2010/07/07 文責:ときちゃん

 ばらいろ小咄。『いんかん』



「何か嬉しそうじゃないかい、彼は」
「いや、うん。俺もしらねーけど」
 季節はもうすぐ梅雨明けを迎えそうな頃で、例によって例のごとく四人はコウの無駄に広いマンションに集まっていた。アムロの部屋はともかくべつにガトーと、一応シャアの部屋である留学生会館でもよくはあったのだが、もうすでに夏に片足を突っ込んでいる京都はそれはそれは蒸し暑く、こちらの部屋のほうが比較的広いのでやたらと身長のある外国人二人と、日本人平均身長より高い一人と平均身長の一人、その四人が集まるとなるとそれはそれは暑いのだ。それならば集まらなければいいだろう、と言われそうだが本当になんとなく自然と四人で集まってしまうから仕方がない。それは外国人留学生であるはずのガトーがいちばん料理が上手かったり、その上大変世話焼きだったりするからというのもあるかもしれないが。夏になると蒸し窯の中に入ったような気候になる京都で一番その暑さに弱いのが山陰出身のせいかわからないがアムロで、シャアもあまり暑さに強くはなかったが睡眠時間をやりくりしてまで『お付き合い』している女性があふれるほどいるのでアムロ寄りは比較的食生活がよく夏バテにも若干強かった。純体育会系の残りの二人は言わずもがなである。
 それで、その純体育会系の二人がすでに夏バテにやられかけて学食の立田丼すらまともに食べられなくなってきたアムロのために今日は栄養のあるものを食べさせてくれるということだった。まあ、全く作るのはガトーでありコウはその周りで邪魔をしているのか手伝っているのか分からない状態であるのだが。
 いつもならそれを追い払うガトーも今日はなぜかコウをまとわりつかせたままだった。実に身長の高い男二人が、しかも純体育会系なので体格のいい男二人がそうやっているのを見るだけでさらに食欲がなくなりそうなアムロはエアコンの風が一番当たる場所に横になってフローリングの冷たさをかみしめながらクッションに顔を埋めた。ほんともう、勘弁してください。
「あれは間違いなくコウくんが原因だと思うけれど、君何か知らないのかい」
「しらねぇよ、むしろ暑苦しくて俺のなけなしの食欲が消えるから・・・」
 シャアはアムロが暑がるので若干距離を置きつつもやはりエアコンの風の当たるところで器用に胡坐をかいて雑誌を読んでいた。今日の雑誌はsmartだった。多分コウが買ったものだろう。たまにシャアもアムロがするのを真似て電車の網棚から置き捨てられている雑誌を拾ってくるので定かではないが。
「君の暑さへの耐性のなさは絶望的だね。どうだい、彼らに鍛えてもらったら」
「そんなことしたら俺本当に死ぬから、脱水とかいろんな理由で」
 そんな会話をしているのを知るわけもなく、体育会系の二人は出来上がった料理を運んできていた。
「アムロ、起きろよ。今日はサラダ冷やし冷しゃぶ中華だぞ」
「コウくん、そのネーミングはどうかと思うがね。特に冷たいという字が2回出てくるあたりが」
「えー、でもそれ以外なんて表現するのか分かんないです」
「冷しゃぶ中華でいいんじゃないかい」
「あ、でも今日のたれはごまだれでもっと中華風にしてあるからサラダ冷やし冷しゃぶ中華中華風ですね!」
「今度は中華が2回に増えているよ」
 ともかく、今日の昼食は冷やし中華らしかった。ただ昼食はサラダが多いというシャアを気遣ってか―――多分作った本人であるガトーはそんなことを気にしてはいないだろうが―――普通の冷やし中華より野菜が多く、上に冷しゃぶの肉が乗り、そしてたれは中華風のごまだれであった。普通の冷やし中華だって立派に中華なのだが。
 のそのそとアムロが食卓につくとそこには大皿に盛られた大量の野菜と中華めんと冷しゃぶ肉があった。食べられる分だけ自分で盛って食べろということなのだろうが、早くも夏バテのアムロにはそれだけで視覚の暴力だった。さっきの台所の様子と同じく。
「大丈夫か」
「あんまり大丈夫くない・・・」
 ガトーが気遣ってくれるがアムロにはもう正面と両サイドの三方にいる人間の存在だけでぐったりしていた。いつもなら大して気にならないのだがただでさえ猫背ぎみのアムロからすればもう壁に近いものがある。食卓にたどりついたアムロはまたそこで横になって芋虫のように這って先ほどまでいた場所に戻ろうとした。これが夏バテ中のアムロでなければ頭でも引っぱたいて食卓に引っ張り戻すであろうガトーも何も言わなかった。無意識にガトーはアムロに弱いようだった。こと、食事においては。
「だと思ってアムロの分は別にとってあるから後で食べろよ」
「ちょっと待て、この量を三人で食べようというのかい?!」
 大皿には明らかに三人で割るには多すぎる量のサラダ冷やし冷しゃぶ中華中華風があり、シャアは抗議の声を上げたが順位体育会系の二人には通じなかったようである。 「麺類だからいっぱい入りますよ、シャアさんはサラダだけでもいいし。あ、あとニンジンも食べてください」
「自分で食べんか、コウ」
 そう言いながらもそれぞれの取り皿に適当にサラダ冷やし冷しゃぶ中華中華風を盛っていくガトーは、コウが千切りキャベツと一緒に入っているニンジンを抜こうとしているのを見て見ぬふりをしていた。いつもならあり得ない光景である。
「それで、何かいいことでもあったのかい?君」
 サラダのニンジンと中華めんをコウとトレードしながらシャアは何気なく先ほどの話題を本人に振った。ちなみにアムロはもう完全にクッションに沈没している。
「実はですねー」
 コウがどう見ても一口分には多すぎる中華めんを咀嚼しながら答えた。
「京都市内に印鑑屋さんってあるじゃないですか、おみやげ物屋とかにまじって」
「ああ、あるね。特に外国人なんかに人気だという」
「ちょっと用事があってそういうおみやげ物屋がいっぱいあるほうに行くことがあって、その時に思いついて印鑑を買ってきたんです」
「へぇ」
 コウは誰に、とは言わなかったがシャアはちらりとガトーを見た。ぱっと見冷静を装っているが、あれは明らかに話を振られるのを待っている体だとシャアは気づいた。
「前にシャアさんが言ってたじゃないですか、日本は印鑑がないといろんな手続きができないって」
「確かに言ったね、そして確かに手続きもできない」
「だから、印鑑を作ってもらおうと思って。それが今日出来上がって」
 ねえ?とコウがガトーに話を振ると、ガトーは着ていたシャツの胸ポケットからそれを取り出した。言っては何だが、実に普通の、オーソドックスな印鑑ケースだった。少なくともサラダ冷やし冷しゃぶ中華中華風寄りはまともな。
「見てもいいかい?」
「言われなくてもそうするつもりだろう」
「俺結構自信あるんですよ!」
 会話が出来ているようで出来ていなという奇妙な会話を交わしながらシャアはガトーの手から、彼の手からするとおもちゃのような大きさに見える印鑑ケースを受け取った。 「ほう」
 その印鑑はコウがガトーのために作ってきたというにしては実にまともな印鑑だった。そう言っては失礼だがコウはガトーのことになると暴走するところがあるのでシャアにもこれは少し意外であった。ただ、京都という土地柄とそんなコウが作ってきたのだからどこに金がかかっているかわからない。黒いつやつやした印鑑の軸には蒔絵のひと房の藤の花がのっていた。
「なんで藤なんだい?」
「あ、それはですね」
 印鑑をひっくり返せというコウのジェスチャーに従ってシャアが印鑑の、いわゆる名前の彫ってある所を見ると、シャアは知らないが古印体と呼ばれる独特の書体で『雅藤』と彫られていた。
「が、とう?」
「印鑑って当て字でもいいらしくって、外国人の人とか自分の名前を当て字にしたりして印鑑を買っていくんだそうです」
「だから藤な訳かい」
「なんかガトーの眼の色も少し藤っぽいし丁度いいかなーって」
 ふうん、だとか何とか当りさわりのない返事をして印鑑をガトーに返したシャアはやっとサラダ冷やし冷しゃぶ中華中華風に手をつけてやっとガトーが機嫌がいい理由が判明したのだった。



