サアアァー−−・・・・と綺麗で静かな雨の音が戸外には満ちているのだが、残念ながらコウとガトーはその音を聞くことが出来ないでいた。もっとも、雨だということは知っている。目が覚めてみたら、朝だと言うのにどこか暗くて、そうして世界が低くくぐもっていたから。
「・・・・ガトーは雨好きか?」
「・・・・あぁ?」
ガトーは丹念に頭を洗っている最中で、シャワーをまんべんなく浴びていたのでコウの言葉が良く聞こえなかったらしい。適当に返事はしたもののそれ以上に興味を示すこともなく、勝手に頭を洗い続ける。コウは、少しだけため息をつくと湯舟にさっきより深く浸かった・・・・・雨の音が聞こえない主な原因は、ここが風呂場だからだ。当たり前だけど、風呂場だと雨の音よりシャワーの音の方が大きい。
「・・・・俺は雨、好きかな。特に秋雨。梅雨より好き。」
「・・・あぁあ?」
さっきより更に適当な返事を返して、ガトーがコンディショナーに手を伸ばす。・・・・やっと終わりですか!コウは少しほっとした、このままガトーが頭を洗い続けては自分がのぼせてしまう、と思いはじめていたからだ。いくらガトーの家が結構な高級マンションとは言っても、風呂場がずば抜けて大きい訳では無い。日本のマンションと言うのは風呂場に重きをおいて作られてはいない。だから滅多に一緒に風呂に入ることは無かった、今日は特別、というかコウがむりやりわがままを言って一緒に入った。
「秋雨の方がなんかロマンチックじゃないか?」
「・・・・貴様、勝手にお湯の温度を変えるな。」
ちぇ、なんで気付いたんだろう。風呂に浸かっているのに飽きたコウがちょっと蛇口をひねったのに、ガトーは気付いたようだった。だってガトーが話してくれないんだしー。もちろん、そんなワケなので片方の人間が湯舟に浸かっていたら片方は洗い場にいるしかないし、片方が洗い場にいたらもう片方は湯舟に浸かっているしかないのだ。・・・・ガトーは朝風呂派で、今朝はコウも秋雨を見ていたら、どうしてもモワモワと蒸気のこもったお風呂に浸りたくなった、それでとても暖かい気分になりたくなって。
「・・・・終了!次!」
「はーい、次、俺!!」
コウはそう言うと、洗い場に飛び出した・・・・入れ替わりにガトーが湯舟に入る、風呂でイチャイチャとか、そんなの無理無理!少なくとも自分達の図体の大きさでは!
「・・・・そう言えば、学校は始まったのではないのか。」
「あ、気付いた?うん、始まった、ガトーにしてはそれに気付くなんて珍しい・・・・」
「一言余計だ。」
ガトーは洗い終わった髪の毛に、今、丹念にコンディショナーをしみこませているところであった。・・・・ああ信じられないこの人どれだけ髪の毛の手入れに時間をかけるのだろう!!
くがつにじゅうはちにち
実際、後期の授業はもう始まっていた。
「いつ学校が始まったんだ?」
「えーと・・・・二十四日だな、うん二十四日から。」
とてもとても長かった夏休みが終わって、まあコウにとってはガトーの家に転がり込める幸せな時間が終わって大学の授業が始まっていた・・・・コウは、最初に手足を洗うクセがあるのでスポンジいっぱいに面白そうに泡をたてながらそう答える。
「なら家に戻らないか。」
そんなことを頭にタオルをまいて湯舟に浸かったままガトーが言うので、コウは面白くて吹き出した。
「え、俺戻ったよ、それで昨日は金曜日だから、また来たんじゃないか!」
「・・・・・・・・・・・そうだったか?・・・・・・というか今日は休みだったか?」
ガトーは営業畑のサラリーマンで、フレックスで出勤したりもするし、家から直接取り引きに向かうことも多い。なので、朝の八時くらいに風呂に入っていてもまあ、確かに仕事には行ける。
「・・・・今日は土曜日ですー・・・・・」
コウは少し自信が無くなってきてそういった。・・・・今日も仕事なのか?あれ、そうなのか?なんだー・・・・。すると、そんなコウの気持ちを知ってか知らずか、風呂場にまでかけてある時計を眺めながらガトーが言う。
「ああ、土曜日か、それじゃ休みだな。・・・・どうでもいいが十分で身体を洗え、全部。」
なにっ!・・・・コウはまだ気持ち良くスポンジに泡をたてていたところだったのだが、さすがに頭に来てこう言う。
「あんた、自分はさっきあんなに長々と身体洗ってたじゃ無いか!」
「しかし、十分経ったらコンデイショナーを流さなければならないのだ。・・・・そのあとリンス。」
「・・・・・・・・・・・・・」
サアアァー−−。秋の長雨の音なんだか、除湿器の音なんだか、はたまたシャワーの音なんだか良く分からない音が風呂場には満ちていて・・・ああ、あったかい。幸せ。・・・・の、はずだった、こんなに急がされたりしなければ!!
