「・・・・くっそおおおお!」
 そう叫ぶ大声と、それから防具の面が強引に外され、道場の床の間に叩き付けられる音が響いたのは、その日の練習の終了を告げる剣道部主将の『全員、やめ!!』という号令が響いた直後のことであった。
「・・・・・・浦木?」
 思わず、近くにいた人間が心配そうに声をかける。それくらい・・・・それくらい、コウは、頭の上でマチガイ無くお湯を沸かせそうなくらい、苛立っていたのであった。いや、恐い。これはなんだか、異様なキレ方だ。
 ここは、京都にある某私立大学のディビス記念館、とよばれる体育館。体育館の中には剣道場も柔道場も全てがあって、さらにその外の敷地には野球場が三つと馬場、それから飛行場まであった。飛行場は、航空部の部員がパラプレーンの練習をするように、である。それくらい大きな敷地を有する総合大学だったのだ・・・・それはともかく。
「・・・・・・お先に失礼しまぁす!」
 面を床に投げ付けたコウは、それをもう一回拾うと、周りの人間が心配するのもまったく目に入らない様子で道場を後にしようとした・・・・・・その有り様が、さすがに目に余ったのかそのときやっと主将が言う。
「・・・浦木!!貴様、自分勝手に行動するな!終令が終わるまで、部活動が終わったとは言えんぞ!!」
「分かっていまぁす!・・・・浦木 孝、今日は終令を欠席します!理由は・・・・・・・・気分が悪いからです!」
 すると、それでも道場の出入り口に向かって背を向けたまま、コウが叫び返した。
「・・・・・・・明日から一週間、貴様は道場掃除をするように!!!いいな!」
 そのコウの態度に、さすがに腹にすえかねたらしい主将がそう叫ぶと、コウは少しだけ立ち止まって、ただ振り返らないままにペコリ、と頭を下げた・・・・つまりは、分かった、ということらしい。
 そのときやっと、その最後の手合せをコウとしていた人物が面を取った。・・・・そして、主将の側に歩いて来た。
「・・・・・・いや、なんだ。何故ヤツはあんなにキレているんだ。」
 その人物が、非常にのんびりとそう言ったので、主将は思わず顔をあげた。・・・・何故なら、その人物は剣道部の現主将よりも、よほど大きな人物だったからである。・・・・・つまりは、外国人だ。
「・・・・・・・・あんたに勝てないからだろう・・・・」
 主将が思わず溜め息混じりにそう言うと、その人物・・・アナベル・ガトーは、少し分からないな、といった感じで首をひねった。




 ・・・・・・事実、その通りだったのである。
「・・・・・・・くっそおおおおお!」
 一番乗りで、まだ誰も居ない更衣室に戻って来たコウは、思わず自分のロッカーを殴りつけた。・・・・今まで何回ガトーと手合せした?十回・・・百回・・・・いや、もっとかもしんない!!!
 でも、勝てないのである!!!
「くっそぉおお・・・・・・・!!」
 コウは、もう一回そう言って、さっさと服を着替えると、気を抜いたら溢れだしそうな涙を我慢してもう、家に帰る事にした。・・・・勝てない。勝てない勝てない勝てない、もう死ぬほど本気でガトーと闘っているのに!!!
「・・・・あ。」
 着替え終わって自分のロッカーをしみじみと見たコウは、それが自分の殴りつけてしまったせいで、ずいぶんへこんでしまっているのを見た。・・・・まあ、いいや。多分裏側からもう一回殴れば、大体元通りになることだろう。そこで、剣道部の他のメンバーが戻ってくる前に、さっさと更衣室を後にする事にした。









『バラ色の日々』・・・いや、一応闘ってるガトさんとコウを書こうと思ったんだけど、
ほんと下手よな、私(笑)、って話(笑)。











「・・・・・・・・・・」
 更衣室にやってきたガトーと、その他の剣道部のメンバー達は、ボコボコに殴られたコウのロッカーを見た。・・・・そして、少し沈黙した。
「・・・・ま、備品だからな・・・・・自分の持ち物になっている備品だからな・・・・・」
「そうだな、直せなかったら、卒業するまでに買い直して、弁償すればいいだけの話だからな。」
「あいつんち、金持ちだっていうし、大丈夫じゃ無いか?」
「・・・・・・・・・・」
 ガトーは、そんな他の部員達の溜め息混じりの軽口を少し耳が痛くなりながら聞いた。・・・・コウが、いつ何のきっかけでキレようがそれはコウの勝手である・・・・しかしだ。コウがキレたのは自分が原因であるという。しかも、誰にでも分かるような状況でキレている。ふざけるな。人の迷惑を少しは考えろ。あの出来損ないめ。
「・・・・先に失礼する。」
 それだけを言うと、さっさと服を着替えてガトーはもうとっぷりと日の暮れきった建物の外に出ることにする・・・・・・・・と。そこで、ガトーは更に恐ろしいものを見つけた!!!









