岡崎というのは、美術館が数多くある京都市の中でも、もっともそれらが集中している地区である・・・・そうしてこの周辺には、もちろん古美術店も数多くあった。
「・・・・なー、ガトー。俺、なんだか腹減ったな・・・・・」
そんな岡崎界隈を、今コウとガトーは歩いていた。ずいぶんと日の落ちるのが早くなり、冷え込みも深くなってきた10月の頭のことである。
「・・・貴様は、腹の減っていない時はないのか。」
ガトーは、剣道の防具を担いで少し前を歩くコウのそんな台詞に眉寝を寄せながら答えた。
「だってさあ・・・・これ、重いよ、この防具ー。だから、バスにしようって言ったのに・・・・」
「軟弱者が。もう少しで私の家だ、我慢しろ。」
「えー・・・・」
二人は今日、南禅寺の近くであった剣道の試合に、大学の剣道部の連中と出席していた。長い夏休みが終り、学校と部活動がまた始まり、そうして二人の通う大学の体育会系剣道部も活動を本格的に再開したのである。その試合は先程終り、三々五々解散と言う話になったので二人は防具を担いで帰途についたのだった。
「だからさあ、こう、俺ってなんだか・・・・三歩ぐらい歩くとどうもお腹が減るんだよね。どうしてだろう???そうだよなあ、ここからガトーの家はもうちょっとの筈なのに・・・な・・・・って、ガトー?」
そこまで話して、コウはやっと後ろを歩いていたはずのガトーが、いつのまにやらいなくなっている事に気付いた。慌てて振り返ると、ガトーはコウがいる数軒手前の古美術屋の前で足を止めている。・・・・ああもう!だから、俺、腹が減ってるんだってば!
「ガトー!ガトーったら・・・・帰ろうぜ!」
声をかけても、ガトーが全く動かないのでコウはしかたなしにもう一回その店の前まで引き返してきた。
「ガトー!・・・・・・・・・・・・・・・?・・・・・・何見てんだ?」
あまりにじーっとガトーがその店のウィンドウを覗き込んでいるので、隣まで戻ったコウも減った腹の事は忘れて思わず一緒にそのウィンドウを覗き込む。
「・・・・・いいな。」
と、その時急にガトーがそうぼぞっと呟いた。
「へ???え???・・・・・何が?」
「この、大きいのがだ。」
そう言って、ガトーはウィンドウに飾ってある火鉢を指差す。・・・・そのガトーの台詞にコウは思わず考え込んだ。うん、そりゃ確かにデカいよな、火鉢だから。でも、これが何だって言うんだ?・・・・ただの火鉢だけど。こう言って良ければ、古道具に近いようなもので、そう貴重な古美術にも見えないシロモノだけど。・・・すると、ガトーが更に続けてこう言った。
「欲しいな、これ。」
「−−−−−−−−−−・・・・・・・・。」
道ばたに立ち尽くす二人の後ろを転がってゆく、随分な秋風。
・・・・コウは驚いていた。・・・・・・・・うん、そうだ、びっくりした。
・・・・びっくりした。ガトーが、『何か』を『欲しがって』いるのなんて初めて見た。
「欲しいの?・・・・これが?????」
コウが思わず目を丸くしてそう聞くと、ガトーはコウを見下ろしてちょっと笑った。
「ああ?・・・・いや、別に。良く考えるとそんなに欲しくはないかな。」
・・・・その瞬間。
コウはガトーにどうしてもその火鉢を買ってあげたくなった。
『バラ色の日々』、夏の話はどうなった?って事は聞かないでほしいな(笑)、
っていう冬支度編(笑)。
「バイトぉー?」
次の日、大学の校門の辺りで会ってさっそくのコウの台詞に、コウの親友のアムロは素頓狂な声を上げた。
「そう、バイト。」
「えー・・・えぇ?本気かよ、コウー。無理だぞそれ、絶対・・・・・体育会系の部活なんかしながら、定期的にバイトやってるヤツなんか見た事ねぇよ。」
何の事は無い、朝一でコウに会って、捕まったアムロは、コウに『なんかバイトないかな?』と持ちかけられたワケだった。
「うーん、そこをなんとか・・・・なんか無いかな?」
「えー・・・・・」
