「・・・キース、来たぞー。」
「来なくていいでーす。」
 ドアを開いてその店に入ると、振り返りもしないキースからそんな声が返って来た。黄色いエプロンの、彼は写真屋である。写真屋と言ってもあれだ、どの町にもあるような、30分同時プリント屋。何故、黄色いエプロンかというと、ここがコダック系列の同時プリント屋だったからだ。
「即答するなよ、冷たいなぁ・・・・・」
 俺はそう言いながら、とりあえずカウンターの前にある小さな椅子に腰掛けた。そうして、仕事道具がひと組入っているナップザックを床に置く。ナップザックと言っても、カメラを入れる用のものだから、頑丈に作られていて、重さは相当のものだ。
「商売にならないんだよ、お前の仕事はさぁ・・・・あ、山から降りて来たばっかだろ。」
「あっれぇー、なんで分かった?」
 ぶつくさ言いながらもよほどヒマらしく、暖かいコーヒーを入れてくれるキースはいいヤツだ。彼とは、ジュニアハイスクール時代からの腐れ縁である。しかし、撮影用のテントは駐車場の車の中に置いてきた、それなのにどうして山から直行したって分かったかな?
「お前、頭が葉っぱだらけだぞ?」
「え、うそっ。・・・・・うわー、ホントだー!」
 確かに俺は、前の晩から近くの山に隠っていた。慌ててぶんぶんと頭を降る。茶色い枯れ葉が、幾つか俺の頭から店内の床に散って、キースが嫌そうな顔をした。このあたりはアメリカの中でも、いい感じに田舎だから大都市の夜の電飾に阻まれることなく、どこでもそこそこの『天体写真』は撮れる。
「なんだ・・・・さっさとフィルム出せよ。流星群でも地球に近寄ってたっけか?何撮って来た。」
「うーん・・・・別になんでもないんだけど、ただ山に行きたくなったんだよ。それでさ。ちょっと行って来て。」
「・・・・お前、ヘンジンだよなー。」
 そう言いながらも、キースは俺が袋から取り出した感度100のフィルムの山を受け取ってくれる。一瞬の光を捕らえなければならない流星群の写真などと違って、全天を写したいような写真は少ない光を求めてファインダーを開きっぱなしにして撮るのが普通だから、フィルムの感度は低ければ低いほどいい。・・・・が、さすがに100以下のフィルムをいつでも使うほどのお金は俺にもなくて、普段はこれで夜空を撮っている。仮にも、俺はこれで食べているのだ。宇宙を見上げるのが仕事だ。・・・・天体写真家だ。最初は趣味だったはずなんだけど。
「まあまあ、そう言わずに。今日も頼むよ。」
「だっから、お前の仕事は商売にならないっていうか・・・・」
 文句を言いつつもコーヒーを飲む俺の目の前で、キースは手際よくフィルムをセットすると現像機につっこんでゆく。腐れ縁のよしみでいつもとんでもない破格の値段でキースには現像をやってもらっているのだ。というか、そもそもキースがプリント屋という仕事を選んだのが、気のせいで無ければ俺の為、であったのかもしれないのだった。
「・・・・・キース、愛してるよ。」
「・・・・・気持ち悪いなぁああああ!そんなこと言わなくなってお前のフィルムなら現像してやるよ、安く!」
 ネガを現像機につっこむと、出て来るまでの十分ほどの間、することが無くてはなはだヒマだ。実際、この同時プリント屋はあまり流行っていなかった。・・・・そうだ、最初は『天体写真』は趣味だったはずなんだけど。中学、高校と、趣味で写真をやっていた、ホームページとかも持っていて、何の気無しに撮った写真を公開していた。幾つかの雑誌のコンテストにも、気紛れで投稿してみた、ともかく、やっぱり趣味だった。・・・・のに、何故NASAからなんか『掲載希望のメール』なんかが来て、その後どっと雪崩のように雑誌の依頼が来て、どうして、いつの間に、気が付いたら『仕事』になってしまっていたのかな?
「・・・・・相変わらず、ヒマだね、この店。」
「それを言うな。」
 ハイスクールを卒業する時、『ぼく、どうやら写真家になってしまうらしい。』とキースに言ったら、『ああそう、じゃ、俺プリント屋にでもなるわ、・・・・って、大学行かないのか、そこで写真の勉強はしなくていいのか?』なんて返事が返って来た。・・・キースのそういうところが好きだ。
「・・・・食ってけるのか?」
「そりゃ、お前もだろ・・・・・」
「言えてる。」
 俺達は妙に沈黙して、現像機の低い音が響き渡る中、コーヒーを互いにすすった。・・・・大学に行って、専門でまで写真を習おうとは思わなかった。そんな感じで写真が撮りたいわけでは無かったから。
「・・・・・そういや、」
 すると、まさにそんな内容のことをキースが話しだした。
「お前がどうして『天体写真』になんかハマったのか聞いたことねぇなー・・・・会った時にはもう、宇宙ばっか見上げてたよな、お前。」
 俺は思わず笑ってしまった。・・・・そうそう、仕事にまでなってしまったのは幸運な偶然だったけれども、もちろんきっかけはそこにあった。
「あっれ、話したことなかったっけかー。・・・・いや、それがさ。」
 このあたりはアメリカの中でも、いい感じに田舎だから大都市の夜の電飾に阻まれることなく、どこでもそこそこの『天体写真』は撮れる。・・・そうして、俺が宇宙ばかり見上げて、その写真を撮りはじめたのにはもちろん『キッカケ』があった。・・・・キースと出会う、それよりもっともっと前の話だ。だけど、俺は今でもその『キッカケ』に捕われて、だからこの町を出て大学になんか行く気にならなかったのかもしれない。・・・・俺はここで写真を撮り続けている。・・・・そうして何かを待っている。
「・・・・・俺が、八歳の時かな。」
 俺は、暇つぶしにキース相手に話し出した。










