サンタの住む国





「・・・・また降って来ましたよ。これで、今日も泊まりですね。」
 コーヒーのマグカップを持って窓辺に向かったカリウスが、そう自分に声をかけて来るのでガトーは顕微鏡から目を上げた。・・・本当だ。雪が降り出している。ここはサンタの住んでいる国だったから、雪が多いのは当たり前だが、それでもさすがにこう毎日だと嫌気がさしてくる。そこでガトーもこう答えた。
「またか。・・・まったく、今月は何日まともに家に帰れた?」
「俺は3日ですね。ガトーさんは?」
「7日だな。」
 ガトーは、このサンタの住む国の首都から少し郊外に離れた、丘の上にある研究所に勤めてコケの研究をしている学者だった。そしてカリウスは、同じ研究室のガトーの助手である。二人は今、自分達の研究室で通常の勤務についていたが・・・冬場になると、あまりの雪に何処が道路だか分からなくなってしまい、出勤したのはいいものの帰れなくなるのは良くある事だった。そうなると、天気が良くなった時に圧雪車が出て道路を踏み固めるまで、この研究所から出れなくなってしまう。
「今日は戻りたかったのだが・・・・」
 ガトーがそう言うと、面白そうにカリウスが笑った。
「あー・・・ガトーさんは、家に一匹面白い犬を飼ってますからねー・・・」
 と、そのカリウスの台詞にガトーが何か言い返そうとした時、急にガラっと窓が開く。そこから顔を出したのは、この研究所の設備主任をしているケリィだった。
「・・・・いよぉ、お前ら!今日も多分足止めだぜ、俺が丹精込めて雪掻きするけど多分・・・・」
「ケリィ!急に部屋の中の温度を変えるな、コケが・・・・!」
 ガトーが焦ってそう叫んだが、なにしろ外は吹雪なので、部屋の中にはあっという間に雪が吹き込んでしまう。うわはははと笑いながら、エスキモーのような格好をしたケリィは窓を閉めると、窓の向こうからガトーとカリウスに向かって変なゼスチャーをした。
「なに・・・?『酒を飲んで』・・・・?」
「・・・・『ポーカーをしよう、今晩も』・・・・と言っているな、あの男は。」
 設備主任のケリィは一年中この研究所に住んでいる。だから、別に帰れなくても気にはならない訳だった。凄まじい吹雪の中をざっくざっくと消えてゆくケリィを見ながら、ガトーとカリウスはちょっと呆れた。
「・・・・もう3日かー・・・」
 ガトーが小さく呟きながら顕微鏡の前に戻るのを見て、カリウスはまた苦笑いした。そりゃあまあ。あんなに面白い犬が家にいたら、帰りたくもなるのだろう。だがしかし同時にすこし癪にさわったので、「さあさあ、ガトーさん仕事ですよ、それであのプレパラートは?」とことさら大声で言いながら、自分も別の顕微鏡の前の椅子に座った。ガトーとカリウスの研究しているコケは、それは綺麗に光るコケなのだった。





