エルニーニョ(異常気象)



 私の仕事は、というと、端的に言うと警備兵である。この国境の占領地に駐屯し始めてから三年になる。
「・・・・・・・・・!!」
 この国の人々は朴訥(ぼくとつ)としていて、皆黒い髪に黒い目で、浅黒い肌をしていて、そしてなにより気性はやわらかで、占領がそうしづらいわけでは無かった。文明の有無について敢えてここで語るのは止そう。むしろ、彼等がそういう状態だったので、仕事はひどくしやすかったと言うべきだろう。彼等を蔑んでいたのか?と聞かれればそうかもしれないが自分を弁護させてもらえるなら、それは占領軍としてはあくまで自然な、ごく一般的な行動だったのである。その日まで、私もトラブルらしいトラブルに巻き込まれた事も無く、日々を過ごしていた。・・・・三年の日々を。
 さてその日、私がいつも通りに、警備兵の隊長としてその駐屯基地敷地周辺を見回っていると、一人の人物に急に掴みかかられた・・・・というより、縋りつかれた、というべきか。
「・・・・!・・・・!!・・!!」
 彼はもちろん何かを、私に訴えていたのだが、残念な事に私は彼の言葉が理解出来無かった・・・・そうだ、言葉は通じ無かったのだ。ここは重要だ。
「・・・・何だ?」
 私は言った。しかし、その人物、彼はまだ少年に見えたのだが、彼はやけに必死に、私に話かけてくる。本当に必死だった。標準的なこの占領地あたりの民間人の服装をした、ただの少年であった。年は良く分からない。私は、十代の半ば頃だろうかと勝手に思った。
「・・・・・!!」
「だから、意味が分からん・・・!!」
 私は思わず語気を強めた。彼は、ビクっと身体を離した。それから、少しだけ私が肩から掛けている銃をチラリと見た。
「・・・・・ん、おとうさ・ん・・・・ちがうから、たすけて・・・・!」
 すると今度は、片言で彼が私達の言葉を使って話しかけてきた。彼の目には炎が宿っていた。・・・・私はそんな彼等を初めて見た。ああ、彼等も確かに生きている人間だったのだな、とほんとうに、初めて思ったくらいだ。もちろん、私は彼等の言葉になど興味も示さず、この国に駐屯して三年になるというのにその言葉は一言も話せない。しかし、彼は僅かながらも、私達の言葉が話せるようだった。
「・・・・何?もっときちんと話せ。」
「おとうさん・・・つれてゆかれて・・・・でも、ちがう、たすけて、おとうさんをたすけて!」
 しつこいようだが彼は必死だった。そして熱かった。どうやら、彼の父親が何かの間違いで我々占領軍に連れてゆかれたと言う事らしい。反乱分子と勘違いでもされたのか。もちろん、そういう人々が全く居ないわけでもなかった、だからこそ自分はこの場所に、警備兵として駐屯しているのだ。
「待て、分かった、調べて来るから待て。」
 ・・・・私の言葉が通じたのかどうかは分からないが、私はその燃え盛る若者をおいて、一度駐屯基地の内部に戻った。彼は全く、綺麗に燃えていた。・・・・・これも妙な表現だが。驚くくらい、純粋に怒りたっていたのである。私は、とりあえず彼が言っていた名前を調べた。・・・・・ああ。