 そう、『キッカケ』はあったんだ。・・・・子供心に、とても忘れられないような『キッカケ』が。・・・・宇宙を見上げる『キッカケ』が。










午前二時 フミキリに 望遠鏡をかついでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい















天体観測














二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか天体観測 ほうき星を探して










 俺は六歳になったその日に、母親に連れられて近所のボーイスカウトの事務所の門を叩いた。・・・・と言っても、そんな大袈裟なものではない。ボーイスカウトは、百年程も前から当たり前の、そうしてやや保守的な世界的組織としてイングランドやアメリカにはメジャーに存在したし、自分は「ちょっとキャンプとか楽しいことが出来る場所」くらいにしか考えていなかった。そうして実際、そんな場所だった。
「今日から仲間になったコウ・ウラキ君です。」
 かつて、戦争があって、移民が集まって出来た国、という誇りを背負うこの国ですら日系の移民に全く差別が無かったわけではなかったけれど、それを気にするほどの繊細さは自分にはなく、時代も流れていて、俺は楽しくその空間に馴染むことが出来た。・・・・そうだ、ボーイスカウトは楽しかった。キャンプのやり方やら、慈善事業やら、そういうことを学校とは別にやるのが楽しかったし、新しいことが学べるので俺は毎日わくわくしていた。
「・・・・・ダメだろ、なにやってんだよ、コウ。」
 そうして俺にはとびきりの友人も出来た。・・・・友人と言っても、相手もそう思っていたかはようとして知れない。ともかく、俺はそこで、六才年上のアナベル・ガトーという少年と友達になった。俺が六才の時だから、彼は十二才だっただろうか。彼は、ひどく綺麗な容姿の少年で、生まれてからこの方、真っ黒な髪と真っ黒な目の上に黄色っぽい肌、そして偏平な顔、という人生を送っていた自分は、俗っぽいことに最初は、やはり彼の容姿にひかれた。
「え、ちがう?」
「すごく間違ってる。・・・・・このロープの結び方はこうだって、さっき教わっただろ・・・・。」
 彼はとても年下に対して面倒見のいい少年で、もちろん自分をとびきり好きだったわけではないのだろうが、なにかと足をひっぱる新人の俺の相手を根気よくしてくれた。
「・・・・・ほら!」
「・・・・ごめん、ありがとうガトー。」
「それはいいから、早く自分一人で結べるようになれよー。」
 六つも年が離れていたからボーイスカウトに入るまで知らなかったのだが、実は自分の家の一番近くあったのが、このアナベル・ガトーという少年の家だったのだ。つまりお隣さんだ。俺とアナベル・ガトー、二人の家の間には、踏み切りがひとつと、それからあとは延々と続く農場しかない。もちろん、その半分はウラキ家のもので、もう半分はガトー家のものだ。
「・・・・これはどう?ぼく、こんどは結べた?」
「・・・・やれば出来るじゃんか!」
 銀色の髪の少年はひどく嬉しそうに笑って、俺の頭を優しく撫でてくれた。俺は小さいながらも背筋がくすぐったくなった。・・・・ああ、こういう人っているんだなあ。思わず、見愡れてしまうような綺麗な人。銀色の髪で、その紫の透き通るような瞳。しろい白い肌。
「・・・・どうした?」
「・・・・どうもしないよ、ぼく、次の結び方覚える。ぶきっちょだから、たくさん練習しないと。がんばる。」
 そんな六才の俺の台詞を聞いて、彼は声も上げずに腹を抱えて笑っていたように思う。・・・・ともかく、ボーイスカウトの日々は楽しかった。もちろん、普通の学校生活も楽しかった。・・・・六才の自分に、それ以上の世界は無かった。・・・・何もかもが楽しかった。・・・何もかもが楽しかったあの頃。










