2001/11/20 初出

 ばらいろ小咄。『新酒』

 その週末、日曜日ももうすぐ終わろうかという夜中になって、ガトーは何かに気付きかけたのだが、それが何なのかがイマイチ自分でも分からない。
「・・・・・・・・・・・」
 ともかく、読みかけだった尾崎翠の短編集を閉じて、そろそろ風呂にでも行こうかと風呂桶を手に持った瞬間に、ガトーはやっと気付いた。
「・・・・・・・・・・・ああ、」
 思わず声に出してそう言ってしまう。・・・・そうか。この週末はコウに会っていない。ガトーが留学して来ている先の京都にある某私立大学の学生であり、同じ剣道部の仲間でもある浦木孝に、この週末は会わずに過ごしてしまっていたのだ。いや、これは珍しい事なのである。何故なら大学の授業や剣道部の練習が無い週末でも、必ずと言っていいほどコウはガトーの住んでいる留学生会館に転がり込んで来ていたし、そこでガトーの作った食事を一緒に食べるのが、もはや二人の週末の習慣と成り果てていたのだ。
「・・・・・・・くだらん。」
 その『この週末はコウが来なかった』という事実にガトーは一瞬眉をひそめかけたが、まあそんなに大騒ぎする事でもなかろうと思い直す。そこで、当初の予定通りに留学生会館の一階にある大浴場へ向かうことにして部屋を出た。それぞれの部屋にも小さなシャワーはついていたものの、この大風呂がいわゆる『日本的銭湯』のようで、ガトーはかなり気に入っていたからだ。
 風呂に入ってさっぱりし、濡れた頭にタオルを引っ掛けたまま部屋に戻って来てそろそろ寝ようかとちらり、と時計をみると・・・・11時55分だった。今日も後5分で終わりか。つまり、この週末が後5分で終わりということだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 ちょうどその時、外の廊下を勢い良く走ってくるバタバタという足音が聞こえ、ガトーは、自分でも気がつかないうちに何故かニヤリ、と笑っていた。・・・・ほら、来た。しかしもう寝ると決めたからには、ともかくベットに潜り込む。
「・・・・・・ガトー!!!まだ起きてるか!!??」
 時間も気にしない様子で、首に変なふうにぐるぐるマフラーを巻いて部屋に飛び込んで来たのは、もちろんコウだった。ガトーは、ベットの中からわざとらしく返事をした。
「もう寝ているとも。」
「・・・・えー!!!起きようぜ!」
 コウに会わずに終わる週末より、コウに会って終わる週末の方が近頃嬉しいのは何故だろう。ガトーは少しそんな風に思ったものの、思いきりしかめ面でベットから起き上がってみせる。
「今何時だと思っている。」
「夜中!・・・・それでさ、俺、すごくいいものコンビニで見つけたから買って来たのな・・・・・!!」
 いつも通りに人の話を聞いているのか聞いていないのかワカラナイ調子で、ガトーのベットの脇に飛びついたコウがカバンからひっぱり出したのは・・・・『ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー200×』とラベルに書いてあるワインの瓶だった。それを見て、さすがにガトーはちょっと驚く。ガトーはフランス人だ。そんな実に『自国的な』ものを。




 懐かしいものを、日本で見る事になるとは思っていなかった。・・・・いや、そうか、新酒の季節か。




 十一月の、少し肌寒い夜の事だった。




 ともかく、コウはガトーが今まさに寝ようと思っていた事など気にもせず、この酒をガトーと飲む気まんまんらしい。そして、勝手にがざがざとガトーの部屋の台所を漁りながら言った。
「・・・・ガトー!!!コルク抜き何処だ!!??」
「・・・・引き出しの中だ、流しの一番上の。」
 ガトーがついそう答えると、コウはやっとコルク抜きを発見したらしく喜んで戻ってくる。
「やった!・・・・あったよ、なあ、これ飲むの、フランスだと大騒ぎ???・・・・えっと日本も昔景気の良かった頃は大騒ぎだった気がするんだよな、小さかったから覚えて無いけど。ワインの新しいの飲むのに決まりがあったりするのな、フランスって。それって凄いよなー・・・」
 ブツブツと呟きながら、コウが目の前でワインの瓶にコルク抜きを突っ込んでゆくのを、ガトーは何やら微妙な面持ちで見ていた。・・・・そうだ、ボジョレー・ヌーヴォーを心待ちにして、そうしてみんなで大喜びで開けるのはフランスの風習だ、それが何だって?・・・・さっきコウは何と言った?
「・・・・・コウ、お前それを何処で買って来たって・・・・・」
 へたくそなコルクの抜き方だな、と思いつつコウの手元を見ながらガトーがそう言うと、コウは必死にコルク抜きを引っ張ったまま答える。
「えー!?・・・・コンビニ、だから、コンビニで売ってたの!!!『今年の新酒入りました』って・・・・それで、俺本当はティッシュ終わっちゃって買いに行ったんだけど、あれ?・・・・・・気がついたらここに来ちゃってた・・・・・・」
 コンビニ!!・・・・コンビニエンスストアでボジョレー・ヌーヴォーが売られるとは、日本とはなんととんでもない国なことだろう。ともかく、ガトーはその下手くそなコウのコルクの抜き方が見ていられない気分になって、いつの間にやらベットから降りてコウの脇に座り込んでいた。
「・・・・・やった!・・・・・って、あー!!!!!半分で、欠けちゃったよ、コルク・・・!!」
 案の定コウは、コルクを抜くのに失敗したらしい。それも、ただ失敗しただけではなくコルクを瓶の中に半分残した状態でねじ切ってしまった。・・・・ああ、本当に下手くそだな!!残されたコルクはと言えば、どうにもならない感じで瓶の口につっかかっている。
「・・・・言わん事はない!私に貸して・・・・」
 すると、そう言ってガトーが脇から延ばした手に、コウが妙な反応をした。
「・・・・・・・・・・・・ガトー、変だ。」
「何がだ?」
 ガトーがそう言って横に座り込んでいるコウを見ると、コウは更に妙な感じになる。
「・・・・だからっ、ガトーなんかいつもと違う!!・・・・・・イイにおいするし・・・・・頭濡れてるしっ・・・・!」
 ・・・・・・・・・・・・・そりゃ風呂上がりだからだろう、とガトーが言おうと思った瞬間に、何故かコウが逃げ出した。いや、逃げ出したというか、台所に向かって猛然とダッシュすると、ハシを一本掴んで戻って来たのである。何ごとだ?と思ってガトーが呆れて見ていると、コウはそのハシをワインの瓶の中に突っ込んだ。
「・・・・大丈夫だ、ガトー!!!・・・・コルクが途中で欠けちゃったからって、大した事ない、こうすればっ・・・・・!!」
 ・・・・バカが!!!と思ってガトーが止めようとしたその瞬間、コウはちぎれた残りのコルクをワインの瓶の中に思いきり押し込み、そうしてワインの瓶はその圧力に耐え切れずにシャンパンでも無いくせに・・・・・・・・思いきり口からワインをまき散らしたのだった。




