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文責:樹さん |
4月は日本の大学の入学シーズンであると同時に、桜の花見の季節でもある。桜の名所と言われる場所ほどではないにせよ、某私大の構内もそれなりに桜も咲いて、そこかしこで大学関係者の目を盗んだ花見が行われている。同時に、新入生をサークル活動に勧誘しようとする集団も大量にさまよい出て居た。その賑やかで華やいでいる構内を、アナベル・ガトーは苦い顔をして歩いている。
何故日本人は桜の花とみるとすぐに酒を持ち出して宴会に走るのだ!?だいたい、構内は飲酒が禁止されている筈だろうに!それになんだ、あの内容のない勧誘活動は!!
だがここで浮かれ騒いでいる学生をいちいち捕まえて説教してもキリがない。どうせこのバカ騒ぎも一週間程度のものだろう。それまでできるだけ不快なものは目に入れないようにするしかない。そう思って脇目を振らずに早足で歩いていたのに。
「ガトー!」
「…………」
「ガトー!!」
「…………………」
「ガトーってば!!」
遠くから、声をかけられて、一瞬立ち止まってしまった。振り向かなくても判る。昨日も一昨日もその前の日もこの声は聞いた。ついでに今朝の朝練でも聞いているし昼食時にも聞いている。
しかしここで振り向くとなんだか嫌な事態に陥りそうで、日本で一番馴染んだ声に耳を傾けずに更に足を早くしようとしたところで、
「…………!!」
「何シカトこいてんだよ!」
がくん、と音のしそうな勢いでジャケットの背中を引っ張られてしまった。
「コウ、私はシカトなどという言葉は知らん。日本語は正しく使え」
「…何、無視してんだよ」
フランス人に日本語を訂正されて、取りあえず素直にそれに従う日本人の浦木孝…コウが、靴を半ばつっかけた状態でガトーのジャケットをひっ掴んでいた。
「こういう騒がしい場所は好かん。用があるなら早く言え」
溜息を吐きたい心境で振り向いたガトーに、まったく気付いていないかもしれないコウが嬉しそうに笑った。
「あっちで、みんなで花見やってんだ。アムロとか、シャアさんもいる。ガトーもせっかくだから来いよ」
「断る」
一刀両断に切り捨ててまた歩きだそうとするガトーに、コウががしっとしがみついた。
「えー、なんでだよ、勿体ない!桜、こんなに満開なの、きっと今日だけだぜ!せっかくいい天気なのに!」
「騒がしいのは好かんと言っているだろうが!離せ!」
「…ヤだ!!」
無情にも引き離そうとするガトーに、コウはますますしがみついて、どうやら花見をやっているらしい場所に引きずっていこうとする。もちろんガトーの方がウェイトとそれに伴う筋力があるのでコウに勝ち目はないのだが、とにかくコウはしがみついて離さない。
「離せ!!」
「……い、や、だ!」
お互いがお互いの行きたい方向へ引っ張り合うこと10秒。
駄目だ。このままでは、どこやらへ連れて行かれるのは避けられても、この場所から動けそうにない。そう判断したガトーは、くっついているコウの身体に腕を回すと、逆に自分が彼を引きずって歩き出した。
「うっわぁっああ!?」
どこへ行こうか。とりあえず騒がしくない所へ。そんなガトーの行動に、バランスを崩して足を縺れさせるコウだが、それでもしがみついた腕を離さないのはさすがというべきだった。
「……あ、拉致られた」
ミイラ取りがミイラになってコウが遠ざかっていくのを眺めながら、アムロが呟く。
ガトーとコウの様子は、実は結構ここからよく見えたのだ。あの二人、自分たちが相当目立ってたってことが判ってるのかなあ、と思いながら、アムロは手酌でビールをつぎ足した。
「ええ〜、浦木君、ちゃんとガトーさん連れてきてくれなきゃ〜」
「ガトーさん連れてこなくてもいいから、浦木君だけでも帰ってきてよ〜」
「あのね、エミちゃんに酒井さん……」
学部の花見だった筈なのに、いつの間にか人脈繋がりで増えてしまった参加者のうちの女の子二人が声をあげる。
「ま、あの男は無愛想だから」
やっぱり、他学部なのにアムロの縁で参加しているシャアが、誰が持ち込んだか知らないがシャンパンを開けながら口を挟んだ。
人付き合いのあんまり巧くないアムロの友人は、ほとんどが、やたらと人なつっこいコウがまず誰かと友好関係を結び、コウがアムロを紹介して、という形で知り合ったものだった。だから、こういう場でコウがいなくなると、アムロとしてはちょっと場を持て余してしまう。
その点、今日は社交的なシャアがいるからちょっとは場が保てる…のはいいんだが。
でもなんか、さっきから見てると俺より女の子にもててるみたいですっげぇ面白くないんですけどー!男としてー!
