大学にやって来たコウは、工学部掲示板の前で途方に暮れて立ちすくんでいた。
「・・・・・・・あああ。」
 思わず、変な声が出る。大学に来るのは久しぶりだった。いや、大学生が大学に行くのが久しぶり、というのもひどい話だと思われるかもしれないが、理由はきちんとある。昨日までの三日間、コウは所属する剣道部の部活動で、大学生の春期大会に参加する為東京に行っていたのだった。更に、その前の2日間もたまたま授業が無い曜日だったので、つまり5日振りに大学へ来た事になる。
「・・・・ああっ!こんなんアリか!?」
 文句を言ってもしょうがないのだが、コウはちょっと腹を立ててその掲示板を見つめた・・・掲示板には、無慈悲に三枚の紙が貼り出されてあった・・・・『一限の「工学応用」は休講になりました』『二限の「通信工学1」は休講になりました』『四限の一般科目「フランス語B」は休講になりました』・・・つまり、コウはまったく大学に来た意味が無くなってしまった事になる。取っていた全ての授業が、学校に来てみたらたまたま全部休講だったのだった。
「あああ〜・・・・・」
 もうどうしようもなくなって、コウは掲示板の前に座り込む。・・・そんなコウの後ろを、同じ工学部の学生達が面白そうな顔をして通り過ぎていった。どうしよう。アムロは、フランス語以外の二時間は同じ授業だから、休講の事を知っていたら学校には来ていないだろう。剣道部の部室に行ってもいいが、今日は遠征明けと言う事もあって、活動は珍しく休みになっている。・・・ということは、ガトーにも会えないと言う事だ。大体ガトーが大学に来ていたとしても、携帯を持っていないから連絡の取り様もない。シャアさんは・・・・・・・・いろいろ忙しいだろうな。そこまで考えて、やっとコウは座っていてもしょうがないや、という気分になって立ち上がった。とりあえず、建物から出よう・・・・その日、天気が良かったことだけは救いである。建物の外には、五月の爽やかな空が広がっていた。・・・アムロに電話一本かけてから出掛けてくれば良かったな、大学。








『バラ色の日々』、当初小咄だったんだけど、小咄どころじゃなく内容が本編だったもの(笑)。
衝撃の夏に向かってまっしぐら(内容にイツワリあり/爆)。











「・・・・浦木!」
「・・・?」
 意外な事に、構内を歩き出して数歩もいかないうちに、コウは後ろから声をかけられた・・・・あり、誰だ?声には聞き覚えがあるんだけど。
「・・・あー!!!カイさんー!」
 コウが中庭に入る直前で、声をかけてきたのは同じ学部の甲斐先輩であった。・・・いつものごとく、トレードマークのカメラを首からぶら下げて、にやにや笑いながら近づいて来る。
「よぉ、授業はどうしたんだ?もう始まるぜ?」
「カイさんこそどうしたんですか、授業は。」
 見れば、いつの間にやら授業が始まっていて、構内はさすがに人影がまばらになっていた。
「俺はさー、今日提出のレポートをコロっと忘れてたもんでさ・・・いや、だからしらばっくれようかと。」
 そう言ってカイはイヒヒと笑ったが、コウはしらばっくれても単位は取れないぞ・・・と、ちょっとだけそんな性格のカイの事が心配になった。
「俺はですね・・・5日振りに学校に来たら、なんと全ての授業が休講だったんです!」
「家に帰ればいいじゃん。なに?・・・お前、田辺じゃないの?家。」
「京都市内です〜・・・」
 カイの当然と言えば当然の言葉に、コウは悲しくなってうつむく。・・・・あああ。
「・・・ふーん、じゃ、お前暇か。」
「はい?」
 コウがそう答えると、カイは納得したように頷いた。そうして、コウに向かって図書館の向こうの、前庭を指差しながらこう言った。
「んじゃー俺が、正しい『休講の楽しみ方』を教えてやるよ!」
 言われた時には、すでにコウはカイに引きずられて、前庭に向かわざるをえなくなっていた・・・え?え?え?あり???