深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は










「・・・・・・そんな話、初めて聞いたなー。」
 目の前の同時プリント屋のカウンターの奥で、何故かキースは不機嫌だった。俺は思わず吹き出した。・・・・だって、自分だって聞かれるまで、ぜんぜん忘れてたんだ、自分が写真を始めた理由、なんて!
「・・・・・まあともかくさ。・・・・それで、その続き聞きたいか?」
「・・・・・聞きたいにきまってんだろ。」
 キースは半ば冗談で、『本日休業』のプレートを店の入り口にかけるかぁ、なんて言いながら新たにコーヒーを煎れに行った。・・・俺はただひとり残されたカウンターで、ぼうっと自分の思い出を手のひらにすくいあげようとしていた。










見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって返事もろくにしなかった
「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた










「・・・・星を見にいかないか。」
 俺がボーイスカウトで数年を過ごし、多分・・・多分八才になったくらいの頃だったろうと思うのだが、そんなある日、ガトーが言った。
「・・・・うん?いいよ、次のキャンプのとき?・・・・ぼく、あたらしい星座早見表を買ってもらうんだ、今度。」
 すると、そんな八才の俺を見下ろしながら、その頃から相当に背の高かったガトーが、ひどく悲し気に微笑んだのを思い出す。
「・・・・・違うんだ、ほら・・・・ボーイスカウトのキャンプとは関係無く、二人っきりで見にゆかないか。」
 俺は子供だったので、そうしてガトーも同じように、背ばかりひょろひょろ伸びてはいても十四才の子供だったことには変わり無かったので、突っ込んだ話などしたこともなかったが、ガトーの・・・・正確にはガトーの両親がなかなかに不和で、彼がそのことでうっそりと悩んでいる、らしいことはその頃の俺にもぼんやりと分かっていた。ガトーは、彼は相変わらず美しい少年だったが、その横顔には日々影が宿るようになっていた。
「・・・・・うん、二人っきりでもいいよ、星をみるよ、ガトーと。」
「・・・・・本当かよ。」
 俺は嬉しかったのだと思う。・・・・お隣さんだから、とかそんな理由でも構わない。ただ、ガトーと二人っきりで星を見にゆく、なんて凄くステキなことに思えた。自分を選んでもらえて、自分を誘って貰えて嬉しかった。
「でも、おかあさんがなんて言うかなー・・・・」
 俺は単純に不安になってガトーにそう言った。そうしたら、ガトーはひどく考え込んだ様子で俺の頭をその時グシャグシャとかきまわした。・・・・ガトーは、俺の頭をグシャグシャにするのが好きなんだ。それは、その頃の俺も知っていたので放っておいた。
「・・・・うん、分かった。じゃ、遠くにはいかないから、大丈夫だからって親御さんに説明する。」
「うぅーんと?・・・・・ただ、ぼくはガトーと星をみにいくの。・・・・それでいいのかな?」
 ・・・・・ガトーは、ひどく楽しそうに更に俺の頭をグシャグシャにした。・・・・・それで、なにやら八才の俺と、十四才のガトーが星を見にゆくことになった。約束したその日はやがてやってきた。ガトーは、実際前もって俺の家に来て、近所の山で二人っきりでキャンプするプランを俺の親に説明してみせた。・・・・危ないことは、何もないから、と。それで俺の親も納得したらしい、ガトーというのは落ち着いていて、大人を説得するのに長けているような少年だった。その、二人きりのキャンプの晩、俺はひどくわくわくしながら、ガトーの家と自分の家のなかば程にある、大陸横断鉄道の踏み切りまでやってきた。・・・・リュックサックを背負っていたけど、父親の車で近所まで送って来てもらえていたのでそんなに気にならなかった。










