九月に入ったものの、京都は今だ暑かった。・・・・ここは盆地である。四方を山に囲まれていては、一度暑くなった空気の逃げ場がないのだ・・・・というわけで、盛大に部屋のチャイムが鳴り、「ガトー!!」という叫び声が部屋の入り口から響き渡って来た時・・・・・ガトーは団扇を片手に、茹だるような午後の部屋の中にいた。
「入るよ!・・・暑っつい!!!・・・・なんでエアコン入れないんだ?有るのに!」
「・・・身体に悪いからだ。」
そう言って入って来たのは、当然コウである・・・・確かに暑いな。貴様が来ると、更に三割り増し暑くなる。ガトーはそう思ったが口には出さなかった。
「あっ、ガトー、いいもの持ってるね・・・って、エアコンが身体に悪いって、ガトー、風邪か?」
すると、コウは部屋に入って来るなり、ガトーが持っていた団扇を奪うと、ガトーが座っているベットの足下に自分も座り込んだ。・・・・ぱたぱたぱた。そうして自分を数回扇いでから、その団扇がガトーの物だったと急に思い出したらしく、ガトーの方を向けて今度は扇ぎ出した。・・・・ぱたぱたぱた。
「・・・・・コウ、貴様、何か忘れてないか?」
そんな、自分を見上げて団扇を変わりばんこに振っているコウを見ながら、ガトーはゆっくりとそう言った。
「えっ?・・・・俺、なんか忘れてる?・・・・これは確かに、ガトーの団扇だよな。・・・・それか、何か持ってくる約束とかしたっけ?」
コウはそう言いながら、まだガトーを見上げて団扇を振り続ける。・・・・あのなあ。ガトーはため息を付いた。別に、その団扇は私の物だ、と言いたかったのではない。
「あのだな。・・・・私と貴様は、昨日の夜喧嘩をしたのだ。『もうガトーとは会わない!』と、昨日の夜九時三十分頃に貴様は盛大に言った。」
「・・・・そうだっけ?」
どうも、コウはまるっきり忘れているらしい・・・・喧嘩したことを。で、綺麗さっぱり忘れて、今日もいつも通りこのガトーの部屋に来てしまったのだ。・・・・仕方がないので、ガトーはコウから団扇を取り戻すと、相変わらずゆっくりと茹だるような部屋の中でこう言った。
「・・・・・・・・『お手』。」
とたんに、コウが耳まで顔を赤くしてばっっ、とガトーの足下から身を引いて後ろに下がる。・・・・・どうやら、昨日の事を思い出したらしい。コウが身体を動かした事で、ガトーはコウが腰にぶら下げている、へにょっとしたビニール袋にやっと気付いた。
『バラ色の日々』、夏の終わりの金魚鉢編(笑)。
大体は、こういう話なのである。・・・・九月に入ったものの、大学の長い休みは、まだ終わりを迎えてはいなかった。国立大学ならば、休み明けのテストに向けて学生達は忙しいのだろうが、コウが通っていて、ガトーが留学して来ている大学は私立の為、ただ各自で授業が始まるのを待っているだけで、別にこの休み終わりかけのこの時期は忙しくもない。
「な、久しぶりにメシ食わねー?」
そんな電話が、親友のアムロからコウにかかって来たのは昨日の昼過ぎの事であった。
「食う!」
もちろんコウは即答し、こうして『四人』で食事をする事が決まった。・・・・何故四人か、というと、コウとアムロの日本人大学生は、それぞれガトーとシャアと言うフランス人留学生と仲が良かったからである。つまり、四人組なわけだった。
コウはガトーに、アムロはシャアに連絡を取り・・・・もっとも、シャアとアムロは半分一緒に暮らしているようなものだったから、ただ隣にいる人間に伝えただけだったかもしれない・・・・ともかく、四人は久しぶりに四条で会う事になった。久しぶりに、というのは二週間振りにくらいの意味である。その前に四人は、フランスに一週間程旅行に行くので会っていた。
「コウー!」
「アムロ!!」
ただ二週間ぶりに友人に会うだけだと言うのに、コウとアムロは盛大に再会を祝った。いや、いつもは大学で毎日会うのだし、夏休み中もそれまでは殆ど一緒に軽井沢に遊びに行ったりフランスに旅立ったりしていたのだから、ここは喜ばねばならない所なのかもしれない。
