「・・・・・さて、今日は・・・・・」
 目が覚めるといつも通りのベットの中だった。いつも通りの、というのもなんだか恥ずかしい表現だが、実際に恋人がいて、そうしてその恋人の家に来て週末を過ごすような日々を、このところずっと送っているのだからこんな場所で目が覚めてもしかたがない。裸でぼんやりとあたりを見渡したコウは、寝室のカーテンの隙間から見えるおそらくかなり暑いであろう七月の空を眺め、それから天井を眺めた。
「・・・・・・今日は何の日でしょう!!」
「・・・・・・うるさい、」
 となりに寝ている人物の返事もこれまた『いつも通りの』ものだった。・・・・男のコウが目覚めたのに、ベットの隣から聞こえてくるのもやはりドスの聞いた男の声である。つまり男同士なのに付き合っているのだった、コウは思わず面白くなってしまって掛け布団を蹴り上げた。ニョキっと、色っぽくもない骨ばった裸の自分の足が宙に飛び出す。
「今日は、七月七日の日曜日です。さて、今日は・・・・」
 あまりに面白がって布団をバタバタやりながらそう言い続けたものだからついに隣の男が怒った。
「・・・・・動くな。静かにしないか!」
「だってもう朝だ!いや、多分昼近く!!」
「・・・・・いいから動くな!うるさい!私はまだ寝るつもりだ!!」
「ぎゃー!」
「動くなと言っているだろう!!」
「質問に答えろよ、今日は何の日でしょう!」
 すると驚いたことに、暴れるコウにのしかかってなんとかその動きを止めようとしていた男が、顔は全く上げないままにこう答えたのだ。
「・・・・・・今日は『タナバタ』だ。」
「!!・・・・・・なんで知ってるんだ、そう、当たりだよ!!」
 おっどろいた!これまで面白がって、コウは何度もガトーに聞いて来た。「今日は何の日か」・・・・どうしてかと言うと、ガトーは外国人で日本の風習にはあまり詳しくないからだ。ところが、今日は正解を答えた。
「私が『タナバタ』を知っていてはまずいか。」
「いや、まずく無いけどさ。・・・・さて、それでは七夕はどんな日でしょう。」
 ・・・・・・・・・ここで長い沈黙。













しちがつなのか
















「・・・・・ひょっとしてガトー、今日が七夕なのは知っているけど、七夕が何の日かを知らないのか?」
「知っているとももちろん。」
 ガトーはそううそぶいたが、あからさまに行動が怪しくなって急に飛び起きる。そして、シャツを簡単に羽織って下着をつけ、ズボンを拾い、寝室から出て行こうとした。
「・・・・・って、ならどういう日か言ってみろよー!なんで部屋から出て行こうとするんだ、ちょっと?」
「・・・・トイレに行ってはまずいか。」
 するとガトーは部屋の出口で振り返り、コウを少し睨みながらそう言った。ついでに、立ち止まったのでこれ幸いとズボンまでそこで穿いている。
「別にまずく無いけどさ・・・・えー・・・・・・」
 あやしい。コウは思った。絶対に怪しい、あれは『七夕が何の日か知らない動き』である!!しかし、ドアから出てゆく背中に向かって叫んでやった。
「そんじゃ、帰って来たら七夕が何の日かちゃんと俺に説明してみせてよねー」
「・・・・そんな義務は私には無いぞ!」
 それだけ言うとドアがバタン、と閉まる。・・・・・ベットの上に起き上がっていたコウは少し首をすくめた。なんだよ、可愛くないの!・・・・・それからしばらく考え込んで、訂正する。・・・・・なんだよ、今の可愛いガトー!・・・・いや、ガトーが可愛くたって困るけど。
「・・・・・・そうだ、」
 しばらく考え込んでいたものの、時計で時間を確認してからベットの足下に転がっていた下着やら洋服を拾おうと下に降りた。トランクスだけ穿いて、クーラーの冷たい空気が吹き出してくる真ん前あたりに仁王立ちになって、思い付いて携帯電話に手を伸ばす。明日一つ授業が休講だった気がする。が、覚えていない、確認しないと。そう思って、コウは一本の電話をかけた。
「あ、もしもしー。俺ー・・・・」









