その日は授業が急に休講になって、大学には行かなくても良くなってしまった。なので特にサークル活動もしていないコウは自分の部屋で過ごすことにする・・・・・・都心に出かけていっても良かったのだがただ遊びに行くような用事も思い付かなかったのだ。そして、携帯に誘いの電話をかけてくる友達もその日はいなかった。
「・・・・・・はいはい、浦木です。あらまあ、あなた。」
そんなだらりとした平日の昼過ぎに、自宅に一本の電話が入って、それを母親が階下で受ける声が聞こえて来る・・・・電話は父親からのものだったらしい。普段は自宅で仕事をしている父親だが、今日は午前中からコウとは反対に都心に出かけていっていた。
「ええ。・・・・ええ、この封筒ですね。ありますよ。・・・・ええ、なんですって?」
母親が、父親が事務所代わりにしている書斎に出たり入ったりして、電話に答えている声がまだ聞こえてくる。・・・・子機を使えばイイのに。コウは、何の気なしに繋ぎっぱなしだった自分のパソコンのヤフートピックスの画面を眺めながら思った。父親はパソコンを使う仕事をしているし、自分も使える。しかし、母親は自宅の電話の子機一つ使えないのだった。ひょっとしたらビデオの録画も出来ないかもな。
「分かりました、少し待ってくださいね。・・・・・・コウ!コウ、いるんでしょ、起きてるの!?」
「なんだよー。」
いくら何でも起きてるよ、と思ったコウは急に母親が呼ぶ声に、椅子から立ち上がって部屋のドアを開く。
「あのね、お父さんがとても大事な書類を忘れていってしまったんですって!それで、あなたコレを届けに行ってくれ無いかしら、ええと・・・・恵比須ガーデンプレイスタワー?・・・・ちょっと良く分からないわね、直接お父さんと話しなさい。」
「えー・・・・なんだよその、サザエさんのネタみたいにベタベタなの・・・・母さんが届けに行けばいいじゃないか。」
コウがめんどくさくていやだなあ、と思ってそう答えると、受話器を持ったままの母親から雷のような声が届く。
「私は分かりませんよ、恵比須なんとか・・・・なんて!東京なんてね、銀座に行った事が一、二度あるくらいです、とにかく電話を代わりなさい!今は不景気なのよ、今回の仕事が上手く行かなかったらお父さんの会社は潰れるかも知れないんですからね!そうしたらコウのせいよ!」
・・・・・・・そりゃ大変だ。その上初耳だ、とコウは思った。つーか、ここも一応東京なんだが。そこで、とにかく父親からの電話を受け取る。
「・・・・あ、俺。うん・・・・うん、分かる。それじゃ行くけど・・・え、少し間に合わないかもしれないな・・・・はい。」
コウが受話器を置くと、母親がすごい形相で自分を見ている。行くってば。そう思ってちょっと首をすくめながら、コウはジャケットとウェストポーチを取りに自分の部屋に戻った。パソコンの電源が入りっぱなしだけど・・・まあいいだろう。ADSLだし。
「それじゃ、いってくるし・・・」
「間に合わせるんですよ!」
そんなことは、京王線の時刻表に聞いてくれ、と思ったもののとにかく家を出る。慣れないサイズの書類の袋を持つのも忘れなかった。家を出たとたんに、唐突に今日はとても良い天気だったのだと知る。・・・・ああ。そうか、やっぱり出かければ良かったな、朝から。そうしたら、こんな妙な羽目にも陥らずに済んだ。
ともかく、コウは最寄り駅に向かって走りはじめた・・・・・十月十三日。秋晴れの高い空のその日の出合いが、自分の運命をかえることになると、コウはまだ知らなかった。
じゅうがつじゅうさんにち
コウの父親の仕事と言うのは、つまりこんな内容のものである。彼はサラリ−マンでは無かった。自宅で仕事をやっている。だからといって、自営業とも微妙に違った。
「・・・・・・恵比須ガーデンプレイスタワー・・・の、ロビー。に、二時までに。無理だろー・・・行った事無いけど、迷うんじゃないか、これ・・・」
