秋の終わり、というより、もうそろそろ冬が始まったと言ってよい時期だった。盆地なので一日の間でも気温の上下が激しく、朝晩は寒く日中は暑い。一日でそれなのに、数日単位でも気温の上下があり暑くなったり寒くなったりする。天気が悪いともう長袖シャツとTシャツでは寒い。そんな日がしばらく続くと本格的に冬になる。今はその秋の終わり冬の初めの中間であり、そんな中でも比較的暖かい日の夕方の帰り道だった。もう少しして日が落ちるとこの格好では寒いだろう。ガトーはグレーのVネックのシャツ一枚だったので、日が落ちないうちに部屋にたどり着くだろうかと少し不安になった。
コウは左手にスーパーの袋をぶら下げていた。持ち手のあたりから大根の葉っぱが飛び出していて、実に重量感と生活感のあふれる白い袋何の変哲もないチェーン店のスーパーの袋だった。肩からは黒い肩掛けのカバンをかけて、そのカバンも今日は重そうだった。まだ二年なので所属の研究室がないから、控え室も個人のロッカーもない。要領のいい学生は部活やサークルのロッカーや部室を利用していて、普段もコウはそうしているはずだった。が、今日に限ってやたら重そうに何度も肩の紐を抱えなおしている。一方ガトーはというと右手に12個入りトイレットペーパーを抱えただけで、今日の授業ではあまり分厚い本を使わなかった。…つまり、コウよりはかなり身軽だったのだった。なので、コウが左手に持ったスーパーの袋を持とうと申し出たが、「飯作ってもらうんだから、これくらいやるよ」と言って歩みを止めるどころかすたすたと先に歩いていってしまうものだから、ガトーは素直にその言葉に従うことにした。…たしか、今日は大根の他にジャガイモ一袋とか、キャベツ一玉とか、たまねぎ一ネットとか、他にも色々、入っていたような気がする。袋は一つしかない。…まあ、途中で根を上げたら変わってやればよい、とガトーはそのままコウの後を歩き始めた。
文責:セイさん
『バラ色の日々』・・・・いや、セイさんは「ばらいろ小咄『ハイパーテキスト』」ってタイトルで小咄にしてくれって話だったんですけどね(笑)。
すいません、これ、小咄の長さじゃないので、本編にしちゃったよ、うひょひょひょひょ!っていう・・・・(笑)←あっ、仲間割れが(笑)!!
「なあ、ガトーは『ハイパーテキスト』って知ってるか?」
しばらくするとコウは振り返って後ろ向きに歩きながら、にこにこと突然こんなことを言い出した。ガトーはまず前を向いて歩け、と先にコウを諌めてから、
「それくらいは知っている。」
と答えた。記憶が確かなら、インターネットをするようになってから、よく聞くようになった単語だった、と思う。今日はそういう専門分野の授業でもあったのだろうか。
「じゃあ、『ハイパーテキスト』って、何だかわかる?」
コウはガトーに怒られたのでとにかく前を向いたが、その分後ろにいるガトーに聴こえるように大声でそう言った。ガトーは前を向いて大声で喋るのと後ろを向いて普通に喋るのとどっちがマシだろうか、などということを考えていたので、反応が少し遅れた。
「……何、と訊かれても」
「んー、じゃあ、どんなのが『ハイパーテキスト』なのか知ってるか?って言った方がわかりやすいかな」
「…HTMLとか、そういう形式で書かれた文章ではないのか、…よくはわからんが」
『ハイパーテキスト』という単語は多少なりとも聞き覚えはあった。だが、改めて「どんなものが『ハイパーテキスト』なのか」と訊かれると自信がない。そういえばこの言葉の正確な定義というものは知らなかったな、とガトーは思った。
「一応、正解。だけど、そうだなあ、ガトーは多分、インターネットで見る文のことだけを言ってるでしょ、それ」
「そうじゃないのか?」
「うーん、それは、半分不正解。…たとえば、……ほら、これなんかも一応『ハイパーテキスト』なんだよ」
コウは空いていた右手でカバンから薄緑の薄い本を取り出した。ビリジアンのゴシック体でタイトルと著者名が見える。…「Lisp入門(I)」。プログラミング言語…C言語とか、JAVAとか、聞いたことあるだろ。Lispってその一種なんだけど、その言語の簡単な解説がしてる本。とコウは説明した。中身を見せてもらうと、リスト構造とか、アトムとか、専門用語がずらずらと並んではいたが、特に変わったところも見当たらなかった。ガトーは見たことはなかったが、日本の高校の数学や物理の教科書の公式を消して、その代わりに英語と記号の羅列が並んでいるような感じだった。
「……これが『ハイパーテキスト』なのか?」
「うん、これもそうだし、あとはー…そうだな、ガトーが日本語の本読んでるときにさ、『おお、こりゃなんのことだかわからない!』っていう単語があったとして、そのときはどうする?」
「…お前に訊くのは面白くないので、辞書をひく。」
「あっ、ひでー、なにそれ、俺だってガトーに日本語くらい教えてやれるって!一応生まれたときから日本に住んでるのに!」