アムロは、教室への道をコウと歩きながら、そう言って鼻の頭をこする。いや、バイトって。だから、なんで仕送り必要以上にもらって、マンションだって大学生活の為だけに買ってくれるような親が居て、剣道にだけ集中した生活送ってるコウがバイト?・・・と、そう思ったのだった。
「ええっと・・・・そうだなあ、ま、一般的な家庭教師のバイトから始まって・・・・学生課の掲示板にも、大学側に募集が来てるバイトの内容とかは貼り出してあるけどさ・・・何、コウ、本気でバイトやるのか?そんなに金必要なの?」
「うん、一万六千円。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
その、至って真面目な顔をしたコウの返事に、今度はアムロが真面目な顔になった。
「・・・・あのさ。何なんだ?その中途半端な額は。それなら、単発のバイトで十分じゃん・・・・ええっと。まさかとは思うけど、あのさ・・・・また『ガトーさん絡み』の何かなワケ?・・・・金、貸そうか?俺、それくらいなら多分まくらの下に隠してある・・・・・」
そこまで話した時、コウとアムロは知真館の建物の前にやっと辿り着いた。・・・ああ、いつもの事だがこの学校は校地が広すぎる。
「・・・・・秘密。」
コウがそう言って、なんとも言えない顔をしたのでアムロは頭を抱えそうになった。・・・コウはウソをつくのが下手だ。っていうか、こう言って良ければ全くつけない。そうして、こう言葉を続けた。
「・・・・分かった、シャアに聞いてみる。・・・・あいつ、妙に顔が広いからちょうど一万六千円くらい稼げる単発のバイトもきっと知ってるよ。・・・で、ガトーさん元気?」
「ほんとか!?・・・ありがと、アムロ!・・・・うん、ガトーは元気だぞ?俺も元気だけど!」
アムロがバイト見つかるよ、という返事をした瞬間に、コウの顔がぱあっと明るくなる。しかも、ガトーの話となるといつものごとくテンションが上がるのだった。
「・・・そりゃ・・・・良かった・・・・じゃ、俺、授業行くよ。・・・で、コウっていままでバイトしたことあるのか?」
「無い!」
そう元気に答えるコウを後にして、もうアムロは話を続ける気力もないままに近くの灰皿に煙草を放り込むと、軽く手を振って自分の授業のある教室へと向かった。・・・・あのねえ。きっとコウは、気付いて無いだろう。ガトーの話になるといつも顔色が変わる事とか。何だか知らないけどバイトを急にしたいといいだすこととか。そういうの。・・・・全部全部。
・・・そういうの、世の中じゃ、『恋』っていうんです。『恋』の力のなせる技、っていうんです。
ともかく、スキップしそうな勢いで自分の教室に入ってゆくコウの後ろ姿を最後に横目で見てから、アムロも自分の102教室の扉をため息がちに開いた。・・・・ああ。なんか、あの二人『重傷』だよ。分かって無い辺りが絶対。
アムロはもちろん知らなかったのだが、一万六千円というのが、ガトーが目を離せなくなっていた火鉢の値段だったのであった。・・・仕送りではなくて、自分で稼いだお金でその火鉢を買わなきゃ意味が無い事くらいは、コウも分かっていた。
「・・・・『重傷』?」
アムロの台詞に、シャアは煙草を探す為にベットから手を延ばしつつそう答えた。
「そう、重傷だよ!・・・・あんたさ、最近ガトーと会ってる?・・・・なんか、ホントに目の当て様も無いくらい少女漫画になってきたよ−、何とかしてよ−、恥ずかしいよこっちがぁ!・・・って感じなんだ、コウが。」
「別にガトーはコウを好きでも無かろう?・・・そんなに男同士がほいほいくっつくとは思えんな、こんなに身近で。・・・君と私の様に。」
そう言って、シャアは軽くアムロの脇腹を蹴る。アムロは『うぅ?』というような声を上げて、自分も煙草を探すべく、掛け布団を勢い良くめくり上げた。
「火!」
「無いでーす・・・・・コンロでつけてきたまえよ。」