 その電話が鳴ったのは、研究所の職員が昼食をすませて相変わらず降り止まない雪を眺めながら、食後のコーヒーを飲んでいる時だった。受付からラウンジに回されて来た電話をカリウスが取る。そして言った。
「・・・・ガトーさん。ガトーさんちの・・・・元気のイイ犬からです。」
 ガトーは慌てて電話を代わった。
「もしもし?・・・ああ、私だ。え?」
 そのガトーの後ろ姿を、またか・・・と言った感じで他の研究員がニヤニヤしながら見つめる。ガトーが、ちょっと毛色の変わった面白い犬と一緒に住んでいる事は誰もが知っていた。その、彼等みんなが犬と呼んでいるガトーの同居人は、正確には東洋人の男で、年は19だというのだが全くそうは見えない。もっと幼く見えるのだ。なんでも、ヘルシンキの大学に留学して来ている学生で、頭は悪く無いのだろうがフィンランド語は少し下手だった。それで、ある時ガトーにくっついてこの研究所に遊びに来た彼が、あまりに舌ったらずでガトーにまとわりつく子犬っぽかったので、それ以来誰からともなく『ガトーさんちの犬』と呼ぶようになってしまったのである。
「何?・・・トナカイの肉??」
 そんな同僚達の含み笑いにもめげず、ガトーは必死に電話の向こうの人物と会話を交わそうとしていた。最初、同僚達はガトーにパートナーがいたという事で随分驚いた。ガトーと言うこの第一研究室の主任研究員は、何となく人を寄せつけない雰囲気があって、恋人がいるなどとは想像も出来なかったからだ。いや、それが男だということは別に驚かなかった。北欧三国は世界の他の国々の比で無くセックスに寛容な国だからだ。とにかく最初みんなは驚き・・・それから楽しくなった。なんというか、恋人の話をしたり恋人と一緒にいる時のガトーが、いつものガトーからは想像出来ないほど「かわいらしくなってしまうから」である。
「おいっ・・・ちょっと待たんか、おい!!コウ!!」
 電話は切れたようだった。ガトーは困った表情で、ラウンジにいるみんなの方を向き直る。・・・やっぱりかわいらしい。
「・・・・どうしたんですか、ガトーさん?」
 カリウスがそう声をかけると、ガトーは困った表情のまま椅子に座り込んだ。
「いや・・・コウがな・・・・」
「?・・・具合でも悪いんですって?」
 そう口を挟んだのは、生物系の研究に合わせて工学系の応用実験もしているこの研究所の第四研究室主任のニナ・パープルトンである。コウというのが、ガトーの家の犬みたいな同居人の名前であった。そして、この前遊びに来てガトーに果敢にまとわりついている姿を披露して以来、何故かその同居人はこの研究所の女性に絶大な人気があるのである。
「いや・・・コウがだな、近所の人にトナカイの肉を貰ったらしい。それも沢山。」
「良かったじゃ無いですか。」
 カリウスはそう言う。するとガトーはこう続けた。
「それで、シチューを作ったらしいのだ。これまた沢山。」
「あら、じゃあワンちゃんは具合が悪いワケではないのね。」
 ニナもそういうと、安心して席を立ちかける。もうすぐ昼休みも終るのだ。すると、ガトーが更に困った顔でこう続けた。
「・・・・腹は減らない・・・それはいい。が、食べ切れないからみんなに食べてもらう為にそのシチューをここに持って来ると言っている。」
「まあ素敵、私達にもおすそわけしてくれるのね・・・・・・って、えええええ!この雪の中を!?」
 そのガトーの台詞に、ニナがあまりに大きな叫び声を上げたので、部屋を出かけていた他の研究員達も振り返った。ガトーはもう頭を抱え込んでしまっているので、代わりにカリウスが首をすくめながら説明する。
「いや・・・・だから、ガトーさんちの犬が、どうやら・・・・この雪の中ここまで来る気でいるらしいです。」
 すると第二研究室のシーマ・ガラハウがにやにや笑いながらこう言った。彼女は、水虫菌の研究をしている研究者だった。
「そりゃまぁ。・・・愛があるとやっぱ違うねぇ。下手すると明日の朝はみんなで山狩りをして犬を掘り出さなきゃならなくなるかもしれないよ・・・?」
 そのあんまりの台詞に、さすがにガトーが顔を上げてシーマを睨みかける。・・・が、ちょうどその時、整備主任のケリィが相変わらずエスキモーのような格好でラウンジに入って来て、雪だらけの帽子を振り回しながらこう言った。
「・・・いよお、学者さん達!・・・外は上機嫌で吹き荒れてるぜ!」
 ・・・おかげで、ガトーはもう一回頭を抱えなければならなくなった。





