「・・・・・あ。」
 その日の朝カレンダーを眺めて、コウは急に気付いた・・・・そうか。
「おー、あぁー・・・・・・・そうかー。」
 そのままぶつぶつとつぶやきながら、階段を下って台所に入る。母親は朝食の準備を済ませて、何故か少し怒ったような顔でコウを待っていた。
「コウ、お母さんはあれほど昨日早く起きるように言いました。」
「・・・・・そーだっけ?・・・・何でだ?」
 まったくこの子は・・・!と言いながら、母親は御飯をこれでもかと山盛りによそっている。
「忘れたの、昨日から・・・・ワールドカップが始まったのよ、ええとあの、ほら・・・・フーリガン?フーリガンとかいうのに巻き込まれて学校に遅れても私は知りませんからね、早く学校に行くにこしたことはないでしょう!!」
「・・・・・・・・・」
 コウは頭をぼりぼりかきながら、目の前の御飯に手を合わせた。・・・・ああ。ではなんだ、母親の頭の中では、さいたまスタジアムが京王線沿線にでもあることになっているらしい。
「それから、なんでしたっけベッカム?ベッカムはかっこいいけどお母さんはトッティもかっこいいかと思うんだけど、どう思う?あら、あなたおはようございます。」
 その時、遅れて父親が台所に顔を出した。
「・・・・ちょうど良かった、父さん聞いてやってよ。このままだと俺、別の意味で授業に遅れるし・・・・・」
「・・・・父さんはデルピエロがかなりかっこいいと思うんだが・・・・」
 苦笑いをしながらそう言う父親とバトンタッチして、コウはあっという間に朝御飯をたいらげるとそそくさと台所を出る。気を付けて学校に行くんですよ!という母親の声がまだ背中に聞こえてくる。何だ。まるで大学が厳戒体勢の六本木にでもあるような言い方だなー!
 コウは少し面白くなったが、ともかく適当に準備を済ませると大学に向かった。今日は土曜。授業は語学が一限だけ、だ。・・・・そういう、




 ワールドカップが開幕した六月一日のことだった。













ろくがつついたち
















「やー、俺100パーセントイギリス人なんだけど、サッカーってぜんぜん分からないんだよねえー。」
 教室から出て来たコウを捕まえて、そう言ったのは友人のチャック・キースだった。ちなみに、この授業をキースが一緒に受けていた訳ではない。なにしろ、授業は英語の授業だったからだ。
「生まれてから数回しかイギリスに行ったこと無いんだし。それも、ばあちゃんちにさ。小さい頃、イギリス行って従兄弟と会話がうまく通じなかった時、あの時はショックだったなあ・・・・・」
 どうやらキースも、人並みにワールドカップの話をしたいらしいのだがどうも内容が程遠い。
「今は通じんのかぁ、英語?・・・・俺と一緒に、授業受けるか?」
 コウがそう言って授業のテキストを見せると、キースが少し怒ったような顔でコウを睨んだ。
「あーのねー、コウ君!俺はもう、通訳ボランティアでワールドカップに参加しようかと思ってたくらい今は英語ベラベラですよ!!うおりゃー!」
 そう言いながら、キースはコウに軽くヘッドロックを仕掛けてくる。そのまま、二人は通路をしばらく歩いていった。
「ともかく、詳しく無くても六月はサッカーの月!がんばれイングランド!!」
 コウはというと、キースのその台詞に今朝急に気付いたことを思い出した。そうだ、六月。六月って言ったら・・・・。
「・・・・なあ、キース。そういえば、六月ってさ・・・・」
 と、コウが言いかけた時、廊下の向こうからドモンが歩いてくるのが見えた。
「ドモーン!!お前、応援チームは何処だあ!!」
 とたんにキースが叫ぶ。ドモンも二人に気付いて、そして駆け寄って来たのでコウの言いかけていたことはそのままになった。
「・・・・・俺はサッカーは分からない!」
 嬉しそうに走り寄って来たのに、ドモンもそんなことを言った。・・・ああ、なんだ。コウは思う。じゃあ、三人ともサッカーはいまいち分からない、ってことだ。しかし、人並みにサッカーの話とかしている自分達がなんか面白い。
「サッカーは分からない・・・・が、見たい映画ならある!」
「は?」
「何?」
 さすがに、そのドモンの台詞には付いてゆけずにコウとキースは聞き直した。何故サッカーの話をしていたのに、急に映画の話に?
「その名も・・・・・・『少林サッカー』!!」
 あまりのタイトルに気が抜けて、キースはやっとコウの頭を抱え込んでいた腕を放した。
「すごいぞ、この映画は・・・・なんと少林寺拳法と、サッカーの融合という未知のジャンルで・・・・・おい?・・・どうした、どうして二人とも先に行く!!??」
 『少林サッカー』を見に行かないか、というドモンの熱いリクエストはとりあえず却下にして、三人はいつも通りに一緒にお昼を食べると、その日は別れた・・・・・もちろん、六本木には行かなかった。




