彼は清潔な顔をしていた。・・・・・とても清潔な顔をしていた。














途上にて
















 その日は所用で海の方へ出て来ていた。海の方へ、というのも不思議な表現だが私はこの町にあまり詳しく無い。自分が常日頃生活している本郷やら神田あたりよりはよほど海に近い方に出て来ていたのでそう言ったまでである。
 この東京市、という町はなるほど実際に大きく、そうして人々もたくさんいたが不思議に緑の多い町であった。もっとも、緑は多かったがその為に夏の陽射しがやわらかくなるようなことはなく、しかたなしに私は強い午後の太陽の照り返しの中を道沿にひたすら歩いていた・・・・・緑が多いとことさらに付け加えたのは私の生まれ育ったベルリン、もしくはその他欧州の大都市と比べて、という意味に於いてである。この理由については、面白いことにこの日のうちに私は知ることとなった。
 さて、ともかく私はその日、丘の上を歩いていた。海の方に出て来たと言うのに面白いことに丘の上、である。目黒の停車場を目指していた。白金台には前述したように所用で出て来た。そこに本国の友人がおり、その友人と会った帰りだったからである。彼は、私と同じようにこの国に招かれ、そうして大学で教鞭に立っている男だったが、私の勤務先は本郷で、そうして彼が主にいるのは白金台だったというそれだけの理由である。
 私は、そんな白金台の丘の上を歩きながら、非常に後悔した気分になっていた。そもそも、この国にものを教えに来ること自体がそんなに気の進むことではなかったのである。しかし、熱く要望され、結局私は来た。ものを教え、そうして学生達は皆真面目だったが、それ以上になにか心が踊るようなことも無かった。契約の期間が終われば、まっすぐにドイツへと戻ることだろう。歩きながら、私はそんなことを考えていた。医科研究所付属病院の表口で、友人が「車をよぼうか」と言ったのを断ったのは明らかに失敗だった。流れ落ちる汗を背中に感じながら私は思った、その日はとにかく暑かった。七月の末であったと思う。私が、この国で盛夏を過ごすのはそれが初めてだった。昨年の九月にこの国に来た。だから、私は知らなかったのである、この国の本当の夏が、こんなにも蒸し暑いものであることなどを。
「・・・・・先生、」
 炎天下の中を黙々と停車場を目指して歩いていた私は、声をかけられたのだが、最初それに気付かなかった。ただ、私はあまりの暑さの中で、様々に後悔していたのだ。例えば自分がスーツを着込んでいることなどを、だ。自分にそんな趣味は無かったが、東京になど残らずに、確かに回りの「外人」(この国の人々は異国の人間をまとめてこう呼ぶ、)などと一緒に伊豆にでも軽井沢にでも出かけてゆくのであった、ああそれよりなにより只今ジャケットを脱いで、そうしてシャツの袖をまくりあげればそれである程度は済む問題なのかもしれなかったが、そのような性格でも自分は無かったのである。つまり、私は常に人前できちんと服を着込んでいたいような性質の人間ではあった。
「・・・・・先生、ガトー先生じゃ無いですか?」
 私はまだ自分が声をかけられている事に気付かなかった。ちょうど、偉く勇壮な表門の、大きなお屋敷の前を通り過ぎようとしていたところだった。面白いことに、それは欧州風の建物である・・・・この国にはこの国独自の建物があるであろうに、私が教鞭に立っている本郷の大学も、先ほどまで居た病院もなにも、最近建てられた建物は全て欧州風なのも面白いことだよな、などと私はうっすら思い、猛然と駅に向かう足を少しだけ緩めた・・・・そこへ、もう一回声がかかった。
「・・・・グーテンターク、デア・ガトー!!」
 ようやく私にも自分が声をかけられているのだと分かった。それはへたくそなドイツ語だったが、意味が分からないほどでも無かった。私が振り返ると、だがしかし見慣れぬ一人の男が立って居た。
「・・・・・・誰だったか、」
 私が日本語でそう呟くとその立って居た男は嬉しそうに駆け寄って来た。
「・・・・ああ、やっぱりガト−先生だ!先生の講議を受けている浦木と言います、浦木 康・・・・」
 そこまで言って彼は急に自分の言葉が私に通じているのか心配になったようだ。そうして、考えた挙げ句にこう言った。
「アー・・・イッヒ、ハイセ、コウ・ウラキ・・・・」
 私はとりあえず訂正した。
「・・・・それは分かった。それから、デア・ガトー、という表現は間違っている。」
「ええっ、」
 彼は考え込んだようだったが、それは一瞬のことで、すぐにぱあっと明るい顔になってこう続けた。
「それより先生は、日本語も話せたんですね!自分は知らなかったので・・・・ああ、声をかけてみて良かった。」
