普段は全く気にも止めないものが急に気になる日、というのがある。コウとキースにとっては、まさに今日がその日だった。
「・・・・・・あれ。」
学校帰りだった。横浜の、山の手の方にあるインターナショナルスクールの学生である二人はいつも通りに坂道を下って家に帰る最中だったのだが、何故か、その日はコウがそんな声を上げて足を急に止める。
「ブランコだよな?」
「・・・・ブランコだな。」
キースもそう答えて、二人はやけに綺麗な夕焼けの中を小さな児童公園の脇で立ち止まった。海辺の、町中の方まで送迎してくれるスクールバスもあるのだが二人はそれがあまり好きではなく、小学生の頃からずっとこの坂道をだらだら歩いて通っている。つまり、公園とブランコは何年も前からそこにあったにもかかわらず、二人がそれに気付いたのがたまたま今日だったということだ。
「乗ってみないか?」
「・・・・16にもなってかぁ?」
キースの返事を聞くまでもなくコウはさっさとカバンを背負い直して、もう児童公園の入り口を通り抜けていた。コウには、そういうところがある、つまり人の話を聞いているのかお前、みたいなところが。
「・・・おおー!何年ぶりだ、ブランコに乗るなんてー!」
だがしかし、キースもそういうコウの性格につくづく慣れていたのでもちろんちょっと首をすくめただけですぐコウの背中を追いかける。まったく純粋な日本人なのに親の教育方針でインターナショナルスクールに入れられただけのコウと、どこから見ても『ガイジン』のルックスのキースという、そんな二人が並んでいるだけでもちょっとおかしな風景なのに、児童公園はさらにそんな二人に似合っていなかった。身長が高すぎるしコンパスも長過ぎる。コウは、砂場をたったひとまたぎで飛び越した。
「・・・見ろ、キース!ここ、こんなにみなとみらいが良く見えたんだぜー、あのホテル、あるじゃん、ほら、あの変なカタチの・・・・」
「あー?」
ともかく二人は児童公園のはしっこにあるブランコまで辿り着くと、そのちょっと錆びた鎖に手をかけた。時間が時間なだけに年相応の子供も、ドライブがてらのカップルも、誰一人その公園にいなかったのはラッキーだったかもしれない。
「あのホテルさ・・・こうやって見ると、なんかカマボコみたいじゃないかー?」
「カマボコー?」
そして容赦無くブランコに飛び乗ると、目眩のするような夕焼けの中で、それを漕ぎはじめた。・・・・主に、コウの方が。
ほっぺた
何をそんなに必死になって漕ぐんだ、という勢いで立ち乗りしてブランコを漕ぐコウのとなりで、最初はキースも少しブランコを揺らしていたのだがすぐに自分はこの乗り物に向いていない事に気付き・・・そして揺らすのを止めた。酔う。マズイ。俺はこのままだと死ぬ。
「・・・・もうちょっと・・・・・漕げたら・・・・みなとみらいの向こうも見えそうな気がするんだけど・・・・・っっ!」
そんなキースに気付いているのかいないのか、ともかくコウはまだ必死にブランコを漕いでいる。ブランコは、もう水平に近くなるまでブンブン振り上がっていた。おい、降りて来い。キースはそう思ったがそれは口には出さず、振り子のフリをすることに精神を集中しているコウにとりあえず声をかけてみる。
「お前が重いからじゃねぇかー?もっと体重が軽ければ高くまで漕げるかもしれないぞー。」
「・・・・僕ふつうー!」
振り子になっているくせにコウは返事は出来るらしかった。たかがブランコでも、コウが漕げるのに自分が漕げないことにちょっと苛ついたキースは更に続けてこう言ってみる。
「いや、おまえ太ってるよ。・・・・ほっぺたなんかぷくぷくじゃねーか!」
「・・・・僕ふつうー!」
コウはまたそう答えた。・・・というか、ブランコを水平になりそうなほど立って漕ぐのはそれなりに辛いことらしく、実はそれしか答えられないらしい。それに気付いたキースは、今度はコウが言い返せないのをいいことにもっといろいろ言ってやる事にした。
「いや、ぷくぷくだ!・・・なんだっけな、あれ、そうだタコヤキ!ほっぺたでタコヤキってやつ、お前きっと三つくらい出来るぞ。」
ちなみにキースは、ルックスは『ガイジン』だが日本生まれの日本育ちなので、タコヤキだってツウテンカクだって知っている。二人はいつも学校では英語で、二人だけの時には日本語で話した。
「そんなことない・・・・うわおっ!」
違う内容のことを話そうとしたコウはちょっと体勢を崩して、ブランコの振り子の水平くらいのところで、思わずこのがけっぷちの公園から海辺にある町の方へ飛び出してゆきそうになる。・・・が、なんとか持ち直して、また振り子運動に戻った。
「キースだってきっと三つくらい出来る!」
「俺は出来ないぞ、きっと。」
コウの動きを見ていただけで気持ちが悪くなってきたキースは、さらに何か言って仕返ししてやろうと思った・・・・そこで言った。
「んじゃ、触ってもいいか、お前のほっぺた?・・・三つ出来たらなんかおごれよー。」
「えー・・・・」
そう言われてコウはちょっと考えたらしい。・・・別にほっぺたを触らせてもいいけど、本当に三つ出来ちゃったら困る、タコヤキ。キースに言われるまでも無く、コウも半年に一回くらいは『僕のほっぺたはちょっとふくらんでないか?』と思っていたからだった。
「・・・・・・あー、それ、あれだろ!ほら、クレアラシルのCM!」
ぶんぶん振り子の気分になっている最中でも、コウはだいぶ上手く言葉が話せるようになってきたらしい。コウがそんな長い文章を答えたのでキースはちょっとつまらなくなり・・・そして考えた。クレアラシルのCM?・・・なんだっけ、それ?