 寝室から居間に飛び出したガトーは、部屋を横切るついでにテレビの脇にあった電話を手にとった。玄関に置いてあるのが親機で、これは子機だからそのままトイレへ直行出来る。・・・・・まずい!ガトーは少し焦っていた。あのバカは、どうして月に一度くらい「今日は○○の日ー!」などと言ってはやたら喜ぶのだ!
「・・・・・・・もしもし、」
 洗面所に飛び込んだガトーは、電話のボタンを押して小さな声でそう言った。









『コウ?』
「うん、俺。ドモン?今、なにしてる?」
『俺はラーメンを食っている・・・・・・』
 コウが電話をかけたのは大学の友人のドモンにだった。確か、記憶が間違っていなければ明日休講のはずの授業を、ドモンも取っていたように思ったからだ。
「えー。一人でか?」
『いや、兄さんとレインと一緒・・・・』
 電話の向こうからは、ズズー、という容赦ない物音が聞こえてくる。思わずコウは、トランクス一丁でお腹を抱えてそこに座り込んだ。なんてことだ!・・・・・ラーメンの音を聞いているだけで腹が減って来た!
「なんで休日に、お兄さんと御加村さんとラ−メン屋なんだよ・・・・」
『話すと長いんだ・・・・本当はレインが御飯を作りにうちに来てくれたんだ。ほら、うちって男ばっかの家だろう。・・・・だけど、俺と兄さんちょっと失敗してレインを怒らせちゃったんだ、それでもうお昼の時間になってしまったからもうラーメンおごるよ、って兄さんが言い出して・・・・』
「・・・・・・」
 コウにはいまいち状況が分からなかったが、何か大変なことがあったのだろうな、と電話の向こうから聞こえてくる御加村さんの『ほら、おつゆをこぼしそうよ二人とも、食事の最中に電話なんて!』という叫び声を聞きながら思った。









「・・・・・もしもし、」
 確かに今日が『タナバタ』だと言うことは知っていた。最寄り駅からこの自宅マンションまでの間にある小さな商店街に、いっせいに謎の笹の木が飾られ、そこには小さな紙までがヒラヒラと付いていて、呆れて見上げたガトーに気の良さそうな魚屋の店主が『タナバタだからねー、七月七日は!』と教えてくれたからである。・・・・しかし確かに、それ以上の知識は私には無い!
『・・・・あぁ?誰だー?』
「キョウジか。・・・・私だ、ガトーだ。お前、『タナバタ』がなんだか知っているか?知っていたら今すぐ教えろ、早急に!」
 ガトーが電話をかけたのはキョウジであった。職場の友人で、日系二世だか三世だかの男である。ヤツならタナバタが何か知っているに違い無い!!
『はぁ?何を言っているんだ、お前、』
「いいから教えろといっているだろう!」
『それが人にものを頼む態度だろうか!』
 キョウジは至極もっともなことを言った。おまけに、洗面所のドアに張り付いている自分とは裏腹に、何故か陽気な音楽やら、ズズー、と汁をすすり上げる音が聞こえてくる。
「・・・・・ちょっと待て、お前何処にいる?」
『ラ−メン屋だ。・・・・そうか、七夕に関係無くもないな。弟と、私自身も昔から知っている幼馴染みの弟の彼女と、ラーメンを食っている。』
 何故ラーメンがタナバタに関係があるのだか、ガトーには全く分からなかったが、その時『ほら、おつゆをこぼしそうよ二人とも、食事の最中に電話だなんて!』という女性の声が聞こえて来てガトーは頭を抱えそうになった。・・・・ああ、腹が減りそうなことを言うな!それよりも今はタナバタが何かを知らなければならないのに!!









「なあ、御加村さんによろしくって伝えといて。あと、ラーメンちゃんと食べて。」
『おう、食ってる。』
 コウはもうお腹が減って減ってしかたなくなってきてしまったので、さっさと電話を切ろうと思った。
「それとさ、明日の三限の近代経済基礎概論って、休講だっけ?」
『うんうん、それ休講。アダム・スミス嫌いだから助かったぜ。』
「・・・・・どうしてアダム・スミスが嫌いなんだ?」
『髪型が暑苦しいから。』
 ・・・・・・・・それで、コウはドモンとの電話を切った。・・・・確かにアダム・スミスの髪型はむさ苦しいよ!でも、それと関係なく俺、お腹が減ったなあああ!そこで、携帯を放り出すと慌ててTシャツとジーンズを着込んだ。