 彼が言うことももっともだった。私はいつもドイツ語で講議をしている。前に書いた通り、私はあまりこの国にくることに乗り気ではなかった。そうであったから、講議も、その内容を分かりたければまずドイツ語を学べばいいだろう、というくらいの不親切さで行っており、日本語など講議で一言も話した記憶が無い。それでも、日々他国の言葉を耳にして、そうしてそれを覚えられないほどに私は馬鹿では無かった。
「それで・・・先生は何故今日はこんなところに。」
 彼、浦木はそう言ったがそれは私の台詞でもあった。私のことを知っているからには私の講議を受けているのだろう。しかし残念なことに私には彼に関する記憶が無かった。
「私は・・・そこの病院に。」
「・・・・ああ!帝大医科研究所付属病院?それとも公衆衛生院のほう、」
「付属病院の方だ。」
 日本人の学生というのは誰も皆同じような顔をしている。同じような顔、同じような格好だ。黒い髪で黄色い顔に着物姿だ。着物と言うのはこの国独自の服装で、直線で断った布を幾枚かつなぎ合わせて帯という別布で体に巻いたような装束だ。だから私には彼の記憶が無かったのである。しかし彼は、妙に嬉しそうに笑いながらそうですか、そうですかと二度ほど頷いた。
「自分は、この近所に住んでいるのでたまたま散歩をしていました。」
「・・・・この暑い最中にか?」
 浦木の言葉にそう答えてから、私は気付いた。
「待て、君はこんな遠くに下宿して本郷へ通っているのか。」
 今度は、私の言葉の意味が彼に分からなかったらしかった。炎天下の照り返す道路の端で、そうして広大なお屋敷の脇で彼はしばらく考え込んだので、私は立ち止まらなければ良かったと後悔した。・・・・・暑い。道路の照り返しは正午を過ぎて尚一層厳しくなり、私は立っているのもやっとのような状態だった。かぶっているソフト帽を絞ったら水たまりが出来るのでは無いかと思われた。
「・・・・ああ!分かりました、いいえ違います。」
 よほど経ってから浦木は手をポンと叩いた。それもまた意味不明な返事だった。一体どっちだ。
「自分はもちろん弥生の方に下宿を借りています。駒場じゃ無いです、弥生の方に。ただ、今は夏休みではないですか。自分の実家がこの近くなのです。それで戻って来ているのでした。」
「ああ、」
 聞けば単純なことではあったのだがそれでやっと私も合点した。・・・・・そうかなるほど、実家の近くであったのか。私にはこの国の大学生達は、みな二階の貸部屋などに住んで、そうしてパンの耳をかじっている、というイメージがあった。それで炎天下にふらふらしているこの男がどうも分からなかったのである。
「・・・・・」だがしかしそこで私達の会話は途切れた。私は、自分が目黒の停車場に向かっていたことを思い出し、この自分の教え子らしいだが記憶に無い男に分かれを告げて、暑さで倒れる前にそこへ向かうべきではないかと思った。
「・・・・・ガトー先生、先生はとても暑そうです。内で休んでいってはどうですか。」
 だがしかし浦木の言葉の方が一瞬早かった。顔を見ると彼はとても心配しているようだった。私はよほど魂の抜けたような顔をしていたというのだろうか。確かに私は炎天下向きの男では無かった。
「・・・・・いや、しかしそれは、」
「先生が寄ってくださったら父は喜ぶでしょう、本当にすぐそこですから。」
 私はどうしようかと考えた。・・・・確かに暑い、そうして例えば、今真横にあるお屋敷の大きな木の木陰でなりふり構わず少し涼んでから帰っても、この男の家にいってもあまり変わりはしないのだろうが、道ばたでみっともないことをするよりは、と遂に私は折れた。
「・・・お前の家はここなのではあるまいな?」
 私が大きなお屋敷の向こうの通りに入ってゆく着物姿の浦木の背中を追いながらそういうと、彼は面白そうに笑った。
「何を言ってるんです、ここは浅香の宮さまのお屋敷ですよ。公家さまです。・・・・面白いな、ガトー先生もそういうことを言うんですね、ええっと・・・・そうだ、ユーモア、」
「・・・・それは英語だ。」
 私がそう言うと、前を歩いてゆく浦木はまた面白そうに笑った。
「・・・・そうです、この言葉はシナプス先生に習ったのだった。」
 浦木の話によると、シナプス先生というのは本郷の大学にイギリスから教えに来ている小翁学の先生だ、ということであった。私はそういった教師に聞き覚えがなかった。・・・・しかし小翁学!なぜシェイクスピヤなのだろう、私の専門は電気である。電気の講議とシェイクスピヤの講議を一緒にとっているのか、この男は?
 私は頭を軽く振りながら、一町歩ほど浦木について歩いて行った。