二人とも素っ裸であった。つまり、先程までセックスしていたのである。ガトーとコウの友人の、シャアとアムロの二人はもう一年程前から、何故かこういう関係であった。シャアの言葉に、アムロがぐちぐち言いながらベットを飛び出し、自分のワンルームマンションの小さな台所に走る。そうして、寒い−!と言いながらかけ戻ってきてベットに飛び込み直した。
「火!」
今度はシャアがそう言う。するとアムロはこう答えた。
「やらねぇ。欲しけりゃ金払って。・・・一万六千円でーす。・・・・・・・・なあ、俺らって悪い見本か?・・・あの二人にとって。」
「高い、まけて。」
シャアはそれだけ答えると、アムロの煙草から無理矢理火を自分の煙草に移した。・・・・そうして言った。
「・・・・他人の事なんて知らないな。好きにすればいい。で、その問題の『一万六千円分』のバイトだが・・・・」
「おおー、有るの?さすが、シャア−。よっ、イイおとこー。」
「ぜんっぜん気持ちが入ってないな、君の台詞は・・・・」
言いながら、シャアはアムロの頭をがしっとかかえて、少し遠くに飛んで行っていた灰皿を近くに引き寄せようと手を延ばす。その、シャアの胸元に面白そうにアムロが唇を寄せる。
「で、どんなバイトだ???・・・・コウ、バイトしたこと無いんだよ、コウでも出来る???」
「・・・・多分。ちょうどタイムリーなのがあってな、君とガトーも一緒にバイト出来るだろうさ、上手くいけばな・・・・舐めるのを止めろ。」
シャアが引き寄せた灰皿はさながらルパン三世の次元灰皿のようだった。・・・・つまり、その、吸い殻でいっぱいの。
「あー・・・・、だからどんなの?バイト。」
「・・・・・教えてやっても構わないが・・・・・もう一回寝てからにしよう。」
そう言うと、シャアは自分に舐めついているアムロの頭を掴んでひっぺがした。・・・そしてやっとマトモにキスをした。もちろんアムロの煙草は灰皿に押し付けた。・・・勿体無いくらい吸いかけだったが。
というわけで、それから一週間後の週末の土曜日、コウとアムロとガトーとシャアの四人は・・・・京都ホテルにいた。三条にある、高層の、京都市に景観条例の問題を多大に巻き起こした、あのホテルである。景観条例の問題と言うのは、このホテルの建物の高さが高すぎるということで、京都の美観を多大に損ねると、幾つもの寺がその建設に抗議して拝観を拒否した、そういう問題であった・・・・・それはともかく。
「・・・・どういう事だ、シャア。私は、こんな話は聞いていないぞ?」
ガトーは、自分以外の三人に向かって盛大に嫌な顔をしていた・・・・それはそうだろう。シャアが、いかなるウソをついてガトーをここまで引っぱり出したかは知らないが、ともかく『バイトをする為に京都ホテルに全員集合』とは、ガトーは知らなかったはずだからである。
「・・・・まあまあ。」
シャアがいつものごとくやんわりと笑いながらそう言った。
「今日、ここでフランス大使館主催による、フランスからの視察団のレセプションパーティがある。で、通訳が足りなくて留学生から募集された・・・・それに私と君が応募。どう言う偶然か、アムロとコウ君はそのパーティ会場の非常募集のウエィターのバイトをするらしい。・・・こんな素敵な偶然ってあるかい?」
「何が偶然だ。・・・・『スーツを持って京都ホテルに来い』などと、たまに帰ってきたと思ったら意味不明な書き置きを部屋に残して。・・・大体、私が来なかったらどうする気だったのだ?」
「まあ、いいじゃん!・・・・俺、このバイト楽しみにしてたんだ!!!」
シャアに向かってそう憤るガトーに、コウは笑いながらそんな事を言う。まだ、バイトの招集がかかるには早い時間であったので、四人はホテルのロビーで寄り集まっていた。
「そうそう、楽しみだなあ、私も。」
「うん、楽しみだな、俺も、ガトーさん。」
シャアとアムロもそう言い、つまり自分以外の三人がそろって笑顔なので、さすがにガトーも言葉に詰まった。・・・何だ?何だと言うのだ、今日のこの連中は?