「・・・・ちょっ早(ちょっぱや)、お風呂モード!」
コウはそれだけ呟くと大急ぎで身体を洗い出した。ガトーを横目で睨むと今にも鼻歌を歌い出しそうに上機嫌である。
「・・・・学校はどうだった。久しぶりだったんだろう、友達は元気だったか?」
「夏休みの間にだって少しは会ってたけどさ。」
まるで親のようなことを言うガトーに笑ってしまった。しかし話しかけられたのは嬉しい。そこで、いろいろ話してやることにした。
「キースったらさ、俺とドモンがおかしいって言い出して・・・・」
「キースとは誰だ。」
「え、俺の親友。イギリス人。」
「・・・・・ふーん、それでそいつが?」
本当はあまり興味もないのだろうが、一応ガトーは返事をしてくれる。そこで、ますますコウは話したくなって続けた。手足は洗い終わって身体に突入した。ごしごし。
「でさ、キースは彼女いないんだけど、ドモンは彼女いてさ。」
「よし、ドモンとは誰だ。」
「え、ドモンも俺の親友。昔にさぁ、移民で中南米の方にいって、そこで暮らしてる日本人の子孫の、だけどドイツの方とかにも従兄弟とかいる、ワールドワイドな日系二世だか三世なんだ。」
「・・・・・・・・・貴様の学校はICU(国際基督教大学、帰国子女の多い大学で有名。)だったか?」
「いや?・・・・・ただの明治大学。」
そこまで答えたところでコウは頭に突入した。あーあ。コウは思った。頭を洗うのは少し苦手で、ずっとシャワーを出しっ放しにしなければならないからである。
サアアァー−−。
綺麗で小さな、雨の音が消えてしまう。秋の長雨の音が。
「で?だから、何がおかしいって?」
「えー!」
目を開けない真っ最中にそんなことを聞かれて、コウは大声で怒鳴り返す羽目になった。
「何がおかしいかと聞いている!」
「えー!!・・・・・だから、キースには彼女がいなくて、ドモンには御加村さんっていう彼女がいるの!・・・・それでさ、キースったら、夏休みが終わって出て来たらドモンが、なんだか雰囲気チガウって!御加村さんとなんかあったに違い無いって!」
ここで、死ぬ思いでシャンプー終了。コウは、やっと目を開けるとガトーを見た。ガトーはときたら、だんだんコウの話が面白くなって来たらしい。
「・・・・・ほう、それで?」
やけにじっくりと、ゆっくり湯舟に浸るのも止めて身を乗り出してコウを見ている。
「・・・・・あんまり見ないで下さい・・・・・」
「減らん。」
「減るね!」
「減らん。・・・・・それで?お前も『おかしい』と言われたのだろう。」
「う・・・・・・」
コウは本当は、そのあたりについてはあまり詳しく話したく無かったのだが、しょうがないのでリンスを手に取りながら答えた。
「だから・・・・キースに言わせると、俺も・・・・なんかおかしいから、きっと彼女とか出来たんだろう、って・・・・・・」
どこがおかしいのかは自分でも分からない。・・・・あ、髪の毛は夏前に比べて少しのびたかな。そんなことを考えながらシャワーを全開にした。
「ほー・・・・・・・・」
嫌な感じでガトーがシャワーを止めた!ちょっと待てよ、このままじゃ目があけられない!
