人は、あまり見慣れないものを見ると固まるものである・・・・あと、あまりに面白いものを見た時とか。びっくりするものを見た時とか。・・・まあ、色々なのだが、ともかくラーネッド図書館と言うその大学の図書館のロビーに、裏手の方から入ろうとしたアムロは、一瞬足を止めた。
「・・・・・・うわ、何だ?」
と、一緒に工学部の校舎から山を下って来て、そうして同じくロビーに入ろうとしていたコウが・・・・彼はアムロと同学年の、この関西にある某私立大学の工学部の生徒でアムロの親友でもあるのだが、そのコウが急に止まったアムロにつまづいて背中に突っ込んだ挙げ句に、そんな声をあげる。アムロは、思わず「シッ!」と言ってしまった・・・・・いや、何がシッ、なんだか知らないが。
「・・・・・何?」
するとコウも気付いたようで、今度は声を低くしてそう聞いてくる。そこで、アムロは目の前に広がるロビーを指差した。
「・・・・・・うぅん?・・・・・ああ、確か、前にもあったなー、こんなの・・・・」
目の前のロビーには今二人の人物がいて・・・・そうしてソファに座っていた。コウとアムロの二人と待ち合わせていた、ガトーとシャアというフランス人留学生達が、である。そして、大学の図書館だと言うのに、ロビーにはその二人しか居なかった・・・・・・理由は簡単だ。何故なら今日は『嬉しい土曜日』で、つまり・・・・・ここ数週間学生達を地獄に陥れていた後期試験が、終了する二月頭の記念すべき日だったからだ。試験中ならともかくこんなメデタイ日に、わざわざ大学に残ってこの図書館で勉強しようなんて学生は居ないに決まってる。そんな土曜の、時刻もよほど夕暮れになった頃だった。・・・・二月の日暮れはまだまだ早い。
「・・・・・うん、あったな。それで、今回も面白そうだから・・・・ちょっと見ててみないか。」
アムロがそう言うと、コウも頷いた。・・・・・あれも確か、このラーネッド図書館の窓から、だったかな。ガトーとシャアの二人が、一緒に大学の前庭を突っ切って歩いてくるのがあまりに凄い光景で・・・それで二人の日本人学生は、見とれてしまったことがあったのだ。二ヶ月くらい前の出来事だろうか。
待ち合わせの相手が、その場所に現れる直前で足を止めている・・・・などとはつゆとも思わずに、シャアとガトーの二人は妙に天井の高い、そしてだだっぴろい図書館のロビーのソファに座り続けていた・・・・・・会話は無い。横長の、だけど同じソファになぞこの二人が、一緒に座っているのは確かに珍しいことだったかもしれない。二人は二人ともに体格が良かったし、それからソファに一緒に座るほど常日頃仲が良かったわけでもないからだ。ただこれは、後からやって来たシャアがたまたま気が向いてガトーの隣に腰掛けただけで、ロビーに他にもポツポツとはソファがあったから、もし後からやって来たのがガトーだったら同じソファに座ったりはしていなかったかもしれない。・・・・天井の明かりは青白い蛍光灯で、建物の中だと言うのに妙に二月の外気を思わせるように寒くて、そうして金色と銀色の二人はそんな中で会話も無くただソファに座っていた・・・・・・・関西の大学の図書館のロビーにたまげるようなルックスのガイジンが何故か二人。・・・・・・・・・・・・・・・それは確かに妙に静寂で、
不思議な光景だった。
『バラ色の日々』や、よく考えるとイラストは夏服で描いてしまったから季節が合わないじゃん・・・(笑)っていうそういう話。
「・・・・・・に、さん、いちに、さん。・・・・・あれ。」
先に言葉を発したのは何やら音楽を聞きながら、手で拍子を取っていたシャアの方だった・・・・正直、眺めていたアムロとコウは妙にほっとした。会話も無く天井の高いロビーに、えんえん座り続けるこの二人も面白かったが、このままじゃ空気まで凍り付いて、自分達は出ていった瞬間に「遅すぎる!」と叩き斬られるのではないかと。そう思いはじめていたからだ。そういう妙な緊張感が、この二人の間にはいつもあるのだった。いつもいつもだ。ただ、それが何故かはワカラナイ・・・・・いや、確かにテスト終わるから飲み会しよーぜ!!と言い出したのは自分達、つまりコウとアムロの二人だったのだが。日本人の学生と留学生のテストのカリキュラムは微妙に違う、わざわざ大学に待ち合わせの為に出てくることになったこの二人は、ずいぶんと待ちぼうけを喰らわされて、実は既にチョー怒っているのかもしれなかった。