一応、冗談のつもりでガトーはそう言ったのだが、コウがあまりに真剣に反論してくるので、続けて言うつもりだった台詞を言うのはやめておいた。…世間一般の日本人の日本語解説ほど、当てにならないものはない。
「……わかった、じゃあ、そのときは遠慮なくコウに頼むとしよう。」
深いため息に何か諦めのようなものが混じっていたように思えるが、とりあえずコウは念を押してそれで満足したようだった。
それからしばらく歩くと、またコウが大声で言った。
「まあ、とにかく、ガトーは分からない単語を辞書でひいて意味を調べようとするだろ。それってさ、…こんなふうに、この本のこの単語から辞書にリンクが貼ってあるっていう風に考えた人がいるんだ」
コウは「こんなふうに」のところでよっこいしょ、と左手のスーパーの袋を抱えなおして、右手で開いた本の中の「アトム」という単語を左手で指差すと、そのままつーっと空中へずらした。きっとその空中には「アトムという言葉の意味が書いてある辞書のページ」がある。わかる?とこちらを見やったコウにガトーは小さく頷いた。まあ、わからんでもない。
するとコウはさっきよりも嬉しそうににこにこと続きを話し始めた。恐ろしいことに、左手のスーパーの袋をぶん回しながら、である。あの重さの袋を何故わざわざ振り回そうと思うのか。いや、それ以前に、歩行者の迷惑になるだろう。そしてそれ以上に、…その袋の中には卵も入っていたのである。…ガトーははっきり言って『ハイパーリンク』という言葉がどうのというより、卵の保存状態のほうがよっぽど気になった。
「これが、『ハイパーテキスト』の一番最初の考え方。手紙でも専門書でも小説でも、読んでてわかんない単語があったら辞書をひいたり、わからない人の名前が出てきたら前のページに戻ったり、気になるところがあったら注釈を調べたりするだろ。そんでその逆から調べることもあるよな。この繋がりが『ハイパーリンク』っていうんだけど、そう思ったら世界中のテキストは全部『ハイパーテキスト』って言えるんじゃないかって思うんだけど」
がしゃがしゃ、という音が白い袋の中から聴こえる。ああ、明日の朝は大きなオムレツだろうか、と少し遠い目をしたが、一応それさえなければ話の内容はそれなりに面白かった、と思う。…卵の状態が気にならなければ、もっと面白かっただろうと思う。ガトーは黙ったまま頷いた。
「まあ元々、本を参照したり注釈をつけたりとかっていう行為自体が『ハイパーテキスト』ていう考え方の大元なんだから、俺の言い方は…本末転倒?なんだけど」
ふんふん、とガトーは相槌を打ちながら目はくるくるとよく回るスーパーの袋だけを追いかけている。と、突然コウはまた後ろを向くと、その袋を…あろうことか、思い切り反動をつけて背中に回したのだった。がしゃん、と派手な音がしたが…惣菜のパックのぶつかる音だと思いたい。
「…とにかく、人間の考え方が全部元になってるんだってさ、世の中のシステムっていうのは。なんか意外だったなあ、インターネットで普段見てるもんが、自分の頭の中の構造をマネしたやつだったっていうのも」
コウはとにかく機嫌が良かった。何故、と思うくらい良かった。そしてガトーは内心真っ青だった。もはやコウの話の内容などどうでもよかった。…もう扱いがどうとか言うつもりは微塵もない、コウに卵の入った荷物を持たせた自分が悪かったのだ。きっと。そう思いたい。思わず空を仰いだ。
「だから、システム開発するひとって、新しいものを作ろうっていう場合、やっぱり人間の考え方?とかそういうのを調べなきゃいけないんだってさ。ネットワークなら神経構造とかね。人間ってやっぱまだ未知の動物なんだなあー」
「……まあ……たしかに、他人の考えていることなどわからんだろうからな………」
ガトーはもう適当に相槌を打つことしかできなかった。卵でぐちゃぐちゃになっている荷物の中身を想像したからだ。何故今日コウがこんなに機嫌がいいのか、とか、何故自分はコウの荷物の扱いがぞんざいなことを咎めないのか、とか、他人どころか自分の考えていることだってよくわからないぞ、全く。
「ああ、でも俺ときどきだけど、結構わかってるんじゃないかなあって思うけど」
コウはやっぱりにこにこしたまままた前を向いた。荷物は肩から後ろに回したままだ。また嫌な音を立てたので、ガトーはほぼ開き直って今日コウに卵料理ばかりを食べさせてやろうと心に決めて相槌を打った。…とりあえず茶碗蒸しあたりはどうだろう。
「…何をだ」
「そうだなあ、俺が機嫌がいいのはガトーがよく話を聞いて驚いてくれたからだし、ガトーが黙って話を聞いてくれたのはたぶん俺が一生懸命話をしてるように見えたからだろうし、それが嬉しかったから機嫌が良かったってのもあるし、」
ガトーが「?」という顔をするとコウは愉快そうに笑ってこちらを向いた。…いや、正確に言うとさっきと笑顔の質が違う。…非常に、こう言ってはなんだが、非常に意地の悪い顔で笑いをこらえていた。いやな予感。
「…………たぶん、…卵は割れてないからさ。……そんな必死になって卵料理のレシピ考えなくてもいいと思うよ?」
………何だと?