電車の窓の向こうに過ぎ去ってゆく調布あたりの風景を見ながら、コウはそう独り言を呟いた。平日の、真昼間の電車と言うのは思ったよりも空いている。
さて、ではコウの父親は何をしているのかと言えば、パソコンを通じて、随分インターネットの初期段階から・・・・昔はインターネットとも言わなかったんだよな、ともかく、その初期段階からそれを利用した貿易代行業者のような、そういう仕事をしているのだった。コウはその父親がずいぶんと年をとってからの子供で、若い頃は世界中を放浪した人であったらしい。そのおかげで堪能な語学と、培った人脈を利用して商売をしていて、仕事のパートナーだと言う幾人かの人間には、コウも会ったことがあった・・・・ヨーロッパにいるシナプスさんであるとか、オーストラリアにいるバニングさんであるとか、である。
「・・・・マジでオヤジの会社潰れるのかな・・・・」
電車は今明大前を通り過ぎたところだった。ここからは、普段の通学路の先になる。しかし、この書類を届けねばなるまい。コウは、見慣れた大学近くの風景が過ぎ去ってゆくのを見ながら少し不安になってきた。そうやって、いつも家で仕事をしている父親が、都心までわざわざ出向いてゆくのも確かにいつもと違って珍しいと言えば珍しい。冗談だと思っていたのだが、本当に父親の会社は倒産するのでは?いや、しかしあれは、外国の出資者でもあり友人でもある人々と共にやっている会社だから、日本の不景気だけでどうかなるような事はないんじゃ。父親の担当している部分、というのは日本国内での、ある程度の部分に過ぎないはずだ。コウはどんどん想像が膨らんで、仕舞には会社が潰れる・・・というのがイメージ出来ない為、父親の書斎にあるパソコンが本当に物理的にぐしゃっと潰れるところを思い浮かべてしまって首を振った。
そんな頃新宿に着く。地下のコンコースから階段を飛び上がって、なかなか複雑な作りの駅を通り抜けて乗り換え。・・・・よし、十五分くらい遅刻してしまうのは仕方がないが、なんとか恵比須にはたどり着けそうだ。最善の努力は尽くした、と思う。恵比須に着いたとたんにまた改札から走り出て、コウはとにかく急いでガーデンプレイスタワーに向かった。
ガーデンプレイスタワーが、思ったよりも厳重な警備をひいているのにコウは少し驚きながら入って行った・・・・これは、九月の米同時多発テロ以来のものなのだが、コウは当然そんなことは知らない。このビルには、外資系の企業のヘッドオフィスが多く入っていて、その日コウが履いているジーンズを作っている会社もこのビルに本社があるのだが、それももちろん知らなかった。ともかく、コウはごく平凡な十九歳の大学生で、仕事で書類を届ける、などと言うことは一度もやったことがないのだ。そこで何も考えずに自分の目的の場所の名前を近くに立っていた警備員に告げて・・・警備員に少し不思議そうな顔をされた。しかし、彼は奥の方にあるカフェテリアを指差して教えてくれた。
「ありがとうございます。」
それだけ答えて、コウはまた走る。・・・・着いた!カフェテリアの奥の方の席で、こちらに背を向けて座っている父親の後ろ姿が見えた。時計を見て時間を確認する・・・・二時十五分。
「・・・・・父さん!」
予想通り、遅れはしたがなんとかコウは父親に声をかけるのに成功した。
「・・・ああ、コウ。済まなかったな。」
父親はそれだけ言って、書類を受け取る。そして、すぐにそれを封筒ごと目の前に座る人物に向けて差し出した。・・・・・と、コウはその時初めて、父親の向かいの席に、一人の人物が座っていることに気付いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・デカイ。