 なるほど、彼の家はすなわち実家は、あの広大なお屋敷ほどではないものそのほぼ裏手に通りを一本面したところにある、これまた結構なお屋敷であった。というより、先ほど欧風の屋敷の前で覚えた感動の何倍もかを私は感じて居た。その家が大層立派な日本風の、つまりこの国独自の建築だったからである。
「・・・・・修造!僕だよ、修造いるかい!」
 浦木は白しっくいの立派な表門を抜けると最初にそう叫んだ。私は後からついていって、しかし門を抜けてすぐの松の巨木の作る日陰にほうっとしたところであった。
「・・・・・へい坊ちゃん、なんでしょう。」
 呼ばれて出て来た男はなんだか出っ歯の、それから良くは知らなかったのだが『法被』というようなものを着込んだ小男であった。その男は私を見てぎょっとした。
「ああ、修造。こちらは僕の学校のガトー先生だ。ドイツからいらっしゃっている。ついそこでお会いしたから寄っていただいた、父上に言ってくださらないか。」
 その小男は、浦木の話によると庭師で門番だということであった。・・・・私は少し驚いた、もちろんドイツにも庭師や門番がいる。しかし庭師や門番がいる家、というのはよほど家柄が良く、財産もある名家なのであった。私はこの顔も覚えていないような浦木という男が、この国でどのような階級の男なのかもちろん考えたことも無かった。だがしかし、実に珍しい場所に足を踏み込んだと言う気分にはなってきていた・・・・思えば、私は生徒達一人一人に、個性などというものを考えたことも無かった。考えたこともないままに、これまで一年ほどこの国で教壇に立っていたことに、いや、もっと正直に言おう・・・・言うなれば、この国をずいぶん見下してこれまで過ごしてきていたことに唐突に気付いたのである。
「・・・・父は会ってくださると思いますよ、ゆきましょうね先生、」
 浦木はというとそんな私の心内も知らぬままに、ただ嬉しそうに笑っているのだった。小男は「もったいないことで・・・」などと訳のわからない言葉を呟いて、ぺこぺこ頭を下げてから走って行く。私はくらり、と頭の回る思いがした。暑さで、ではない。相変わらず暑いのはひどいままだったが、不思議にこの日本風の屋敷に入ってから汗の引いてゆくのを感じて居た。
「表縁のほうだそうです。」
「表縁ね、分かった。」
 ちょろちょろとまた走って戻って来た小男の返事を聞いて、玄関先の飛び石に立ったままだった浦木が歩き出した。・・・・私はまたしても驚いた、この国では父親に会うのに大層な手間がかかるものである!
「・・・・康です、父上、ついそこで学校の先生に会って。」
「それは修造に聞いた。」
 表縁、というのは庭に面した、とても日当たりのよい縁側のことであった。縁側、という言葉はこの時覚えた。つまるところ建物の外側に作られた通路のことである。そこに浦木の父親はのっそりと立って居た。・・・・息子の報告を彼は笑うでも無しに聞いた。腕を組んで居た。それからこう言った。
「文学なんかの先生ではあるまいな、文学なんかやるやつはみんな病気になっている。」
 浦木は面白そうに父親を見て言った。
「ガトー先生は電気の先生です。僕はガトー先生が疲れているように見えたので、是非ぬれ縁で麦茶を飲んで欲しいと思いました。」
「・・・・・好きにすると良い。」
 彼の父親はそれだけ答えて、そうしてさっさと障子を閉めて部屋の中に入っていった。・・・・私は思わず挨拶もし損ねた。ずいぶんと不作法な『外人』に思われたことだろう。せめてソフト帽をとろうと頭に手をやったのだが間に合わなかった。
「・・・ああ、先生!どうかゆっくり休んでいってくださいね、夕方になってから目黒の停車場にゆけばよいんです。」
 浦木は何故かひどく喜んで、そうして方向を変えて庭の中を離れの方に向かって言った。離れが、彼の部屋だと言うことで、そこに涼しいぬれ縁が在ると言うことだった。ぬれ縁というのは屋外に面した回り廊下、といったところである。私はもう、彼のなすがままにしたがった。ここには違う空気が流れている、と思った。自分が本郷やら神田やら、で学んだこの国の空気とは別の空気が、である。ここにはうるさい市電が走っていなかった。古本屋の軒先きほどの騒々しさもなく、パンの耳をかじっていそうな首巻きを巻いた学生達もいなかった。そのかわりに、不思議な空気が流れていたのである。