 自分の家の駅の二駅前で、コウは悩んだ挙げ句に電車を降りた。・・・・・今日は土曜日。ってことは、運がよければガトーは家にいるはずである。
「ベッカム・・・・よりガトーの方がかっこいいけどな。トッティ・・・よりもガトーの方がかっこいいと思うけどな。デルピエロ・・・は、うーん!・・・・微妙かも・・・・・」
 少し考え込みながら、駅前の商店街をうろうろしていて、いつの間にやらそんなことを呟いていることに気付いたコウは、あからさまに真っ赤になって立ち止まった。・・・・っていうか何を考えているんだ、俺!!
「と・・・・とりあえず・・・・」
 コウは出て来たばかりの駅に引き返した。駅の中・・・というか、その出口付近の高架下に、たしかあったはずだ。
「・・・あった。」
 それは、ケーキ屋だった。パティストリーなんとか、という洒落た名前の。しかし、いつからケーキ屋はパティストリーなんていうようになったんだ。ケーキ屋さん、でいいじゃないか。コウは入り口でまだ少し悩んだが、とにかく中に入った。
「いらっしゃいませー。」
 とたんに甘い匂いと、店員の声が鼻をつく。・・・・うーん!!ケーキ屋さんに入ってしまった、一人で!!・・・・コウは悩んだ。土曜日の昼過ぎに、こころから悩んだ。なんども、ショーケースの前をいったりきたりした。その結果、こう言うことにした。
「す・・・・・すいませんなんか適当に二人分お願いします・・・・・」
 その、あまりに可哀想なコウの惨状に店員は同情したらしい。あまり質問もせずに、適当にケーキを二個、ちいさな箱に入れてくれた。コウはお金を払って箱を手に持つと、ケーキ屋を飛び出した。・・・ああ、緊張した!!そして、その箱をぶら下げてガトーのマンションに向かった。・・・・・だって、六月は。




 フロントのインターフォンから話し掛けるとガトーの声がした・・・・やった!ということは、今週は土曜日休みが取れたということである。
「ワールドカップ、始まったねー。」
『・・・・・そういう無駄っぱなしは上がって来てからしろ・・・・』
 少し機嫌が悪い様だったが、コウは喜んで部屋に向かった。チャイムを押す。・・・・ガトーが顔をだす。
「・・・・・寝てたのか?」
 中途半端にラフな格好で顔を出したガトーにコウはそう言った。
「・・・・帰って来たのが明け方だったからな。」
 あんまりガトーが大変な様なら帰ろうか、とも思う。ともかく、コウは持って来たケーキの箱を差し出した。
「なんだ、これは。」
 ガトーが言う。
「ええっと・・・・・」
 コウは説明がしづらいな、と思った。・・・・・だって、六月は。
「あの・・・・六月って、日本は『祭日』が無いんだ。・・・・カレンダーを見て今朝気がついたんだけど。」
「・・・・・それで?」
 ガトーは半分あくびをしながら、その小さなケーキの箱を見つめている。・・・うーん、やっぱ機嫌悪いなあ。帰ろう。そう思ったコウは、ガトーの手を取ると無理矢理そこにケーキの箱を載せた。・・・・あっ、やっぱデルピエロよりも、近くで見るとガトーの方がかっこいいなー。適当にのびてる不精ヒゲ。うーんいいカンジだ。
「それで、俺、あの、無いなら作っちゃおうかと思ってさ。」
「・・・・・・・は?」
「・・・・だから、六月の祭日。・・・それで、今日にしてみたんだ、今日、記念日な。・・・・・それでこれ、お祝のケーキだから。食べて、寝不足解消して元気出せよ。」
 コウはそれだけ言うと、ドアから離れる・・・・と、ガトーがさすがに言った。
「・・・・いや、全く分からんぞ、なんの!だから、なんの記念日!!」
 実を言うと、それはコウもあまり言いたくなかったのである。思い付いてとても恥ずかしいような気がしたからだ。
「ええっと・・・・」
 しかし、聞かれてはしかたないので、コウはドアから数歩離れた場所で少しだけ恨めしそうに振り返るとこう言った。









「・・・・・・俺達が付き合って五ヶ月記念日。・・・・・あの、一月一日に付き合いはじめたから。」










 ガトーは一瞬固まった。・・・・それから、ゆっくりと手に持ったケーキの箱を見た。ついで、上を向くと幾つかコウには分からない言葉で悪態をつく・・・・・多分。良く分からないが、コウには悪態をついているように聞こえた。・・・・と、更に次の瞬間、スゥエットにTシャツという、実に適当な格好で、更に靴も履かないまま何故裸足で、マンション前の通路に走り出して来た。
「・・・・・冗談じゃ無い!」
「うわああああああ!」
 ガトーは右手にケーキの箱を持ったまま、左手で結構な体格のコウを回収すると部屋の中に飛んで帰って、そうしてドアを閉める。
「冗談じゃ無い!」
 ガトーはもう一回そう言った。それから、部屋の中に放り込んだコウを見て溜め息をついた。
「・・・・・・冗談じゃ無い!」
 あ、これで三度目だ、やっぱダメだったか・・・・・と思ったコウの頬に、額に、首筋に、たくさんのキスが降って来る。
「・・・・・え?」
「・・・・・だから・・・・・!」
 ガトーはついにケーキの箱を放り出した。・・・・えー、ここかよ!ここ、フローリングの床の上なんですが!!コウは思った。
「・・・・・そんなこっぱずかしい記念日を一人で祝えるか!!」




 もちろん、コウが大慌てで家に電話をかけたことは言うまでもない。今晩は帰れません。・・・・六月は祭日が無い。けど、作ってしまえばいいじゃん。でも、そんなにダメだったかな、『付き合って五ヶ月記念日』?その後、たくさん意地悪をされて泣かされたのでそう思ったコウだったが、のんびりベットの中からワールドカップを観戦するのも悪くもないなあ、と。




 そんな風に思えた六月一日だった。・・・・・当然ガトーの方がどの選手よりもかっこいいとコウは思った。


















2002/06/04










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