気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか










「・・・・ガトー!」
 待ち合わせの踏み切りに、ガトーはちょっと遅れて来た。・・・・凄まじいイキオイで自転車を漕いで現れたガトーの姿に、安心したように俺の父親も車を出して家に戻ったらしい。・・・・というのは、後になってから気付いた、待ち合わせの相手が現れず、自分が一人きりで待ちぼうけとなったら大変だ、と親はそれなりに考えていてくれたらしい。テールランプをチカチカさせながら遠ざかってゆく俺の父親の車に、何故かガトーは荒く息を付いたまま頭を下げた。
「お・・・・くれて、ごめん・・・・ちょっと、家で・・・・」
 俺はと言ったら、八才の俺はといったらガトーが担いできた荷物を見て呆れていた。
「・・・・・なんなの、その荷物・・・・!!!」
「え、いろいろ・・・・・テントとか、カメラとか・・・・・いいんだってば、ともかく星を見にいくぞ!!」
「お・・・・・・・おぉー!!」
 そう叫んで、八才の俺と十四才のガトーは出発した。・・・・その日、俺は初めて知った。・・・・ガトーが、天体観測が趣味であったこととか、天体写真を撮ることが楽しみであったとか。










生まれたら死ぬまで ずっと探してる
さあ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して










「・・・・・・それで?」
 なんだか、本当に、涙が出るくらいいいヤツだよなあ、キースって。・・・・・俺が話す十年ほども昔の話を、それは子供っぽい思い出を、聞きながら彼は夢中になってしまっているらしかった。
「それで、どうなったんだ、お前とガトーってやつ!!・・・・気になってしょうがねぇ。」
 そう言いながら、キースはコーヒーをズズズとすすりあげる。俺は苦笑いしながら続きを話し続けた。










今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも











 八才の俺と、十四才のガトーは、結局山・・・・というより、近所の丘、程度のところへ、ガトーの自転車に二人乗りしてやってきた。二人の家の、まん中あたりにある場所だ。二人はまず、テントを建てた。小さな小さな、ボーイスカウトのキャンプで使うより小さいくらいのテントだ。俺は、だから知らなかったのだが、ガトーは天体写真を撮るのが趣味だったから、こんな撮影用のテントとか、その他もろもろの道具とかを、いろいろ持っていたのだ。
「これが・・・・ええっと。カメラを固定しておく為の道具。三脚っていう。」
「うん。・・・・それは分かった、あの、それでガトー・・・・・・・ごはんは?」
「・・・・・夕飯食って来なかったのか?」
「食べたけど、おなかへった・・・・・キャンプなんだから何か食べようよー。」
 その俺の台詞を聞いて、ガトーはまた腹を抱えて、声も無く笑った。・・・・・俺はその笑い顔が、とてつもなく好きだったと思う。それでもガトーは俺を構うことなく、笑い続けていたのでついに俺は腹が立って彼にしがみついた。カメラをセットしてしまってからは懐中電灯すら消して、二人は本当に真っ暗やみの中で毛布にくるまっていたので、その状況にかなり普段と違うものを感じて、思ったより恐くなってきてしまっていたから、ということもあった。ガトーが居なかったらもっと恐かったのだろうから、ここは一つ俺としては彼にしがみつくしかない。
「・・・・お腹へったんだってば!!」
「・・・・ああもう!でも、火を起こしたらな、開きっぱなしのカメラに光が入っちゃうだろう!そうすると天体写真なんて撮れないんだ・・・だから我慢しろよ、コウ!!」
「がまんできない!!」
 すると、ガトーはずいぶんと腹を抱えてくつくつと笑い続けてから・・・・・セットしたカメラからよほど遠いところまで俺を、八才の俺を引っ張っていって、それからこう言った。
「・・・・・これで我慢してくれよ、缶詰めならいくらでも食べてかまわないんだけどさ。・・・・火を起こしたら、本当に写真が台無しになるんだってば。」
 ・・・・・・・・キスだった。間違い無く、本当に深いキスだった。・・・・・俺は固まった。










知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇をを照らすような 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている










 ・・・・それは息もつけないような非常事態だった。・・・・・うん、さすがに驚いた。
「・・・・・・なに?」
 よほど経ってから八才の俺はそう言った。
「・・・・・・なに、あの・・・・・たべもの?・・・・・・・いまの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん、おなかがいっぱいになるおまじない。」
 それだけ言うと、ガトーはそっぽを向いてしまった。・・・・・どうしよう。俺は、俺も、知らない振りをした方がいいだろうか。ともかく、ガトーが天体写真を撮りたいから、あたりを暗闇にしておきたい気分はとても良く分かった。・・・・あと、自分が・・・・自分は何も分からないフリをしていたほうがいいんだろうか?・・・・・・キスくらいさすがに八歳でも知っていた。ただ、なんでキスなのかが分からなかった。
「・・・・あの、なにかあったの。」
 とりあえず自分はそれだけを言うことにした。どこか異様に切羽詰まった、そういうガトーを感じられないほどに、子供の俺は馬鹿では無かったのだ。
「・・・・・・もう、会えないと思う。」
 ガトーはそれだけを苦々し気に吐き出した。・・・・・何?意味が分からない。すると、ガトーが言いたいことなんて分かってる、と言わんばかりに振り返ってこう言った。
「ええっと。・・・・・・・僕の両親は離婚するらしい、僕は母さんに付いてゆこうと思う・・・・・だから僕はここから居なくなる。・・・・コウにも、もう会えなくなる。・・・・天体写真も、撮ったりとか出来なくなる。見上げればいつでも星が見えるような、こんな田舎じゃなくてさ、町の中に行くことになっちゃったんだ。ボーイスカウトにも顔は出せない。・・・・・これで、意味分かるか?」
 ガトーにそんなことを言われて、俺はひたすら混乱した・・・・子供の頭で。・・・・・ガトーが居なくなる?何故?・・・・どうして?
「・・・・・いなくなっちゃうの。」
「うん。」
 ガトーはガトーとは思えないような顔で、静かに俺を見つめていた。










背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れるほど重なった











 ガトーが居なくなるのは悲しかった。・・・・ガトーが苦しいのだろうことも悲しかった。・・・・・ただ、自分には何も出来なかった。何も出来ない自分も悲しかった。
「・・・・・っ、ガトーが・・・・・・・」
 俺は、八才の俺はどうしたらいいのか分からずにまた彼にしがみついた。・・・・・・彼の腕の中は暖かだった。
「うわっ、なに・・・・!?」
「・・・・・いなくなっちゃうの、いやだよ、ガトーがいなくなっちゃうの、ぼく・・・・!!」
「・・・・・無茶言うなよ。」
 彼は相変わらず苦笑いしながら小さな俺の身体を受け止めた。ぽんぽんっ、っと軽く叩いた。・・・・・俺は悔しかった。ただただ、悔しかった。それだけで終わってしまうのだろう自分達の関係を思って。そうだ、ガトーは忘れるかもしれない、自分のことなんか、と思った。自分も子供だから、いつまでガトーのことを覚えていられるのかあまり自信が無い。・・・・・せっかく二人で、星を見に来たんじゃないか!せっかく二人で、キャンプとか出来るようになったんじゃないか。・・・・・でも、ガトーときたら、悲しいことばかり言うのだ。俺はほんとうに腹が減っていたのも忘れて、缶詰めを食べることすら忘れて、しばらく泣きじゃくりながらガトーにしがみついていた。・・・・ガトーは泣いていなかった。
「・・・・・・あぁ、」
 よほど経ってから、ガトーがポツリとそう呟いて、俺は頬になにか冷たいものがあたるのに気付いた。・・・・・ついにガトーも泣き出したのかな、と思って見上げると、しかし彼は泣いていなかった、ただ泣くよりよっぽどひどい顔をしていた。
「・・・・・雨が降ってきちゃったよ。・・・・これじゃ天体写真は撮れない。・・・・・・・・・・・最後だったのに。」
 ・・・・・雨だった。その瞬間に俺は、急に自分が泣いているどころではないことに気付いた。・・・・雨はどんどんひどくなって俺達に向かって吹き付けてくる。ガトーは器用にカメラと三脚と、それから俺を小脇に抱えると、大慌てでテントに飛び込んだ。
「・・・・・最後だったのに。」
 本当だよ。・・・・・・俺はガトーは泣かないのでは無くて泣けないのだと気付いた。・・・・・・そういう性格なんだと分かった。銀色の髪から雨の雫をぽたぽた垂らして、ガトーは少し震えていた。俺は泣くのもついに忘れて苦しくなった。
 本当は手をのばしてガトーに何か言いたかったのだけど、八歳の頭では気の利いた台詞が出てこなかった。










僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ










「・・・・・すげ、大悲恋だ!」
 キースがそんな風に言う台詞が面白くて、俺はさすがに吹き出した。
「いや、そんなんじゃないだろ。・・・・・ただの、幼い頃の思い出だってば。・・・・ただ俺は、その思い出が忘れられなくってさ、今度は自分が、宇宙を見上げる人になってしまってた、って話なんだ。・・・・それで、気が付いたらいつの間にか『天体写真家』だよ。・・・・いやー、これには驚いたね、ビックリだね・・・・・」
 ・・・・・そうなんだ。俺は、あの時必死で、多分多分生きるのに必死で。・・・・自分と自分の大好きなものを守ることに必死で、だけどその願いを叶えることは出来なかったガトーのかわりに、その後姿を消したガトーのかわりに、『天体写真家』なんてやっているのかもしれなかった。ほどなくガトーの家から、ガトーとそのお母さんは本当に出ていった。その家には、今も彼の父親だけが住んでいるはずだ。
 その時、カランカラン、といい音がして、キースのやっている同時プリント屋のドアが開いた。










予想外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を










「・・・・・仕事のプリントなんだが・・・・頼む、」
 そう言って現れたのはいかにも工事現場から直行した、としか思われない二人組だった。泥に汚れた上下の作業着を着ていて、二人ともむちゃくちゃ体格が良い。一人は工事用ヘルメットからはみだすほどの金髪をたたえていて、もう一人は銀色っぽい色の髪で・・・・もうすこし控えめの、長髪の男だった。
「ああ、ルート68の工事ね。・・・・どうすんの、特に契約してないんだけどさ、仕事用の写真なら安くプリント出来るよ?紙とかも安いのでいいだろ。」
 キースはそう言いながらも大量のネガを受け取る。・・・・その光景を見ながら、俺は妙な既視感を感じていた。
「それで頼む、これから工事の続く期間中、しばらく世話になるからな。・・・・・いや、前にも一、二回は別の人間が現場写真は持って来たかと思うんだが。この店にな。」
 事務的な台詞でそう答えたのは、どうやら現場監督らしい長髪の男の方だった。何故現場監督で、ただの土方ではないよな、と俺が思ったかというと、泥だらけの作業着の中に、何故かその男は御丁寧にシャツとネクタイを着込んでいたからだ。
「一番安い紙でいいか?」
 キースはそういいながらも、てきぱきとフィルムに番号をふって紙に何かを書き込んでいった。・・・・ルート68の工事を請け負っている企業共同体の名前なんかを書き留めている。確かに、ここは流行っていないプリント屋だからこういう仕事があると無いとじゃずいぶん違うのだろう。
「もちろん一番安い紙でいい、アグファかなんかの。・・・・そうだ、それで十二枚撮りが二本だけあるだろう。」
「あるね。」
 二人連れの男はちらり、と俺の方も見たのだが、さしてなにも思わなかったらしくキースと会話を続ける。
「それだけ、忙しい。工事台帳の提出期限が迫ってる、だから今すぐ焼いてくれ。・・・・十五分もあれば出来るだろう、待っている。」
 それだけ言うとその二人連れは・・・正確には話をしていたのは長髪の方ばかりだったのだが、店の中にある小さな椅子にドカリと座り込んだ。・・・・うわ、こりゃ忙しい!そう思った俺はカウンターの中に飛び込んで、フィルムを現像機につっこむ手伝いをすることにした。・・・・この店にはいりびたっているので、それくらいの手伝いなら俺にも出来た。なにしろ、その二人連れが持ち込んだ工事現場のフィルムは二十本ばかりもあったのだ。・・・そして、キースとコーヒーを飲んでいた俺は店員だと思われているかもしれなかった。
「あんた、アグファとか分かっててやけに写真に詳しいねー。」
「そうか?」
 キースが、ふと思ったように手を動かしながらそう声をかけてみたのだが、相手からはどうでもよさそうな返事が返って来た。・・・確かに詳しい。でもまあ、仕事で大量に写真を扱っていたら、そんなものなのかもしれない。
「・・・・おい、俺は外でタバコ吸ってるぜ。」