 彼は実に喜ばしそうに下駄を鳴らして私を案内した・・・途中で、お充という女中に、麦茶を頼むのも忘れなかった。彼の領分だと言う離れの玄関端で、やっと彼の足は止まった。
「・・・・・先生、先生はドイツ人だから、靴を脱ぐのなんか好きじゃ無いですね。それじゃ、そのままぬれ縁に行きましょう。」
 よほどそのあたりで、私はやっと気付いた。・・・・違うのである。私が学校で見ていた生徒達と、今日であった浦木はどこか違ったのであった、圧倒的に見かけが違ったのであった、しかし何処が違うのか私にはまだ分からなかった。彼は自分のぬれ縁に私を招待して言った。
「ええと、それほど涼しくはないかもしれませんが。・・・・しかし日吉坂上から目黒まで続けて歩くよりは増しなはずです、帰りには車を呼びますから。」
 私は招かれるままに彼のぬれ縁に座った。・・・・そこには簾がかけてあって、心地の良い日陰を作っていた。それから、庭石がてんてんと見える風景と、その先の白しっくいの塀が、どれも新鮮に見えて私は本当に汗がひいた。・・・・やがて彼が頼んだ女中が、麦茶とそれから西瓜をひときれふたきれ、置いてそそくさと出ていった。・・・・ここは僕の領分だから、家の者は滅多来ません、ゆっくりしてくださいね、と彼は言った。
「・・・・・・・・・・・この町は、」
 私は麦茶を飲んだ。・・・・・・・・・暑さなどさほどかわり無い時刻しか流れていないだろうに、通りを歩いていた時とは比べ物にならないくらい私の意識ははっきりとしてきていた。
「緑が多い。・・・・この表現で通じるか。」
 するとぬれ縁の隣に座って、同じく麦茶を飲んでいた浦木はこう答えた。
「ああ、それは多分、」
 浦木のした話は、それはもう大昔、十六世紀の話であった。なんと、十六世紀に人口が百万人を超えて居た大都市は、世界にパリと、そうして江戸しか無かった、という話である。彼はその話を猫を撫でながら続けた。聞くとその猫は『チェーホフ』という名前であるらしかった。浦木の飼い猫である。その名前を聞いて、そうして彼の父親が文学なんかの心配をしていたのを思い出して、私は笑いそうになった。そんなことは、この国に来てから初めてのことだった。
「・・・・さて、それで、そんな大都市だったこの町に緑が多い理由ですが、」
 しかしまったく真面目な口調で浦木は続けるのだった。
「つまり元『藩屋敷』なんかが多いからです。・・・・町人の町ももちろんたくさん在るんだけど、それと同じくらい広大な庭に、緑をたたえたお屋敷も数多い。そんなお屋敷が多いおかげで、この町にはたくさんの緑が残ったのですよ・・・・・それというのも、なんでこの町が緑多いお屋敷だらけの町になったかって言いますと、『参勤交代』っていう制度があってですね、うーん・・・・・・・・・・・説明がうまく出来ないな。」
 彼が非常に熱心に、この東京市の成り立ちを説明してくれている間に、私は遂にしみじみと彼を見た。・・・・彼は、やはり教室で見た憶えのない生徒であった。というより彼に限らず、私は覚えている日本人学生など一人も居なかったのである。
「・・・・・君は、」
 私は遂に言った。・・・・・・涼しそうだ。
「君は、涼しそうだ。・・・・この蒸し暑い中で。」
 彼は分からない、という顔をして同じように私を覗き込んだ。私は、簾の陰に入ったことでありがたくソフト帽を脱いでいたのだが、そのソフト帽の陰に隠れていて今まで見えなかったであろう私の炎天下に弱い銀髪を、私の何倍もの勢いで覗き込みながら浦木は言った。
「・・・・そうですか?暑いか、と言われれば暑いです。」
 そう言って彼は視線を落とした。膝の上の猫に、である。・・・・私は遂に気付いた。
「でも確かに、ガトー先生の方が暑そうです。」
 答える浦木の首筋に、頬に、じっとり汗が浮かんでいるのは私にも分かった。・・・・しかし、彼は涼しそうだったのである。私は気付いた。これまで、こうも日本人をしみじみ眺めたことが無かったのだ、という事実に。









