午後になると、畑仕事は一時中断になる。朝、日の登る前から働き出した大人達が、何故かその時間にはいつも昼寝をするからだ。だが、コウのような子供はその時間に別に昼寝をするほど疲れてはいない。その上、畑仕事から解放されるから嬉しくなる。だから、コウがアムロに会おうかと思って、その家の前まで歩いて来ると、アムロは何故かカバンを持って家の前に立っていた。
「・・・・やあ、アムロ。」
 コウは言った。
「・・・どっか出かけるのか?・・・ちょっと休みだから、会いに来たんだけど。」
 するとアムロは重そうなカバンをよいしょ、と背負い直してこう言った。
「・・・・うん。ありがとう、でも僕もう、行かなきゃ。」










夏草に埋もれた線路は錆びた陽射しを集めて
立ち止まるかかとを知らない街に誘うよ










 へえ、どこに・・・・とは、コウは聞かなかった。ああ、行くのか、と思ったきりだ。
「・・・・ううん、じゃあ僕も行こうかな。」
 コウが歩き出したアムロにくっついて行きながらそう言うと、アムロはコウがそれまでに見た事も無いような表情で少し笑った。・・・それで、コウはやっと気付いた。アムロは、行ってしまうのである。何処か遠くに。それで、そこはコウはついてゆけない所なのであった。
 二人はあまり話もしないまま、二人の生まれ育ったその村の中を、ゆっくりと歩いていった。鍛冶屋をやっているアムロの家はそれでもこの村の中心にあり、そこから離れると、あっという間に回りには家などなくなる。ただ延々と連なる小麦畑か、その上に広がる真っ青な空か、それからところどころに残る薪用の小枝を拾う小さな森しか、この辺には風景と呼べるようなものはない。
 二人は随分だまって歩いて、小さな木の橋を渡ってしまってから、村の外れにある小さな支線の鉄道駅に辿り着いた。















夏草の線路















 コウとアムロは仲が良かった・・・少なくとも、コウはそう思っていた。この、とても田舎にある小さな村には、コウと同い年の子供はあまりたくさんはいなかったからである。何マイルも離れた学校に通うのも、学校に通えない冬場に遊ぶのもアムロと一緒だったが、よくよく考えると二人の相性はそんなに良くはなかったかもしれない。何故なら、アムロはすぐに黙り込むような子供だったし、コウはいつでも走っているような子供だったからだ。
「それで・・・・」
 鉄道駅に辿り着いて、ちいさなどうでもいいプラットホームの、これまたどうでもいいような木の椅子に腰掛けながらコウは聞いた。
「行くって何処へ?」
「街。」
 アムロの返事はとても短かった。それで、会話は終ってしまった。コウはふーん・・・と呟くと頭の後ろで腕を組んだ。・・・街か。
「街に行って・・・どうするんだろう?」
「分らないけど、行かなきゃ。」
 アムロはそう言ってカバンをもう一回背負い直した。・・・・いや、でもいくら待っても、朝に一本しかこの駅には列車は来ないのに。コウは思った。










霧の朝一番最初の貨物列車に託した
僕達の遥かな未来は走り続ける










「僕さ・・・アムロ、行くと思ってたよ。」
 コウがしばらく経ってからそう言うと、アムロはまた今まで見た事も無いような感じでちょっと笑った。今度はコウはすこしムカついた。そのアムロの表情が、自分を馬鹿にしているように思えたからである。
「いや、でも思ってたよ!・・・・ほら、去年・・・・あの、変な人が西から来てからさ。あの人が来たから、アムロはこの村にいるのが嫌になったんだろ?」
 すると、アムロは目の前の線路を見つめながらこう答えた。
「・・・・そうなのかな。」
 線路は、いつも通り二本並んで変に黒く光ったままだったし、その下の砂利石も、池に投げ込むのにいいような感じで転がっていた。・・・コウは、こんなところで明日の朝まで来ない列車を待っているより、池に行った方が楽しいのに、と思った。
「そうだと思うよ。・・・・だってアムロ、あの人とすごく仲良くなってたじゃないか。・・・ええっと、空の学者だとかいう。」
 去年の夏に、この村に変な学者が1人やってきたのだった。その人間は、とても明るい金髪をしていて、西の方の街から来て、そうして自分は空の研究をしているのだ、と言った・・・・コウにはなにがなにやらちっとも分らなかったが。村の、他の人間達もそうだった。しかし、何故かアムロだけがその若い学者と仲よくなったのである。そして、去年の夏はアムロがその学者とばかり話をしていたので、コウは少しつまらなかった。15の夏は。