………しばらくガトーは目を丸くしてその場所に突っ立っていたが、気がついたときにはもうコウは随分先の方に行ってしまっていた。
「ガトー、何やってんだよー、早く歩けよー。……俺、腹減ったー!!」
「……………ああ、今行く…………」
ガトーはふと我に返ると、歩き出しながら考えた。しかし、多少混乱した頭ではあまりマトモなことは思いつかなかった。とりあえず、…これからは極力、コウに下手な隠し事はやめておいたほうがいいかもしれない。…………これは、自分に演技力が無いせいなのか。しかしそれだったらきっとアムロとシャアのことももっと早く気がついていてもよかったのではないかとも思う。しかし。
少し早足で歩くと、ガトーを待って立ち止まって待っていたコウにはすぐ追いつくことができた。
「今日ってずばり肉じゃがだろ!じゃがいもあるし、たまねぎあるし、糸こんにゃく買ってたし、肉は冷凍庫に入ってるから今日買ってないんだろー?違う?」
「あー………にんじんがない。」
「なくていい!」
「私がいやだ。」
「なくていいって!!」
…さて、今日ガトーは一つだけ、この友人について新しく知ったことがあった。たしかつき合い始めてもう一年ほど経っていたと思うが、…人間とは本当に未知の動物なのだなあ、ということをしみじみと思った。
あのコウが、…くれぐれも言うが、あのコウが、である。…あのコウが、まさかガトーをからかう、ということを覚えるとは、…少なくとも一年前までは、本当に思いもしなかったのである。
ガトーは無理やり交代させたスーパーの袋を抱えなおしてから、とりあえずこれだけは言っておこうと思った。
「コウ」
「あに?」
「………あまり賢くなられても、面白くないぞ」
「……………それってものすごく失礼じゃないか……………?」
(2002.10.09)
■コメント■
締め切り間違えて全然間に合ってるのに必死で書いてました大ボケでございます(汗)
こーらぶさんには普段から色々お世話になっておりますが今回かなりお世話になってしまいすぎました…。
ばらいろシリーズは実は本当に一番最初くらいに読んだガンダム物だったので、それを今回書かせていただくっていうことになって、
不思議な感じもしましたが大変楽しかったです!でもその倍くらい本っ当にどーしようかと思って何度も逃げようかと思いました(苦笑)。
…ってくらいには色々考えました!(笑)
とにかく、こんな面白いチャンスをくれたこーらぶさんには本当に大感謝です。完結して欲しいようなしてほしくないような
不思議な気持ちではありますが(笑)新作ともども楽しみに待ってますので頑張ってください〜。
2002/10/10
いや〜、嵐のようでしたよね、つい数時間前の私達のやり取りが・・・・(笑)。
ってことで、セイさんに頂きました!私はセイさんの文章もイラストも大好きなので、非常に嬉しいです!
今回はありがとうございます!
そうなんです、セイさんたら締切りを一日早くと思っていらしたようで・・・(笑)。それで、ちょっとやりとりが
混乱してしまったのでした。でも、イラストまで頂いてしまったんですよ!本当にありがとうございます!!
ちょっとアコさんの場合と似ているのですが、セイさんにもセイさんにしか書けないネタがありまして、
なんとセイさんは工学部の学生さんなのですね(笑)!!なので、そのあたりを是非に!と
ずうずうしくもお願いしてしまったのでした。
しかし、結果工学部ネタってだけではなくて、コウが!!ああ、コウが!!・・・・ちょっとガトーさんを
からかっちゃうの!!??なーんておいしいネタが拝めて私はとても嬉しいです。いや、ほんとありがとうございます。
つか、落ち着いたらまたちゃんとメール送りますし・・・・こ、これで全部直ってた(笑)?
間に合ってる、わたし(笑)???
ではまた!次のコメントで(笑)!!
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