 すると、金髪の男の方がよほど手持ちぶたさだったらしくそう連れに声をかけると、外へと出ていく・・・・店の駐車場に、自分の車の隣に、ダットサンのトラックが見えた。・・・・・なんだろうな。なんか、ひっかかるんだけどな。俺はそう思って、ちらり、と残ったもう一人の方を盗み見たのだが、特に知っている人間というわけでもない。彼は適当にヘルメットをかぶったままで、レンズのカタログなんかをうさん臭そうに見ていた。
「・・・・上がり!・・・・・あー、これか、この現場か、うんうん、前にも確かに持ち込まれたことあるね。」
 十二枚撮りのフィルムが現像機からネガとなって出てくるのはあっという間だ。手際よくそれを乾かしてプリンターに突っ込むキースの脇で、俺は手持ちぶたさに陥った。二十本ほどのフィルムは全部現像機に流し終えてしまった。・・・・キースはすごいイキオイで濃度の調整だけを手際よくやって、プリントを仕上げてゆく。俺は、冷えきった自分とキースのコーヒーカップを眺めながら、お茶でも出すか、この人に?などと思いはじめた。・・・・他に仕事がありそうにない。 
「・・・・・・・あの、」
 俺が声をかけるとその人は驚いたらしい。妙な顔をして、しかし初めてそこで俺をしっかりと見る。・・・・・妙な顔は、俺もしていたかもしれない。・・・・なんかひっかかるんだけどな。でも、こんな人は知り合いに居ない。随分キツそうな顔だちの、ちょっと年齢は良く分からない人で、瞳の色も分からなかった。それでも俺は話し掛けてみた。
「コーヒーでも煎れますか?」
「・・・・別にいい。」
 それだけ答えるその声も知らない。・・・・それで会話は終わってしまった、その後ろではキースがよっしゃあ、と大声を上げてプリントを終了したところだった。
「・・・・・フィルムは後で他のと一緒に届けるね。プリントだけいるんだろ?」
 仕上がったばかりの写真というのはとても熱い。あちっ、とか言いながら、キースが袋にプリントを居れるのを俺は煮え切らない思いで眺めていた。・・・・なんだ、この感じ。
「そうしてくれると助かる。支払いは後でまとめて。」
「はいよ。」
 それだけ言うと、長髪の彼は出て行こうとする・・・・と、入れ代わりに金髪の男がまた店に入って来た。
「おう、出来たか?・・・・わりぃ、兄ちゃん、便所借りていいか?」
 そんなもの時間のあるうちに済ませておけば良かっただろう、ケリィ!と、長髪が怒ったが、気にしない風で彼は奥のトイレに向かってゆく。
「流されないでくれよー。」
「おうよ。」
 つくづく客商売の台詞を吐いているキースの隣で、カウンターの奥で、俺は妙な気持ちを抱えたままプリンターの前の椅子に座った。そこには、さっき大慌てでプリントした工事現場のネガが入ったままだ。・・・・・ネガを写し出すモニターを覗き込んで、俺は一瞬動きが止まった。
「・・・・・・・・・・・・キース。」
 やっとの思いでそれだけを言う。・・・・何か頭のなかのもやもやしたものが、今、形になろうとしていた。
「へ?・・・・なんだよ、コウ?プリントするのか、紙無駄に使うなよー。」
 そんなキースの台詞を聞き流しながら、俺はやけに緊張して濃度調整のボタンに手をのばした。・・・・・・長髪の男は連れを待たずに怒ったふうで店から出て行ってしまう。工事現場の、現場写真。・・・・・その、最後の一枚。・・・・・失敗なんだろうか、光の入り過ぎたオーバーネガ。まっしろで、このままでは何が写っているんだか分からない。
「・・・・わりぃ、借りたぜ!」
「返しにきてくれよー。」
 金髪の男が満足したふうでトイレから出て来た。・・・・・・何かが形になろうとしていた、俺は大慌てで叫んだ。
「・・・・・キース!」
「な、・・・・なんだ!!??」
「お前、前にもこの工事現場の写真を焼いたことあるって言ってたよな!」
「あぁ・・・・・・?」
「オーバーネガだったか!・・・・・最後の一枚が、オーバーネガだったか、失敗の、真っ白の!」
「あぁあ?・・・・・・あぁ!!!!そう言われりゃそうだったような気がするな!!なんか最後の一枚だけ、いつも、全部必ず・・・・・って、コウ!!??」
 ・・・・・・そうだ。
「おいっ、コウ・・・・!?」
 俺は椅子を曳くのももどかしくて、凄い勢いでプリンターの前から立ち上がった。カウンターを飛び越した。店の外へ転がり出た。
 ・・・・・そうだ、間違い無い。