「・・・・・いち、に、さん、右、左、右右・・・・」
ともかくロビーには、イヤホンを耳に突っ込んだままのシャアの、そんな声だけが響いている。・・・・有り難いことにそれは日本語だった!その事実に、アムロは感謝した。いや、だって、フランス語だった場合は、コウはともかく俺ぜんぜんワカラナイし。
「・・・・左、右!あっれー・・・・・本当に思い出せないよ。」
すると、面白いことにロビーに学生達の為に用意して吊るされている、地方新聞に目をやったままで、明後日の方向を向いたままガトーが急にこう言った。
「・・・・・それはクイックステップだ。・・・・・貴様、何を聞いている?」
ガトーが読んでいたのは、上毛新聞かなにかだった。ともかく、自分に声をかけて来たガトーに驚いたようで、シャアはイヤホンを片耳だけ外して、そうして初めて隣のガトーを見る。
「え?・・・・いや、聞いているのはヨハン・シュトラウス。・・・・・・っていうか、君、こんばんは、アナベル・ガトー君。」
「・・・・・こんばんは、シャア・アズナブル。・・・・・ヨハン・シュトラウスならワルツだろうが?・・・・何故クイックステップの動きを思い出す。」
更に有り難いことには、ガトーまでシャアの日本語につられたように、日本語で話し始めた・・・・・・・いや、本来この二人は互いにフランス人なのだから、フランス語で話すのが道理なのだ。しかし、気が付くと年中二人して、日本語で話していたりするのだった・・・・・ともかく、これで、会話の内容が分かるよ!!と、アムロは小さくガッツポーズをしたのだが、一方共に覗き身をしているコウの方は・・・・冗談ではない心境に陥っていた。思わず、あー!!という声が出かけて拳を握りしめてしまう。その時、シャアが片耳だけ外したイヤホンを、そのままガトーの耳に突っ込んだのだった。・・・なにしてるんだ、シャアさん!・・・・っていうより、何故怒ってるんだ俺!その真実の理由がワカラナイままにコウは少しぐるぐるになったのだが、そんな二人の見学者には気付きもしないままに、フランス人達は会話を続ける。
「・・・・・・な、ワルツだろう。」
「ワルツだな。見事に。」
「・・・・・右、左、右右、右・・・・・」
「・・・・・それはスローフォックストロットのステップだ。・・・・・貴様、なんでこんな単純なステップが思い出せんのだ。」
今度は、手の動きまで付けて呟きはじめたシャアに、ガトーが少し呆れ気味にそう言う。すると、シャアは肩をすくめてこう言った。
「・・・・・だってね、君!こういうのは、やらないと忘れるものだよ、最後にワルツを踊ったのなんかいつのことだったか!!・・・・・っていうより、君がワルツを・・・いや、社交ダンスそのものを知っていることの方が驚きだね!アナベル・ガトー君。」
その台詞を聞いて、ガトーはついに地方新聞を・・・だから、上毛新聞かなにかだったと思うのだが、それを閉じた。そしてゆっくりと目の前の棚に吊るし直しながら、こう言った。
「私としては、貴様が何故ワルツのステップなんぞを思い出そうとしているのかという事の方が気にかかる。」
「ああ、それはね・・・・・」
ガトーは肩ひじをソファにつきながらイヤホンから流れてくる音楽を聞く気になったようで、軽く足を組み直す。それを壁の裏から眺めているコウとアムロの二人は・・・・・日本語で話されているにもかかわらず、会話の内容が半分も分からずに混乱していた。・・・・クイックステップってなんですか。あと、スローフォックストロットとかって!・・・・・食い物か?それとも車の名前?
「ほら、君、私は今、社福(シャフク)の女性とおつきあいがあるんだが・・・・」
「社会福祉学科、と言え。なんでもかんでも略せばいいと言うものでは無い。・・・・ちなみに、貴様が付き合っている女性の全体像についても興味が無いので把握してはいない。それはともかく、その社会福祉学科の女性と付き合うのとワルツとに、なんの関係があるのだ。」
はいはい、などと言いながら、シャアはまたステップを呟く・・・・ソファに座りながら、手の振り付きで。すると、ガトーが今度は「それはタンゴだ、貴様、本当にワルツだけ忘れてるな・・・・」と呟いた。
「その女性が、サ−クル活動でとある老人の方々の家にいっているんだよ。それで、私もこの間付いて行ってみたんだ。」
ほう、とガトーが面白そうな顔になる。・・・・・シャアが老人ホームに。・・・・・・・・・・似合わんな!!
