思えば、挫折と呼べるような挫折を、ついぞ自分はしたことが無かったのだよなあ・・・とコウは思っていた。それはつまり、受験に失敗する、であるとか思ったような仕事に就けない、であるとか、些細なことで構わない。しかしそのどれ1つ、自分はして来なかったのだ。・・・・・軍人になりたいなと思って士官学校に入る、モビルスーツに乗りたいなと思ってテストパイロットとしての任官を希望する、それから・・・・希望通りガンダムに乗る。
 どれ1つ失敗して来なかったのだ、さてだがしかし、今自分は監獄の中にいる。それも、軍刑務所である。こうなるに至って、コウは今一つ自分の『挫折』がどれであったのか掴みきれないでいた・・・・どこかで失敗したはずだ、どこかでやってはいけない事をやってしまったはずなのである。だから自分は今刑務所に入っているのだ。しかし面白いことにその理由が自分で分からない。これはどういう事だ、とコウは思った。ずいぶんと無機質な、監獄のコンクリートの壁を見つめながら。
 ・・・・・・時は0083.11月20日。



 その刑務所というのは旧ヨーロッパ地区にあった。これは、よくよく考えてみるとなるほどな、という場所である。地球連邦軍の本部はアマゾンのジャブローにあるが、そこはこの間コロニーが落ちた時に・・・・上を下への大騒ぎになって、内部対立も表沙汰になどなって、あれから経った一週間しか経っていない今は軍犯を収容するどころの余裕は無いに違い無かった。その上の北米大陸を見てみれば、ここは実際にコロニーが落着した場所である。となると、その後始末に大わらわで、そこに存在する基地にも同じく軍犯を収容する余裕があるわけがない。嵐のような大騒ぎであろうその南北の大陸から、少し離れたこの旧ヨーロッパ地区の連邦軍基地が、どう考えても一番落ち着いていて、裁判をするにも囚人を収監するにも向いているに決まっているのだった。・・・・と、ここまで考えてコウは自分のあまりに他人事なその冷静な判断に笑った。・・・・・『囚人』は誰だ。・・・・・『囚人』は俺だ。思わず顎に手をやって笑ってしまう。
 そこでコウは、自分の鬚が適当にのびていることに気付いた。・・・・ああそうか、そんなのどうでもよくって、剃れないわけでもないけど放っておいたからな。しばらく顎をさすってから、そういやコレ、流行ったよなあ、とコウは思い出した。
 鬚をはやす、というのが確か士官学校で流行ったことがあったのだ。まだ昔、コウがこの旧ヨーロッパのナイメーヘンにある士官学校に通っていた頃、まるで戦地を脱出する激闘中の映画俳優(?)かなにかのようにそりゃあかっこいい鬚を生やした同級生がいて、そのせいでしばらく学生達の間には鬚をはやすことが流行したのだ・・・・・って、良く考えたら、学校を出てからまだ一年も経っていないじゃないか。そういえば、他にもいろいろ学校では流行ったな。ドック・タグとか。ところでその問題の鬚と言ったら、コウ自身は3日と経たず諦めたのだった、東洋人特有の体毛の薄さからくる問題なのか、ともかく自分には仮にのばしたとしてもぽしょぽしょ程度しか鬚は生えないと分かったからである。・・・・良く考えたら、これも『挫折』か?
「・・・・・・まさか、」
 そこでコウは、こんな風に拘束の身になってから何度目になるか分からない台詞をまた呟いた。・・・いや、しかもそれはコウが軍の管理官とやらに捕まってから発言した唯一の単語でもあった。・・・・『まさか』。連日連夜続く取り調べの中でコウは『まさか』の一言しか発言してこなかった。つまるところ、ほとんどの供述をせずに黙秘で通してきたのであるが、それでも裁判は進むらしい。
「・・・・・まさか。」
 もう一回コウは呟いた。そして、自分が取り調べをする文官を目の前に初めてそう言ってしまった時の事を思い出していた。・・・・・ああ、何一言も、自分は話すまいと思っていたのに。