 思わず、もう一回更衣室に戻ろうかと思った・・・・・・建物の外、この大学は山ひとつを利用して建てられているから、建物のすぐ脇に山が、木が在る、その山の木々の間に隠れるようにして・・・・・コウが立ってはいまいか!!??
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 あれは、隠れているつもりなのだろうか。ガトーは、本気でわずかな間立ち止まったが、やがて気を取り直して歩き出した。いや。・・・・コウが、勝手にキレて勝手に怒って、それでさっさと先に帰ろうがなんだろうが、だからまったく自分には関係がない。・・・帰ろう。そういうことにしておこう。
 ガトーは、長い校地内の敷地を、ゆっくりと下っていった・・・・校門を出る。すると、案の定隠れているつもりらしいコウも、その後を追ってゴミバコやら、吸い殻入れの影に隠れながら、必死に後を追ってくるのだった・・・・・一体何がしたいというのだ、あの男は!!???
「・・・・・あ、そうだ。」
 新田辺駅までのえんえんと続く下り坂を歩きながら、ガトーはふと思い付いていつもと違う道に入ってみた。・・・・いつもはこの道を、一人ではなくコウと下ってくる。ガトーは一人で帰ってもいいと思っているのだが、コウがひっついて来るからだ。この、京田辺と言う町は、聞けば数年前までは『市』ですらなかったような町らしい。目立つものと言えば、一休さんがいたという一休寺と、それから山の上に立つ大学、くらいの。・・・しかし、その大学が京都市内からここへ引っ越して来たおかげで、この町は人口が増えて『町』から『市』になったのだ。そんな、真新しい建物ばかりが並ぶ駅の近くの路地を、わざとガトーは変な方向に曲ってみた。
「・・・・・・・・・」
 ついて来た!案の定、いつもと違う道をガトーが通るのでひどく驚いたらしく、おまけに電柱に縛り付けてある看板に突っ込むような音までしていたが、ともかくコウはガトーの後をついて、通りを曲って来た!!・・・・つまり、後を追ってくると言う事だな!!??
「・・・・よし。」
 それだけ確認すると、ガトーはいつもの通りにもう一回出て、そうしてやって来た京都市内行きの電車に乗った。・・・・コウは、発車のベルが鳴る寸前に、1つ向こうの車両に滑り込んで来た。そして、扉越しにじいい〜っ・・・とガトーを睨み続けている。・・・・だから、本当に何がしたいんだ、あの男は!!??
 ともかく、電車は走り出した。宇治を抜け、伏見に入り、そうして竹田で京都市営地下鉄に乗り入れる。ここには、友人のアムロと、ほぼその同居人と成り果ててしまっているシャアが住んでいるはずである。ともかく、電車が京都市内に向かう間ガトーは腕を組み、目をつぶって電車の座席に座り続けた。・・・・時々、コウの方を見てみたが、やっぱり本人はコッソリのつもりでガトーを睨んでいる。
『次は、丸太町、丸太町・・・・・』
 その車内アナウンスに、ガトーは立ち上がった。当然、コウも立ち上がる。・・・・・そして、ガトーは猛然と、『いつもとは違う駅改札出口』に向かった。









 コウは、またしてもビビったらしかった・・・・「ああっ!ごめんなさい、おばあさん!」などという声が、エスカレーターの下の方から聞こえてくる。何だ。何をした。貴様、通りすがりの一般市民にまで被害をおよぼしたのか!?ガトーは一瞬眉根を寄せたが、それでもその『違う改札』から外へ出た。・・・・何の事はない。夕食の材料が少し足りないから、だから買って帰ろうかと思っただけだ。ガトーは、まっすぐに近所の商店街へ向かった・・・・コウも、やっとガトーの意図が分かったらしい。商店街は、夕方の混み合う時間は過ぎていたが、しかしまだ十分に賑わっていた。
 そんな中を、スタスタと歩いてゆくガトーの長身と、それから本人は隠れているつもりらしい不審な動きで、追いかけてゆくコウ。
 ついに、一軒の店の前でガトーは歩みを止めた・・・・八百屋だ。ここの主人とは、ガトーは顔見知りである。声をかけると、ガトーに先にビニ−ル袋を渡してくれた・・・ガトーが大学からの帰りで、買い物袋を持っていなかったからだ。それを手渡されたガトーは、次々に野菜をその袋に入れはじめた・・・最初に、じゃがいもをひと袋。それから、悩んで、大きなたまねぎではなくて、こたまねぎをひと袋。・・・・・これはまさか・・・・・と、コウが思った瞬間に、ガトーがニンジンの袋に手を延ばした!!!









 ・・・・・カレーだ!!!