 午後になっても当然雪は降りやむ様子は無い。その上、このサンタの住む国は、地球の随分北の方にあるので夏場は異常に日が長いが、冬場はすぐに暗くなってしまうのだった。
「・・・・市内から、いつもならどれくらいでしたっけね。」
 カリウスが溜め息をつきながらガトーにそう声をかけると、ガトーは辛うじて返事をする。
「三十分だな。」
「もう、一時間以上経ちますねー・・・」
 何故カリウスが溜め息をついたかというと、見た目に彼の上司のガトーの様子がおかしかったからである。いや、確かに主任研究員らしく、一見仕事はしているように見える。が、実際は上の空なのが、誰の目にも明らかだった。なにしろ、シャーレを数個まとめて顕微鏡の下に突っ込もうとしている。「かわいらしい」この人は面白いが、こんなに面白くなられても。
「ええっと。・・・それで、ガトーさんちの犬は、何に乗ってここまで来る気なんですか。・・・スノーモビル?いぬぞり?」
 それでも一応カリウスはガトーに気を使って、冗談めかして言ってみたのだが、ガトーときたらこんな返事をした。
「仕事をしろ、カリウス。」
「いや、してます。」
「市内は大丈夫だと思うんだ、市内は・・・問題は、丘の下からここに来るまでだ・・・」
 そのくせ、自分はそんな事を呟いている。市内から三十分、というのは天気が良ければ、の話である。ヘルシンキ市内を大体25分、それから丘を5分ほど登ると、この研究所があるのだった。
「ガトーさんこそ仕事をしてくださいよ・・・・。」
 カリウスは思わずそう言ってしまった。すると、ガトーは思いつめたようにカリウスを見る。
「コウは、車で来る気らしいんだが・・・市内の道は大丈夫だろう?・・・・が、ここへ来るまでの坂道は・・・」
「いや、それは車じゃ無理ですね。大丈夫だったら俺達だって昨日も一昨日も帰れてますよ。落ち着いて下さい、ガトーさん。ほら、彼だって、来るのを諦めて帰ったかもしれないじゃないですか。」
 すると、ガトーは遂に立ち上がって白衣を脱ぐと、コートに着替えようとしだした。
「わー!やめて下さいよ、ガトーさんまで遭難する気ですか、ちょっとー!」
「止めるなカリウス!」
 だが、ガトーは実験用の小さなスコップを手に持って部屋を出てゆこうとする。
「・・・いよお!この雪は一体いつになったら止む気だろうなぁ!・・・・・って、お前ら何してるんだ?仕事中だろ!」
 その時また、すごい勢いで窓が開いて雪が吹き込み、ケリィが顔を覗かせた。
「わああ、コケが・・・窓を閉めろ、ケリィ!」
 その吹き込む雪で、ガトーもやっと今が仕事中で自分がコケの研究者だと言う事を思い出したらしい。そして、今度はケリィの身体を研究室の中に引っ張り込むと、慌てて窓を閉めた。





「第一研究室の様子がおかしいのだが・・・・」
 そう言いながら受付に姿を現したのは、この研究所の所長のデラーズだった。
「いや、しかし良く降るな・・・・今日はもう仕事を終わりにするか。何?それでも既に帰れそうにない?」
 こんな雪の日に研究所を訪れて来る人間は当然いない。受付とは名ばかりで、本を読んでいた受付嬢のシモンは慌てて顔をあげた。
「ええ、もう日が暮れますからね。それで、第一研究室の様子がおかしいというのは、あのぉ・・・」
 そこで、話していいものかどうかとシモンはすこし考える。しかし、デラーズがなんだ?という顔をしたので、もちろんおしゃべり好きのシモンは話したくなってしまって、べらべらと今日のお昼のラウンジの顛末(てんまつ)を話し出した。
「あの、第一研究室のガトーさんのところに、ガトーさんちのワンちゃんからお昼過ぎに電話があって・・・それで、今ここへ向かっているらしいんです。」
「・・・・ガトーの家の犬?」
 デラーズが更に分からない顔をするので、シモンは説明をする。
「ワンちゃんっていうのはほら、前に来た男の子がいたじゃないですか。その子です、ガトーさんの恋人です、いや・・・男の子って言う年でもないわね、確かヘルシンキ大学の学生だって言ってたから。それでともかく、この雪なのでガトーさんは心配で心配でたまらないらしくて・・・・」
 それを聞いてデラーズは一瞬きょとんとした顔をした・・・が、すぐに笑いだす。デラーズは本当に大声で笑うのだった。
「・・・なんと、それは面白いな、いや、所長室からは中庭を挟んで第一研究室が良く見えるのだがな・・・そうか、それでガトーは設備主任のケリィと何やらもめていたんだな・・・・・窓を開けてスコップを振り回していたぞ?」
 そして、デラーズは今日はもう仕事を終りにしよう、とシモンに言うと、さっさと自分の部屋に戻っていった。もちろんシモンは、急いで館内放送で今日の仕事は終わりだと流すことにした・・・余計な一言を付け加えるのも忘れなかったが。