「・・・・あ、呼ばれてる。行こう、アナベル・ガトー君。」
その時、ウエィターバイト組の二人とは別に通訳バイトをするフランス人二人に、まさにレセプションホールから出てきた係員からフランス語で声がかかったのでシャアがそう言った。そこで、ガトーもしぶしぶ、シャアの後をついて仕事に向かう。・・・・ここまで来て、『そんなことはやらない』というのも何だろう、と思ったからである。勝手に仕事を持ってきたシャアの言う事を聞くのは癪だが、それ以上に迷惑をかける事になるであろう人々の事を考えると、こうなったら素直に行かざるを得ない。
「・・・・さてさて、成功!・・・俺達も行くかぁ、ところで・・・・・コウ、その袋、何?」
臨時ウエィターバイトの控え室に向かいつつ、アムロがコウが背中にしょった袋に気がついてそう言った。すると、コウは苦笑いしながらこう答えた。
「えっと、ああ、これ?・・・・靴!・・・・あのさあ、俺、全然持って無かったのな、革靴。」
「はい?」
控え室に向かって歩きながら、アムロはワカラナイ、という顔でコウを見た。
「だから、革靴。・・・いっつもスニーカーだからさー、それで、さすがにウエィターのバイトって、スニーカーじゃまずいかな、と思って買ったの、靴。」
「・・・・・・・あの、コウ。その靴いくらだった?」
おそるおそるアムロはコウに聞いた。・・・・コウが、ちょっと抜けてるのは知ってる。・・・・でも、まさかな?
「え?二万八千円。・・・・ポール・スミスのだよ?・・・・見る?」
・・・・・それって、このバイトで手に入る金より高いじゃねーか!・・・という心の叫びを、アムロは何とか胸に納めた。
「・・・・・・・あ、そ・・・・」
多分コウは、そうやって自分が自由に使えるお金より、きちんと『自分が稼いだお金』で、何か買いたいものがあるのだろう。・・・・ガトー絡みで。しかし、コウが剣道とか、大学生活じゃ無い一般の世間常識に馴染むのは大変そうだな。アムロはそんな事を思ってため息をつきつつ、控え室の扉を開けた。・・・・シャア曰くの、『レセプション・パーティ』まではあと四時間。
簡単な説明だけを聞いて、料理を出す順番などを教わってコウとアムロが放り込まれたそのパーティは、中々に立派なものだった。
「すっげ・・・・・」
パーティは立食形式であった。ウエィターのコウとアムロは、黒っぽいベストの制服を着てまだ壁際に突っ立っていたが、おそらくこの壇上に上がる人の挨拶が済んだら、パーティが始まり、大急ぎで酒やら料理やらを運ばなくてはならなくなるのだろう。
「・・・・誰、アレ?」
となりでそう呟くアムロの言葉に、おそらくそれはシャアとガトーの事だろうと考えた。・・・・うん、ホントだ。そうして、自分も人込みの中にいるスーツ姿のその二人を見る。
・・・・・カッコ良かった。いや、だから、ガトーとシャアの二人が。
その二人は、自分の担当になったらしい二人のフランス人の横に立って、もちろん通訳をしていた。・・・・壇上の、京都市教育委員会の委員長だかの面白くも無いスピーチを、隣の人物に訳して伝えている。面白い事に、アムロとコウは『シャアとガトーは背が高い』とずっと思っていたのだが、その二人の通訳する相手となったらしいフランス人達は、シャアとガトーより更に身長が高いようだった・・・ガトーは禿頭の人を、シャアはなんだか眉毛が無い人を見上げながら通訳している。
「・・・どう思う、あれ?」
アムロがそう言い、コウも頷いた。
「うん、うん・・・・なんか凄いな。」
