新宿タカシマヤ、タイムズスクエアの前の通りをコウは歩いていた。気がつけばずいぶんと肌寒い季節になり、人々の服装もいつの間にやらボア付きジャケットやらの重装備である。駅から階段を下ってこの通りに出たのだが、そんな重装備の人々の波を、意外に軽装のカバーオールにマフラー、といういでだちでスタスタとコウは抜いてゆく。タカシマヤではなくて、なんとなくその細い通りの向い側、スターバックスの隣にあるリーバイスストアを目指していた。
「・・・・・ええっと。今、十時半・・・だから、これ以上新宿にいると人込みがウザイよな、日曜だし・・・・」
 時計を見て確認しながらリーバイスストアに入る。今日、十二月一日は日曜日で、コウは珍しくガトーの家に泊まりには行かなかったので朝から新宿に出て来ていた。冬物の買い物とか、一人だけの休日にもそれなりにやることはあった。
「・・・・おー。」
 リーバイスストアに入り、とても買えないよ!という値段のREDの新作などを眺めながらレジの脇まで来たコウは、そこで足が止まった。・・・・へぇ。今日って、そうなんだ。
「・・・・・これ、貰っていいんですか。」
 コウはレジに立っているスタッフに聞いてみた。
「あ、『これ』ですか?もちろんいいですよー。でも、『これ』を持ってくだけじゃなくて何か買ってもらえたらもっと嬉しいかなぁー・・・・」
 スタッフは満面の笑みを浮かべながら、実にプロっぽい返事を返す。・・・さすがだぁ、などと思いながらも、コウは考えて・・・511という型番のジーンズを一本レジに持っていった。まあいいや。どっちみち欲しかったジーンズだし。
「え、冗談だったのに。ありがとうございますー。」
 スタッフの返事は相変わらずプロっぽくて、ひたすら感心しながらコウは財布を取り出した。
「御試着はよろしいですか?これ、かなり細みのローライズですよ。」
「今穿いてるのと同じヤツの、色違いだから。」
「じゃ、だいじょぶですねー。ありがとうございますー。」
 スタッフは袋にジーンズを入れてくれて、コウはレジカウンターの上に置いてあったクリアケースから、念願の『それ』を手に取ることが出来た・・・・『御自由にお持ち下さい』、と書いてある『それ』。・・・・そうかあ。今日ってそうだったんだー。












じゅうにがつついたち
















 新宿駅の地下奥深くにあるコンコースから京王線に乗ったコウは、家に戻る前に二つ手前の駅で降りて、ガトーの家に寄ってから帰ろうと思った。・・・この週末、ガトーの家に泊まりに行かなかったのはアレである、さすがにガトーが忙しそうに見えたからである。・・・日本は今年も全く景気が良く無かった。全く景気が良く無い、というより、もうほぼ壊滅に近かった。補正予算案が国会で可決されて、また国債(国の借金)が発行されることになって、だけど銀行には相変わらず不良債券が山積みで、株価はどうしても上がらない、それくらいのことは俺にも分かる・・・というより、経済学部で勉強をしている俺に分からない方がまずい。そう思いながら、コウはぼうっと窓の外を、窓の外を流れてゆく東京の町並みを眺めた。・・・・寒いなあ。そうして、つらい冬だなあ。そんな時に営業の仕事をしている恋人に「仕事が忙しくて本当にお前と会うどころじゃない」なんて電話で言われたら、どんな人間だって会いに行くのなど思わず遠慮する。
 それでもコウは大学のある明大前を過ぎて、更に何駅か進んで、ガトーの住むガトーのマンションのある駅で電車を降りた。・・・少し会うだけだから。それならいいよな。土曜出勤をして、昨日忙しかった分、今日確実にガトーが家にいるのは分かっていた。




 マンションの玄関、その扉のブザーを鳴らす・・・が、出てこない。
「・・・・・うぅん・・・・・」
 合鍵はあまり使いたく無かったんだけどな、ガトーに開けて欲しかったんだけど・・・などと思いながらコウがポーターのウェストポーチから鍵を取り出した瞬間に、ドアが開いた。
「・・・・なんだ。」
 めちゃくちゃ不機嫌そうな顔をして、ガトーが顔を出す。
「・・・・おはよ。」
 とりあえずコウはそう言った。ああ、しばらく寝ていなそうな顔だなあ。
「・・・・何か用か。」
 その台詞も凄い、とは思ったものの、すかさず言い返す。
「あ、いいよ寝て寝て。・・・・俺、邪魔しないし。すぐ帰るし。でも、これだけ言わせて。」
「・・・・・また、『今日は○○の日で』・・・・なんて言い出すんじゃないだろうな。」
 うわっ、バレてる!とは思ったものの、コウは先ほどリーバイスストアのレジからかっぱらって来たものをポケットから取り出した。
「じゃーん!・・・・と、これだけあげようと思ってさ。二個貰った、二個。タダで配ってた。」
 ガトーはかなり訝しげな、そして眠そうな目をしてコウの差し出したその小さな箱を睨む。・・・・オレンジ色の、小さな小さな箱。
「・・・・・・で、だからこれが何だ。」
 それが何なのか、ガトーには分からなかったらしい。というか、コウもリーバイスストアでこの箱を見るまで今日がそんな日であることを知らなかったのだ。そこで、素直にこう言った。
「十二月一日は・・・・・・」
 ほうら始まった、という顔をしてガトーがコウを見た。