 ガトーは更に焦っていた。
「だから、何故ラーメンとタナバタが関係あるのか、早く言わないか!」
『うん、つまり、七夕というのはそもそも中国のお祭りなんだ。な、中国ということろがラーメンと関係あるだろう?・・・・昔、織姫と彦星という二人の人間がいてな。・・・・いや、人間か?ともかく、その二人は空に住んでいるんだが、年に一回しか天の川を渡って会えない、とそういう可哀想なことになっている!その、年に一回出会える日が今日、七月七日で・・・・分かったか。それが、日本では何故かその日に笹を飾って、そこに願いごとを書く日になってい・・・・』
 そんなキョウジの説明を最後まで聞かずに、失礼なことにガトーは電話を切った。・・・・寝室のドアを開いて、コウが居間に出てくるのが分かったからだ。









「・・・・ガトー。いつまでトイレ入ってるんだぁ?」
 コウはすっかり身支度を済ませて居間に飛び出して来た。・・・・・もう、お腹が減って減って!
「人聞きの悪いことを言うな。」
 ガトーは、切った電話の子機を洗濯カゴの中に隠すと、洗面所の中から出て来て言った。こちらも、身支度はほとんど終わっていた。
「・・・・・で、七夕が何の日か分かってるのか???分かってるんだよな?」
 変なところで意地が悪い。ガトーはそう思ったが、居間のソファのあたりでコウを捕まえると、むりやりそれに座らせてこう言った。
「・・・・・年に一回、織姫と彦星があえる日だ。」
 それを聞いて、コウの目が面白いくらい丸くなった。
「・・・・正解!凄い、本当に知ってたのか、ガトー、俺そのことを考えるといつも暗くなるんだ。」
「暗くなる?・・・・何故。」
 さすがに分からなくてガトーは聞いた。
「だって、年に一度とか・・・・・」
 すると、コウは持って来た靴下を履きながらこう言った。









「年に一度とかしかガトーに会えなかったら、俺死んじゃう・・・・・・」









 環八沿いの一軒のラ−メン屋では、とある兄弟がその幼馴染みに怒られているところであった。
「・・・・二人とも、行儀が悪すぎるわ、食事中に電話に出るのはどうかと思うわ!」
「だけどレイン・・・・」
「電話は向こうからかかってきて・・・・・」
 すると彼女は首を振ってこう言うのだった。
「んもう!そういう問題じゃないのよ、私今日は二人の為に本当に食事を作ろうと、気合いを入れて朝早起きしたのよ!材料だって山ほど持って行ったわ、貴方達のうちに!・・・・・それなのにガスが止められてるだなんて、二人ともね、常日頃の生活が・・・・!!」
 あまりのレインの剣幕に恐れを為して、兄弟は思わず逃げ腰になった。
「・・・・ちょっと!今日はラーメンでごまかされましたけどね、今度こんなことがあったら・・・・絶交なんだから!聞いているの、二人とも!」
 ああ、お姫様の機嫌は三日間くらい言うことを聞き続けてあげないと直らないかもしれない!









「・・・・・死ぬことはないだろう。」
 呆れてガトーはそう言った。
「いや、死んじゃうかも、今はちなみに、お腹が減って別の意味で死にそうだけど、うぅーん・・・・」
 そう言って、コウはガトーの胸にゴシゴシ頭をこすりつけてくる。
「・・・・腹は私も減ったな。どうだ、ラーメンでも食べに行かないか。七夕と関係あることだし。」
 それを聞いて、コウはまた目を丸くした。
「・・・・すっごい!俺、今めちゃくちゃラーメン食べたかったんだ、良く分かったねー!」
「私も食べたかったんだがな。」
「なあ、せめて一ヶ月に一度くらいは会おうなー。」
「・・・・・今も会っているだろうが。」









 もちろんその後、昼の十二時もとうに回っているような時間だったのだが、二人はラーメンを食べに商店街に出かけていった。魚屋の店主がこれに書けば?と小さな短冊をくれたので、思わず願いごとを書いて笹に吊るして来てしまったとか、そういうことをやって、小さく楽しんだとか、あまつさえ願いごとの内容はもちろんヒミツの、









 そんな七月七日だった。・・・・梅雨があければ夏本番、である。


















2002/07/30










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