着ていく服が無い。
「・・・・・」
という圧倒的現実を前に、アムロはうちひしがれていた。いや、現実には服は有るのだ。別に一枚も持っていない訳では無いのだ。それでは一体どうした事か?
「・・・・・」
アムロはチラリと時計を見た。ちなみに、この小汚い学生向けワンルーム・マンションに壁掛け時計などと言う繊細なものは有りゃしないので、厳密に言うとテレビの下のHDレコーダーの液晶表示を、である。現在、午前十一時四十三分。
駄目だ!間に合わねぇ!今すぐ家を出ねえと午後一時十五分から始まる三限に遅刻する!しかも『基礎言語II』って超出欠ヤベェ講義だから出ないワケにはいかねぇ!
・・・にも関わらず、着ていく服が無いのである。
「・・・っだぁああああ!」
アムロは呪った。昨日までの自分を呪った。自分のズボラな性格を呪った。何とかなると思ってた自分を呪った!!
そう。なんのことはない。
アムロは洗濯をさぼっていたのである・・・!
一人暮らしの男子大学生が、さほど洗濯に熱心な訳もなく、おかげで日々部屋の中には洗濯物と『未洗濯物』が混在しているような有様だった。しかし、記憶に有る限りここまで困窮したのは初めてだ。
トップス、ボトムは愚か靴下までもに替えが無い。下着の替えがあったのは不幸中の幸いだ。ってか奇跡だ。
「うー・・・」
最初にアムロが思い浮かべたのは近所にあるコインランドリーだった。自分の家には洗濯機しか無いが、そこまで行けば乾燥機がある。ってことは、今から洗濯したらどうにかならないか?
しかし、時間が無かった。前にも言った通りアムロには時間が無かったのである。洗濯だけなら三十分程度で確かに済むが、乾燥は一時間近くかかる(上に、金もかかる)。
「どうしよ、コレ・・・」
しかしさすがに、汗ばんだ昨日のシャツに袖を通す気力も、丸くなった昨日の靴下を穿く気力も湧いて来ない。ジーンズくらいは諦めて穿いても良かったが、それ以外は絶対に着る気になれなかった。いくらアムロでも。
「・・・」
と、困り果てたアムロの目に、一山の洋服が映る。
それは綺麗に洗濯され、畳まれた服の山だった。
「・・・」
なんのことはない。ほぼ同居人と成り果ててしまっているシャアの・・・シャア・アズナブルの服の山である。アムロは思わずそれににじり寄った。シャアは、親がアパレル関係だかなんだか知らないが非常に服装に気をつかう人間で、洗濯をついうっかり忘れるなんて事も無い。きっちり自分の分しか洗濯はしないが。おまけにこれでもかというほど綺麗に服を畳む。そんなシャアの服が、その時のアムロには非常に魅力的に見えた。ちなみにシャアの母親が「アパレル関係」どころかヴォーグのスタイリストやパリコレのプランナーをするような人間であることをもちろんアムロは知らない。
・・・借りてしまおうか。
サイズが合わないことは分かっているのだが、運良く(?)シャアは数日前からこの部屋に顔を出していない。勝手に転がり込んで勝手に同居している相手の服なのだ、今日それをちょっと、半日くらい借りても構わないのでは。
「・・・」
アムロはそう思ってシャアの服に手をかけた!
っていうか他に選択肢はもう無いだろ!
このままだと遅刻だろう!
借りるからな!
「単位は落としたくねぇ・・・!」
アムロはそれだけ叫ぶと、目の前にあったシャアの服を適当に掴み、さっさと着込んだ。ってか、もうなんでもいい。出欠取るのに間に合えば!!
ダッシュで竹田駅に向かうアムロの頭に、自分がどんな服を着ていて人にはそれがどう見えるのか・・・?なんて発想は、もちろん無かった。
「・・・あーれ?」
一番最初に声を掛けて来たのは案の定コウだった・・・同じ学部の、親友のコウである。授業の殆どはコウと被っているのだが、たまたま、つい先ほどの授業は別だった。アムロが出欠に必死になっていた「基礎言語II」の授業である。
「あれあれあれ・・・」
田辺校地の、前庭でアムロに遭遇したコウは、面白そうに近寄って来ると・・・何故かぐるぐるアムロの周りを三回ほど回った。
「・・・犬か」
「犬かよ」
コウに付き添っていたガトーと、周りを回られたアムロがそう言ったのだがコウは気にした風でもない。
「シャアさんの匂いがする!アムロ、なんでシャアさんの服着てんだ?」
「・・・犬だ」
「犬だな」
ガトーとアムロがそう言って盛大に溜め息をついたのだが、コウは全く気にしていない様だった。
「コレ、今日アムロが着てるの絶対そうだよなあ。へー、レイヤードの感じとかシャアさんが着るのとアムロが着るんじゃ全然違うんだな。アムロ、それ襟は最後までボタンしたほうがいいよ。うん。・・・え?ボタン外しててカッコいいのはシャアさんが身長有るからだろ。アムロの身長じゃソレは駄目だ」
「・・・」
アムロが適当に羽織って来たシャアのシャツの襟を、何故かコウがひっつめる。
「う・・・」
首元をコウに掴まれながら、それでもアムロはガトーに言い訳した。
「いや、あのな。・・・洗濯をちょっとサボったら、着る服なくなっちゃってさ」
「そんな事だろうと思った」
「・・・すいません・・・」
「それから袖は捲ろう。あ!中に着てるのもシャアさんのロンTだな。よし、こっちを見せよう。で、腕時計はロンTの上につけよう。シャツの裾は出そう。ジーンズはいつものなのかよ。こんなもんかな」