やっぱ、質も重要だけど、量だって重要じゃん?…と、アムロは思っていた。
…あ、それと、コウのカバン、回収しといてやんないと。
「なんだよ。ガトー、桜好きそうだと思ったのに」
本部棟の脇までたどり着いたガトーがようやくコウを離す。さすがにここでは宴会する学生の姿は見られない。桜が少ないのと、なにより大学当局の目に近いからだ。
「別段桜が嫌いだという訳ではない。騒がしいのが嫌なだけだ」
苦々しげにそういうガトーの顔をしばらく眺めて、それから首をひねっていたコウが、今度はガトーの腕を引っ張って歩き出した。
「コウ?」
「んじゃ、俺が騒がしくなくて桜が見られるところに連れていってやる!こないだ見つけたんだ!」
……そんなものが、バカ騒ぎだらけのこの近辺にあるなら、見せてもらおうではないか。
さっきとは逆に、いつも通り前しか見ずに歩くコウの後を付いて行きながら、ガトーはそう考えていた。
……………確かに静かにはなった。構内の喧燥が、遠くからさざなみのように伝わってくる以外は、風が梢を揺らす音くらいしか聞こえない。
しかしそれにしても、どこまで歩かせるつもりだ!?
たかが桜を見に行くのに、グラウンドの脇を抜け、雑木林を延々と歩かせられる。この大学の敷地が広いということは知っていたが、これほどとは思わなかった。もちろんガトーはこんなところまで来たことはない。どうやらまだ構内を出てはいないということは判るのだが、はっきり言って、ここでコウを見失ったら、元の場所に戻る自信はガトーにはなかった。当のコウは、雑木林に入ってから拾った太めの枯れ枝を振り回して地面を叩いたりしながら、楽しげに歩いている。…今時絶滅した、ガキ大将のようだ。
「……………コウ、まだか」
「もうちょっと!」
落ち葉や枯れ枝が積もって柔らかくなっている足元をものともせず、コウは歩きつづけた。やがて。
「……………ほら!」
「…………………………!」
そこに、一本だけ、桜の木があった。
薄紅色の花をまとったその木は、かなり大きく、周囲に大きく枝を張り出していた。大きく割れた樹皮が樹齢を物語る。他の場所の桜より早咲きだったのか、今まさに盛りを過ぎようと、花びらを降り零していた。木々を透かして落ちる木洩れ日を浴びて独りで立つその桜の存在感に、一瞬ガトーは動きも思考も止まってしまった。
「な。すごいだろ!!」
そんなガトーを、自慢げにコウが見上げる。
「……そうだな」
しばしの沈黙の後、そう応えたガトーに満足そうに笑うと、コウは木の根本に近寄る。頭上の枝に負けないくらいにでこぼこと地を這う木の根を眺めると、おもむろに特に大きな根に座り込んだ。そして自分の隣をぽんぽんと叩く。…どうやら座れと言っているらしかった。しかし、
「狭くて座れんぞ」
いくら巨木とは言え、その根に大の男二人が座るほどの余裕はない。
「んじゃ、あっち」
とコウが指差したのは、少し離れた木の根だった。どうやら、どうあってもガトーを座らせたいらしい。
まあ、確かに座り込んで桜を見上げたいような気分になる場所だ。
「よく、こんな場所を見つけたな」
半分は諦めの心境で指定された根に座り込んだガトーがそう言うと、コウはよほど嬉しかったらしく、Vサインまで見せて笑った。
「へへー。研究棟からの帰り道に見つけたんだ。……実はここ、結構裏門に近いんだぜ?俺達、反対側から来たから判らなかったかもしれないけど」
「……裏門?」
それはまったく判らなかった。
「そそ。あ、工学部側の裏門な!他学部の連中はあんま、使わないから、みんな気が付かないんだと思う」
ここにこの桜があることに。
……申し合わせたかのように、ガトーとコウは頭上を見上げた。
雑木林の木々の隙間から僅かに除く空を覆い尽くす、薄紅色を。
「くっそ……」
「……………何をしている」
その声にガトーが視線を向けると、コウが妙な動きをしていた。座ったままだが、やたらと腕を振り回して………ひょっとしてこれは。