「『国際エイズデー』!・・・・なんだってさ。箱に書いてあった。」




 つまり、コンドームである。
「・・・・何か貴様、するとこの箱はつまり・・・・」
「ストップ・エイズ!・・・というわけでコンドーム。サガミオリジナルのだってさ。ほら、有名じゃん。『ゴムじゃないコンドーム』・・・・って、うわあっ!」
 コウがそこまで言った瞬間にガトーがコウの首をひっ掴むとマンションの玄関にひっぱり込む。・・・・あれ。確かに『ゴムゴム』連発するのは、マンションの玄関口でする会話ではないかもしれないけれど、でも俺今日は寄って行く気はなかった、これが、このコンドームが凄く珍しいのだから、だからこれだけガトーにも一個あげて、帰ろうかなあ、と思っていたのに。
「・・・・貴様。貴様な、私は忙しいからしばらくお前に付き合っているヒマは無い、とはっきり言った。」
「うん、それは聞いた、聞きましたよ、電話で!今日も別に寄ってかないって、だけどあんまり珍しいからお裾分けしようと思ってさ。だって、これMTVとリーバイスが協賛してるから、箱にマークが入ってるんだぜ、リーバイスの。こんなコンドーム見たことないだろ?」
「・・・・それで、お前はわざわざジーンズを買って、それを貰って来たと。」
「え、貰うだけなら勝手に持っていって良かったんだ。でも、それじゃお店の人に悪いかと思って。」
 コウの抱えるリーバイスストアのビニール袋を見ながらガトーがそういうので、コウは正直にそう返事をする。すると、ガトーは呆れたように首を振った。
「・・・・ともかく、見栄を張って二個も貰って来たと。MTVとはミュージック・テレビジョンのことか?」
「うん、そう、MTVってスカパーでやってるソレのこと・・・・・あの、でも、見栄じゃ無くて、あのだって使うだろコレ、あのぅ・・・・確かに俺はあの、使わないかもしれないけどさ、ガトーが・・・・」
 何も分かっていない風でそういうコウを見ていて、ガトーはだんだん血圧が上がってきた。・・・コウとガトーが付き合いはじめた頃、その頃、コウはことあるごとにガトーと話をしていて血圧が上がって死にそうになっていた。しかし、それをガトーは知らない。そうしてコウもまた今、ガトーが血圧が上がって死にそうなことなんて知りゃしない。
「・・・・そういうことを話ているのではない。貴様、意味が分かって私に『ゴム』なんぞ持って来ているんだろうな。」
「えっ・・・・・意味・・・・・・って、『ストップ・エイズ』?」
殺されたいのか。
 逃げる隙もなく頭を捕まれ、そうして強引なキスがそのあとに止めどもなく降って来た・・・コウは、仕事が忙しくて、『たまって』いる恋人のところになぞコンドームを持ってくるものでは無かったとつくづく後悔した。
「ちょ、うわっっ・・・・・!」
「・・・・・言い訳があるのならまあ聞いてやる。」
 うわはははは。押し倒されながらコウは思う。というより思ったことを口にした。
「うーん・・・・・分かったこと、って言ったら、あの・・・・良く考えるとガトーってつくづく変態だよな、ってこと。・・・・・・ホント。一年付き合ってやっとそれが分かった!」
 玄関先のフローリングに押し倒されながらもそう言ったコウにガトーが返す。
「男に押し倒されている貴様が変態なんだろう、そもそも。えぇ?!・・・・よくよく考えると。」
 ナニぃっ!・・・・コウは叫び返した。
「あんたのが変態だって!ホモなんだって!・・・・男の俺とか押し倒して、その上、いろいろ楽しむしあたりがっ!・・・・違うか!?」
「男の私の懐に最初に転がり込んで来た貴様の方がやはりどうかと思う!!!」
「いや違う、このクソっホモ野郎!」
「黙れ人間以下の腐れゲイ男!」
 ・・・・・・・・・・そこまで言い合ってから、ふと二人は正気に戻って言った。・・・どっちもどっちだよ、そんなの。・・・・・ガトーに渡そうと思って、手にずっと持っていたリーバイスとMTVのコラボの、コンドームをコウは頭上にかかげる。
「・・・・あのさぁ、」
 もう、その十二月一日、その日、無事に家に帰るのなんか諦めたコウはそう言った。
「・・・・クソったれなホモのあんた。・・・・今年は、素敵な一年だったか?」
「・・・・思考無しでバカ正直なゲイの貴様。」
 ガトーは玄関先でコンドームを宅配してきたコウを押し倒し、フローリングの床に押し倒したままそう言った。
「・・・・・まあ、そこそこにな。・・・・・・・・素晴らしい一年だったとも。」




 ねぇ、今年は。・・・・・・今年は素敵な一年でしたか。




「なら、いい・・・・」
 へへへ、という顔をして、コウは頷く。・・・・知り合い、恋に落ち。・・・・・そして素晴らしい一年だった、・・・・ただ景気は悪かった。明るい話題なんて、一個も無いような今年だった。・・・でも、




 今年が。・・・二度とは来ない今年が、愛する人と一緒に過ごせた今年が、あなたにとってはただ、素敵な一年でしたか、と。




「・・・・・ふへへへへ。」
「笑うな、馬鹿。」




 もちろん、ガトーは貰いたてホヤホヤの、そのコンドームを体調を押して使用する羽目に陥ったその年の十二月一日だったのだが。・・・・・・・・・・そんな。
 そんな一年の締めくくりも悪くは無いなぁ、と思えるような、十二月一日だった。




















2002/11/24 









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