咀嚼する獣達の闘い
つい先ほどまで大声で罵りあって喧嘩をしていたのだから、当然と言えば当然なのだが、部屋には甘い空気が『満ちていなかった』。・・・・全くと言っていいほど満ちていなかった。その代わりに、とでも言うべきなのだろうか、そこは殺気に満ちていた。それも耳が痛くなる程の、しかしどこか熱を帯びた殺気である。
「くそ・・・あんた・・・っ、いいかげんにしろ!」
そう言ってコウは覆いかぶさるガトーを押しのけようとしたのが、そう簡単に押し退けられるような相手ではない。・・・ちくしょう、食われる!と思った。毎回、毎回、そう思う。ここで怯えてはダメだ、その瞬間に負けると、そう思うのだがやはり恐いものは恐い。
「貴様、さっきもそう言っただろう・・・・だから『いい加減にしている』。」
「そういう意味じゃないだろ!!」
蹴り上げた足はガトーの腹に決まったが、まったく効いていないようだった。・・・おかしい、喧嘩をしていたはずだった。でも今の俺達を誰かが見たら、壁際で激しくキスしているように見えるんじゃあないのか。おかしい。ガトーのクセに、唇が柔らかいなんてのもおかしい。とりあえず、何かをしていなかったら頭からバリバリ食われるような気がしたので、自分も必死に相手の唇を貪ることにした・・・・・だって、なんで俺が大人しく食われてやらなければならないんだ!いつもいつもこうなるんだ!!??
「・・・・は、」
コウの口から女のように高くはない、それでも鼻にこもった息が漏れ聞こえてガトーは思わず笑ってしまった。シャツのなかに差し入れて触れている肌も、きめが細かくて滑らかではあるのだが、柔らかくはない。どちらかと言ったらがっしりしている。そうだ、これは確かに女ではないのだが、それでもガトーはその声やら、熱やらを追いたててみたいと思った。言い争った後には必ずそう思う。低くこもったような男の声が二つ絡みあって、切羽詰まったようにぶつかりあって、部屋の中の空気に溶けていった。部屋の温度上がってるだろ、そうなんだろ、だからだろ、と身体の密着度を深めながらコウは思う。めまいがしてたまらない。熱い。強く抱かれると同じだけの力でそれ押し返す。また自分から抱き直す。自分も男だからだ。そうせずにはいられない。何度も相手を噛みちぎって、それでもまだ相手が倒れなくて、自分が血まみれになってゆくような錯角を覚えた。
「・・・・・っく、」
ガトーよりもわずか早くに、何かを吐き出しそうになった瞬間、コウはずっと堅く瞑ったままだった目を思わず開いた。すると、目の前にガトーの瞳が見えた。・・・・・燃えるような光を宿した、獣のようなガトーの瞳だった。一瞬身がすくんだ。壁際に崩れそうになった。・・・・が、すぐに負けるものかとコウも睨みかえした。・・・・ああ、これは喧嘩の続きだ。二人共がそう思った。すぐに大きな波が来て、二人の全身を震えるような快感が走った。思わず呻いた。
「・・・・で、なんで喧嘩してたんだっけ。」
荒い息がようやく治まったところでコウがポツリとそう呟いた。
「・・・・進路だ。・・・・し ん ろ。」
「・・・そんな言い方しなくても聞こえてます、先生。」
彼の教官はあっという間に喧嘩を始める前のきちんとした身支度に戻った。そんな中、自分一人がセックスが終わった後の、けだるさと白々しさを噛みしめているのもやはりどこか負けるような気がして、だるい身体を気力で持ち上げて服を直すと、元のように椅子に腰掛けた。ガトーは見れば眼鏡をかけて、さっさと髪の毛までまとめている。まったく腹の立つ話だ。
「で、貴様の進路の希望は。」
「・・・・・・宇宙軍。」
そうか、思い出した。さっきはここで、『あんたに答える義理は無い。』とか言ってしまって、売り言葉に買い言葉で、喧嘩が始まったんだった。・・・ああ、馬鹿をしたなあ、こんなに身体が痛くなるなら素直に答えれば良かった。何度も同じ目にあっているのに、なんで覚えないんだろう、俺。
「無理だろう。」
成績表をちらりと見ただけで、ガトーの返事は凄まじく短かった。
「どのへんが。」
「全般に。・・・・宇宙軍はエリート中のエリートだぞ。筆記も実技も全部足りない、受けるだけ無駄だな。」
「でもあんたは宇宙軍なんだろうが!」
思わずコウは叫んで立ち上がっていた。
「席につけ、ウラキ。・・・事実を言ったまでだ。」
・・・・・・さすがに腹が立って、コウはしばらく何も言わないでおいた。ガトーはと言えば、やる気があるのかないのか、相変わらず成績表を眺めるようなフリをしていたが、コウの次の台詞を待っているのは確かだった。
「・・・・あんたは宇宙軍なんだろうが。」
「そうだが。」
「・・・・それで、特別講師、とかいうのがもうちょっとで終わって、つまり三ヶ月経ったら・・・」
「経ったら?」
「・・・・・宇宙に帰るんだろう。」
ガトーは思わず吹き出しそうになった。
「まあ、そりゃあ帰るに決まっている。特別講師、だかなんだかしらないが、地上で『先生』とやらをやらされるのはもうゴメンだからな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ついにコウは一言も話さなくなった。・・・・・・どうするかな。ガトーは頬杖をついて、眼鏡の奥で脇を見るふりをしながら考えた。・・・・喧嘩を売り過ぎたかな。・・・・泣くかな。・・・・あまりに面白かったものだからな、そうだな、「先生」でも「あんた」でもなく・・・・、
「・・・・・ガトー。」
そうだ、名前を。そう思った瞬間にまさにコウがそう言った、・・・・そうやって私の名前を呼んだなら、
「・・・・・待ってろよ、絶対そこまで辿り着いてやるからな、首洗って待ってろよ!・・・三ヶ月で終わりになんかさせないからな!」
少しは考えるのに。しかし、コウは親を殺された子供の狼かなにかのような凄まじい目つきでガトーを睨み、それだけ捨て台詞のように叩き付けると、あっという間に部屋を飛び出して行ってしまう。・・・・・あとに残ったガトーは思った。・・・・ちょっとまて。少しは私の話も聞いていけ。口説き文句はこれからだったのに。少し頭を振って・・・それから、まあいいか、と思った。
「そりゃ、終わりにはならないだろう。なにしろ・・・・・」
呟きながら、部屋のドアを開く。次の、もちろん喧嘩などしないで済みそうな生徒が、もう廊下で待っていた。
「・・・・・決着が着いていない。」
それはそれは楽しい、戦いの日々になりそうだと、ガトーは心から思う。細く微笑んだその瞳は、とても綺麗な、獣のような目だった。
2003.12.29.
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