しあわせな日々
その日、ガトーは日曜日で仕事が休みだったので、部屋でのんびりとした午後を過ごしていた・・・・ほんとうにのんびりとした午後を。この、アメリカの南の方にあるなんとも言えない大きさの街は、それほど四季が美しいというわけでも無いのだが、だがしかし近づいてくる春を目前にしたこんな日には、ガトーも部屋の窓から庭を眺めていたくなる。・・・前庭の芝生の上を飛ばずに歩き回る名前も知らない鳥、そんな芝生の向こうの石畳の歩道を、ゆっくりと歩いてゆく老人と子供。
平凡な住宅街の中にあるこの家の窓から、そんなに面白いものが見えるはずもないのだが、それでも飽きずにガトーは、窓の外を眺め続けていた。
「・・・・・ガトー、いるか!?」
そんな時だ、客が来たのは。・・・・いや、客と言うか何と言うか、正確にはその男はガトーの職場の同僚で、さらに後輩にあたるのだが、その男が勢いよく玄関前でそう叫ぶのが聞こえて、次の瞬間にはドアが開かれ本人が凄い勢いで部屋の中に入って来た。
「やあ、ガトー、ちょっとまあ聞いてくれよ・・・・!」
そんな感じでその男、コウ・ウラキは話し出す。・・・・なんというか、いつも唐突な男だな、居間では靴をスリッパに履きかえろ。ガトーはそう思いながらも、ちらりと彼を見ただけで相変わらず窓の外を眺め続けた。まあつまり、ガトーにとってコウ・ウラキとは、いきなり家の中に入り込まれても気にならないくらいには仲の良い男だった訳だ。
「今日、俺は朝起きて洗面所で・・・・・」
コウも、別にガトーがマトモに相手をしないのは気にも止めないふうでガトーのむかい側の(つまり窓の側に置いてある方の)ソファーに座り込むと、延々と朝からこれまでの自分の事を話し出した。ガトーは、コウが座ったおかげで窓の向こうの景色が見えなくなってしまったのが不満だったが、まあ聞くともなしにコウの話を聞く事にする。
それは、こんな話であった。朝、コウが起きて自分のマンションで、いつも自分の飲んでいるサプリメントを飲もうとしたら終わっている!仕方が無いのでコウは近くのドラッグ・ストアまでそれを買いに行く事にした。朝食も食べず。そうそう、仕事の日じゃ無いから革靴じゃ無くてスニーカーにした、そうしたらがんがん散歩が出来そうな気分になってきたので、結局いつもとは違うドラッグストアまで歩いて行ってしまった。
「そうしたら!」
そこで、コウは凄い身ぶりをしてガトーに説明してみせる。なんと、その店にはコウの買いたかったサプリメントのタブレットが置いてなかったらしい。いつもと違う店に買いに行くからだ、とガトーは思ったが、自分は急にコーヒーが飲みたくなってきたので、居間の脇のキッチンに向かって歩いていった。コウは、まだ延々と話し続けていた、まあコウの話し声なら多分自分がトイレにいったって聞こえている事だろう。ガトーはそんな事を考えながら、ケトルの湯気越しにコウを見る。コウときたら、休日のせいでジーンズにトレーナーなどと言う適当な格好をしているものだから、いつもより更に若く見えた。すると、面白い事にコウが『まさにそんな内容』の事を話し出した。
「しょうがないから・・・・」
コウは、別の薬を幾つか買って、そのドラッグストアを出ようとしたらしい。すると、店員が薬を売ってくれなかったというのだ、なんでもコウが買おうとした薬と言うのは、このルイジアナ州では『高校生以下には』売れない薬で、身分証明書を見せるように言われた。・・・つまり、コウは高校生に見えたという事だ。しかしコウ・ウラキは今年29才なのだった。
「どう思う!?」
どう思うと言われても。ガトーは適当に入れたインスタントコーヒーのカップを二つ持って、ソファーに戻って来る。窓の外には、ジョギングをする中年の男性が、やはり石畳の歩道を横切ってゆくのが見えていた。私が店員でもやはりコウの年を確認したな、とガトーは心の中で思う。東洋系の人間の年は良く分からないというが、コウは特に分からない。出会った19才の頃から全く年を取ってないようにすら見える。背後の窓から差し込む午後の光をうけて、コウの素直でまっくろな髪はぴかぴか光っていた。いや、それすらも若く見える原因だ。
「ともかく俺は・・・・」