それが第一印象である。父親の向かいの席に座っている男は、まあ一目でサラリーマンだと分かるス−ツ姿の外人だったのだが、その容姿があまりに一目をひくのでさすがにコウも固まってその人物を眺めてしまった。・・・・デカイ。身長が、二メートルくらいあるんじゃないだろうか。カフェの椅子が小さく見えた。おまけに、頭が変な色をしている。外国人にはこういう髪の毛の色の人もいるのだろうか。銀色だ。目は紫っぽく見える。しかし、カフェのガラスを通して入ってくる秋の光の乱反射の中で、コウにはあまりその色は良く見えなかった。ともかく、失礼も顧みず、コウはしばらくつったってその姿を眺め続けた。
と、父親が再度封筒を差し出しながらその人物に何かを言う。それは、コウにはワカラナイ言葉だった。・・・・しかし何故か、相手はその封筒を受け取ろうとしない。それどころか、短く何かを言いながら、その封筒を父親に突き返して来た。
「・・・・・え、なんでだ?俺、間違えたの持ってきたか?」
コウが思わず不安になってそう言うと、父親が軽くコウを制した。そして、もう一回何かを話しながらその書類を相手に差し出す。しかし、やはり相手は受け取ってくれそうに無かった。・・・・・コウは何故か焦った。会社が潰れる、という母の台詞と、父親のパソコンが潰れるイメージと、その他にも様々なことが頭の中をとびかう。そこで、また言ってしまった。
「なんでだ?・・・・なんで、受け取ってもらえないの?」
すると、父親がしかたなさそうに短く言った。
「十五分遅れてしまったからな。」
「・・・・って、そんな・・・・!」
やめておけばいいのに、次の瞬間にはコウは叫んでいた。勇み足である。
「十五分くらいダメなんですか!?急いで持って来たし・・・・父の話を聞くくらいは聞いてくれても!」
叫んでから気付いた。相手は、外国人である。日本語は通じないかもしれない。すると、驚いたことにその男はコウを見て日本語できちんとこう言ったのだった。
「・・・・時間を守る、というのは人間の基本だ。それすらも出来ない相手と、まず仕事の話が出来るとは思えん。」
「だけどっ・・・・・・」
初めて自分を見たその男の眼光の鋭さに、コウは思わず逃げ出しそうになる。・・・・こんな視線は初めてみた、いや、だけど・・・ここで引いたら、父親の仕事がダメになるのでは!
「そ・・・そんな理由で話を聞かないでいたら、ひょっとしたらすごい仕事のチャンスだって逃すかも知れないでしょう!それでいいんですか!」
「大体、お前はなんだ。」
男はまったく落ち着いたままそう言った。
「元はと言えば、一番仕事の話に必要だったものを忘れて来たお前の父親が間違っているのだ。お前は、それを届けに来た、家族だかなんだか知らないが部外者だろう。」
「そうなんだけど、でも・・・・!そんなのあんまりじゃないか!!人間味が無いよ!」
「人間味だかなんだか知らないが、私は『仕事』をやっている、非常に多忙なスケジュールの中で動いている!余分な時間など全く無いのだ!」
「おっかしーよ、あんた・・・!」
「・・・・いいかげんにしなさい、コウ!」
そう言って、コウが激高したままその男の脇に歩いて行きそうになったとき、遂に父親がそう言った。そして、軽く響き渡る音。
「・・・・・・・へ?」
父親に、頬を叩かれたのだった。・・・・・・・・コウは、急に我に返った。そうだ。・・・・・・自分は、父親の仕事をなんとかしてもらおうと思って、それでそもそもは頼んでいたのだった。それが、なんでいつの間にか怒鳴っちゃってるんだ。・・・・コウがいろいろ考えているより、父親の行動の方が早かった。
「今回の事は、こちらからお話を持ちかけましたのに非常な不手際で、お時間をとらせてしまったことを申し訳なく思っています。」
父親は今度は日本語でそう言って。そして、驚いたことに床に座り込んだ。
「日本的な感情やら人間味はお嫌いなようですが、ほかにおわびと、誠意をお見せする方法が思い付きません。・・・・どうも申し訳ありませんでした。」
そう言って、父親はあっという間に座り込むと、深くカフェテリアの床の上で土下座した。・・・・・・奇妙な光景だった。さすがに、回りの人間が何ごとだろうと見ている。コウときたら、その妙に乾いた風景を、呆然と見つめていた。