 彼は清潔な顔をしていた。・・・・・とても清潔な顔をしていた。










「・・・・・あぁ、」
 私は低く呟いた。・・・・どうしてそんな気になったかしれない。先程から気になっていた違和感に私はやっと気付いた。・・・・違うのである。私が学校で見ていた生徒達と、今日の浦木がどこか違う、そういう違和感の原因にである。
「お前、シャツを着ていない、」
 私はなんだかそれだけをようやっと言った。浦木は分からない、という顔をした。ああ、そうだシャツだ。
「・・・・シャツ?え、だって暑いもの・・・・」
 浦木はそう言ってまだ猫を撫でていたのだが、その猫は遂に浦木の膝を飛び出した。
「・・・・・シャツは着ません、学校じゃ無いもの。」
 私の知っている日本人学生というのは、着物に袴姿で、そうして着物の中に何故か、シャツを着込んでいるのであった。その状態から言ったら、今日の浦木はとんでもなく軽装であった。
「・・・・袴も穿いて無い。」
「え、だって・・・学校じゃ無いもの、暑い・・・・」
 そう言いながら、彼はばたばたとと胸元に手をやった。・・・・私が知っている日本人学生は、シャツを着て、何故かその上に袴を穿いた、いわゆる書生、という、いでだちをしたそれであった。それに比べるとやはり、その日の透ける絽の着物たった一枚という浦木は、とんでもなく薄着だ。それは涼しいはずだ。彼が己自身で手をやった胸元は微妙に汗が滲んでいる。着物の袖からそのまま飛び出している少し骨ばった手首もシャツを着ていないせいで良く見えた。猫のいなくなった膝の上でその手は何故か強く握りしめられている。そうして袴を穿いていない着物の裾からは下駄を履いた両足が適当に飛び出していた。それででもだ。・・・・・・・それよりなにより、だ。私はついに彼を観察しているのが飽き足らなくなった。
「せんせい・・・・?」
 問いかけられるより早く、私はそうしてみたくなって、体が勝手に動いていた。彼は清潔な顔をしていた。・・・・・とても清潔な顔をしていた。それを私は知った。その日初めて知ったのである。認識した日本人学生の最初が彼であった。
「・・・・・・・・・・っ、」
 程よく冷えた麦茶を飲んだ浦木の、軽い着物の襟首から見える咽がなった。彼は驚いたのである・・・・私が急に唇を寄せたので。
「・・・・・・・・・・せ、」
 彼はもう一回言って、そうして私をつっぱねた。当然の行動だった。しかし、私はあまりの暑さと、それからこの日本家屋の与える涼やかさとに随分頭をやられていたので、その時にはそうせざるを得なかったのである。浦木の唇は非常に冷たかった。それは麦茶でほどよく冷えていた。それに触れて、私はどこか心の一部が解けていった。
「・・・・・・・なにするんですかっ・・・・・・!」
 浦木は慌てて口元を拭った。・・・・相変わらず、清潔な顔で、清潔な身なりであった。信じられないほど薄着ではあったが。可哀想なことに浦木は半分泣きかけていた。私は放っておいた。イタリア人などであったら、口笛など吹き出す場面であっただろう。しかし私は放っておいた、私はドイツ人であったし、大変清潔な、清潔であることに気付いた彼の口元に己の唇を寄せてみたのが気紛れであることが自分でも分かっていたから。
「チェーホフ!」
 彼は可哀想に猫を呼んだ。だがしかし私はまだ放っておいた。・・・・猫は来なかった。随分たってから彼は呟いた。
「・・・・・あっつい。」