コウはまだ話し続けた。途中で、ガトーの入れたコーヒーを慌てて飲もうとして少し舌を火傷したらしい。コウは、そのドラッグ・ストアーを出るとあまりに腹が立ったので街角のファーストフード店でホットドックを5本も買うと、それをヤケ食いしながら歩き続けたらしい。どうでもいい薬は買わなかったので身軽なものだ。途中で、歩いているのが楽しくなって、よくよく回りを見渡してみたら犬がたくさん散歩をしていた、とコウは言った。コウは、無類の犬好きなのである。一匹のブルゾイなどは本当に綺麗だったので後ろをついて行きそうになってしまったけど、結局止めた。それで、街の真ん中にある橋を渡って、少し緑になりはじめた住宅街の木立の中をずんずん歩いていたら・・・・・・・・・急に気が付いた。
「・・・・・えっと、ほら、すぐそこの角。そこにいてさ。そんで、ガトーんちの近くまで来ちゃったって気付いてさ。」
そこで、ガトーの家に来てから初めてガトーをまともに見て、コウが何かを言おうとする。なので、ガトーも初めてコウを見つめると、こう言った。
「・・・・それで?」
「うん、そしたら・・・・ホットドック食って、犬を見て、幸せになっちゃったらさ、そしたら・・・・」
コウはまだ、何かを言い淀んでいる。ガトーは、訳が分からなかったのでもう一回聞いてみる事にした。
「それで?そうしたら?」
「・・・・・・・・・・・うん、ガトーとセックスしたくなっちゃってさ。」
コウ・ウラキはガトーが出会った十年前から、まったく年をとっていないように見える変な男であったし、まあいつも唐突な男でもあったが、さすがにガトーは絶句した。・・・・・・なんでホットドックを食って犬を見たら、私とセックスをしたくなると言うんだ?
「・・・・・・・・分からん。」
「うーん、俺も良く分からない・・・・」
このコウ・ウラキという男にはきちんと女の恋人がいて、しかもちょっとワケ有りの女だったのでガトーも良く知っていたが、いや何の事は無い、その女というのは実はガトーの昔の女だったのだ、ともかくそれとは関係無しにこの二人は男同士なのに時々寝てしまうような仲でもあった。この辺の話は難しい。ただ、そんな関係がもう十年も続いてしまっていることだけは確かだ。
「もう一回聞くが、ホットドックを食って犬を見てたくさん歩いたら・・・・私とセックスしたくなったんだな?」
自分から言い出したくせに、コウはそう聞かれて急に赤くなった。器用な人間である。しかし、これが彼の特徴でもあった。
「うん・・・・・・なんだろう、ゴメン。」
そして、しょんぼりと下を向いた。来た時とはうってかわった勢いで、である。下手をするとこのままこの家を出てゆきそうなコウに、ガトーには思わず笑いそうになった。いや、謝られても。
「あー・・・・・そうだな、それじゃあ、」
そうしてガトーときたら、そんなうつむいたコウを見た瞬間に、これまた無性にセックスがしたくなってきた。自分は今年35才になるけど、普通に元気だろうとは思う。ちなみにガトーには、今彼女は居ない。
「せっかくだからセックスをするか。」
もうすぐ春の来る三月の半ばの午後。
そもそもコウというのは、中々に生意気な新入社員というのがガトーの第一印象だった・・・・高校を卒業してすぐにガトーの会社に入って来たコウは、あまり実力も無いくせに、勢いだけは良かった。そして何故かは知らないが、6才年上で当時25才のガトーを、職場最大の宿敵と決めたらしい。いや、だから本当に何故かはガトーは知らない。もちろん、相手にもしなかった。だがしかしありとあらゆる仕事で、ガトーにつっかかってくるコウは面白くもあったし、時々殺したいほど憎たらしい事もあった。
そんなこんなで一ヵ月ほどたった頃、ガトーはコウが『昔自分の付き合っていた女』と付き合っている事をたまたま知った・・・・・ので、その日は明らかに仕事の邪魔をされて腹を立てていた事もあり、大人らしく無い事にこんなことを言ってしまった。『私のお古がそんなにいいか。・・・結局、お前は本当は私が好きなのだろう、私になりたいんだろう?』