−−−−−思えば、シャアとガトーのスーツ姿のところなど、コウとアムロの二人は一度も見た事がなかったのだった。さすがに、就職活動中の四回生を除けば、スーツ姿で大学に来る学生などもちろんいない。それは、衣替えの季節にクラス中の女の子が急に可愛く見えたのと同じ状態なんだろうか。思わず、アムロはそんな事を考えた。・・・・ともかく、見慣れないスーツ姿の、そうして背筋をきちっと延ばして立つシャアとガトーの二人が、目眩がする程カッコイイ。・・・・ああ、外国人ってこういう場面で、様になるからすげぇよな。アムロはそう思った。・・・あんなにもこの場の空気に馴染んだフランス人二人を見ていたら、そもそも日本人なんか『パーティ』という空間自体が似合っていない様な気すらしてくる。
「・・・・料理、追加スタート!・・・・出て!」
その時、バイトの指揮を取るホテル側のフロアマネージャーにそうせき立てられて、アムロとコウの二人はぼやっとシャアとガトーに見とれるのを中断してフロアに出た。・・・・ほんと。
ああいう、かっこいい大人にいつかなりたいんだけど。
コウは、ちょっと足下が不安であった。・・・・いや、ちゃんと持ってきた革靴は履いている。しかし、その靴が逆に不安なのだ。店で試しに履いた時には、まったくなかった痛みが、コウを襲っていた。・・・痛い、この靴、なんだか。しかし、そんな心持ちとは全く関係無く、パーティは進んで行った。
さすがに、バイトの最中にしょっちゅう友人と無駄話をしている訳にもいかず、実はロビーで別れて以来、コウとアムロの二人はガトーとシャアの二人と殆ど口をきけずにいた。いや、料理の上げ下げで近くには行くのだが。・・・そういう訳で、四人がまた再び揃って顔を合わせたのは、コウとアムロが短い交代制の休み時間になった時であった・・・・それを見計らって、シャアがガトーの袖をひっぱり、手洗いに行くと言い張ってパーティを抜けて来たのだ。ちょうど、会場では照明を落としてなにやら京都のことを紹介するらしいビデオが流されていた・・・そんな場面で通訳がいなくなっていいものかどうかは知らないが。
「・・・・アムロ!」
トイレの前の廊下で、アムロが一服し、コウが慣れない仕事に疲れて座り込んでいた時、廊下の向こうからガトーとシャアがやってくるのが見えた・・・・なにやら二人とも、妙に不機嫌だ。
「・・・・・何?どうした???・・・・ところで、通訳もあの料理って食べれるの?」
アムロがそう言って声をかけると、シャアが何ごとかガトーに向かってフランス語で短く言った・・・・ガトーもそれにフランス語で返した。どうも、久しぶりにフランス語をずっと使う状況に陥ったため、二人はフランス語で会話を交わす方が早い様だ。アムロは、しかたなしにワカラナイ、という顔をした。
「・・・・あー、いや。すまないな、今のはこちらの話で。それで・・・・コウ君はどうしたんだ?座り込んで。コウ君?・・・・・大丈夫か?」
シャアが、アムロのその表情に気付いて、それからその隣に座り込んでいるコウにも目をやって、そう言った。・・・・しかし、ガトーはなんだかさっきより更に機嫌が悪くなっったように見える。
「え、大丈夫です、シャアさん・・・・ええっと、足が痛くて。・・・あー、もう、これで終わりにして家に帰らせてもらえないかな・・・・・」
驚いた事に、コウがそんなことを言ったので、さすがに残りの三人は少し呆れてコウを見た。
「足?・・・・帰るって、え?」
「なに、靴が合わないの?」
アムロとシャアはそれでもコウの心配をした。
「・・・・・・・・軟弱な!」
・・・・が、最後に発っせられたガトーの台詞は強烈であった。ミジンコ程の心配も、そこには無かった。
「何だ、帰るとは?それが、仕事の最中に言う台詞か!」
「・・・・だって!だから、足が痛いんだって!・・・・・この革靴、サイズが合って無かったみたいなんだよ!それで、もう、なんかめっちゃくちゃ痛くて・・・・!」
事情が分かり、シャアとアムロは少し安心する。しかし、一応こう言わずにはいられなかった。
「そうだな、そういう事なら、帰らせてもらっても・・・・・・」
「・・・大丈夫か、コウ?控え室に戻って、足見てきたら?」
「ええい、何故そんなにこの軟弱者に味方する、貴様ら!」