「や、それじゃあ俺がな、上からこの丘を下って行って見て来てやるよ、行ける所まで。最悪の時の事を考えて、食堂のラトーラにはお湯をガンガン湧かすように言っておけ。お前の可愛い犬は凍ってるかもしれん。」
 もはや仕事どころではなくなってしまった第一研究室では、ガトーとケリィとカリウスがひそひそ相談している所だった。時刻は午後三時。午後三時だというのに、もう太陽は沈みきってしまっている。
「ケリィ、恩にきる・・・」
「感極まって泣いてる場合じゃ無いですよ、ガトーさん、ガトーさんちの犬は携帯電話は持っていないんですか??」
 カリウスがガトーの手からスコップを取り上げ、冷静にそう言った時館内放送が流れた。
『今日の仕事は、所長のはからいでこの悪天候を配慮して終了する事になりました。くり返します、今日のお仕事はもう終わりです。それで、皆様にはお願いがあります・・・』
「おお、やるな、所長。」
 ケリィがそう呟いて立ち上がろうとした時、館内放送はとんでもない事を言い出した。
『第一研究室の主任研究員アナベル・ガトーさんのおうちのワンちゃんが、どうやらここまで来る途中で行方不明になってしまっている模様です。手の空いている人は、どうか捜索に加わって下さい、くり返します、第一研究室の主任研究員、アナベル・ガトーさんのおうちのワンちゃんが・・・』
 ・・・そのあまりの放送内容を聞いて、ガトーは思わずつっぷした。カリウスがなんとも言えない顔でこういう。
「いやあ・・・大事になっちゃいましたねー・・・・」
 ともかく、カリウスとケリィとガトーの三人が急いで受付に向かうと、実に十数人もの研究員が手に手にスコップを持って、真っ暗になった建物の外へ、今まさに出てゆこうとしている所だった。





「そっちはどうだー?!」
 太陽が沈んだ後のことではあったが、有り難い事にようやく雪は止んでいた。研究所の男の職員達は、スコップと灯りを持って、じわじわヘルシンキ市内へと続く坂道を下り始めている。さんざん悩んだ挙げ句にスノーモービルを使うのはやめることにした。万が一、ガトーさんちの犬が半分雪に埋もれていたら、轢いてしまう事になるかもしれないからだ。時刻は午後四時。だいぶ気温も下がり始めていた。
「・・・・お前は探しに行ってくれないのか?」
 受付の前には一大対策本部が出来上がっていて、そこでは電話の前にもう可哀想なくらいに切羽詰まったガトーが座っている。コウが本当にこの研究所に向けて出発したかどうかも実はよく分からないのだが、家に電話をかけても出ないのは確かであった。昼過ぎの電話の直後に家を出たとすると、もう四時間近く経っている事になる。
「・・・わたしは女だよ。」
 ガトーに声をかけられた第三研究室のシーマが、ぶすっとした顔でそう答えた。
「ああ・・・そう言えばそうだった。まったく忘れていた。」
「普段の三十倍くらい失礼な男になってないかい、えぇ!?」
 すると、ガトーが非常に素直にこう答える。
「ああ・・・その通りだ、みんなに迷惑をかけてしまったな。」
 その素直な返事に、シーマはこれ以上突っかかる気力も無くしたようであった。小さく舌打ちをして、あたりを見渡してからこう言う。
「・・・まあ、みんなこのところの雪で辟易していたから、ちょうどこれくらい騒げてイイ調子なのさ。あんたの犬が無事だったら笑い話で済むんだし。」
 ちょうどその時、研究所のただの雪野原になってしまっている正門の方から、何やら叫び声が聞こえて来た。もちろん、ガトーも他の残っていた女性職員達も、一斉に建物を飛び出す。
「・・・・いよお!見つかったぜー!!!」
 そう叫びながら、背中に何かを背負ってやってくるのは、相変わらずエスキモーのようなケリィだった。ケリィは1人でこの丘を、他の人間より下の方まで下って行ってみていたのである。
「・・・・コウか!?」
 ガトーがそう叫ぶとケリィがガッツポーズをした。思わずガトーは走って行きそうになるが、カリウスに止められる。
「どうせすぐ来るんですから、ガトーさんまで凍える事はありませんよ。」
 確かにその通りだ。ガトーは結局、まだ白衣を着ただけの格好なのだった。
「生きてるのか、」
「生きてるのかおい!」
「良かったなあー!!」
 捜索に出ていた他の男性職員にもみくしゃにされながら、ケリィはなんとか正面ロビーに辿り着いた。そのまままっすぐガトーの前に歩いてゆくと、ケリィは背中に背負っているものを見せる。
「・・・・・コウ?」
 ガトーが恐る恐る声をかけると、目をつむってケリィの背中に寄り掛かったままだったその荷物が・・・・ぱっちりと黒い大きな目を開いた。