見えてるモノを見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を駆け抜けた










 姿形はまったく変わっていたけれど。
 プリンターのモニターを覗き込みながらもやもやしていた俺の思いは確信に変わった。・・・思えばどこか俺は祈っていたかもしれない。彼でありますように。・・・・きっと彼でありますように、と。・・・・急がなければ!
「コウ!!??・・・・・店を壊す気か、てめぇ・・・・!!!」
 なんだかキースが叫んでいるけど、それどころじゃないんだってば!!!










そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」というほうき星 今も一人追いかけてる










「・・・・・・ガトー!!」
 そうだ、間違い無い、彼だ。・・・・・僕は駐車場で、工事現場へ戻るのであろうダットサンのトラックに乗り込みかけていた彼にそう叫んだ。驚いたように彼と、その連れの二人が振り返る。・・・・泥まみれの作業着なんか着ちゃってさ。現場監督です、みたいな顔してさ。・・・・そのくせ、その中にシャツとネクタイなんかしっかり着込んでさ。・・・・全然、全っ然、綺麗なままで、
「・・・・・・・、」
「ガトー、俺だ!!・・・・・・俺・・・・・俺だってば!!」
 そうだ、間違い無い。










もう一度 君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか天体観測 二分後に君が来なくとも










 ・・・・・そうだ、間違い無い。・・・・・だって、でなきゃ写真で、工事現場の、仕事用の写真なんかでさあ。
「・・・・・・うわ、こりゃすげぇ・・・・・・!!マジかよ・・・・!!」
 コウが飛び出して行った田舎の小さな同時プリント屋の中では、キースがプリンターの画面を眺めながら小さな叫び声を上げていた。・・・・こんなものが写っているなんて思わなかった。ずっと、ただの露光過多の、光が入り過ぎの、オーバーネガだと思ってた。真っ白にしか見えない。・・・・プリントなんか出来ない、失敗の。思わず勝手に、幾本もある他のネガもプリンターに入れる。最後のコマ。いつも、最後の最後のコマだ。一見白いだけのオーバーネガのコマ。その、濃度を上げてゆく。・・・・『天体写真』をプリントする時と同じように











「・・・・・・・・・・・『コウ』?」
 よほど経ってから、ポカンとつっ立っていたままだったガトーがそう言った。
「・・・・・・そうだよ!ガトーだろ、あの、昔俺の家の隣に・・・・いや、隣って言っても随分離れてたんだけど、そこに住んでた、その・・・・・その・・・・・・・・・・・・・・うわっ!」
 凄いイキオイでヘルメットをほうり出して、ガトーが自分に向かって突進してきたので俺は慌てた。・・・・・そうだ、ガトーだよ。外したヘルメットの中から、昔と変わらないあの綺麗な銀髪が現れた、目の前で見るその瞳の色は確かに紫だった、・・・・・そうだ。ガトーだよ!!なんてことだ!
「・・・・・コウ、コウ・・・・・・お前なのか・・・・!!???」
「・・・・・・うん、俺だよ。・・・・・・やっぱな。ほら、ガトーだ。」
「・・・・・・なんで分かった。」
 ガトーは随分驚いて感極まっていたらしく、同僚が呆れて眺めているのも気にしない風で、俺を抱きすくめると頭をグシャグシャにして、その上ひどくゆさぶる。・・・・うわ、苦しい。あと、相変わらず俺の頭をグシャグシャにするの好きだな。俺は苦笑いした。・・・・俺はずいぶん大きくなったと思ったけど、やっぱりガトーの方が大きいんだな。・・・・なんだよ。
「・・・・・分かるに決まってるよ。だってさ・・・・・」
 そうだ、分かるに決まってる。










「イマ」というほうき星










 ・・・・・・その仕事用の『現場写真』は、いつも最後の一枚が、ファインダーを開きっぱなしで撮影したのであろう、





 星空の写真、だったからだ。















 その後、再会した俺とガトーが、どうなったかは想像に任せる。ただ、俺は今も空を見上げて、あまり儲からない天体写真家、を続けている。















・・・・・君と二人おいかけている




















『天体観測』 BUMP OF CHICKEN
2003.03.06.









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