「まー、見ろ!おまけに食え!うひゃひゃ・・・」
 そう言って、前庭の芝生の上に座り込んだコウにカイが差し出したものは、『こんなん毎日持ち歩いてるんっすかー!』と叫び出したくなるような分厚いアルバムであった・・・・何の事は無い。学友会系の新聞部に所属するカイの、趣味で撮った写真のアルバムである。
「えー・・・はい。」
 カイが鞄から取り出したポッキーを口に放り込みながら、コウはそう言った。・・・っていうか、断ったら殺されそう。ああ、本当にイイ天気だな。・・・イイ天気なんだけど、眠くなりそうなんだけど、眠っちゃっても、きっと殺されるんだろうな・・・・。
「・・・・うわー・・・・・」
 ・・・だがしかし、『眠ってしまうかも』というコウの心配は、アルバムをめくり始めた瞬間に杞憂に消えた。・・・はっきり言ってすごいのである。
「・・・これはな、ほら、この間の柔道部の試合だ。上手く撮れてると思わねぇか〜?」
 そう説明を加えながら、カイも一緒にアルバムを覗き込んで来る。
「小林君だ。学部も同じ。体育館で良く会う・・・・小林君、強いの?」
「強いなあ。・・・小せぇけど、ほら、なんていったかな・・・柔よく剛を制す?・・・なんか、それ。確かいいとこまでいったぜ、その大会も。」
「ふうーん・・・小林君って、なんかコンビニのお店の息子さんだったよね?」
「あ、そうだっけか?・・・ファミリアだっけ?」
 コウは常日頃、まったく絵やら写真になど興味は無い人間だった。頭の中身は理系だし、性格は体育会系だ。・・・だがそれでも、そんな写真にまったく興味のないコウでも、カイの撮った写真は楽しく見れた。・・・なんていうか、意外だ。工学部ってのは、ゲイジツになんか興味のある人の方が、浮いて見える学部なのに。
「・・・カイさんさー、美芸専攻すれば良かったのに・・・あったよね、うちの大学??」
「あー、俺、そういうのはダメなんだよなぁ・・・なんつーか、別に専門で勉強してまで、写真はやりたく無いっつーのー・・・・?」
 カイのアルバムは、最初の方こそ新聞部の活動で使うのだろうな、という報道写真っぽいものが多かったのだが、いつの間にやら明らかに趣味だと分かる、風景の写真やらポートレートにと変わっていった。
「???・・・これは、誰ですか?・・・知らないなあ・・・・」
「えっと・・・俺も名前、忘れたな。確か、小林隼人の友達だ、だから柔道部の写真の後に撮ってるんだ、ええっと・・・留学生だよ、トルコ人とか言ってたな。そんで、ハヤトんちのコンビニでバイトしてるって。」
「おおー・・・・・・あ、これは天田先輩だ。院生の。」
「あー、そうそう・・・」
 写真は実に多岐に渡って撮られている。・・・卒業アルバムを作る時には、カイの撮った写真だけで全てが足りてしまいそうなくらいの量だった。
「天田さんはさ。なんつーか、ひひ・・・いっこだけ授業いっしょだけどさ、いっつも先生に怒られてる。」
「え?何で?そんな人には見えない・・・・」
「理系を勉強するにはセンチメンタルで感情に走り過ぎ、だってさ!」
「あー・・・・」




