん、そんな人間もいることだろう、とは思う。皆、そんなことを言い出してはキリが無いから臆面も顔に出さないが。・・・・志を抱いて、悔しさを忘れられずに茨の園を目指す人間がいるのと同じように、そんなことはどうでもいいから終戦と仮になったときにサイド3へ戻りたかった人間もまたいるはずなのだ。・・・・それをし損ねた、曖昧な立場の人間なのだろう、彼は。だからと言って別に私は彼を責めようとは思わない。
「それで、こう・・・・少佐は面白い顔をしているわけだ。」
「だから、私はそんなに面白い顔をしているか?」
 ガトーがもう一回そう聞くと、男は面白そうに目を細めて、こんなとんでもないことを言い出した。
「・・・・いいところだよ、地球は。」
 それを聞いて、さすがにガトーは驚いた。なんと。・・・・では、この男は地球に降りたことがあるのだ!
「貴公は・・・・地球に降りたことがあるのか?」
 すると、男は急に吹き出した、あぁ、貴公だって?そんな言葉を俺に言う人間には初めて会った・・・というようなことをぶつぶつ呟きながら、それでもこう答える。
「ああ、あるね。・・・・おっと、言っとくが、地球生まれでコロニーに移住させられた世代じゃない。俺は、生まれも育ちもサイド3だよ・・・・そんな年じゃ無い、ただ、」
「ただ?」
 いつの間にかガトーは、この男の話を聞いているのがだんだん楽しくなってきてしまった。機関部で油にまみれているのでもなければ、銃を持って警備をしている、そんなわけでもないこの怪し気ないわば茨の園の浮浪者のような男の話を、である。先を促すガトーに、男は汚れた軍曹の制服の襟をかきあわせながら続けた。
「まあ、なんていうんだ。・・・・新婚旅行で嫁さんと行ったことがあるのさ。あの頃は俺も羽振りが良かった。」
 この返事には面喰らった。ガトーはおそらく、しばらくぽかんとしていたのだろうと思うのだが、それから答えた。
「ほう・・・・そうか、奥方がいるとは知らなかった。」
「奥方と来たもんだ!」
 男はそのガトーの返事にまた大笑いをする。人通りの少ない通路とはいえ、時々は誰かがそんな二人の脇を通り過ぎてゆく。・・・そうして、さもとんでもないものを見た、と言いたげにギョっとした顔になるのだった。
「・・・・まあな。少佐風に言うとな。その、奥方とやらと行ったな。」
「それで、奥方は今。」
「さあな、運が良ければサイド3で生きてるだろう。」
 そこで少し沈黙。・・・ガトーは、先程も考えた『茨の園を出てゆきたい人間』という問題についてまた、考えざるを得なかった。すると、そんなガトーの思っていることを知ってか知らずか男はこう続ける。
「それでよ。少佐、地球っていうのはすごいところだ。少佐が一度も行ったことが無い、っていうんなら面白い顔になってしまっている気持ちも分かる。」
「・・・・・面白い顔はともかく、どう凄いのだ?」
「そうだな、」
 男は額をぺちり、と叩いてこう言った。
「まず、空にきりがねぇ。」
「・・・・だろうな、直径6キロではないからな。」
「それから、足が重てぇ。」
「まあな、無重力帯が無いということだろう?」
「あとは、地平線だ。」
「地平線?」
「そうだ、地面がせりあがらねぇ。・・・・・・・地面がずうっと繋がって、それで、その果てが見える。その果てから、ミラーに反射したのでは無い本物の太陽が上がる。月が沈む。・・・・海を見に行く。それに触る。するとそれは、俺なんかと同じ速度で、呼吸をしている。ザザーー・・・っと、まあこんな感じだ。」
 そこまで聞いてて、ガトーはだんだんとこの男は『預言者』どころでなく『詩人』なのではないか?という気分になって来た。実際、地球に行くことが正確に作戦として決まり、不思議な気分になっていたのは確かだがそのこと自体に意味があるとは思っても見なかった。それは作戦の一環として、でしかない。その作戦が行われるというその事実が、自分を不思議な気分にしているのだろう、と。
「・・・・よく意味が分からん。」
「ああ、あんたは分かりづらい人だ。」
 すると、男は今度は笑わずにそう答えた。見ると、随分熱心に、いつのまにやらガトーを覗き込んでいる。そうされるに至って、幾分気前が悪くなって来た。
「・・・・分かりづらい?」
「あんたの考えていることが分かりづらい、んじゃねぇ。あんた自身が、物事の意味を噛み砕いて理解するのに時間がかかる人間だ。」
「ますます分からん。」
 即答した。・・・・・なんだ、どうした?急に男は物言いが複雑になった。・・・・と、何故か小柄なその男は、相変わらず汚い軍服の襟をかきあわせながら、急に天井を見上げて唸った。
「待てよ。・・・・・待て、今俺が教えてやる。・・・・・・そうだな、あんたは今度地球におりる。・・・・・・・・・・・それで、」
 男は小さく息を吐いた。
「・・・・・・・・・・・それで?」
 その時、警備要員の交代を知らせるアラームが、茨の園全体に響き渡る。・・・ああ、私の休息時間はたった今までであったのに。ガトーは思った。デラーズ閣下との面会を終えて、その部屋を辞す時に、それだけの短い休息を自分は貰ったのだ。それを、気がついたら廊下でたまたま出会ったこの男と過ごしてしまっていた。何故こうなったのだろう。
「あんたは今度地球におりる。そうして、地球で何かに出会う。それで、」
 男は天井を見て唸るのをやめてガトーに目を戻した。
「・・・・・・・・それであんたの運命は変わる。」