 その時、何故コウは『まさか』と言ってしまったのかというと、それは面白いことにハムスターの話を思い出したからだった。・・・・・まだ、士官学校の学生だった時にある日のことである。突然キースが自慢げにこう言い出した。
『なあ、コウ。・・・なんでハムスターは寿命が一年半っぽっちしか無いか知ってるか?』
 コウはその理由を知らなかった。というよりハムスターの寿命がそんなにも短いものだと言うことも知らなかったのである。だから返事が出来なかった。すると、キースがおもしろ気にこう続けた。
『なんでハムスターの寿命がそんなに短いかっていうとな!・・・・・お前、ハムスターを手に乗せたこと、あるか?』
『・・・・・うん、それはある。』
 コウは考えつつもそう答えた。乗せたことがあるのは本当だった。まだとても幼い頃、近所に住んでいた小学校の同級生がハムスターを買っていた。ジャンガリアン、というシマリスみたいな模様のハムスターで、コウもとても飼いたいな、と思ったのだがアレルギー持ちの母親が室内で動物を飼うことを許してくれなかったのだ。
『じゃ、分かるだろ。・・・・ハムスターって、すごい速度で心臓が動いて無かったか?トクトクトクトクトクトク!!・・・・これくらい。』
 なんだよそれ、とコウは思う。しかし、そう言われれば確かにハムスターは凄まじい速度で心臓を動かしていた。トクトクトクトクトク。
『・・・・それが問題なんだぜ。知ってるか、コウ。ほ乳類ってのはな、どんな種類でも「一生に動かす心臓の回数」ってのがほぼ一緒なんだ。・・・・・・・それが、ハムスターみたいに凄い早さで動かしてみろよ!』
 ああ、とコウは思った。・・・・なるほど。それで、凄い早さで心臓を動かすハムスターは凄い早さで死んでしまうのか。
『ちなみに、これはハムスターより大きなモルモットだともっと遅くなる。モルモットより大きな猿だともっと遅く。猿より大きな人間だと、更に遅く、だ。・・・・だから、人間の寿命ってのはハムスターより長いんだぜ!』
 どこまでが本当の話だか分かったものではないが、なにしろコウは知ったこっちゃない話なのでそんなキースの台詞に頷くばかりである。大体、なんでキースもこんな話を急にし出したものやら。しかし、キースにはそういうところがあった、いざと言う時の度胸では無くて、知ったかぶりでも世間を乗り切る能力、みたいなものが。
 思えば自分にはその能力が無かったのかなあ、と思う。・・・・コウは、そうして何が挫折なのかも分からないままに、その日管理官に「まさか」と呟き、相手を激高させたのだった。



「・・・・・まさか、だと!!貴様、散々だんまりを決め込んだ挙げ句の台詞がそれか・・・・!」
 管理官は、つまりこれが軍の中で軍犯を取り締まる一般で言う判事にあたるのだが、そう言って本当に椅子から立ち上がった。
「もう一回言ってやるから良く聞け!!・・・・・・11月13日、午前1時19分22秒、アナベル・ガトーは戦死した!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさか。」
 怒られるのは分かっていたが、コウはもう一回それだけを言った。監察官はコウとの間にあるテーブルを思いきり叩き付けた。
「何度でも言ってやるぞ!・・・・・いいか、貴様は戦犯だ!軍事規則を違反した、犯罪者だ!多くの罪状について、私は公平に反論する機会を与えた。動機についても聞いて来た。・・・・・・それに、散々に黙秘を続けた挙げ句、貴様は『アナベル・ガトーが死んだ』という一点についてしか発言をしないというのか!・・・・それも、『まさか』という返事でだけだ!」
 コウは上の空だった。・・・・・まさか。・・・・・・・・・・・死んだ?ガトーが、死んだって?
「いいか!もう一度貴様にかかった嫌疑を総べて言うぞ!命令服務違反、機体無断使用、あからさまな自軍に対しての反抗行為・・・・」
 ・・・・・・・・・・死んだって?まさか。もう本当に、コウは目の前の人物の話を聞いていなかった。なにしろ、ハムスターの話を思い出してしまっていたからである。・・・・・まさか。ハムスターの話には続きがあった。



『なあ、じゃあさ、キース・・・・』
 コウは聞いた。知らなかったからである。
『あのさ、ハムスターより大きいモルモットの方が寿命は長いんだろ。』
『そうだけど?』
 キースが答える。・・・・・ああ、あの頃自分達はとてもとても幼かったな。たった数年前の事なのに、コウはそのやりとりを思い出しながら、まるで何十年も前のことのような気がしている自分に気付いて笑った。
『それじゃあさ。・・・・それじゃあ、人間でも、背の高かったり、大きな人間の方が、寿命は長いのか。』
 すると、まってました、と言わんばかりにキースが答える。
『それが・・・・違うんだなあ、コレが!!!いいか、聞いて驚けよ、心臓がその人生で打つ回数、っていうのは、実は種族ごとに決まってしまっているんだ。・・・・だから、人間は誰もみんな、似たかよったかなんだよ。』
 コウはうんうん、と聞いている。キースは、実に神妙な面持ちで、その続きを話した。
『それでだ。・・・・それで、実を言うと、人間のことだけで言うと、体格の大きな人間の方が寿命は短い。』
『・・・・なんで!?』
 コウは素直にそう聞いた。いや、実際疑問だったからである。だって、ハムスターの話と矛盾するじゃ無いか。すると、キースは困ったようにこう言った。
『だって・・・・だって、そう昨日のテレビで言ってたんだし。人間が、こう、普通に生きるサイズはなんていうか、俺達くらいまでなんだ。つまりな、180センチくらい。・・・・・それを超えると、身体が大きすぎてさ。』
『・・・・・大きすぎて?』
『・・・・・早死にになる。・・・・・ほらあ、テレビでやってる世界一の身長の人とかさ。毎回変わるだろ。あれ、だからじゃないかって。心臓がさ。大きな身体の隅々まで血液を送るのに無理をする。・・・・だから早死にだって。・・・・・昨日のテレビで。』