「・・・・コウ、お前もあやまりなさい。知りもしない仕事の話に、口を挟んではいけない。」
そして立ち上がった父親が、コウの頭をグイ、と後ろから押す。コウは、本当にもうどうすればいいか分からなくなって、そして消え入るように小さい声でこう言った。
「・・・・・・・・どうも、もうしわけありませんでした・・・・・・・・・・・」
悔しい。・・・・・・・・・心からそう思った。回りの人間の言っていることが、全部正しい。父親は、自分のせいで土下座までしなければならなくなった。しかも、父親の方から頼んで先方に来て貰っていたのなら、相手には本当になんの否もなかったのだ。そんなことも知らずに自分はただ怒りにまかせて怒鳴ってしまった。・・・・・悔しい。悔しい、悔しい、悔しい!先程とはまったく違う怒りが、自分の中にふつふつと沸き上がってくる。しかし、相手の男からは返事の言葉も行動も、つまりなんのリアクションも無かったので頭を下げていた二人は、やがて顔を上げた。そして、父親は書類を片付けはじめる。
「・・・・・・・・・いや、待て。だからですね、浦木さん。うちの物産会社も、別にあなたの仕事を全て取ってしまおう、とそう思ってこれまでの事業を拡大して来たわけでもなく・・・・・」
と、その書類を片付ける父親の手を、急に男が止めた。見ると、なんとも言えない顔で、男がコウ達親子を見つめている。
「・・・・・いや、だから。申し訳ない、急に私は興味が湧いて来た。そうだな、人間味とは違う、興味だ。いや、本国に居た頃から、面白半分で聞かされてはきていたんだ・・・・・『日本でビジネスをしているといつか「土下座」が見れるかもしれないよ』。面白がって言っているのでは無い、これはだからつまり・・・感動した。そうか、今のが土下座か・・・・そこまで卑下することなどなかったのに、これはとてつもなく申し訳ない気分になるものなのだな。」
「・・・本当ですか、ではお話を聞いていただけますか、ガトーさん!」
父親は一瞬のチャンスも逃す気が無いらしかった。少し熱っぽい、だが落ち着いた声でそれだけ言うと、男が手を延ばした書類についての説明を、だけれども嬉しそうに話出す・・・・その後ろで、コウは小さく父親に手を振られて、出て行け、と言われているのを知った。
コウは何とも言えない気分を抱えたままで、ガーデンプレイスタワーのロビーに再び出て来た。時間を見ると、二時二十分だ。・・・・まだ五分しか経っていない。まだ五分。でも、その五分で自分の人生はまったく変ってしまった、くらいに思えた。まず悔しい。父親を手助けしに行ったつもりだったのに、結局父親に土下座までさせることになってしまった。・・・・・そんなもの一生涯見たく無かった。土下座する自分の父親とか。・・・・悔しい。悔しい、悔しい!自分がもっと落ち着いて話の出来る人間だったら、と思う。しかも、自分が何をどれだけ喚こうが、元から状況など、相手の男の機嫌一つで決まってしまう問題だったらしい。その、父親のあまりの立場の弱さにもショックを受けた。土下座とセットでそれまでの自分を支えて来た価値観が、こう根元から崩壊する感じ。
「・・・・・くそ・・・・・」
外に出てみると、相変わらず綺麗な秋の空である。
「・・・・・くっそぉおおおおおおおお!」
自分が、もうちょっと大人だったら。自分が、もうちょっと父親の手助けが出来たら。もっと上手く立ち回りさえ出来ていたら!父親に土下座などさせなかった、この何とも言えない理不尽さを、きちんとあの相手の男に伝えることが出来た!絶対そうだ。コウはしばらく地面を見つめて腹の奥から唸っていたが、だがしかし大学生の自分にはあまりに出来ることが少ないことに気付いた。どれくらい大学生か、というと、リーバイスのジーンズを履いて、ヘッドポーターのウェストポーチを一つ腰からぶら下げただけの姿でオフィスビルの中で立ち回ってしまう程度にはただの大学生だったのである。