だがしかし、そのシャアとアムロの言葉に更に怒りが増したらしくてガトーはそう言う。そして続けた。
「いいか、コウ!・・・・バイトやら、仕事やら、シャアに聞いたが、なんで貴様がそんな事を急に言い出したのかも分からんが、とにかくそういうものは学生という身分とは違い、甘いものでは無いのだぞ!・・・・それくらい理解せんか!!!」
しかし、コウにはいまいちそのガトーの言葉の意味はワカラナイ様子だった。
「・・・・え?」
・・・ああ。シャアとアムロは、コウはこの仕事が初バイトなのだし、なんともならない事情もあるだろうと思ってガトーをなだめようとしのだが、上手い言葉が思い付かない。そうして、結局二人して顔を見合わせた。・・・・そんなシャアとアムロの二人は放っておいてガトーがまたこう言う。
「・・・そうか!そんなにも仕事を放り出して帰りたいなら、勝手に帰ればいい。・・・革靴だかなんだか知らんが、コウ、足が痛いと言うのだな?」
「・・・・はい。」
コウは素直にそう答えた。・・・・すると、ガトーは思いきり見下した顔をして、コウにこう宣言する。
「・・・そうか。で、そんな理由で貴様は家に戻ると。・・・・では、好きにするといい。が、これだけは言っておく。・・・・私は、革靴を履いても、まったく足なぞ痛くなりはしないぞ?」
・・・・そのガトーの言葉を聞いた瞬間に、面白い事にコウの背中がすくっと伸びた。目の色も変わった。そうして、へたりこんでいたのが立ち上がる。
「・・・・俺だって、別に痛くなんかないとも!」
「いや、今、『痛い』と言った!」
「痛くなんかないとも!!・・・・くっそ、負けねぇ!なんだよ、ガトーのバカ野郎ー!!」
そのコウとガトーのやり取りを、シャアとアムロの二人はもはや、呆れ果てて見ていた。・・・・バカだ、この人達。励ましたいのなら素直に励ませばいいし、本当に足が痛いのなら働らけなくなる気もする。
「バカは貴様だ!」
・・・いや、両方バカかと思います、だから。・・・・アムロは思わずちょっと天井を見上げた。ともかく、そんなやり取りをしている間に時間はあっという間に過ぎて、トイレに行くと言って抜けてきたシャアとガトーは、あっけに取られたアムロと妙に興奮してきたコウを残して、先に会場に戻らなければならなくなった。
「・・・・何、だから・・・・結局どうしたいんだよ、コウ・・・・ところで、なんであの二人、さっきあんなに不機嫌だったんだ?」
慌ただしく立ち去ったシャアとガトーを見送って、しばらくしてから煙草を消しそういうアムロに、コウは(実は)痛い足をちょっと引きずりながらこう答える。
「ああ、あの二人が不機嫌だった理由?・・・・いや、シャアさんが担当してる通訳の相手がさ、とんでもない事をシャアさんに言ったらしいよ。」
「へ?」
アムロは、まだ訳が分からずそう答えた。・・・・コウは、今年からフランス語の授業を専攻している。だから、フランス語の会話も有る程度なら、分かる訳だった・・・・というより、異常なまでの情熱と努力で、フランス語を覚えようとしていると言って過言では無い。夏休みに少しフランスに行った時、あまりにコウがフランス語を理解出来るのでアムロは少し驚いた程だった。
「いや、だから・・・・ええっと。戻らなきゃ、休憩時間終る。それで、いやだからさ、シャアさんが通訳しなきゃならなくなったあの人が、シャアさんに言ったらしいよ、『君はいくらで買える?』とか。・・・・そんで、シャアさんが怒り狂ってて、ガトーも引きずられて気分を悪くしてたみたい。」
「・・・・・・・・・。」
アムロは少し考えるのが面倒臭くなって来たのでともかく会場に戻ろうと思った。バイトはまだ、途中なのだ。
「・・・・・ええっと。『災難』だ、そりゃ・・・・なんだ、変態さんでいっぱいか?この世の中は・・・・」
「だな。・・・でもっ、俺はこのバイトをやり遂げてバイト代を手に入れる!」
