しがつついたち
ガトーと付き合いはじめた、今年の元旦から、とても毎日幸せであったのでコウは春休みが終わって……そして大学が始まってしまうのが残念で仕方なかった。……いや。それが、大学生にあるまじき態度なのは分かっていたが!
しかも相手は男で、しかもサラリーマンで、この不景気にしては忙しい外資系のガイジンさんだったりしたから、倫理的にも問題があるし、自分とあまりスケジュールが合わないのも仕方ないかな、とは思っていたのだが!
それでも、コウは青春を謳歌したいさかりの十九歳であったので、春休みもあと数日というその日に、三日ほど家をあける、と母に宣言して、ガトーの家に遊びに来たのであった……合鍵は、ようやっと奪取に成功していた。
「………あ、やっぱり。」
だがしかし、その平日の遅い時刻だというのに、ガトーは家にいなかった。コウはお泊まり用の大きな荷物を居間のソファの上に放り投げて、ちょっとその部屋の中でぶんぶん手を振り回してみた……空しい。
「ま、いいか……」
バックの中からあらかじめ用意して来ていたお菓子や雑誌やお酒を、次々取り出して居間の机の上に広げる。ガトーのマンションは中々に高級で、そして冷蔵庫は全然使われていなかったが、しかし氷だけはちゃんと作り置きされていることをコウは知っていた。そこで、ジャンクフードを食いながらオンザロックを作って、ウィスキーなんかを飲んでみる。ずいぶん暖かい季節になった。元旦の頃は、お湯割りが美味しかったのに。
「………おー。小雪、かわいいねぇ、小雪………」
雑誌を見ながら、テレビもついでに見ながら、コウは居間にどっかり陣取って一人暮らし気分を満喫してみる。が、それもやがてつまらなくなって、早くガトーが帰って来ないかなあと思い始めた。と、そこで気が付く。……マズい、俺、ガトーの晩御飯になるようなもの何も買って来てなかったよ!
しかし当然、コウは料理など出来なかったし、この家には食材と呼べるようなものも何も無かった。
「……ま、いいか……」
一瞬、ガトーが怒るかな、とは思ったものの、しかしコウはお菓子と酒を堪能し続け……そして、そのうちそれにも飽きて寝てしまった。
目が覚めたのは、夜中の三時過ぎ頃だったのではないかと思う。……見ると、なんとガトーはまだ帰って来ていなかった。……今日、何日?
コウは考えた……ええっと、新学期の在校生オリエンテーションまでにまだ三日あると思って昨日家を出て来たから……四月一日?
「……んー……がとぉー……」
ガトー本人が聞いたら、間違い無く押し倒すのではないかというような色っぽくも情けない、十九歳らしからぬ声をあげて、コウは目をこすりながらソファの上に身を起こした。
……ってか、なんで帰って来ないよ! 俺が来てるのに。
「………ようし。」
一瞬風呂に入ろうかな、と思ったものの、その間にガトーが帰って来てしまったら勿体無いのでやめることにする。そして、四月でも真夜中の居間はなかなか肌寒いということを知ったので、前からやってみたくて仕方の無かったことを実行してみることにした。
まず、ガトーの寝室に向かう。そこには作り付けのクローゼットがあって、その中にはガトーの洋服が入っていた。
「……これこれ!」
コウは、酒の抜けない頭で一枚のコートを取り出した……案の定、忙しすぎるサラリーマンのガトーは、冬物の洋服と春物の洋服の入れ替えも出来ていないようで、コウが知っている場所に、その服はしっかりかかっていた。
………身の丈ほどもある、ロングコートである。
コウは、ずいぶん前からガトーがそのコートを持っていることを知っていたが、しかし何故か冬中そのコートを着る様子が無かったので、ある日疑問に思って聞いたことがあったのだった。
「なんで、それ着ないんだ?」
ガトーの返事はこうであった。……身の丈ほどもあるロングコートは、今のコートの流行りとは違う。だがしかし、このコートは特別に作ってもらった一枚だから、だから片付ける気にもならんのだ。……私は背が高すぎるので、既製品のロングコートではロングコートにならない。今の流行りはミドル丈のビジネスマン用コートで良かったな。
「…………」
コウは、すこし寝ぼけた頭で、どきどきしながらそのコートを取り出した。……真夜中の寝室で、それを羽織ってみる。いくぶん神聖に、何故かゆっくりと。………そして、当然の結果を目にして叫んだ。
「……くっそぉー!!」
……大きい。大きすぎるのである。いや、肩幅が大きいのは分かるし、我慢も出来る。自分を抱き締める肩の幅を知っている。……問題はその一点ではない。
「ちょっと待てって! ……引きずるって、これ!」
ガトーが羽織って、ちょうど足首くらいの長さになるであろうロングコートは、当然のようにコウが着ると床を摺るサイズになるのだった。……悔しい。分かってはいたが、こんなに悔しいものだとは!!