 三つ揃えを着込んだ私から見たら、随分と軽装の、それはもう危機感無きほどに軽装の彼がそう言うのは在る意味面白かった。
「・・・・で、私の講議は好きか。電気の、プラスやらマイナスの、アメリカのフランクリンの凧の実験なんかから話している、」
 彼はちょっと怒ったふうで答えた。
「僕ぁ(ぼかぁ)、色んな言葉を覚えるのが好きなんです、父は文学なんて言いますが、だから先生の講議は好きです、ケルン大学の天に届きそうな塔の話なんかが好きでした!」
 私は全く、怒ってそう答える浦木が気がついたら大好きになっていた。暑さなんか気になら無くなっていた。自分の暑さなんてのは、浦木の首筋に浮かんだ汗に比べたら大したことではないよななどと思う。しかし、それでも彼は涼やかで、どこか清潔なのだった、そんな彼をぐしゃぐしゃにしてやりたかったが、私はさすがにそれでは気が狂っていると思ってやめた。私達はよほど夕暮れがせまるまでぼそぼそと会話を続けた。
「ではまた学校で。」
 彼は本当に家に車を呼んでくれた。私はそれにのって、遠慮なく目黒の停車場まで送ってもらうことにした。
「・・・・ええ、また講議で。」
 彼はまだむくれたような顔をして、そう答えた。









 さて、その後私が浦木と会ったのか、という問題だが、それが面白いことに出会っていない。出会っていない、というより彼は私の講議に出ていたのかもしれないのだが、私は気がつかなかった。彼は首筋をひけらかした軽装の着物姿ではなく、普通にシャツを着込んで講議に出ていたから、である。・・・・・おそらくは。ともかく私は気付かなかった。彼の首筋とそこにじっとりと浮かぶ汗と、それからそれに反して涼やかな顔と、あの麦茶の味の口付けが無ければ私は到底彼を思い出しそうに無かった。そういう、心無き講議を送って私は日本と言う国を後にした。契約の二年ちょっきりで。









 その後、大戦があって、私の国と彼の国は共に負けた。思えば、私はあの国の最後の緑豊かな、誇るべき夏にそこにいたのだ、と、今となってはそう思う。そうして、シャツに袴、という重装備を解いた、軽々しい夏の幻に一瞬の恋をしたまでである。・・・しかし、彼は清潔な顔をしていた。・・・・・・とても清潔な顔をしていたのである。それは、彼の国を占領したアメリカ軍の人々は、ついぞ気付かなかったその国の真実であったかも知れなかった。私は苦しい戦後を過ごした。彼もまた、そうであっただろう。・・・信じられないことに、よほど経ってから、どうやって知ったのであろう、相変わらずミュンヘン大学の教授などをやっていた私の元に彼、浦木康から一通の手紙が届いた。手紙と言うより、それは一冊の日記であった。









 それには、余分な手紙など一つもなく、彼が講議を受けていた電気の先生であるドイツ人講師に、わずかばかりなる恋心を抱いて、しかしそれが世の常なるものと違う為、諦めた経緯などが綴られていた。・・・・ああ、だがしかし。




 あの暑い夏の日、私も確かにあの涼やかな顔をした、清潔な日本人に何か特別な感情を抱いたのは確かである。それは、帝大医科研究所付属病院から、目黒の停車場に向かう、そういう途上の物語であった。・・・・そういうものなのである。幾年もたって、今私は思う。・・・・彼は元気だろうか、と。彼の飼い猫のチェーホフは、それで元気だろうか、と。私はラインの川べりでへたくそなドイツ語で書かれたその日記を読み、そうして、









 真夏の白金台を幾度も幾度もくり返し思うのである。・・・・・これが、私の日本に関する話の全てである。














白金台五丁目:現港区、東大医科研究所所在地、現国立公衆衛生院所在地
目黒の停車場:現山手線目黒駅
浅香宮邸:現東京庭園美術館
本郷:現文京区本郷、東京大学所在地
弥生:現文京区弥生、東大農学部所在地




2002.07.25.










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