「いや、花びらがさ」
「取りたいのか」
「うん。なんかこうさ、目の前をひらひらしてると、取りたくなんないか?」
ならん。お前は猫か。……いや犬だな、これの場合は。どちらにせよ、その発想は小動物のそれだ。
そう思うガトーをよそに、コウは悪戦苦闘している。決して早い動きではないのに、手の上に乗せたと思った瞬間、花びらはふわりと手の中から逸れていってしまうのだ。最初は単に思い付きでやっていたコウだが、今は完全にムキになっていた。
「…コウ」
その声に振り向いたコウの目に、ガトーの掌の上の花びらが映る。
「え、なんで!」
俺がこんなに苦労して取れないのに、なんでガトーはこんなに簡単に取れるんだろう。
「腕を振り回しすぎるのがいけないのだろう」
「へ?」
「……腕を動かすと空気が動くだろう。それで、花びらが空気の流れにのって余計に移動するんじゃないか?」
「………」
ぽん。と文字通り手を打つコウが可笑しくて、ガトーは思わず視線を逸らす。これ以上コウを見ていると笑ってしまいそうだ。
「……………なんだよ?」
「………いや、…なんでもない」
「嘘っぽいぞ」
「本当だ。それより、早く取ってみろ」
抑えきれずに口元だけで笑うガトーの顔が皮肉っぽく見えたのか、コウは真剣な顔になって、今度はゆっくりゆっくり、落ちてくる花びらの下に手を差し出した。
失敗。花びらは指先をかすめて通りすぎた。指を伸ばして追いかけたいのを我慢して、次に落ちてくる花びらの動きを見定めて、両手を差し出す。きっと、今のコウは、下手な講義よりはよほど神経を集中していることだろう。
「………やった!」
薄紅色が、ぴったりとくっつけた指の間に引っかかっている。
しばらくそれを黙って眺めていたコウだったが、ふいにぱっと手を開いて花びらを落とした。
「満足したのか?」
「………なんかさぁ、違わないか?」
降り続ける桜吹雪を見上げて、妙に無表情にコウがガトーに訊ねた。
「違う?何がだ」
「なんか、綺麗じゃない」
「花びらが、か?」
「咲いてる花は綺麗なんだ。こうやって、ふわふわ飛んでる間も凄く綺麗なんだ。でも、手に取ったり、地面に落ちたりすると、もう綺麗じゃない」
その言葉に、ガトーは足下を見下ろした。吹き溜まりに溜まった花びらは、確かに酷く色あせて見えて、…言ってしまえば、それは桜の残骸だった。
「……そうかも、な」
「何でだろう」
何故と言われても、ガトーにもよく判らない。ただ、
「………止まってしまったからじゃないのか」
そう、思ったので、そのまま口に出してみたのだが、コウはそれでは納得できないらしい。
「そりゃ、落ちてくるのは動いてるよ。でも木に付いてる花は動かないよ?」
…そういう意味ではないのだ、多分。
「…花は、蕾から始まって。…開いて、満開になって、散るだろう」
「うん」
「…ずっと、動いている…いや、言葉が違ったな。変化し続けているだろう。だからじゃないのか」
多分。それは変わるから。止められないから。二度と繰り返されないから。だから綺麗だと思えるのだろう、と。
ああ、そうか、自分はそういうことを言いたかったのか、とガトーは思った。
「……ふーん」
そのガトーの言葉に納得したのかしないのか、コウは珍しく静かに応えると、地面に落ちている花びらを見、それから頭上の花を見上げた。
それにつられて、ガトーも改めて視線を上げる。視界を占める薄紅は、一つ一つの花を追おうとしても、すぐに他の花に紛れてしまって、なんだか、花というより、空気のようだった。
我にもなく半ば呆然と桜を見上げていたガトーは、遠くから聞こえてきたホイッスルの音で我に返る。ああ、そう言えば、先程通り抜けてきたグラウンドでは、ラグビー部の練習試合が行われていた。見えはしないが、その方向へ顔を向けてから、コウを振り返ったガトーは思わず苦笑する。