「・・・・・・・なんだそれは。そんな馬鹿な話があるわけがない。地球に降りただけで、運命など変わるものか。」
 すると、面白そうに男はガトーの腕を叩いた。男は背が低かったので、本当はガトーの背中を叩きたかったのかもしれないが、それが出来なかったのだ。
「だから言っただろう。・・・・あんたは、分かりづらい人だ。運命が変わったことに気付くまでに、あんたはとても長い時間がかかる。」
「変わったからなんだ。・・・・・・・・・私は、ただ成功すればいいと思っている。」
「あぁ、いいんじゃねぇのか、それで。でも、あんたは本当は分かってる。だから、そんな面白い顔をして・・・・・」
 男は声を上げて、また笑った。そうして、通路の角で出会った時と同じくらい勝手に、頭をばりばりかきながら手をふって歩いて行ってしまった。
「・・・・・・地球におりるのが『嬉しくて』しょうがないような顔をして歩いてたんだ。・・・・じゃあな。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・『嬉しくて』?









 男が歩いて行ってしまった後に、ひとり残されたガトーはしばらく退避ブースの中で腕を組んで考え込んだ・・・・・・運命が変わる。・・・・・変わるのか?
 だがしかし、やがて考え込んでいるのも馬鹿らしいような気がして来て通路に出る。・・・・確か、次の時間に自分は、ほぼ全容が固まりつつある『星の屑作戦』の為に暗号電文をいくつか製作する仕事をしなければならないはずであった。その、デラーズ閣下の右腕としての仕事を、自分は喜んでやっている。・・・・そんな自分の運命が変わる?・・・・・・・・・何故。









 予言者、とはただ未来を予測する人のことで、預言者とは神の言葉を預かり伝える人のことである。ともかくガトーは、少し首をふって襟をただし直すと、次の仕事へと向かった。・・・・・・・・・時は、0083.9月25日。























 もうすぐ星の屑が始まる。




















2002.03.17.

(カラマ・ポイント → 0079.12.31.の地球連邦政府とジオン共和国との間に結ばれた停戦協定に納得しないジオン残存兵力が
一時的に集合した宙域の名前。その幾ばくかはアクシズへ向かい、その幾ばくかは地球圏内に留まった。)









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