何時までもこの場所で
同じ夢見てたはずなのに
君は今靴紐気にして










「・・・・・あの人は関係ないと思う。」
 また随分経ってから、アムロがそう言った。コウは、自分が大人達が昼寝をしている間だけ畑仕事を抜け出して来ていたのだと思い出したが、まあいいや、と思った。・・・・どうせ、アムロを見送る明日の朝まで、自分はこの鉄道駅にいることだろう。そうして、急にアムロの父親の事を思い出した。
「・・・・鍛冶屋どうするんだ?・・・お父さんは1人にしていいのか?」
 すると、アムロは小さく首を振った。
「・・・うん、もういい。」
「・・・・もういいんだ。」
「うん。」
 鉄道駅の回りには幾本かの木が生えていたから、そこから蝉の声だけが、急にうるさく聞こえて来た。足下を見ると、真夏の太陽がとても強い陽射しを落とすものだから、信じられないような濃い影が自分達の下に出来ている。
「・・・・で、あの人が来たからアムロは行くんだろう?」
 コウはしつこくそう言った。すると、アムロは顔を上げて急に空を見た。
「・・・・・分らないな。シャアのせいじゃないと思う。その為に行くんじゃないと思う。・・・・でも、」
「でも?」
「・・・・始まっちゃったんだよ。・・・・そのうち、コウにも分るよ。」










まくら木は季節を数えて蒼い土へと帰るよ
少しずつほどけるあの日の遠い約束










 何が始まるというのか、何が分ると言うのか、アムロの言葉はいつもの事ながらチンプンカンプンだったが、コウはとりあえず答えた。
「・・・・アムロはもう戻って来ないのか?」
「多分ね。」
 今度の返事はコウにも分かりやすかった。
「ふーん・・・・僕の事は?忘れる?」
「・・・・忘れないと思う。」
 二人は一晩、なんとなくその鉄道駅で過ごした。空に広がる満天の星とか。温度が下がって涼しくなって、木々の間を抜けてゆく風とか。そう言うものがパチパチとたてる、静かな音を聞きながら。それから、時々話をしながら。・・・・昔、もっと二人が小さくて、本当に子供だった頃の話を。
 そして、次の日の朝一番にやってきた列車に乗って、アムロは村を出て行った。・・・・16の夏だった。









ポケットに忘れてた石ころを高く投げてやろう
赤茶けたレールの向こうへ










 その次の年に、コウの村まで続いていたその小さな鉄道の支線は廃線になった。










何にも気付かずに通り過ぎてしまえそうで
何処まで歩いても
終わりのない夏の線路










 コウは、その村で次の夏もその次の夏も過ごした。学校にはもう行かない年になったので、家の仕事を手伝って過ごした。朝から晩まで畑仕事をして、昼過ぎには大人と同じように昼寝をするようになった。鉄道が廃線になっても、アムロが村からいなくなっても、誰も困ってはいないようだった。ただ、コウは時々、ひとりでその廃線になった鉄道の駅に来てみた。そして、だんだんと草に埋もれつつある線路の下の石を拾ってみたりした。
 そして、考えるのだ。アムロが言っていた「始まり」というものの意味を。・・・・アムロは「始まってしまったから」この村を出てゆくのだと言った。自分はどうなのだろう。あれから、アムロがどうなったかコウは全く知らない。手紙も来ない。ただ、アムロに何かを伝えたくなった時には、その崩れかけの鉄道の駅に来るだけだ。そこはどんなに夏の最中の日でも妙にひっそりと涼しげな空気に満ちていて、コウはなんだか好きだった。線路に触る。するとアムロまで何かが届くような気がする。馬車ででかけるのではない、遠くの遠くの街に行ってしまったアムロに。コウはいつの間にか、夏にはその駅で昼寝をするのが癖になっていた。