「・・・・・・帰ろう。」
やがて、コウはそれだけ呟いて、恵比須を後にすることにした。しかたがない。自分の力不足、である。それにあの男・・・・何と言っただろうか、そうだ、ガトー。そんな名前だったが、あの男にも二度と会うことはないだろう。そもそも、あの男が悪い訳じゃあない・・・・と思い直そうつするのが、この敗北感はなんだろう。
コウは随分とぼとぼと駅に向かい、そして家に戻って来た・・・・・・敗北感を抱え、だがしかし妙な熱を身体の中心に抱えたまま。
父親より先に自宅に戻ったコウは、母親に今日の顛末を説明しようかと思ったものの・・・・あまりにひどい話でもあるので、それをためらった。しかし、母親は何かに気付いたらしい。
「なにかあったの。・・・・まさか、電車を乗り過ごしたんじゃないわよね?」
「そんなことないよ。・・・・・・それより、父さんの会社ってそんなにマズいの。」
仕方が無いのでそう言ってお茶お濁す。すると、母親がマズいというか・・・・と説明してくれた。父親のやっている仕事は、個人事業の事務所程度のものだ。実体も、ほとんどはネットのなかの取り引きにあるからあって無いようなものだ。その、同じ職種に、たまたまこれまでは参加して来なかった大きな物産会社が最近進出して来たのだという。ああ、それが例のガトーとかいうやつの勤めている会社かな、とコウはぼんやりと思った。母の話はまだ続く。それで、競争で負けてしまうのなら仕方が無いのだけれど、それぞれの特色を生かし、生き延びる方法もあるでしょう。お父さんはそれを話に行ったらしいんですよ、今日。
「・・・・・・・俺、夕飯いらない。」
そこまで聞いて、コウは真っ暗くらいの気分になった。父親の会社は潰されてしまうのだろうか。一緒にやっているバニングさんやシナプスさんはこれをどう思うことだろう。・・・・・俺が頭に来て叫んだばっかりに。
自分の部屋に戻ると、繋ぎっぱなしだったパソコンが見えた。・・・・・・・コウは、思わず検索のページを開いて、そして例の男の会社らしい物産会社のホームページを検索してしまう。チーズ、ワイン、その他もろもろ・・・・円安だと、輸入産業と言うのはかなり辛いはずだ。それくらいはコウにも分かった。こういう時期には、海外から資本を調達出来る外資系の企業の方がなにかと安定していて有利なのかもしれない。どうしよう。しばらく業務内容を紹介する画面をぼんやり眺め続けていたが、埒があかないので・・・・結局眠ってやることにした。あ、今の俺、めちゃくちゃ情けない。
父親が戻って来たのは、ちょうど夕食の時間帯だった。話がある、というので降りてゆく。そりゃあるだろうな、と思った。父親はしばらく難しい顔で、コウを見ていた。
「・・・・・お前は気が短すぎる。もっと落ち着きなさい。」
「はい。」
「それから・・・・今日の仕事の話なんだが、上手くいったので。安心しなさい。」
「はい・・・・・・・・・って、うぇええ!?」
コウは飛び上がりそうになる。・・・・上手くいったって!あの状況で!!??信じられない言葉を聞く思いだった。
「うちのこれまでの特色と業績を、認めてもらえたんだよ。お前が持って来た書類でね。・・・だから、仕事が重なって、取り合いになったとしても安くではあるがこちらに回してもらえるし・・・・これまで回って来なかった仕事も、下請けのように回ってくるかもしれない。だから、安心しなさい。」
「えー・・・・・えー!どうしよう、良かった!俺、本当に潰れちゃうんじゃ無いかと・・・!」
そんな話になっていたのか、と父親が母親に言う。はい、すいませんね、と母親が答えて、ともかくその日は夕食になった。
それでともかく、コウは溜飲をのむような気分を経験はしたものの・・・そのことについては、時々思い出してカッと顔が熱くなるだけで、どうしようもなく恥ずかしくなるだけで、もうほとんど思い出さなくなっていた。あのガトーとかいう男は、父親の会社の取引先にはなったものの、別に父親の仲間であるシナプスさんやバニングさんのようにたびたび会うこともないのだろうと。事実、そのとおりであった。・・・・ところがだ。あの十月十三日から、一週間ほど経ったとある日。