「・・・・そうしたら君、私はモテモテだよ。・・・・・お年を召した方々にね!まあ、どのおばあさんもみんなこう言うね・・・・『私の死んだ亭主にそっくりで!』・・・・君、私のような顔のダンナだらけらしいよ、日本って国には・・・・!!」
そのシャアの台詞を聞いて、アムロなどは吹き出しそうになったのだが、良く見るとコウは固唾を飲んでそんな二人を見つめている。・・・・・オイオイ、コウ君?アムロは思った。えーと、あの・・・・・なんか、妙に勘違いして無いか???確かに、コウはシャアと話している、ガトーの表情が妙に柔らかくなってゆくのを感じて、何故かやきもきしはじめていたのだった・・・・・・・ガトーは「ともかく、年輩の方々と言うのはそれだけで立派な、偉大な先人達なのだ・・・」とかなんとかワケのワカラナイことを少し呟いたが、結局シャアにもう一回こう聞いた。
「・・・・ワルツと結びつかないぞ。」
すると、シャアが面白そうにこう答える。
「・・・・・に、さん!右、左、右・・・・右?あのだね、君、アナベル・ガト−君。今度、その老人ホームでダンスパーティがあるんだよ。つまり、50年代のダンスホール全盛時代に青春を送った皆様とだ。もちろん、モダンダンスでだ。・・・・・・だから、私はどうにかしてワルツを思い出さなきゃならないんだよ、私を待っている御婦人達の為に是非ともね!!!・・・・・そこで、こうしてヨハン・シュトラウスを聞いているわけだ。」
ガトーは一瞬呆れたような顔になり・・・・それから少し下を向いてなんだか笑ったように見えたのだが、しばらく経ってからまだ間違ったステップを呟き続けるシャアに、こう言った。
「こういうのは・・・・・つまり、踊ってみると思い出すんじゃ無いのか。貴様のようなバカは。」
「バカは余計だよ、君・・・・しかしほら、シャフクのカノジョはいるが、サークルが社交ダンス部のカノジョが都合良く居なくて、相手がね。・・・・・踊るに踊れないだろう。どうしろと言うんだい。」
すると、ガトーはまたしばらく考え込んだ挙げ句に・・・・遂にこう言った。
「・・・・・・ではしかたない。いくら待ってもコウとアムロの二人が来ない。今はヒマだ。だから私が・・・・一緒に踊ってやろう、ワルツを。」
シャアは面白いくらいたまげた顔になった。・・・・いや、確かにガトーもフランス人だから(?)、そんな機会もあって、ワルツのステップも知っているのかも知れなかったが、いやでも・・・・しかし!!
「・・・・・って、君。私は男性の、つまりリードする側のステップしか知らないよ、というより思い出したいのはそれだ。・・・・・・んじゃなにか、君が『女性役』のステップを踏んでくれるのか?」
すると、ガトーはすさまじく不機嫌な顔になった。そうして、片耳だけ残っていたイヤホンを、シャアの耳から引っこ抜く。
「・・・・バカも休み休み言え。・・・・そんなものが踊れるか。」
「それじゃ意味がないじゃないかい!」
そこでフランス人二人は、実にクダラナイ、そうして面白い言い争いに突入した・・・・もう、コウとアムロの二人は目が離せなくなっていた・・・・・踊るのか!!??この二人は、ワルツを踊るのか!!??誰も居ない、大学の図書館のロビーで!!・・・・それは凄い光景だろう、しかしこの二人ならなんか妙に納得できそうな気もする!!・・・・相変わらず天井は高くて、青白い光がそこから降り注いでいた、二月の太陽は既にとっぷりと暮れて、外は真っ暗だった。
「まあ、考えても見ろ。・・・・ワルツのステップが、思い出せさえしたら問題はないわけだろう。確か、あれは男も女もほとんど変わらん。私のステップを見て、思い出せばいいだろう。」
「それはそうなんだが・・・・・・えー!!!それでもなんか嫌だよ、嫌なもんだよ、君!」
シャアはそう言ったが、ガトーは立ち上がる。そうして言った。
「貴様、身長は。」
「ひゃくはちじゅっせんちくらい・・・・・」
「私は195センチだ。・・・・・分かったな。」
「・・・・・・・・・・・・・何をどう分かれと言うんだい・・・・・・」
溜め息をつきつつ、ついにシャアも立ち上がる。そうして、ソファから離れてロビーの中央ほどに出て来ると向かい合った。・・・・・不思議な青白い明かりのもと。
そうして、まずお互いに深く、綺麗におじぎをしたのだった。・・・・・・・見ているコウとアムロはもちろん知らないが、これはダンスの基本である。ワルツのような円舞ともなると、パートナーはころころと変わる。その度に、おじぎをしてダンスが始まるのだった。
人は、あまり見慣れないものを見ると固まるものである・・・・あと、あまりに面白いものを見た時とか。びっくりするものを見た時とか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それから、綺麗なものを見た時とか。