「・・・・お久しぶり。」
「相変わらずお元気そうで。」
珍しく、ガトーとシャアもそんな会話を交わした。この二人は、同じフランスからの留学生で留学生会館の部屋も同室なくせに、非常に性格が合わず仲が悪いのである。結局、その部屋にもシャアは殆ど帰らない。ともかく、四人は合流すると、『鳥せい』というアムロお勧めの焼き鳥屋に向かった。
そこで、久しぶりに大騒ぎしながらたらふく御飯を食べて、店を出たのが九時少し過ぎであった・・・・酒も程よく入り、このまま帰るのは勿体無かったが、まさか外国人のガトーやシャアに『カラオケかゲーセン行かねぇ?』と言うわけにもいかず、四人はそのまま四条河原に向かった。・・・いや、シャアは一応、「サンバ・DE・アミーゴをやりたいが。」とゲ−セン行きには賛成はしてくれたのだが。しかし、如何せんUFOキャッチャーの前に屈み込むガトーというのが、想像しただけでも恐ろしい絵面なので、二人の日本人はシャアの有り難いゲ−セン行きの言葉を遠慮したのである。
「あー!夜になるとだいぶ涼しいー!!」
コウがそう叫ぶと、一番乗りで鴨川の川べりまで駆け降りて行く。・・・膝程までしか水の無い川ではあるが、コウが飛び込むのではなかろうかと他の三人は心配した。・・・・が、そんな事も無く、コウはまた堤防を駆け登って来た。
「・・・・ああ。」
その時、シャアが急に手を打った。何ごとかとアムロとガトーが見ると、何かを思い出したらしくにやにやしている。
「ほら。前にここで、一緒に散歩した事があったじゃないか・・・・冬に。覚えてるかい?コウ君。」
そう言うと、何故かシャアは面白そうにコウに向かって片手を差し出した。
「・・・・・・お手。」
すると、近くまで戻って来ていたコウは、しばらくその手を見て首をかしげてから・・・・ぽんっ、とシャアの手の上に自分の手のひらを載せたではないか。
「・・・・あり?・・・・あ、そうか、あの弁当おごってもらった時にね!!」
コウは、やっとその出来事を思い出したらしい。そんなシャアとコウのやり取りを見ながら、今度はアムロがあー!!!!と叫んだ。
「そうか!それでか!その、コウの『お手』があったから、俺にあんなわけの分からないネタ仕込もうとしてたんだな!!??」
この言葉にはコウも、それから今いち話に付いて行けていないガトーも・・・揃って分からない、という顔をした。すると、シャアがまたもやニンマリ笑って、今度はアムロに向かって軽く手を振る。
「そうだ。・・・・見て見て、こういうのも仕込むのに成功しました。」
そうして、アムロの目の前でひらひら手を動かすと、アムロがその手に飛びつこうと必死になった。
「ねこじゃらしー。」
「流れねこぱーんち!!!」
そんな事を言いながら、アムロはシャアの手を捕まえようとするのだが、身長差のせいで上手くいかない。・・・・何をやっとるんだ、こいつらは。ガトーは頭を抱えかけたが、そんなガトーに挙げ句の果てにシャアがこう言った。
「『お手』のネタは、君に譲ってやるぞ、アナベル・ガトー君!・・・私はもう面白い猫が一匹いるから、そのネタはいらない!」
そう言いながら、シャアはねこぱんちどころでなくアムロに殴られかかっている。
「・・・・なんなんだ、あれは?」
珍しく人前でふざけあいながら、少し遠くに離れて行ったシャアとアムロを見ながら、遂にガトーはそう言った。すると、コウがこう答える。
「いや・・・・楽しいんじゃ無いのかな?やっぱ。」
実は、恐ろしい事にシャアとアムロの二人は、男同士なのに付き合っていたりするのだった。・・・それは、ガトーは前々から知っていたし、コウもこの夏になる直前、様々な事情から遂に知った。しかし、あの二人はまったく人前でそんなそぶりは見せなかったし・・・・事情を知っているコウとガトーの前ですら今まで一回もいちゃついた事は無かった。今回の、これが初めてだ。・・・・いや。あの状態を、いちゃついてると言うのなら、だが。