「・・・・・あれ。」
いつも降りる自宅の駅の、二つほど前の駅にたまたま友人との待ち合わせのため夕刻に降り立ったコウ、は目の端をチラリと『銀色』が通り湯ぎてゆくのを感じた。通り過ぎてゆく、っていうか。
「おい、浦木・・・」
ちょうど友人も、コウを発見して声をかけたところだったのだが、コウはそれを無視する。そして、さっきの銀色の物体は一体なんだったのだろうとプラットホームの混み合う人込みの中を睨みつけた。・・・そして見つけた。人込みから、頭一つ分飛び出た男を。
「・・・・・・っ、」
気付いた時には、そちらに向かって歩き出していた。いや、人込みの中で無かったら走っていたのだろうが、どうにも混雑していて身動きが取れない。すいません!とかごめんなさい!を連発しながら、それでもコウはなんとかその男に声が届きそうなところまで辿り着く・・・・・と、そこまで来て気付いた。・・・・あれ、だからと言ってなんと声をかければいいのだろう。
「えっと・・・・ええっっと・・・・・!」
その男が人込みにまぎれて、そして改札から出て行ってしまいそうになり、コウは焦る。そこで思わず叫んだ。
「・・・・・ガトーーー!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さん。」
呼び捨てはまずいだろうと思いあとから慌てて「さん」を付けてみたものの、男には聞こえなかったことだろう。ともかく、男は振り返りあたりを見渡してから、やっとコウに気付いたらしかった。
「・・・・・・ああ。私を呼んだのはお前か?誰だったっけ、どこかで見たような気も・・・・・」
「一週間くらい前に、恵比須ガーデンプレイスで!」
相変わらずに人を見下したような、その男の態度に何故かコウは怒りが復活して来て、かなり乱暴にそう言ってしまった。・・・・なんだ。この人が悪い訳じゃ無いのは分かっているんだけど、なんであんたいつもそんな人を見下した風なんだ(背が高いからしかたないのだが)!
「ああ・・・・・ああ、ええっと・・・・・・そうだ、浦木さんとこの。」
「コウ!・・・・・浦木 巧!・・・・あんたは、ええっと・・・・」
「アナベル・ガトーだが。・・・・それでお前、なんでこんなところにいる。」
「だって、ここ通学路だし、俺の家二駅しか離れて無いし・・・・あんたこそなんでいるの。」
そのあたりで、急にこの男をワケも分からず引き止めてしまった自分の行動が恥ずかしくなってしてしまい、コウは微妙に尻つぼみになった。コウが急に走って行ってしまったので後を追いかけてきた友達がそんな二人を見つけるが、明らかに外国人のサラリーマンと話をしているコウに、声をかけることが出来ずに数歩下がって立ち止まる。それを確認しながらガトーは言った。
「ああ、通学路。なるほど。それで・・・・・・まあいい、何故私がここにいるのかと言えば、この駅が私のマンションの最寄り駅だからだが・・・・いちゃ悪いか。」
「わ・・・・・悪く無い・・・・・」
コウはもう何がなんだか良く分からなくなっていた。ともかく、呼び止めてしまったことは盛大に後悔していた。くっそ、後悔してばかりだ、俺!しかし、ガトーは続けて一番聞いてほしく無かったことを聞いてくる。
「それで、私になにか用事か。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・用事はないんだけど・・・・・・・・・・・」
(おねがい、もうすこし話してみない?)
・・・・・・・そうして。
そうして、物語は始まる。
2002/02/20 ←書いた日
2002/05/05 ←UPした日
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