・・・・あまり噛み合わない会話をしながら、二人は全く違うテンションで、しかしシャアとガトーの背中を追うように会場に戻った。
それは、その長い長いパーティのまさに終わりかけの頃の出来事であった。・・・・非常に派手な破壊音と共に、コウは思いきりコケた。
「・・・・・・・・・あれ?」
「コウっ!」
もちろん、最初にアムロが駆け寄った。それから、自分の仕事を放り出して、シャアとガトーも。何故、盛大な破壊音と共にかと言うと、コウは大量の空のグラスを載せた御盆と共に倒れたからである。
「・・・・・・あれ?」
パーティ会場にいる人々が、帰り支度をしつつも、そのとにかく大きな音に振り返る中、コケた本人であるコウが、一番状況を分かっていない様であった。
「どうした、コウ君!」
「何をやっている!」
「えっと・・・・・」
有り難い事に、慣れないウエィターのミスに人々が気付いて更に注目しようかというまさにそれと同じタイミングで、パーティの主催者から終了の言葉が漏れる・・・・おかげで、会場から出てゆく事に忙しくなった人込みの中で、グラスの破片の中にまみれて床にぺったり座り込んでいるコウは、そんなにも目立たなくなった。
「だいじょぶ?」
アムロの、心配そうな言葉にコウは辛うじてこう返事をする。
「・・・・うん、あれ?・・・・俺、なんかやっぱり、足が痛いらしい。・・・・ごめん。」
と、近くに駆け寄ってきていたガトーが、何も言わずにコウの靴と靴下を一気に脱がす。その時シャアは、思い立って『都合』によりバイト代なぞいらないので、もう仕事を終らせてくれ、と、通訳をやとったフランス大使館側の人間に言いに行っている所であった・・・・ま、嫌な顔をされようとも、『仕事の相手にセクハラを受けた』とでも言えば、相手も何となく納得しそうだ。
「・・・・早く言え。」
ともかく、ガトーが靴と靴下を脱がせたコウの足は、もう見事にマメだらけであった・・・・おそらく、靴に当るであろう場所全部。
「え、言ったよ、俺。・・・・でも、俺平気。最後まで仕事やるし。」
そんなコウの台詞に、ガトーの方がバツの悪そうな顔をした。
「・・・さっきのは・・・・ええい、だから・・・・・・!!」
「いや!やる!・・・・うん、裸足なら多分痛くない!大丈夫です。」
そう言ってガラスの破片の中に、裸足で立ち上がりそうなコウを、さすがにガトーが押しとどめた。そうして、しばらく考え込むように非常に苦い顔をしてコウを見つめていたが、ついに思いきったようにコウの身体に腕を回す。と、その時やっとシャアが戻ってきた。
「う・・・わっ、何するんだ、ガトー!・・・・ちょっと、俺平気だってば!」
コウがそう叫んだが、ガトーは聞いていなかった。・・・・何の事は無い。俗に言う、『お姫さまだっこ』というヤツだ。実は、コウは前にもガトーにお姫様だっこされたことがあるのだが、ひどい風邪をひいて意識が朦朧としていた時だったため、そのことを良く覚えてはいなかった。・・・・が、その時と今日とは違う・・・・全然正気なのにお姫様だっこだ!・・・・・これはかなり恥ずかしい。しかし、それでもガトーは、コウを抱え上げると、近くに居たシャアとアムロにこう宣言したのだった。
「家に帰る。」
「・・・・いや、ハイ・・・・・・・・・・止めませんけど。・・・・え?」
「帰るって、そのまま、コウ君を抱えたままでか?」
アムロとシャアがそんな返事をする。なので、コウの方が焦って来てこう答えた。
「・・・・やめてくれ!俺、だいじょぶだって!・・・・着替えて普通に帰れるってば、ガトー!!!ちょっと!!!???」
そのコウの台詞に、やっとガトーは思い直し、コウをこのまま家に連れて帰るのは断念した・・・で、控え室までお姫様だっこで運んでゆく事にした。
「・・・・な?」
ホテル側やらパーティ主催者側の、当惑してかけてくる言葉を全く無視してコウを抱えずんずん歩いてゆくガトーの後ろ姿を見ながら、アムロは隣に立つシャアにこう言った。