コウは、思いっきり、眠っていた。つい10分ほど前まで会話していた筈なのに、今は糸の切れた操り人形のように手足を投げ出して、木に寄りかかって熟睡している。髪や肩や腹に桜の花びらが降り積もりつつあった。
さっきは取ろうとしてもなかなか取れなかったのにな。
そうひとりごちたガトーは、ふと違和感を感じて目を細める。何が違うと思ったのか、判らなかったのでコウを眺めたまま考える。
…花びらが。コウの上に降る花びらが、地に落ちたそれと違って、色褪せていないような気がするのだ。それはおかしい。地面の上の花びらもコウの上のそれも、同じものの筈だぞ?してみると、先程の仮定は誤っていたということだろうか。立てた膝に、頬杖までついて、ガトーは考え続ける。
止まっているものと動くもの。変わらないものと変わるもの。
ああ、そうか。
こいつが、コウ自身が、動き続けるものだからか。
いつもいつも、エネルギーと熱量を必要以上にまき散らして、動き続けているからか?
だから周りにあるものまで、その余熱と余光を受けて、色褪せずに見えるのだろうか。
こうして眠っている瞬間でさえも。
なんだかそれは、とても納得できる答えのような気がしたので、ガトーは満足した。満足できたところで、そろそろコウを起こそうと思った。4月とは言っても日が陰るとそこそこ肌寒くなるし、だいたいコウが起きてくれなければ、自分はここから移動することができないのだ。そう思って、ガトーが身を起こしかけたところで、
「………誰だ!!」
フラッシュ。多分、カメラの。いくら気を抜いていたとはいえ、フラッシュをたかれるまで他人の気配に気付かなかったとは何事だ、と自分を叱咤しながらガトーは立ち上がる。…コウは、呆れたことにまだ眠っていた。
「や、悪ぃ悪ぃ。隠し撮りってんじゃないんだが、すげぇいい風景だったもんでね」
案外あっさりと、光源が顔を出した。妙に痩せた、皮肉っぽい顔をした若者だった。大事そうに一眼レフを抱えている。
「なんだ貴様は。声もかけずに写真を撮るなどと、失礼な奴だな」
敵愾心に満ちた表情で睨み付けるガトーに、その男はさしてたじろぐ様子も見せずに肩をすくめた。
「んな、怖い顔すんなって。別にアンタは入ってねぇよ。写真も後で渡してやるから」
「そういう問題か!」
「……ガトー、何怒鳴って…あれ?………カイさん?」
「知り合いか?」
「よ。別に悪いことに使ったりしねぇから心配すんなよ」
「……はぁ」
寝起きのコウがガトーの問いに答える前に、カイという男はさくさくと話を進めて言ってしまう。多分コウも現状はあまり認識できていないだろうが、取りあえず生返事を返していた。
「そうそう、こないだアムロに貸したノート、あれ後期の奴だったわ。今度、前期の分渡すからって伝えといてくれ」
「……はい」
「それと」
「はい?」
「………ここのことは、内緒にしといてくんないかな。俺も2年前に見つけてから、結構お気に入りの場所なんでね」
そう言ったカイの顔はなんだか凄く満ち足りているように見えて、話に口を挟まずに、それでも僅かに不快感を継続させていたガトーも、思わず頷いてしまった。
「…そりゃあ、もう」
声に出しては、コウが答える。ここをあまり人に知られたくない、というのはコウにも共通する心情だったから。
「んじゃ、またな」
そういうと、カイはコウとガトーが来たのとは全く違う方向へ歩いていった。多分あちらが、コウが言っていた、裏門の方角なのだろう。飄々とした後ろ姿に毒気を抜かれて、二人は彼を見送った。ガトーが口を開いたのは、彼の姿が見えなくなってからである。
「………で?何者なんだ、奴は」
「あー…工学部の先輩の甲斐さん。いっこ上の。でも、『光』の方の『コウガクブ』在籍じゃないかって、よく言われてる」
「『光』学部?」
「新聞部のカメラ担当なんだよ。よく、学内新聞に、写真、使われてるよ?あと、コンテストなんかでも結構入賞してるって」
「…………」