コウは、そのコートを羽織ったまま大慌てで居間に引き返してきた。そして、駆け付け三杯、思いっきり水割りを飲んだ。本当はオンザロックを飲もうとしたのだが、氷が眠っている間にすっかりとけてしまっていて、それで仕方なく水割りになってしまったのだ。
「……くっそぉー!!」
コウはもう一回そう言った。自分が着ると、まるでガウンか何かのようだ。いや、やっぱりガウンよりひどい! ……だって、引き摺ってるから!
「……くっそぉ、ガトーめ……うーん、におい、ガトーのにおいだなー……………寝る。」
ともかく、コウはガトーのコートにくるまったまま、今度こそ暖かく眠ってやることにした……そもそも、ベットで素直に寝れば寒く無いのだが、どうも一人でガトーのベットに潜り込む気にはなれない。それに、悔しいサイズのガトーのコートは、明らかに酔っ払ったコウにとって『シアワセ』であった。
まるでガトーにくるまって寝ているような香りのする。
とてもとても暖かい。
というわけで、その日の午前四時を回ってから豪勢にタクシーで帰宅した(当然終電は終わっていたので、都心からタクシーチケットを利用して帰って来たのだった)ガトーが目にしたものは………自分の大切なコートに皺をつけて、ついでに酒のしみやら菓子のくずやらもそれにまぶして、とんでもない大荷物で自分の部屋に転がり込んでいる、ソファに眠るコウの姿だった。
「…………オイ。」
思わず台詞にもドスがきいてしまう。ガトーは、どうしてやろうかと思った……この人間を今すぐに、迷わず部屋から叩き出すべきか。
「……んぅー………」
試しに頭を小突いてみたが、返事はそんなものだった。ガトーは続けて、二、三回コウの頭を小突く。
「……貴様、何をしている。……私は年度末が終わったぞ。……やっと。」
すると、分かっているんだかいないんだか知らないが、コウがうっすら目をあけてこう言った。
「……おっかしい、ガトーにくるまってる………のに、ガトー………」
「……………」
本当に叩きだしてやろうかと思う。身長百九十五センチ用のくるぶしまでロングコート、なんていうのは事実世間には売っていない。社会人になって初めての給料で、欲しくて欲しくてたまらなくて買った、大事なコートだった。だから、流行遅れになってもずっと捨てずに持っている。
「………貴様、」
思わずコウの胸元を掴んで無理矢理引き起こすと、コウが急に気付いたようにこういった。
「……あ、ガトー! ………あの、愛してる。結婚して。」
「………は?」
ガトーは思わず返事に詰まった。すると、コウが実に面白そうに、しかし眠そうにこう続ける。
「………なーんて、ウソ。あの……今日、エイプリル・フール………ひひ。」
それだけ言って、コウは今にも眠りの縁にもう一回落ちてゆきそうな勢いである。ガトーは思わずその頭を手荒く掴んだ。……そしてキスをした。深く深く。……すべてがその波に飲み込まれて、繋がってとろけるような。
「ん……ふっ………」
さすがにコウは、寝ているどころでは無くなったらしい。空になって、それでも握りっぱなしだったからっぽのショットグラスが、じゅうたんに転げ落ちて鈍い音を立てた。
「……よし、結婚しよう。今すぐしよう、さあしよう。……エイプリルフールだしな。」
「あれ、なに、そう? ………そんなもん? じゃ、そうする?」
………ばっかみたい、俺ら。コウは思った。
ほんと、ばっかみたい。ばっかみたいに、しあわせ? ………あ、俺いま泣きそう。
年度末の仕事に追いまくられて半月ほど休みの無かったガトーは、四月一日から三日ほど休みをもらえたらしい。………いや、実際のところ、休みをもらえたんだが、無理矢理とったんだか。
ともかく、コウはガトーのコートに皺を付けたことはそんなに怒られなくて、そのかわりに……思いきり泣かされたり、いじられたり濡らされたりする、
そういう四月一日だった。………幸せだった。
2002/03/03 ←コピー本『さんがつみっか』収録
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