「少女漫画みたいで恥ずかしいだろ?・・・・なんとか言ってやってよ。」
「言葉がでません。やあ・・・ごちそうさま。」
そうして、この二人は二人で、自分達の家へと戻る事にした。
更に1週間後。
「・・・・ガトー!!!!」
盛大に景気よく、その日もコウはガトーの部屋のドアを開いた。そうしてドアを開けるため、足下に置いてあった、何だか良く分からない段ボール箱のようなものを抱えて部屋に入ってくる。
「・・・・何の用だ。」
「プレゼント!」
そう言うと、コウはどかっと部屋の真ん中に、その大きな包みを置いた。そしてガトーに満面の笑みを見せる。
「開けてみて!」
「・・・・・・。」
ガトーは、まだ絆創膏だらけのコウの足を眺めながら、それでもその包みに手をかけた・・・・何だ?何ごとだ?プレゼントって。
「・・・・・・・・・・ああ・・・・・」
その中途半端な包装の、かなり大きな包みを開いた時のガトーの第一声はそんな台詞であった。・・・・・もちろん、その包みの中には例の火鉢が入っていた。
「な、ガトーこれ、欲しかったんだろ?・・・・うーん、結局値切ったら八千円で買えた。あの古美術屋のオヤジ、イイ人だよ・・・・ええっと、とにかく予定の半額!!ラッキー!」
そんな事を行っているコウは尻目に、ガトーは目の前に有る、はっきり言って留学生会館の小さな部屋には不釣り合いで邪魔な事この上ないその火鉢を見つめ続けた・・・・だって。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・ガトー?・・・・これ、欲しかったのじゃないのか?・・・・・あれ?」
あまりに何も言わないガトーに、コウはちょっと心配になってそう聞いた。すると、ガトーが不思議な顔をしてコウを見る。
「・・・・・いや、欲しかった。」
「そう?・・・・うん、そりゃ良かった。・・・・ところで、お金があと八千円あります・・・・何か、食べに行かないか??」
そのガトーの言葉に、コウはホッとしてそう言った。・・・・うん、良かった。ガトーにプレゼントが出来た、俺!
「・・・・・ああ、うん。」
しかし、今一ガトーの返事はぱっとしない。そこで、コウは慌ててこう付け加えた。
「ええっと!メシおごるよ?これ、臨時収入だからね、うん・・・・ガトー?」
ガトーはまだ黙っていた。
「・・・・・・・・ガトーったら。なあ、飯食べに行こうぜ?・・・俺、なんだか腹減ったよ。それ、岡崎から担いで歩いて来たのな、俺。」
・・・・もう限界であった。ガトーは思わず、コウを正面から思いきり抱き締めた。・・・・ああ、そうか。それで、バイトで。
それで、バイトで、足にマメを作って、それで岡崎からこの大きな鉢を担いで、歩いてきたのか、貴様は。
「・・・・何?」
ガトーが今まで一度もした事の無いような事を自分にするので、コウは驚いてそう言った。すると、ガトーが更に信じられないような事を言った。
「・・・・嬉しい。一度しか言わないぞ、コウ・・・・・・・・ありがとう。」
「・・・・・・・・・・・・うん?」
なんだかよくワカラナイが、ともかくガトーが喜んでくれたのでコウは幸せであった。ガトーもプレゼントをもらって幸せであった。それで、ガトーは結局こう言った。
「・・・・・早速、これに、『きん』と『ぎょ』を入れよう。立派な金魚鉢だなあ。」
・・・・・その台詞にさんざん考えた挙げ句、コウもこう言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのさ、ガトー。・・・・これ、金魚鉢じゃないぞ?」
「え?」
−−−−こうして。
こうして、妙にレトロな、火鉢購入という、ガトーの部屋の冬支度は終った。
2000/10/08
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