「が、とー・・・・・」
 どうやらコウは凍えてしまっているらしく、上手く言葉が話せないらしい。ただでもフィンランド語が下手なのに、いつもよりもっとおぼつかない口調になっていた。
「おい!ケリィ、コウは大丈夫なのか?」
 何故かは分からないが、ガトーはそう言ってケリィに掴みかかりかけた。コウに掴みかかっては、コウが大変かもしれないと思ったからだ。ガトーはこの同居人がかわいくてしかたなかった。いや、そうしてこの同居人のことではまったく自分もかわいらしくなってしまっていることは分かっていない。
「大丈夫も何も!まったく大丈夫だ、こいつは立てるぜ、ただ、疲れてるらしいから俺が担いで来たけどな!」
 そう言うとケリィはコウを背中から降ろす。コウは帽子をかぶってリュックを背負っていて、確かに自分の足でしっかりと立つ事が出来た。
「んー・・・ガトー・・・・」
 ロビーに立ったコウはとりあえず帽子を脱ぐ。それを、床に落とすと恐ろしい事にゴトっ、という音がした。凍ってしまっていたのだ。それから手袋も外し、ふうううっと大きく息を吸い込んだ。
「いやあ、俺はあんなスゴイものは初めて見たな・・・何とこいつは、自分の車の前だけ雪掻きしながらこの丘を登って来たらしいぜ!もう、本当に研究所のすぐ近くまで来てたんだ・・・あの、最後のカーブの向こうまでさ。・・・そんなにガトーに会いたかったか??」
 ケリィは正門の向こうの、木立の中に消えてゆく道を指差すが、もちろん日が沈んだ後なのでその向こうには何も見えない。ただ、コウはケリィの台詞にはコクコク頷いた。・・・ガトーには会いたかったらしい。
「あのだな、コウ・・・・」
 それでもコウを怒ってみようかと、ガトーが声をかけると、コウは凍傷にはなってません、と言いたげにガトーの前に両手を広げる。前に凍傷になりかけてガトーに怒られた事があったからだ。それから、ぶるるるっ・・・と本当に犬のように首を振った。
「・・・・ガトー!」
 何ごとかと思ってガトーは目の前に広げられたコウの両手を掴む。すると、コウは本当に嬉しそうにこれだけ言った。
「ガトー・・・ガトー・・・ガトー!・・・・・・・大好き!」










 ガトーさんちの犬は、フィンランド語が下手なのである。そして、氷でじゃりじゃりする身体のまま、容赦なくガトーに抱きついた。まわりにいた研究所のメンバーからは思わず盛大な拍手が起こった。こうして、ガトーさんちの犬は無事ガトーに会う事に成功した。










 ガトーはもうなんだか疲れてしまってコウにぶら下がられるままになっていたが、やがてコウの背負っているリュックがやたら重いのに気がついてこう言った。
「・・・コウ?なんだこれは。」
 すると、コウは思い出したようでガトーにしがみついたりぶらさがったりキスしたりするのをやっとやめて、座り込むとリュックの口を開く。・・・すると何故か中からは大きな鍋が出て来た。
「おや・・・!それがひょっとして、例のトナカイの肉の・・・・」
 近くで見ていた第三研究室のシーマがそう言いかけると、コウはまたもや嬉しそうに頷きながらこう言う。
「・・・シチュー!・・・・・・・ああ、今晩は、水虫のおばさん!」
 ・・・それは、恐ろしい事にこれまたカチカチに凍ってしまったトナカイの肉のシチューであった。しかし、何故コウはシーマが水虫菌の研究をしているというようなどうでもいい事ばかり覚えているのだろう。目の端でシーマが拳を握りしめて「誰が水虫のおばさんだい・・・!」と呟き出すのを確認しながら、もう、ガトーはどうしようもなくなって、コウを立ち上がらせると急いでロビーを逃げ出そうと思った。が、途中の廊下で出会った所長のデラーズがすれ違い様にこう言う。
「・・・風呂かー。ここは職場だぞー、ほどほどになー。」
「あの・・・それ・・・食べてね・・・・・・・・・・みんなで!」
 ガトーに引きずられながらもコウが後ろを振り返ってそう言うと、「もちろんよー」と一斉にシーマを除く女性職員から声が上がった。だから、ガトーさんちの犬は何故か女性職員に人気があって、少しフィンランド語が下手なのである。















 その後、ガトーとコウは『ほどほど』に風呂場で暖まり、研究所の職員は暖かいトナカイの肉のシチューにありついた。・・・ガトーが参加出来なくなったので、カリウスとケリィは二人でポーカーをやって酒を飲んだ。・・・オーロラのそれは綺麗な、サンタの住む国の夜だった。















2001.02.08.










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