 ・・・・・・・ああ、だがしかし、そんなことを『戦争が終わった後に入った士官学校』で呑気に話せていた自分達こそが、まさに無知の絶頂の子供だったのだ!!・・・・・コウは思った。そうして、思わずもう一回「・・・・・まさか。」と呟かずにはいられなかった。それを聞いて、取り調べをしていた管理官は負け惜しみのように更にテーブルを叩いた。



『アナベル・ガトーは11月13日午前、午前1時19分22秒戦死・・・・・友軍のマゼラン級『セントローレンス』に特攻し、その誘爆によってサラミス級巡洋艦二艦、『セワード』と『キリシマ』も撃沈・・・・それ以前の、コンペイ島に向けて撃たれた GP-02Aの核も含めたこの人物の撃墜数はいくばくになるかも数知れない』などと監察官は話し続けていたが、そのどれもがコウにとってはどうでも良かった。・・・・・まさか。








 ・・・・・・・・死んだって?ガトーが死んだって?コウは思った。・・・・・・・嘘だ。だって、あんなに大きかったじゃないか。コンペイ島で自分の目の前にこつ然と現れたあの男の大きさを知っている、大きくて大きくて大きくて!・・・・・・・・追い越せなくて!!!あんなにも大きくて!!








 ・・・・・・まさか。








 その一言しか出て来なかった。嘘だ。・・・・・・・・・・・絶対に嘘だ。頭のなかをぐるぐるとハムスターと180センチをこえる人間、が回り続けた。とても不思議な組み合わせなのに、ガトーは手のひらにハムスターを乗せている・・・・・そうして、いつまでもコウの目の前にいるのだった。気がつくと、11月20日の自分の独房の中だった。・・・・・・2つほどとなりの独房から、変な歌が聞こえてくる。コウは、その歌を知っていた。それは、一年戦争の時に軍の中で流行った流行歌だということだった。一年戦争に自分は参加していない。では、何故知っているのかと言うと・・・・それは、アルビオンの独房に居れられている時その歌をヘタクソに歌うモンシア中尉の歌声を聞いたことがあったからだ。2つ向こうの独房には、気の狂った男が入っていると聞いた。・・・・・・気が狂って、そうして一年戦争から抜けだせず、民間人のくせにホラを吹聴して回る男だから困って軍が刑務所にいれたのだと。・・・・・ああ、どこまでが本当の話かな。



 ついにコウは膝を抱えた。頭を丸めて独房のベットに丸くなった。
「・・・・・・・・・・っ、」
 声は出ない。声などでない。・・・・・思えば、挫折と呼べるような挫折を、ついぞ自分はしたことが無かったのだよなあ・・・とコウは思っていた。それはつまり、受験に失敗する、であるとか思ったような仕事に就けない、であるとか、些細なことで構わない。しかしそのどれ1つ、自分はして来なかったのだ。・・・・・軍人になりたいなと思って士官学校に入る、モビルスーツに乗りたいなと思ってテストパイロットとしての任官を希望する、それから・・・・希望通りガンダムに乗る。・・・・・・・・・・そして勝てなかった。綺麗なまま、あの男は消えた。・・・・・・永遠に、届かぬままに。









 ・・・・・まさか。自分が何を失ったのか、いや、失った気に一人で勝手になっているのか、やはり分からなかった。・・・・・・・・・・・・・・が、泣けた。









 大きかったのに!あんなにもあんなにも大きかったのに!・・・・・・・・・追い越せなかったのに!!


















 それから数カ月後。コウの目の前には、なんとも言えない風景が広がっていた。
 思えば、挫折と呼べるような挫折を、ついぞ自分はしたことが無かったのだ。それはつまり、受験に失敗する、であるとか思ったような仕事に就けない、であるとか、些細なことで構わない。しかしそのどれ1つ、自分はして来なかったのだ。・・・・・軍人になりたいなと思って士官学校に入る、モビルスーツに乗りたいなと思ってテストパイロットとしての任官を希望する、それから・・・・希望通りガンダムに乗る。
 結果は、目の前に広がる黒焦げの麦畑、である。コウは、その中を歩いていった。ゆっくりゆっくりと、自分の足で。右足と、左足で。・・・・・・・・・踏み締めながら。








 どこで失敗したのだろう、と思う。その事実を理解するのに、自分はもっともっと時間がかかるのだ。たとえば、ハムスターの寿命を知らなかったように。・・・・・・あの男がこの世から消えたことを、理解出来ないように。・・・・・・遠くから地響きが聞こえて来た。・・・・懐かしい、そう懐かしいとしか言い様がないような、それはモビルスーツが生み出す振動だった。・・・・・・右足と左足で。
 







 コウは、走り出す為に一歩を踏み出した。そうだ、俺は知りながら生きてゆかなければならない、


















 この目の前に続く自分の道を歩いて。




















2002.03.24.









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