「・・・・・・おい?」
 私が戻って来ると、基地の正面入り口に座り込んでいた少年は驚いたように顔を上げた。私が戻ってくるなどと思っては居なかったらしい。彼の顔は相変らず燃えていた。私は憎しみというものを知った、彼等、私達が占領しているこの土地の人々、つまるところ民俗そのものはやはり朴訥としてそう激しい反乱こそ無かったのだが、しかしその根底には、とてつもない情念がほとばしっているのを改めて知った。私はどうしようか、と思ったが、隠しだてしてもしかたないので調べて来たそのままを彼に伝えてやった。
「・・・・・もうダメだ。間に合わなかった、今朝、処刑された。」
「・・・・・・・?」
 私は難しい言葉を使っただろうか。ともかく、彼には良く分からなかったらしかった。そこで、私はもう一回くり返した。
「死んだ。・・・・罪状自体は間違いだったのかもしれないが、もう、死んでいる、お前の父親は、だから助けられない。」
 ・・・・・・・彼は、燃えるような目で私を見ていた。彼はじっくりと考えた。処刑、という言葉は分からなくても、死ぬ、という言葉は彼にも分かったらしかった。黒い石のような瞳が下を向いた。・・・・その平静の彼等では、占領地の住民としては、想像もつかないくらいの熱い何かで私にぶつかってきていたくせに、彼は思いきり下を向いた。・・・・考えているようだった。食って掛かる、その何かが消えた。彼は泣き出しそうだった。・・・・・本当に下を向いた。
「・・・・・おい、」
 私は心配になって声をかけた。しかし彼は顔を上げ無かった。私は遂に彼の肩に手をかけてゆすった。ようやっと彼は私の方を見た。・・・・・先程までの炎のような勢いはどこへやら、全くの抜け殻のような有り様だった。魂が消えてしまっていた。
「・・・・・・おい・・・・・」
「・・・・おとうさ、・・・・・・」
 彼はそれだけしか言わなかった。ぼんやりと宙をただよう彼の視線を見ていて、私は急に妙な悪戯ごころと、それから『ものたりなさ』が沸き上がって来た。




 ・・・・・だって、さっきまであんなに憎々し気に、私を睨み付けていたじゃあないか!




「・・・・!?」
 思い付いて、急に彼の腕を取ると基地の壁に叩き付けた。・・・・何故自分がそこまでもいじわるな気持ちになれるのか、自分でもその理由は分からなかった。
「なに、やめ・・・・・・!」
 今度は彼が叫んだ、しかし私は止めなかった、だってこんなことは誰もがやっているじゃあないか。私はそれを、急にやってみたくなった、自分自身も、やってみたくなったのである。壁に叩き付けて、それでキスするだけでとりあえずはとどめた。それから、その抜け殻のようになった彼を、部屋に引きずっていった。









 本当に彼と寝たかったのか、と聞かれるとかなり考え込まざるを得ない。しかし、私は燃え盛るように反抗的な瞳を見た。それを見て、単純に『負けるものか』と思ったのである。・・・・・軍を志した当初を思い出した。圧倒的な戦闘本能を見た。彼は、最初から不利であった。しかし、それでも私につっかかって来て、そうして負けたのだ。負けた人間は、何をされようが文句は言えないはずだ。
「・・・・っ、いやだ・・・・・やだ・・・・・っ!」
 私は一度、彼の望みを聞いてやった。熱く飛びかかって来たその言葉を汲んで、彼の父親の安否を調べてやったのである。それでもう十分だろう、と思った。そこで抜け殻のようになった彼が泣いて、力無く悲しむのなんかをまったく無視して、
「いやだ・・・・いやだぁああああ!」
 彼を抱いた。・・・・よほど最後の方になって、彼の瞳にはまた憎しみの炎が宿った。・・・・・あぁ。それを見て、私はおもわずにやりと笑った、そうなんだ、そうなんだよ、その目が。




 その目が自分を睨んで。・・・・・深い憎しみと共に。




 私は満足をした。私自身が任務で遂行している占領活動にすら、大した理由など無いくらいなのだ、戦争とはそういうものだ・・・・ああそうだ、戦争とはそういうものだ・・・・彼は私を憎むだろう、心から憎んで、そして永久に忘れないことだろう!!!・・・・私は憎しみを手に入れた、一つの光り輝く、とびきりの憎しみに燃える瞳を手に入れたのである。彼は、私を追ってくるだろう、一生、一生!そして忘れないだろう。相容れない育ちと、憎しみと共に。









 数日後、私は単純な辞令でその国境の町を後にした、しかし・・・・その先のめくるめく人生の事を思って、









(あの朝見たあの少年のあの瞳のことを思って、)









 甘美な目眩が止まらなかった。・・・・・・それは間違い無く戦いのはじまりだったのだ。


 






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