次の瞬間、二人はきちんと『組む』と、ホームポジションから見事に社交ダンスを・・・・つまり、ワルツを踊り出したのだった。・・・・くるくるくる。
「・・・・・あっれ!おかしいなあ、私は踊れているよ、君!・・・・いちに、さん、いちに・・・・なんだ、簡単じゃ無いか!」
「・・・・って貴様、踊る方に集中しないでステップを覚えろ・・・・いや、思い出せ!だから、貴様が踊っている方ではなく、私の方のステップをだ!!」
仲が悪いんだか、いいんだか、ワカラナイよな、この二人・・・・と思いながら、妙に感心してアムロはその光景を眺めていた。・・・・・くるくるくる。高い天井。くるくるくる。青白い光。・・・・くるくるくる。いや、フランス人ってのはなんか、やっぱ次元を越えて凄いねぇ。
「・・・・・っ、」
ふと、脇を見ると何とも言えない顔をして、コウがその光景にみとれているのだった。・・・・・アムロは思わずコウの肩をぽんっ、と叩いた。
「・・・・・え、はいっ!?」
驚いたようにコウが飛び上がる。盗み見をしていた壁際で。
「・・・・コウ。今、コウが何を考えているのか俺にはすごーーーーーーーーーーーーーーーーーく良く分かる・・・・・・・」
アムロとコウはヒソヒソとそんな会話を交わしていたのだが、さすがにもう出て行かないとマズイよな、殺されるよな、という気分にはなっていた。ただでも、最後のテストが終了したあとに、喜びのあまりに仲のいい松永先生の研究室に転がり込んで、世間話をしてしまったのでここに来るのが遅れている。・・・・飲み会、飲み会をしようって言い出したの俺達なのにね!!
「良く分かるって・・・なんで。」
コウはそんなことを言ったが、もう答えは、顔に書いてあるとアムロは思った。・・・・・ガトーの為に、第二外国語を中国語からフランス語に変えたような男である。
「だってコウ、今・・・・『社交ダンス習わなきゃ!』・・・・・・って思ってるだろ。今すぐに。かなり本気で。」
「えっ、アムロすごい・・・!!!なんで分かった!!???」
「落ち着け。」
アムロは言った。・・・・うん、今日は不思議なものを見た。不思議な、でも確かに美しいものを。・・・・だけど、コウに社交ダンスは無理じゃ無いか???優雅・・・・優雅って言葉を、辞書でひいてコウに見せた方がいいかな。
「・・・・落ち着いて。ええっと・・・・・そう、多分、社交ダンスは踊れなくても食っていけるから。人生も大丈夫だから。な、そうだろ?」
「でも、そういう問題じゃなくてさ・・・・!」
すこし、コウが大声を出しそうになったのでアムロは焦った。・・・・・そこで、大慌てで考えてこう言った。
「・・・・・そう!それにさ、あの二人には踊れなくて、俺達にだけ踊れるものだってあるんだぜ!!」
「えっ、なにそれ・・・!!何が俺らにしか踊れないっていうんだよ、俺、それ知りたい・・・・!!」
アムロは考えたのだが・・・・・・考えたのだがあまりイカした返事が出て来なかった。そこで、正直にこう言った。
「ええっと、例えば・・・・・『ドラエもん音頭』・・・・とか?」
さて、ともかくもう出てゆくことにした。・・・・ワルツを踊るフランス人は、とても美しく・・・・それはもう、いつまでも眺めていたかったのは確かなのだが、これ以上遅くなって怒られるのも嫌である。そこでアムロは、わざとらしく大きな声で言った。
「・・・・・・待てよ、コウ!遅れたからって走るなよ!」
そして、コウの背中をロビーに向かって突き飛ばす。・・・・・シャアとガトーの二人はと言えば、そのアムロの声が聞こえた瞬間にワザとらしいくらいにぱっ、と離れて、二人がロビーに飛び込んだ(フリをした)ときには何食わぬ顔でソファに座り直した後だった。
「・・・・・遅いぞ、呼び出しておいて。」
シャアが言う。
「飲み会をしようと言ったのはお前らだろう。」
ガトーが言う。
「悪いー、ほら、しばしのお別れだから、松永先生のところに寄り込んじゃってさあ・・・・」
アムロも言う。・・・・・・そんな中、コウだけが納得出来ないようで呟いた。
「・・・・・・・・えー、『ドラエもん音頭』ー?・・・・・えー・・・・・」
ともかく、四人は街に出た。・・・・・テストは終わった!めでたい。春休みが始まる。
飲み会に向かうがてらに、見上げた空はそれは綺麗な・・・・透き通る冬の空だった。そりゃあもう綺麗な、綺麗な。
・・・・・ワルツの似合う夜だった。
2002/04/23
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