「ううん、分かんねえなあ・・・付き合ってるっていっても、全然普通。AVとか借りてるしな、アムロ。シャアさんの女、少し分けて欲しいよなって話で、前にも学部の友達と盛り上がってたしな。」
「・・・・男同士なのだから、男女が付き合うのとは違うのだろう。・・・全く分からんが。」
ともかく、シャアとアムロが相変わらず遠くで『ねこじゃらしネタ』をやっているままなので、暇を持て余したガトーは、ふと思い付いて言ってみた。
「・・・・コウ。」
「何?」
隣を歩いていたコウが顔をあげる。・・・・夜の四条河原。綺麗に輝いている、ライトアップされた南座。繁華街から聞こえてくる、すこし遠いざわめき。
「・・・・『お手』。」
等間隔にカップルが並ぶ河原をシャアとアムロの方に歩きながら、ガトーはそう言って気軽にコウに向かって手を差し出した。・・・・コウは、ひどくぽかんとしてそのガトーの手を見ていたが、やがてこう言った。
「・・・・・・・・っっ、やらないっ!」
しばらく沈黙したあとで、そう叫んだコウの声があまりに大声だったので、ガトーの方がびっくりした。・・・・何だ???何故かは分からないが、見るとコウは真っ赤な顔になっている。
「やらない!ガトーにお手なんか、俺、しない!!」
そんなに大声で言わなくても、聞こえる。思わず、ガトーは辺りを見渡した・・・・が、どうやら飲み会流れの人間等が涼んでいるこの時間帯、ガトーとコウの二人に注意を払っている人間はあまり多くは無いらしい・・・良かった。
「いや、別にやらなくても良いのだが。・・・・ただ言ってみただけだ、何をそんなに怒っている?」
「とにかくやらない!!シャアさんには『お手』しても、ガトーには絶対やらないから!!」
ここまで言われると、ガトーもなんだか妙に腹立たしくなってくる。それで、思わずこう言った。
「・・・・何でシャアだと出来て、私だと出来ないのだ!?これは、良くは分からんが、そういう遊びなのだろう!!?」
そのガトーの声で、やっと騒ぎに気付いたシャアとアムロが、近くに引き返して来る。
「・・・・何ででもだ!!!・・・・くっそ、なんだよ、ガトーとはもう会わない!!ちくしょー!!」
それだけ言うと、コウは勝手に河原から上の道へ、四条通りの方へ、駆け上がって行ってしまった。・・・戻って来たシャアとアムロが、何ごと?とガトーを見る。・・・・・いや、何がなんだか。ガトーの方がそう言いたい気持ちで、シャアとアムロに向かって苦々しげに首を振った。・・・ともかく、コウは本当にそのまま家に帰ってしまったらしくて、その晩は戻ってこなかった。
・・・でだ。話は冒頭、コウがガトーと喧嘩してしまった事を忘れて威勢よくガトーの部屋に来てしまったところに戻る。
「・・・・なんだ、その腰にぶら下げてるのは?」
ガトーは、毛頭自分がコウと喧嘩していようがしていまいがどうでも良かったし・・・・そのへにょっとしたビニール袋が気になったのでそう言った。何故か、コウはガトーが『お手』と言った事で、真っ赤な顔をして後ずさりしてそのままだ。
「え?・・・ああ、これ・・・・・あの、金魚・・・・・・」
そう言うと、コウは急いで腰に手をやると、適当にぶら下げてあったビニール袋を解いた。・・・見ると、確かに金魚だ。小さな和金が二匹、ビニール袋のぬるそうな水の中で泳いでいた。
「何だって・・・・・・また金魚だ?」
「お土産!」
コウは何故か耳を押さえて、赤い顔をしたままである。ガトーは、少し考えた。・・・・別にコウが、シャア曰く『お手』ネタに乗ってくれなくても別に腹が立つわけでも無いのだが、このコウの反応は訳が分からなくて面白いな。
「・・・・なんでこれが土産なのか、いまいち分からんが、じゃ別の容れ物に移すとしよう・・・・ところで、これは私が飼うのか。」
すると、コウはやはり赤い顔をしたまま、こくこく頷いた。
「・・・・・・コウ。」