「そりゃあなんかあったんだろう、色っぽくなったとか言われたんじゃないのか、何しろあんなに・・・・」
「・・・・・お湯ー!!シャワー!」
悲鳴を上げる目をつぶったままのコウの手を掴んで引き寄せると、ガトーは面白そうにその泡だらけの額にキスをした。
「・・・・・ヤったからなあ、夏中。」
・・・・・シャワー再開。・・・・・っっ、俺、死んでしまうかと思ったー!!
「・・・・・俺、終了!次ガトー!!」
コウはシャワーを浴びてリンスを洗い流した瞬間、そう叫ぶと湯舟に飛び込んだ。・・・・・約束の十分で片をつけたもんね!
「馬鹿、まだ私が出ていないだろう!湯舟をからっぽにするつもりか!!」
「バカはあんただ!」
「そうか?・・・・どっちもどっちだと思うぞ、」
図体のでかい男が二人も一緒に入れるように設計されていない湯舟は、あっという間にお湯が溢れて、蒸気が立ちこめて、見るも無惨な状態になった。・・・ともかくガトーは洗い場に出ると、髪の毛の最後の仕上げにかかる。
「・・・・・・ところでコウ、お前は頭の洗い方はいつもあんな風なのか。」
ガトーは果てしなく適当なコウの頭の洗い方に疑問を覚えたらしく、そう聞いてくる。コウはといったら腹いせに(?)、花王のバブ(固形)の袋を三つも開けて、その中身を湯舟に落としたところだったが、まあしょうがない、答えてやろうかと思った。
「あんな風だね!」
「・・・・・それでそのつるつるの頭なのか。」
「・・・・・さらさらって言えよ!」
花王のバブ(固形)を三つ湯舟に落としたコウは気付いた・・・・・ああ!三つもいっぺんに入れると、これ、溶けないんだ!ちなみに、花王のバブはガトーの柄じゃない、深夜にコンビニに行って、コウが面白がって買って来たものである。
「・・・・・・ガトー、大変だ、」
そこでコウは丹念に髪の毛に最後の仕上げをしているガトーに言った。
「あぁ?・・・・・ふざけるな、なんでそんな適当な手入れでつるつるの頭なんだ・・・・」
「さらさらって言えよ!・・・・・それより、コレ、面白い・・・・・・」
コウはと言ったら、手のひらの上に溶けないバブを載せるのに夢中になっていたのであった。・・・・・しゅわしゅわしゅわ。溶けないバブは、手のひらの上で泡をだし続ける。・・・・・・サアアァー−−。窓の外で、雨は降り続ける。
「何が。全くだなー、人がこれほど苦労して髪の毛を維持しているのに・・・・」
どうやらガトーはコウの髪の毛を少しうらやましく思ったらしい。コウはと言えば、まったくバブに夢中になってしまって、あまり話を聞いていなかった。・・・・面白いなあ、これ!!
「・・・・・別のやつ混ぜたらどうなると思う?別の匂いのヤツさ。・・・・・花王のバブ。・・・・『ゆず』と『もも』、とか。」
「そう言えば九月は祝日がたくさんあったのに、」
話題はコウのおかげでまったく別の方向に切り替わって、色気もなにも無くなってしまっている。そこで、仕方ないので丹念にリンス中のガトーは思い付いたようにこう聞いた。
「お前、何処かに出かけようとか、記念日!とか叫ばなかったな。」
「・・・・・泡が手のひらで気持ちいい。」
コウはバブが面白かったのだがそんなことを言われたので、名残惜し気にバブのかけらを湯舟に落とすと、ガトーの方を向き直ってこう言う。
「うん?・・・・・だって、祝日とか記念日とか別に今月は良かったな、だって夏中、」
サアアァー−−。・・・・・・・雨の音。
「・・・・・・・・・ガトーと一緒にいられたからさ!」
さて、コウの言葉をどういう気持ちでガトーが聞いてくれたのかは知らないが、いつもより早くガトーはリンスを切り上げた。シャンプー、コンディショナー、更にその上にリンス!この努力が、美しい髪を作るのである。たゆみなき努力の結果である。
その後、二人はとても綺麗な秋の長雨の音のする部屋で、なんでもない九月二十八日を楽しんだ。・・・・・なんでもないところが、その日は実に良かったのである。
2002/09/29
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