 5月の、気持ちの良い前庭の芝生の上にいつのまにやら寝転がりながら、コウはアルバムを見るのに熱中していた。・・・この前庭は本当に素敵だ。山一つをまるまる使って建てられているこの大学は、確かに殆ど奈良?というほど京都市内から通うには遠いし、校門から校舎までも遠いけど、その間にあるこの前庭だけは本当に素敵だ。
「うーん・・・これ、シャアさんじゃんかー。なんでこんなにあるの?」
「あー、こりゃ、バイトで・・・」
「バイト????」
 コウが聞くと、カイは舌打ちをした。
「そうだ、バイトってか・・・小遣い稼ぎか?・・・売れるんだよな、シャア・アズナブルの写真ー・・・写真好きの人間にもいろいろあってさ。俺、こいつあんまり好きじゃないんだけど、こいつって、シャアのことだけどな、でも、なんか写真映えはするから、そういうとこは好きでよー・・・・」
「はぁー・・・・」
 そんなカイの台詞に、コウは思わずしみじみと、たった今もカイが首に下げている一眼レフのカメラを見つめた。・・・だって、このアルバムに入っているシャアさんの画像と来たら、ほんっとうになんでもないものばかりだ。年柄年中カメラを持ち歩いている人間が、とっさに構えて撮った、というようなスナップばかり。
「あっ!俺までいる、これ、ガトーに思いっきり怒られたやつだー・・・・!」
 案の定、しばらくいくとコウ自身の写真もアルバムの中に出て来た。それは花見のときに、櫻の樹の下で眠りこけて撮られた、やっぱりコウのまったく知らなかった写真だった。・・・なるほど。こうやって、撮られている人間は全く知らない画像も、このアルバムには入っているんだな?
「・・・うーん、この大学の人間全部の秘密のアルバムを作れちゃいそうですね、カイさんって・・・・・これは誰?」
 例えば、その時にコウがめくったアルバムの一ページには、金髪の明らかに美形の男の人が写っていた。
「あ、こりゃお前知らないよ。去年まで、留学生でこの大学にいたやつだ、ええっと・・・オーストラリアから来てて、名前は・・・・たっしか、ジョニーとかいう名前だったと思う。」
「シャアさんみたいに綺麗な人だね。」
「あー。・・・ちょっとは似てるかもな・・・・そういやさ。」
 そこで、カイは面白そうに言葉を区切ると、ちょっと声を落とした。
「こいつさあ。こいつも写真がバカ売れしたんだけど、なんていうか、すげえ噂があったのな・・・松永先生いるじゃん。」
「うちの学部の?」
「そうそう。講師の。」
「松永先生、この四月に助教授になったよ?」
 コウはそう言ったのだが、それを聞いているのかいないのか、カイはそこで更に声を低くした。
「そりゃ、どうでもいいんだがさ。・・・ともかく、その松永先生と『デキてる』って噂あったのな、この男。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 ・・・例えば、そう、コウは、そういうこの学校にいる個々人の人の事は全く知らない。二万人も学生がいたら、自分の回りの事だけでもう大変だ。
「だって・・・松永先生は男だし、この人も男に見えるよ?・・・男じゃ無いの?」
「いや、男なんだけどさ。・・・・あー、もういい。」
 そう言って、カイは苦笑いした。・・・そうだ。カイ先輩はめちゃめちゃ物知りだ。いつもファインダー越しに、その学生達の日々の生活を切り取っている分。コウはそう思った。そうして、少し急いで分厚いアルバムをすこしばらばらめくった。
「・・・・あー!!!」
 ・・・・あった。案の定、コウが思っていたとおりに、ガトーの写真も、カイのアルバムには挟まれていた。
「これ・・・これっ・・・・」
 アルバムを開いて、芝生の上に寝転がったまま、思わずコウはじたばたした。・・・だって!
「?・・・なんだぁ?」
「これっ・・・・・・全部、焼き増しして俺にください!!」
 ガトーが。・・・カイが日常の一瞬を切り取って、写真の中に焼きつけたガトーが、そこには山ほどいたのである!!
「アナベル・ガトー?・・・おっまえさ、そんなこと容易く言うけど、この間大変だったんだぜ・・・お前の写真を撮って、学内報に載せてよー、それでなんで、俺がこいつに怒られなきゃなんねーわけ!?・・・でもま、こいつも美形だから絵になるんだけど・・・・」
 だがしかし、そんなカイの台詞をコウはまったく聞いていなかった。・・・ガトー、ガトー、ガトー。たっぷり二ページくらいガトーばっか!・・・うわあ。そうして自分が、実はガトーの写真を一枚も持っていない事に気付いて、コウはまたしてもじたばたした。
「ううー・・・これー・・・・これーっ!クダサイってば!カイさん!」
「・・・・・・・あーのさあ、お前さ、浦木。」
 カイは思わずそう言って声をかけずにはいられなかった。・・・正確に言うと、少しホモ疑惑のあったジョニー・ライデンと松永先生の事を思い出していたのも確かだ。
「おめぇ・・・そんなにガトーの事が・・・・ええっと、つまり気になるのか?」
 そういうカイの言葉に、コウはきょとん、とした顔をした。
「・・・へ?・・・いや、気になるって言うか・・・・・なんていうか・・・ああ、ガトー・・・そうだな、ガトーに一回でも勝てたら、俺死んでもいいんだけど・・・!!でも・・・・」
 ここでコウは盛大にため息をつく。
「ちっとも勝てないんですー!!!!あー・・・・!!!!で、全然関係ないけど写真はクダサイ!!俺、良く考えたらガトーの写真なんて一枚も持ってないんです!!!あー、あー、カイさんすごいー!!」
 カイは、半ば呆れてそんなコウを見ていた。・・・いや、すごいったってさ。そんな理由で褒められてもさ。大体死んでもイイから勝ちたいって、日本語おかしく無いか?・・・・コウが、ガトーのページからまったくアルバムをめくらなくなってしまったので、持て余したカイは思わず空を見上げた。・・・気がつけば、いつのまにやらもう一限が終っていた。前庭にも人が増えて来る。
「いや、だから・・・・・そりゃ、いくらでもくれてやるけどさ・・・・・・・・あ、そういや、」
 そこでカイは言葉を切った。・・・そうして、思いきった様にこう言った。
「そういや、シャア・アズナブルと安室なんだけどさ・・・・・・」
「はいっ?」
 だがしかし、コウはガトーの写真を見るのに必死であまり碌な返事をしない。同じ、ガトーの写真を行ったり来たり。・・・まあ、写真の見方なんて人それぞれだから、まあそれはそれでいいのか・・・と思いつつ、カイは続けた。
「・・・いや、だからさぁ。シャアと安室な、俺・・・この間さぁ・・・・」
 ・・・・カイは、なにか決定的な事を言いかけていた。しかし、コウはそれをまったく聞いていなかった。・・・実を言うと、年中カメラを持ち歩いているカイは、この間シャアとアムロの『えっ!』というようなシーンを撮る事に成功していたのである。知真館の、空き教室で。・・・だから、その二人と仲のよいコウに、真実を聞いてみたかったのだ。
「この間な。・・・・だっからさ、お前、人の話し聞いてんのかぁ?!」
「はいー・・・ガトーの写真、貰えるんですね!・・・やったぁ、ラッキー!!」
 それは、まさに『何も聞いていない』ことを証明するような台詞だった・・・・カイは、まったくキャラクターじゃないにせよ、その時深くため息をつかずにはいられなかった。
「も、いい・・・」
「え?あ、はい・・・・・うーん、ガトー・・・・あ、カイさん、それでこの写真いつ貰えます????」
 見ると、コウはもうアルバムに、頬擦りをしそうな勢いだった。・・・そうして、しかもそれは本当に。