コウは楽しげにアムロが着たシャアのシャツを直しているが、後ろに控えたガトーは仏頂面だ。
「アイツはいま、琵琶湖に行っている。ゼミのセミナーで」
「あぁ、そうなのか?」
襟元までボタンを閉めて、逆に裾はいくつかボタンを外して、ダブダブの袖から細いロンTの腕が伸びて、たった一枚のサイズが大きいだけのシャツが、あっという間にサックドレスのようなシルエットになってしまった。
「お、かわいい!同じ服なのに別の服みたいだー!」
「俺が可愛くてどうするよ!」
・・・まあ、サックドレスというと響きはいいが、要するに園児服だな。アムロは思いきりコウのふくらはぎを蹴ったのだが、コウには全く利いていないようだった。
「あー、おもしろかった!」
「やっぱ遊んでただけかよ!」
「・・・お前・・・」
次の授業に向かう為、ガトーは別方向に向かいかけたのだが、何故か急に足を止めるとアムロの方を振り返った。
「なんだよ」
「それ、シャアが帰って来る前にさっさと返した方がいいぞ。あと、洗濯はきちんとしろ」
「そりゃバレる前に返すよ。ちゃんと洗濯してな」
なんだそりゃ、と思いながらアムロがそう答えると、何故かコウがうんうんと隣で頷いた。
「洗濯は大事だぞ。俺、洗濯物は溜めた事ないぞ」
お前の洗濯物は毎日ガトーが片付けてるんだろうがよ!と叫びたい気持ちを抑えて、アムロはもう一回コウの足を蹴った。
ともかく無事に一日を終え、マンションの部屋に辿り着いたアムロは非常に反省し・・・洗濯をしようと思った。スニーカーから足を抜くと、ズルリと靴下もいっしょに脱げる。そりゃそうか。靴下もシャアのを拝借したからデカかった。あー、今日一日ズルズルのダボダボだった、俺!
「・・・」
さっそく洗濯機に向かい、なにはともあれ自分の服を一回放り込む。ちなみに時刻はもちろん夕方だが構っちゃいられねぇ。オール部屋干し+夜洗濯決定である。
「あー、なんか疲れた・・・」
洗濯機が回り出すのを見てからほっとして、腕時計を外し、シャアのシャツの袖を元に戻した。何となく思いついて腕を上げて見て見たのだが、やはり指先しか出ない。そこまで対格差があるとは思わなかったんだけどな。
「・・・」
それからさらに思いついて、少し匂いを嗅いでみた。どうしてコウはいつも「シャアさんのにおい」とか「ガトーのにおい」とか区別がつくんだ?すげえよな。
それから自分の穿いているジーンズもいい加減洗濯をしないとヤバかったことを思い出し、それを先にズルズルと脱いだ・・・マンションの部屋の真ん中辺りに、脱皮したジーンズの抜け殻が横たわった。・・・と。まさにその時。
「ただいまー・・・」
ガチャ、と無遠慮にドアが開いて、シャアが戻って来た。あ、ヤベ。シャツ洗濯する前に帰って来ちまったじゃねえか。
「あー、おかえり。ゼミ合宿で琵琶湖のセミナーハウス行ってたんだって?」
「・・・」
ところが何故か、シャアは狭い玄関に立ち尽くしたまま入ってこない。
「あと・・・えーとごめん。今日着る服無くて、シャツ借りた」
「・・・」
しかも非常に珍しく目を見開いて呆然としている。
「おい、どうした?」
「・・・」
あまりにジロジロと、シャアが自分の様子を眺めているので、アムロもさすがに気になって今の自分の格好を見直してみた。シャツを勝手に借りたくらいでそんなに怒ったのか?
羽織っているのは大きめのシャアのシャツ。ジーンズはさっき脱いだので生足。シャツが大きいので裾からトランクスは見えない。それだけ。・・・それだけ?
「ってうわあああああ!ちょっとまて!今のナシ!」
「何がナシだ!」
「もう一回やり直し!」
「何処から!」
「シャアが入って来る所からだよ、俺着替えるから!」
「着替えがないから私のシャツを着ているんだろうが・・・しかもなんだ、その『彼氏のシャツを着てだぶだぶです(はぁと)』みたいな格好は!」
「だからナシって言ってんだろ!」
「もう見た!」
先ほどまでのストップモーションは一体何だったのかと言うくらいの勢いでズカズカとシャアが部屋に乗り込んで来る。思わずアムロは後ずさった。が、ベッドにつまずいてコケた。
「しかもね!君!これは夢だよ、ロマンだよ!男の夢!」
「知るかぁ!」
「もういい、洗濯は放っておこう」
「いや放っておいちゃ駄目だろそこは・・・!」
「じゃ、洗濯機止まるまでは何分だ」
「さ・・・三十分くらいじゃね?」
「いただきます」
「・・・いただくなぁああああ!」
アムロのワンルームマンションが男のロマンに染まっている頃、コウとガトーはいつも通りに留学生会館で平和に夕食を食べていた。
「・・・アムロ、無事だと良いがな」
「ん?んんん?何でだ?アムロ、元気だったじゃないか、今日」
「ああ元気だったな。すこぶる付きで。お前も、洗濯物は溜めるなよ。というかむしろ自分で洗濯しろ」
「どうしてだよ、急にケチだなあ」
「自分のことを自分で出来ずにどうする。将来困るぞ」
ガトーが眉根を寄せてそう答えると、コウはあっけらかんとこう返す。
「いいよ、一生ガトーに洗濯してもらうから!頼むよ」
「・・・」
・・・アムロのワンルームマンションが男のロマンに染まっている頃、留学生会館では無意識のプロポーズが繰り広げられていたのだが、それはまた別の物語である。
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