学内新聞など興味がないガトーにはよく判らない。しかし別のことを思い出した。そう言えば、あの男は断りもなしに人の写真を撮っていったな。
「どんなに腕がいいのかは知らんが、人として問題があるのではないか?」
「え、なんで?」
「……お前は勝手に写真を撮られたことの意味が判ってないのか」
普段、『日本人より日本人らしい』とまで言われるガトーだが、やはりその根本はフランス人である。プライバシー、という点に関してはコウよりよほど意識が高かった。だが、所詮ごく普通の日本人のコウにはそれはよく判らない。
「え、俺なんか変な顔とか、カッコとか、してたか?」
「…そういう意味ではない」
「じゃあ、いいじゃん?別にそんなに目くじら立てなくても」
やっぱりガトーの心配は通じないまま、コウは立ち上がった。体中から桜の花びらがこぼれ落ちる。
「うっわ、俺、桜だらけ……」
自分の有様を見下ろしてしばし唖然としていたコウだったが、やがて名残惜しげに、服についた花びらを払い落とした。
「コウ、頭にも付いている」
「…うーーー?」
そうガトーに指摘されても、自分の頭は自分では見えない。頭を振ったり、見当はずれの場所を触ったりしているコウを見かねたガトーが声をかけた。
「…コウ、いいか」
「?」
動きが止まったコウの頭にガトーの手が伸びる。癖のない髪についた花びらは、少し髪をかき回すだけで簡単に落ちた。
「え、もう全部取れたのか?」
「取れた」
「………やっぱ、背が高いっていいよなぁ…」
自分を見上げてなにやら全く違うことを考えたらしいコウに、ガトーは苦笑した。
「じゃ、行こ行こ!今度は裏門ルート、教えてやるから」
「教えてもらっても、多分一人では来られないとは思うがな」
「だったら、また俺が連れて来てやるよ!」
そう言って先に立って歩き出すコウに続きながら、ガトーは桜を振り返った。
…あと2日もすれば、花は全て散ってしまって、この木も他も雑木に紛れて見つけられなくなるのだろう。
翌週。
ガトーは手に紙束を握りしめて、すごい勢いで工学部へ向かって歩いていた。いや、いつも結構凄い勢いで歩く男ではあるが、今回はそれに輪をかけて凄い勢いだった。遠因を作ったシャアが、思わず5歩くらい飛び退いてしまう程に。
「コウ!」
工学部棟で、コウはアムロに呼び止められた。次は同じ授業だ。アムロは、手にノートと紙切れを一枚持っていた。アムロはその紙切れをひらひらと振ってコウを呼ぶ。
「おはよーさん。…何それ?」
「あ、これ、甲斐さんから貸して貰ったノート。それと、写真だって。コウに」
「写真?」
ひょい、とアムロから写真を受け取ったコウは、眉根を寄せる。自分の写真だ。桜に埋もれて眠っている。
「……なんだか死体みたいだなぁ」
「コウっていっつも寝てる時は死体みたいだけど?起きないし動かないし」
「アムロみたいにごろごろ転がったり蹴ったり足の爪で引っ掻いたりするよりかはマシだろ。……でもこれ、なんだろ」
「…なんだろって…覚えがないのか?」
「うーん…」
こないだ、桜の木の下で会ったときのだろうか。自分ではぜんぜん覚えてないけど。
「……ていうか、それ見たの初めて?」
アムロが、なんだか躊躇いがちに聞いてくる。
「…………?うん」
やっぱり考え込んだままコウが生返事を返すのに、アムロがなんとも言いようのない顔をした。
「…ていうかその写真、最新の学内新聞のトップになってんだけど」
「ふーん………………………………って、えええ!?!?」
反射的に写真を見つめ直してしまうコウだった。
「あれ?ガトーだ、こんなところで珍しい…ガトー!」
凄い勢いのまま工学部にたどり着いたガトーにコウが気付く前に、アムロが声をかけてしまった。誰かを捜していたらしい様子のガトーが、その声でアムロとコウに気付く。
勢いを殺さないままこちらに向かってくるガトーに、アムロは声をかけたことをかなり後悔した。…いつもそこにいるだけで結構迫力のある男だけど、今日はなんかレベルが違うぞ?