 コウはもう、いても立っても居られないような心境であった。八百屋の筋向かいの、魚屋の前に在る自動販売機の影から、そのガトーの行動をじいいいいっと見つめ続ける。しかし、ガトーはゆっくりとニンジンの袋に手を延ばすと・・・それを、持って言る袋の中に入れてしまった!!!その時、何故かちらり、とガトーは自分の方を見たような気がする。コウは思わず飛び出してゆきそうになった・・・・ニンジンはダメだ!!!ニンジンを入れないでくれ!!!そのカレー、食べられなくなるじゃあないか!!!・・・・・何故か、道場で大キレして、そうして面を投げ出して、ロッカーをボコボコにしたにも関わらず、コウはガトーの家で夕飯を食べる気だったのであった。・・・・・いや、そう思って付いて来ちゃったんだけれども。いつものクセで。
「・・・・・・せっかくだから・・・・」
 ガトーは、しばらく八百屋の主人と話をしてから、何故かもう一回ニンジンの袋に手を延ばした。・・・・・何だって!!??コウが見ている目の前で、ニンジンの袋が1つ、2つ・・・と買い物袋に放り込まれてゆく。・・・・ああ。もう、コウは倒れそうになった。なんだ、ガトーはこの先一週間くらい、ニンジンを食べ続けるとでもいうのだろうか!!???そして、ガトーがちょうど四袋目のニンジンの袋に手を出した時、ついに・・・・・遂に、我慢出来なくなって自動販売機の影から飛び出した!!!









「カレーにニンジンを入れちゃあダメだーーー!!」
 かなり意味不明な事を叫びながら、コウは思いきり八百屋の軒先きに立っていたガトーの胸ぐらに掴みかかった。・・・いや、もちろんガトーはビクともしなかったが。
「私が自分で作る自分の料理に、どれだけニンジンを入れようがそれは私の勝手だ!・・・それに、カレーではなくシチューかもしれないだろう!!」
「なんや、坊も来とったんか、今日はこのおっきぃ人だけやとてっきり・・・・」
 八百屋の主人がコウの姿を見つけて、そう声をかけてくる。二人でよく一緒に買い物に来ていたから、すっかりコウも憶えられてしまているのだった。しかし、コウはそんな八百屋の主人をまったく無視する。・・・・・いや、実際それどころじゃ無いんだ!!
「・・・・っていうか、俺が突然現れたんだからびっくりしろよ!!」
「あんな見え見えの尾行に気付かないバカが何処にいる!!!大体なんだ!!!手合せに一回負けたくらいでこの有り様は!」
「一回じゃあないだろ、何回もだろ、ともかくこれ出せよ!!」
 そう叫ぶと、コウはガトーの胸ぐらを掴んでいた手を離して買い物袋の中に手をつっこんだ。そして、ニンジンのふくろを全部元の棚に戻す。
「ともかくニンジン買っちゃダメだーーー!」
「大声で叫べば何とかなると言う問題では無い!!!貴様はニンジンも食えんから、だから私に勝てんのだ!!!」
「・・・・・・・・そんなことないーーーーーー!!!ニンジンは関係ない、だけど、くそおおお、カレーにニンジン入れるなー!!!」
 八百屋の主人は、もう呆れ果ててそんな二人を見ていた。ついに、ガトーも腹にすえかねたらしく、まだ叫び続けそうなコウの鼻を上からつまむ。
「いててて・・・」
 というような声を上げてコウがさすがに黙る。叫ぶのと、息を吸うのを口だけからやろうとしたら、ちょっと難しいからだ。・・・っていうか、苦しい!ガトーはめちゃくちゃ身長が高いので、鼻を摘まみ上げられていると足が浮きそうになるのである・・・・・首が痛い!!!
「・・・・御主人。たまねぎとじゃがいもだけいただこう。」
 この八百屋でも結局、勝負はあっさりとついた。ガトーがそういい、八百屋の主人はガトーにじゃがいもとたまねぎだけを売った。財布を出すガトーが自分の鼻をやっと離してくれたので、コウはやっと大地に足を付く。そして大慌てで息を必死に吸った・・・・それから、もう一回「くっそおおおおお!」と、思いきり商店街の真ん中で叫んだ。









 結局、分かった事・・・・というのは、コウは絶対にスパイにはなれない、ということと・・・・・それから、ガトーはニンジン無しでも、いわゆるカレーを、ルーを入れて作る実に日本的なカレーというものを、立派に作る事が出来るというそういう事実だけであった。とにもかくにも、コウはガトーの家で、その「ニンジン無しカレー」にありつく事が出来た。カレーを作っているガトーの足にも、数度タックルをしてみたが蹴り飛ばされて勝てなかったのは言うまでもない。









 こうして、六月のとある一日は暮れていった。















2001/09/18









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