「ねえ君、アムロ」
「なんだよ・・・俺は今生きていません、休業中です」
「生命に営業も休業もあるものかい、それでアムロ」
 結局あの大皿のほとんどをコウとガトーの二人で食べきって、今は仲良く皿洗い中である。上げ膳据え膳のいいご身分のシャアはまだ沈没しているアムロににじり寄って声をかけた。
「京蒔絵って高くなかったかい、確か」
「ピンキリだと思うけどー・・・何で」
「さっきの印鑑に明らかに高価そうな蒔絵がついていたんだよ」
「・・・コウがガトーに買ってきたならそこそこ値が張るんじゃないか?5万とか、知らないけど」
 クッションに顔をうずめたままでしゃべるものだからアムロの声はひどく聞き取りづらかったが台所に二人には伏せておくべき会話としては好都合だった。
「それともう一つ、藤の木は私が知っているところではあまり縁起が良くないような気がするのだけど」
「それこそしらねーよ、何であんたがそんなこと知ってるんだよ」
「そりゃあ冠婚葬祭のマナーとして一通りは」
「あっそ」
 そう言うとアムロは完全にシャアと反対方向に顔を向けてまた眠る態勢に入ったようだった。シャアはそんなアムロの、癖っ毛であっちこっちに跳ねている髪を指先でもてあそびながら独り言のようにつぶやいた。
「まあ、言わぬが花っていうしね」
「多分知らぬが仏のほうがあってると思う」



    







2010/07/17




*ときちゃんに頂きました!

す・・・捨てる神あれば拾う神あり!?みたいな感じで(笑)。
今現在、こーらぶは仕事が忙し過ぎて、マジ自分でもなにやってんのかよくわからない状態に陥ってんですが、
アレですね(笑)!本当に持つべきものは友達ですね(笑)!
自分が限界だと、どこからともなく(っていうかときちゃんから/笑)、替わりに小説が届いちゃうこの不思議!
十年間サイト頑張って来たわけですが、この十年で巡りあったの人々が、本当にわたしにとっての人生の宝で
素敵な仲間なんだと思い知りました・・・(笑)。
ところで印鑑には詳しく無いんですが、ガトさんのだめっぷりが愛おしいですね(笑)。
ガトさんの機嫌って、超簡単に変わるのね。アムロがヘバるくらい。ラブラブな理由で。コウ次第で(笑)!
そーして、ときちゃんはやっぱ上手いなあ・・・!なんつーか、最近はお話投稿してくださる方の方が
「ばらいろ」理解してて上手くて、自分が書く作品が恥ずかしくてしょうがないですよ(笑)。
あと、特筆すべきはファイル名。・・・なんとー、小咄的に83本目、「b83」ってファイル名になってます(笑)!
お・・・美味しすぎるぞときちゃん(笑)!そしてありがとう!これからもよろしくね!(えっ)。




HOME