夏草に埋もれた線路は低く陽炎揺らして
七色にさざめく小さな風を弾くよ










 19になったその年の夏も、コウはその廃線の鉄道駅のベンチで、1人で寝っ転がって昼寝をしていた。・・・本当は、自分の家の畑からここはとても遠く離れている。だから、昼寝をするならもっと近くの木の下にすればいいのだが、コウはそうしていなかった。おかげで、いつの間にか村の中をずうっと歩いてゆくコウを指差して、他の村人達が『あいつは変わり者だ』と笑うようになっていた。かつて、アムロがみなに指差してそう言われていたように。だが、コウは一向に構わなかった。とにかく、その日も昼寝をしていた・・・すると、驚いた事にプラットホームの脇の木の方から、がさっという音がする。・・・一瞬コウはアムロが戻って来たのかと思って、飛び起きそうになった。










僕の事思う時
目を閉じて汽車を走らせて
聞こえない汽笛を聞くから










 だが、すぐにそんな事はあるはずは無いとそのまま寝転がっていることにした。・・・線路は廃線になったのである。列車も来ないようなこんな村に、どうやってアムロは帰ってくるというのだろう。いや、大体アムロは帰って来ない。そんなことは分かっている。すると、そのがさがさという物音は大きくなって、一匹の紫の蝶が飛び出したかと思うと、その後に続けてとんでもなく大きな、見た事も無い人物が飛び出して来た。・・・虫取りあみを持っている。コウは、今度こそ本当に驚いた。で、起きようと思ったのだが、向こうはベンチに寝っ転がっているコウには全く気付いていないらしい。この村の人間でないのはすぐに分かった。昔、やって来た空の学者・・・あの、アムロと仲良くなった空の学者と同じ、西の方の街の人間だろう。その人は明るい銀色の髪をしていて、じいっとふわふわ舞う蝶を見つめていた。










このまま気付かずに
通り過ぎてしまえなくて
何処まで歩いても
終わりのない夏の線路










 その人は、どうやら蝶を捕まえようと思っているらしかった・・・・しばらく狭いプラットホームの上をいったりきたりしていたが、結局蝶は夏の真っ青な空の、上の上の方に舞い上がっていってしまい、その人は舌打ちをしながら立ち止まる。そこで、初めてコウはその人に声をかけてみた。
「・・・・あの蝶がたくさんいる森なら知ってるよ。」
「!」
 驚いてその人は振り返った。・・・・本当にコウが同じプラットホームにいる事に気付かなかったらしい。そして、少し考えてからこう答えた。
「・・・そんなはずはない。あの蝶は、非常に珍しい蝶なのだ。」
 そう言われては、コウも頭に来る。そこで起き上がってこう言った。
「本当に知ってるよ。あの蝶、珍しく無いよ、この辺にはたくさんいる。」
「なんでお前のような子供にそれが分るのだ!あの蝶は珍しいのだ、私は西の街からあの蝶を探してここまで来たんだぞ!」
「僕は子供じゃ無い!」
 コウは本当に頭に来てそう叫びながら、その人の目がさっき舞っていた蝶と同じ綺麗な紫色なのに気付いてひどく感動した。でも叫んだ。










いつでも眼差しは
眩しすぎる空を越えて
どんなに離れても
遠く君に続く線路










「僕は子供じゃ無い、もう19だ!」
 すると、何故かその虫取りあみを持った人は何とも言えない変な顔をした。・・・そして、虫取りあみを持ったまま、ベンチに座るコウの前に歩いて来る。
「・・・・そうは見えない。もっと幼く見える。それは悪かった。で、あの蝶がたくさんいる所を知っていると言ったな?・・・子供・・・・じゃなかった、ええと・・・・」
「・・・・コウ。」
 コウは自分の名前を言った。その時、廃線になった線路の上を、急に激しい夏の風が吹き抜ける。・・・何故かコウは、その風に乗って、聞こえるはずのないアムロの声を聞いた気がした。
「・・・では、コウ。その森に案内してくれ、頼む。」
 この人はきっと、アムロが会った人が空の学者だったように、蝶の学者なのだろうな、とコウは思った。とにかく、ベンチから立ち上がる。・・・風に乗って聞こえて来たアムロの声は、『ほらね』と言っていた気がした。
「ええっと・・・・じゃあ、名前。」
 コウがそう言うとその人は、その時初めて思い出したと言わんばかりにこう言う。
「ああ・・・私はガトーと言う。」
 コウはくり返した。
「・・・・・・・ガトー。」




















 ・・・・・・・アムロの言うように。



















 自分も『始まってしまった』ことを、コウはまだ知らない。
























『夏草の線路』遊佐未森
2001.02.06.









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