 嬉しそうな幸せな光景だった。





「・・・・・それ、」
 そんなコウを見ながら、カイはカメラを構えた。・・・・シャアとアムロは、カイが見た時空き教室でキスをしていたのだ。・・・男同士なのに。その事について聞いてみたかったのだが、多分コウはなにも知らなそうだ。・・・それよりも、ここで今アルバムを見ながら目眩がするほど幸せそうな顔をしているこの人間を、写真に撮らなくてどうする。
「それ、もう今全部持って行っていいぜ?・・・俺、ネガ持ってるし。」
「ええっ、ほんとっすか!?・・・有り難うございます!」
 カイがシャッターを高速で切り続けるのもまったく気にしない様子で、コウは嬉しそうにアルバムから写真を抜き始める。・・・・カイは思った。




 俺はイイ写真が撮れたし。
 こいつは写真を貰って喜んでいるし。
 ・・・・まあ、良かったんじゃねーの?
 ・・・・安室とシャア・アズナブルの関係が気になるけど。それはまた、今度直接本人に聞いてやろう。
 だって、天気もイイし。
 ・・・・幸せな人間見てたら、俺もなんか妙に幸せになってきたし。




「・・・・んじゃ、俺、女待ってるからそろそろ行くぜ。」
 カイがそう言って立ち上がろうとした時にも、コウはまだ緑の芝生の上一面に、ガトーの写真を並べて喜んでいる所であった。
「あ、いいな!・・・そうか、カイさん彼女いましたね。美晴さんでしたっけ?・・・・俺も彼女ほしー・・・・」
 そのコウのつぶやきを聞いて、カイは思わず吹き出しそうになったが、もう少し遠くに離れて来てしまっていたので、振り返らずに片手を上げて手を振るだけにした。・・・いや、なんで吹き出しそうになったかというと、ガトーに思いきり憧れて、その写真を見ながら喜んでいるコウが、『彼女が欲しい』などと言うのが少し面白かったからである。
 大学生活って言うのは、なんだか感情がごちゃごちゃしていて、未熟で、不安定で、それでいて活気に溢れていて、多種多様で面白い。・・・だから写真も撮り甲斐があるってもんだ。
 カイはそんな事を柄でもなく考えたが、すぐに頭をふって『今日の弁当はなにかなー』と考える事にした。・・・カイは贅沢な事に、毎日彼女の美晴の手作り弁当を食っていた。




 カイが立ち去った前庭で、コウは写真に囲まれてまだほくほくしていた。・・・そうして、『休講って・・・・ほんと楽しいな!』と、思った。















2000/12/23










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