ガトーは適当な容れ物を探しにキッチンに向かいかけたが、気が変わって戻って来ると、コウの脇にしゃがみ込んでこう言った。
「・・・何?」
「『お手』。」
「・・・・・・・・・っ!!!」
またコウが、床に座り込んだまま赤い顔をして器用に後ろに下がる。・・・・面白い。ガトーは、愉快になって今度こそ容れ物を探しにキッチンに向かった。が、大学生の、しかも留学生の部屋に、マトモな金魚鉢があるはずも無い。
「・・・・『お手』はしないっ。」
コウがそう叫ぶのをハイハイと聞きながら、ガトーは相変らず蒸した部屋の中で、適当なコップを見つけると一匹づつそこに金魚を入れた。臭い琵琶湖の水が流れ出る水道水では無く、ミネラルウォーターを入れてやるのも忘れない。ガトーはこういう事には細かい男だった。
「・・・それは分かった。だが、何故だ?」
「ええっと・・・・!」
金魚をコップに入れて、それを持って部屋に戻って来たガトーに、コウは必死な風でこう言う。
「ええっと!うん、俺、ガトーの犬じゃないからっ!シャアさんとならいくらでもふざけてそんな事出来るけど、ガトーにお手するのは嫌だ!!!・・・・ふざけてでも嫌だっ、絶対イヤだっっっ!!!!」
「・・・・・・・・・・・・。」
最終的にかなり訳の分からない事を、真っ赤な顔で叫ぶコウを、ガトーはしみじみ見つめた。・・・・・なんだか。
なんだかすごい事を言われた気がする。・・・・盛大に、特別扱いされたような。・・・・『ガトーの犬じゃないから』?・・・・なんて台詞だ。
「・・・・それで、この金魚はどうした。これに名前は有るのか?」
考えた挙げ句にガトーはとりあえずそう言った。・・・・何だかな、このコウは。
「えっと・・・うん、ここにくる橋の途中でさ、金魚売りのおっちゃんがさ、夏も終わりだってのに売れ残って困ってたんで、売り上げに御協力してきたんだ。名前も考えた・・・けど、ここで飼ってもいいのか???」
「どうせシャアは戻って来ん。」
コウが、話題が変わった事にこれ幸いと、慌ててそう返事をするのをガトーはやっぱり見つめ続けた。・・・そうか。
「で、名前は。」
「ああ、『きん』と『ぎょ』だよ。」
・・・・そのコウの返事に、ガトーはさすがに固まった。
「は?」
「『きん』と『ぎょ』!・・・・二匹いっぺんになら、『きんぎょ』って呼べるだろ?だから!」
・・・・なんだかな、このコウは。・・・そうか。シャアが言うような『ネタ』をやるには、コウが嫌がらないものを選ばねばならないらしい。そこでガトーは、頭で多少慣れない事を考え続け・・・・最終的にこう言ってみた。
「・・・・こっちが?」
片方のコップを指差す。するとコウがこう言う。
「『きん』!」
「こっちは?」
もう片方を指差す。するとコウがまたこう言う。
「『ぎょ』!」
ガトーは、細心の注意を込めて、最後にこう言ってみた。
「・・・・じゃ、二匹あわせると?」
「『きんぎょ』!!」
コウが、嬉しそうにそう言った。・・・・こうして、ガトーとコウオリジナルの『ネタ』が出来た。・・・のちのち、この『ネタ』はシャアとアムロに披露された・・・・・・・・あまり受けなかったが。
「・・・金魚鉢を買いに行くか。」
ガトーがしばらく経ってからそう言った。コウはうーん、と考えてから頷いた。
「どこに?」
「錦小路。」
そこで二人は、まだ蒸し暑い夕暮れの町に出た。・・・・陽炎が立って、町は夏ばて気味に見えたが、錦小路まで歩いて行く最中、ガトーとコウは何度も『きんぎょ』ネタをやってみた。・・・・少し面白いかもしれない。鴨川で釣りをする子供を眺めながらガトーは最後にそう思った。
そうして、「きんぎょ!」と叫ぶコウは少し可愛いかもしれない。・・・・根性たたき直してやらなきゃあならんと思う程度には。
こうして、ガトーの部屋に金魚の『きん』と『ぎょ』はやってきた。・・・もうすぐ夏が終る。
2000/09/30
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