「・・・・・・・・貴様。」
 ドスの聞いたガトーの声に、コウは我に返ったらしかった。
「・・・貴様、ワインをなんだと思っている!!!・・・・・正気か、えぇ!?」
 ガトーが怒ってる!!・・・・と思ってコウは小さくなる。
「・・・・すいません・・・・・」
 見るとガトーも、それからコウも思いきりワインを浴びていた。それだけじゃ無い、ちょうど口がその方向に向いていたガトーのベットも、力一杯ワインまみれになっている。
「残りのコルクにもコルク抜きを差し込んで普通に抜けばいいだろうが!!」
「・・・・ごめんなさい・・・・」
 あえて、あえてガトーのベットで、滅多に使われないシャアのベットにワインをまき散らさなかった事をここは喜ぶべきなのだろうか。ともかく、ガトーは乾き切っていなかった頭を、更にワインで滴らせて怒っていたし、しかたが無いのでコウは、おそるおそるそのガトーの顔を覗き込んでいた。・・・・だって俺、困っちゃったんだ、ワインとか見て、ああガトーと飲みたいなって買って来て、
「ああ・・・・どうする、キッチンペーパーででも濾(こ)してから飲むか?・・・・グラスはあったかな・・・・」
 そうしたらガトーったら寝てるし、おまけにイイ匂いがして頭とか濡れていて、もう急いでワインを開けないと、もう一緒に飲んでくれないんじゃないかと、
「・・・・・コウ?」
 そこで、やっとガトーはコウが、自分もずいぶんワインまみれなのに固まったまま瓶を持って座り込んでしまっている事に気付いた。
「・・・・コウ?どうした。」
 ・・・・・一緒に飲んでくれないんじゃないかと。




「・・・・その年初めてのワインを一緒に飲むのとかって、結構イイ感じじゃないかと思ったんだけど、俺カッコ悪い・・・・・・」
 しばらく沈黙してからコウがそんな事をボソっと呟いたので、さすがにガトーは吹き出した。・・・・何だって?
「・・・・・・・格好悪いな。」
「あ、やっぱ。・・・そうですか・・・・・・」
 コウはそんな事を言って、まだ固まっている。もう、気にせずに、ガトーは適当なグラスを持って来るとさっさとワインをにつぐことにした。『きん』や『ぎょ』が入っているのと同じただのコップだ。濾すのも止めだ、もう構わん。
「・・・・そんなもんでいい。新酒なんてのは。」
 ガトーがそう言うと、やっとコウはガトーの顔を見る。・・・なんだ。なんて顔をしてる。今度はガトーがそう思った。
「・・・え、飲んでくれるの。」
「バカを言え、新酒だぞ?・・・・飲まなくてどうする。」
「・・・・コルクのかけら、浮いてんだけど。」
「気にするな。」
 ・・・・・そこまで言って、二人は何だか楽しい気分になってきた。・・・・何だ。
「・・・・・っていうか、ガトー良く見るとすげえワインまみれ・・・・」
「貴様もな。」
 恋人同士が喜んで祝うようには出来ないけれど、
「・・・・なあ、それで話は戻るんだけど、フランスだとこれお祭りなの、やっぱ?」
「日本でもお祭りにすればいいだろう。・・・・・今。」
 そうじゃ無いんだけれど、だけれどやっぱり、
「それで、今年の新酒は美味しい??」
「・・・・・・思ったより美味しいな、それにお前のおかげで早く飲めた。」





 一緒に新酒を祝おう。





「・・・・へへ。」
「・・・・笑うな、開け方は凄まじく悪かった!」




 それで結局、二人はそのワインを飲んで、しかたがないのでもう一回陽気な感じで風呂に入って、そして寝ることにした・・・・・・・・・・そういう、今年の。




 今年の、十一月の、新酒を飲んだ夜だった。

 





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