「『触るだけかよ』!」
すると、コウが更にそう叫んだのでやっとキースも思い出した・・・・ああ、そうだ、クレアアラシルのCM。にきびの薬のCMで、男子高校生が同級生の肌があんまり綺麗なんで授業中に、相手も男なのにその顔に触ってしまうんだった。すると言うんだ、その相手が。・・・『触るだけかよ』。
「俺、あのCM『女の子同士バージョン』のが好きだなぁー・・・・」
思わずキースが真面目に答えるとコウも笑った。
「そりゃ僕もだー。」
あのCMは女の子同士バージョンもあったんだ、確か。キースはそんなことも思い出しつつ、だけど急に思い付いてもう宇宙まで飛び出してゆきそうなくらい振り子になっているコウに言ってみた。
「・・・・じゃ、キスしてもいいか、お前のほっぺた?」
すると、その瞬間にコウがブランコを漕ぐのをピタっとやめた。
ガンガンに赤い夕日の中で、コウの漕いでいたブランコが急に加速をやめる。・・・・そしてゆっくりとゆっくりと振り子運動がおさまって、そうしてコウがキースの脇に降ってきた。
「・・・・・・ダメだよ。」
コウが言った。
「・・・・ダメだよ、ガトーが怒るから。」
「・・・・ぜんっっぜん怒らないと思うぞ、あの先生。だってあいつお前のこと眼中にねぇじゃん。」
「・・・・そうかなー。」
「うん、ぜんっっぜん。」
キースは、この九月に日本に来たばかりという自分の学校の日本史の教師の事を思い浮かべながらそう答えた。そいつはなんだか日本語は確かに上手いんだが、その上ちゃんと大学で日本文化を専攻して卒業し、だから日本史の教師なんかしてるやつなのだが、いかんせん日本に来たのが初めてということもあって妙な感じで日本かぶれなので、キースはどうも好きになれないのだ。
「・・・・そうかなー。」
その時、もうまったく止まってしまったブランコの上に立ったままで、コウがそう呟いた。・・・なんでか、コウはその日本史教師がひどく好きらしい。しかし何故キスの話であんな日本史教師の名前が出てくるのか、キースにはまったく分からなかった。・・・・・・・・・ともかくだ。
「ぜんっっぜん、ほんっっっっとに、」
・・・・・・・なんでコウがあの日本史教師のことを話していると、こんなに俺が辛くなる?・・・・ガンガンに夕日が赤いせいか?そう思ったキースは、きっぱり言ってやることにした。コウ、お前がしんどいと俺もなんかしんどい、しんどいぞ。・・・・だから、夕焼けが、赤くて。
「まっっっったくお前の事なんか見えて無いと思うぞ。・・・・だからやめちまえ、その方が楽だ。」
・・・・赤くて。
「・・・・・そうかなー。」
だが更にもう一回、まったく分かっていない感じでコウがそう言うので、キースは遂に肩をすくめて、話を元に戻す事にした。
「・・・うーん・・・・・じゃ、もういい。・・・・それでさ。触るのはいいのか、お前のほっぺた?」
すると、コウもそこでやっとブランコをおりて、少し首をかしげながらキースの方を振り向くとこう言った。
「うん、それならいい。・・・・でもタコヤキ作るなよ。」
「作らない。」
そこで、キースは夕焼けで窒息出来そうな坂道の途中の児童公園で、コウのほっぺたをちょっとだけ触ることにした。・・・・それだけだった。
まったくそのコウのほっぺたは、タコヤキが三つ作れそうにキースは思ったが、そう言ったらきっとコウは怒る事だろう。そう思ったのでキースは何も言わなかった。
そして、そろそろ寒くなって来たので最後の夕焼けの中を、二人は急いで家に帰る事にした。
2001.04.15.
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