・・・その台詞を聞いた時のコウの顔を、ガトーは一生忘れないだろうと思う。傷付いていた、本当に傷付いていた、そうしてめちゃくちゃに怒ってヒステリーをおこした。場所が誰も居ないミーティングルームで良かった。コウが怒って投げ続ける書類やらファイルやらは、ガトーに当たるだけで済んだからである。そうして、ガトーは後悔した、こんなにも傷つけるつもりは無かった、その顔を見て自分も傷付いたことに気付いたからである。とにかく暴れるコウを押さえ付けると(体格はぜんぜんガトーの方がよかった)コウは悔しそうに唸りながら急にこんな事を言った。『・・・・あんたとセックスしたい。』そう、その時もひどく唐突だった。ガトーが訳が分からずにいるとコウはひどく泣いたままこう言った。『俺は知らないのにニナがあんたの事知ってるのがムカツク、ああもう、違う、ニナが俺の知らないあんたを知ってるのがムカツク!!でもそれじゃあんたの事を本当に俺が好きみたいだ、ああ全部ムカツク!』聞いているうちにガトーは面白くなって来た、この男は自分と喧嘩がしたいだけなのである。だがしかし、その喧嘩が喧嘩にもならなくて泣いているのである。だったら寝てみるのも一興かな、と思った、もちろんそれまで男となんか寝た事は無かったが。だがしかし、ニナ(これがコウが付き合っていて、ガトーが昔付き合っていた女の名前であった、)に自分がどうしたかを、この男が知りたいのならば、それは圧倒的に勝ちだろうと思った、だってニナは女だったからだ、この男はそれと同じ事をやってみたいのだろう?それはまったく受け手になるということだ、セックスと言う行為では。
それで、変なのだがコウも似たような事を考えていた、これでもしこの男が俺を抱けたら俺の勝ちである、本当に勝ちである、だって男相手にヤル気になってしまうような人間は人間としてそもそもダメじゃないか?ばーかザマアミロ。
そこで二人は、喧嘩のようなセックスを、誰も他に残っていない会社の真っ暗なミーティングルームでしてみる事にした・・・・・・・・・・・結果は、大失敗であった。三回くらい失敗して、その後ようやく成功した。朝が来てしまった。二人ともべとべとに臭くて、思わず笑った。
平和な午後、二人はコーヒーカップを置いてとりあえずキスをする・・・・あれから十年が経って、コウは29才に、ガトーは35才になった。が、やっぱり今日も失敗した。なんだかセックスをめちゃめちゃやりたくなっていた二人は、キスの息が合わずに前歯がぶつかってしまったのだ。
「・・・・ぶぶっ、」
「っはははは・・・・!」
思わず、どちらからともなく笑いだす。そして、ここではまずいだろうということになって、なにしろ窓の向こうの歩道の風景が見えるくらいだから、向こうからも丸見えだろうということで、寝室に向かう事にした。
「・・・・俺、十年前の事を思い出してたな。」
コウがそう言ったので、ガトーも答えた。
「そうだな、あの時も前歯がぶつかったな、記憶が間違っていなければ。」
やった事も無い男同士のセックスが成功する訳も無く、あの晩はとにかく・・・ひどかった。二人ともズタボロに疲れた。言葉が足りなかったり、相手に感情をどう表現したら良いのか分からなかったり、そんな事ばかりの人間関係で、いきなり相手の奥深くに飛び込む事は痛いのだと知った。・・・だがしかし。
人と人が本当に分かりあう方法は、この世にはそんなに多くは無いのだと言うことも知った。
コウは、今も例のガトーの元彼女と付き合っている。結婚するかどうかはまだ分からない。相手は少し年上だから、そろそろ痺れを切らすかもしれない。とりあえずこの10年で、ガトーにはむやみにつっかかったりはしなくなった。かわりに時々セックスをしたりする。
「ああ、なんとなく・・・・」
寝室で、適当に服を脱ぎながらコウが言った。
「俺、今幸せかな?」
ガトーは、別に誰とも付き合っていなくて、どちらかというと仕事の出来る人間としての日々を送っている。出世して、給料が良くなったので、マンション住まいのコウとは違ってこうして一軒家を持っている。そしてやはり適当に服を脱ぎながらこう言った。
「ホットドックを食って犬を見て、そうしたら私とセックスをしたくなってやって来る日々がか?」
「そうそう、そんなやつ。」
「そんなやつか。」
「そう。」
二人は別に付き合ってはいない。相変わらず職場の先輩と後輩をやっている。これからも多分そんな感じのまま、それぞれに生きてゆくんだろう。・・・だけれども、時々ホットドックを食べたり、犬を見たり、平和な午後を過ごしていると相手の顔が見たくなってセックスをしたりする。
二人は服を全部脱ぐと、ベットに飛び込む前に、とりあえずもう一回キスをしてみることにした。
・・・・そして、今度のキスは成功した。
2001.02.18.
HOME