「……どっ……どうしたんだ、ガトー…」
思わずどもってしまうアムロ。写真をためつすがめつしていたコウも、顔を上げて、しかし言葉を失う。そのコウの顔面を、ガトーが持っていた紙束で叩いた。
「………いてっ!……あ、新聞?」
ひょっとして今話題に上っていた奴だろうか。コウは慌ててそれを開く。
だいたい、トップには歳時記のような形で、構内の写真が上がることが多いが、そこに自分の写真が載っていた。先程見たばかりのそれと同じものだ。
「……今知ったのか?」
「うん、今アムロに教えられて…あ、本当におんなじだ」
「……………カイという奴はどこにいる」
思わず新聞と写真を見比べるコウに、ガトーの押し殺した声がかけられた。
な、なんだか凄い声だぞ、おい。…仲のいい自分やアムロでさえたじろぐくらいだから、ガトーのことをよく知らない人間にとっては、そりゃあ怖かろう。と、コウは言いたくなった。
「なんか……怒ってるのか?ひょっとして、この写真?…いや、そりゃ、びっくりしたけど、別に変な写真じゃないし…」
「何を人ごとのように言っている!怒れ!!」
どうも温度差があるコウの反応に、ガトーはますます頭に来たようだった。
「人ごとって、ガトー写ってないじゃん。お前こそそんなに怒らなくても……うわあ」
その緊張感の抜けた返事に、ガトーの怒りのオーラみたいなものが膨らんだような気がして、思わずコウは一歩下がった。
「そういう問題ではない!!お前はプライバシーというものをなんだと思っているんだ!?」
そういうことを言われても、言葉としては知っていても、コウに明確なプライバシーの概念は実は無かったりする。ので返せる言葉はこれくらいだ。
「えーと……一人部屋?」
「違う!!」
「えっダメか!!」
コウが図らずもガトーの足止めをしている隙に、アムロは研究室のどこかに居るであろうカイを探しに駆け出していった。
取りあえず逃げといた方がいいですよ、と伝えるために。
…ところで、当の新聞は、極々一部の女子学生には、評判が良かったそうな。
#ていうか、私は欲しいぞ、その新聞。くれ。
#カイさん出しました。しかし、シデン、というのはどんな漢字を当てればよろしいか。
#今回ちょっと悪ふざけが過ぎております。該当者様、にやりと笑っておいてください。
#ちなみに今回のメインテーマは「引っ張り合うコウとガトー様」でした。だからそれ以外の部分はオマケです。ええ。
#……こーらぶ様、本当にこれでよかったんですか!?
2000/07/23
この話は、本当に凄いですよね、ばらいろの世界はこの話以前では冬の話しか書かれておらず(笑)。
めでたく、冬を脱出した記念作でもあります。そうして、カイさんを世界観に盛り込んだのも樹さん。これを読んで、
私も「日本語の名前で通用する人物なら、出しても世界観壊れないかな・・・ふぅむ。」などと後追いで考え出したのでした。
樹さんの、コウに対する愛情は凄いとおもいます。ガトーさんに語らせるその手法も。
実に味わい深い作品を、ありがとうございました。
2001/12/25
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