コウが妙な行動をとるのはいつもの事なのだが、さすがに今回はその様子があまりに異様だったのでガトーは声を掛けてみることにした。
「・・・コウ、一体何をやっている。」
「今、ちょっと集中してるから後で!」
「・・・」
少し顔をガトーの方に向け、それだけ言い捨てるとコウはまた手元の携帯電話に集中し始める。・・・しかも、片方の耳にはガトーの部屋の家電話の受話器を押し当てたまま、である。
つまり、コウは電話を二つ両手に持ってなにやら唸っていたのだった。
「・・・くっそう、負けたぁー!」
コウが呟きながら部屋に戻って来たのは夜十一時を少し過ぎた頃だった。
「・・・さて、では聞かせてもらおうか。・・・何をやっている。」
「えー、だからつまりさ・・・」
コウは面白く無いような顔をしたまま、ガトーがお茶を用意したテーブルにつく。
「つまりさ。今ちょっと学部で流行ってんだけど・・・」
コウが説明し始めたのは非常に簡単な『賭け』の話だった。
くだらないゲームが流行るのはどの国でも、どの時代でもあり得ることで、それは特に年若い世代に流行る。占いだったり、はたまた都市伝説だったり。日本には有名な『サザエさん最終回』という都市伝説があるとシャアには聞いたな。私はサザエさんが割と好きである。そんなことを思い出しながらガトーはコウの話を聞いていた。
「先週くらいからさ。誰が言い出したかしらないけど、午後十一時ちょうどに電話をかける、っていうのが流行ってるんだよ。」
「・・・で?」
「まず相手を決めるだろ?・・・それでさ、お互いに午後十一時に電話をかけるんだ。先に繋がった方が勝ち。ただ、あんまりフライングだと負け。携帯電話だから、時刻は確実に出るだろ。それでさ、負けた方が次の日一日、相手の言うことを聞くんだ。」
「・・・お前は今日、負けたのか?」
「っていうか、何故か一度も勝てたことないんだよ!・・・なんでだろうガトー!」
コウは泣きそうな顔になってそう言った。・・・私が理由を知るものか。
「で、今日は誰にかけたんだ。」
「アムロ。・・・あーあ、明日一日アムロの僕かぁ、俺・・・」
「・・・」
コウはがっくりと肩を落としていたが、ガトーはそういえば、と別のことを思い出していた。最近流行っているものは別にもあるらしく、このところしきりに、アムロがコウのことを「うざいうざい」と言うのだ。喧嘩でもしたのかと思ってガトーが聞くと、アムロはあっけらかんと「何言ってんだ、ガトー!『うざい』は褒め言葉だろ?コウってマジうざくてサイコー!」と言い放った。・・・あの時にはつい日本語のレポートを一本書きそうになったな。というより国語が崩壊したこの国の行く末を案じた。
「・・・それはともかく。」
「は?なに?」
ガトーは回想から戻って来るとコウに聞いてみた。
「うちの電話を使っていたのは何故だ。」
「そんなの、イエデンの方で時報を聞いてたからに決まってるだろ!何言ってんだよ。」
「・・・」
いや、圧倒的におかしいのはお前の方だろう・・・というかなんというかアレだ。・・・要領が悪いな。携帯で時間が分かるのなら、それを信じて電話すればよいのだ。なのに片方の耳で時報(117)を聞きながら電話をかけるから毎回負けているのではないか。妙に生真面目な性格が裏目に出ている。おまけに、一時に二つのことが出来ない自分の性格を本人はまったく分かっていないらしい。
「・・・くっそう、明日こそ!明日こそ俺は勝つ!」
おまけに負けず嫌いだものだから、すでに次の勝負のことで頭がいっぱいのようだ。
「・・・健闘を祈る。」
ああ!と威勢良くコウが答えてその日はそれでおしまいになった。
「・・・『賭け』の話、コウくんに聞いたかい?」
数日後にこやかに話しかけて来たのは、携帯を握ったシャアだった。
「・・・あぁ。まさか貴様も参加しているのか?工学部でもないのに?」
「だって、コウくんがあまりに弱いものだからね。面白くなっちゃって。」
「・・・」
その理由もいかがなものかと思うが、シャアは勝手に続けた。
「十戦十敗らしいよ。・・・君もやったらどうだい?」
コウが負け続けているのは知っていた。アムロには授業のノートをせしめとられ、カイ先輩とやらには撮影機材の荷物持ちに使われ、ハヤトという同級生には家業で営むコンビニエンスストアの店番をタダでやらされたと聞いていた。
「興味が無い。」
ガトーがそう答えると、シャアがふん、と面白そうに鼻を鳴らした。
「でもこのままだと、コウくん諦めないと思うよ。それで、ずーっと工学部生全員のカモのままだろうね、ガトーにでも勝てたら気が変わるんだろうけどね。可愛そうだな、コウくん。」
「・・・」
さり気なく気に触ることを言い放つ男である。・・・まあ、いつものことだが。
「貴様が何を言おうと、興味が無い。・・・というより携帯電話を持ってないぞ、私は。」
「そんなの!・・・携帯を持って無いくらい、愛の前では何の障害にもならないと君は思わないか!」
「いや、どちらかと言うとお前のその飛躍する発想に、漠然とした不安を感じる。」
あ、そう、とつまらなそうに首を竦めてシャアは目の前から去って行った。・・・ガトーの甲斐性なし!という謎の日本語を残して。
・・・まともな日本語を話せる人間は私の回りにはいないのか。
「・・・ガトー。」
その日、いつも通りに夕食をたかりに私の部屋を訪れたコウは、明らかに沈んで見えた。
「俺、『時間通りに電話をかける』のに向いてないのかもしれないよ・・・」
人生に於いて重要なことはそれより他に大量にあるはずだがな、と思ったが黙っておいた。
「・・・それで。」
「なあ、ガトーもこの賭けやってみないか。・・・午後十一時にお互いに電話をかけ合いっこするの・・・」
何と言うか、今のコウにとってはこの世で一番悲壮感漂う物になっているな、『午後十一時』の電話が。呆れた話だ。
「だって今、お前は私の部屋にいるじゃないか。・・・それに、私は携帯電話を持っていないぞ。」
「うん、だからイエデンにかけるからさ・・・そうか、その時だけ別の部屋に居ればいいんだよ!そうか、そうだよ!問題全然ないぞ、ガトー!」
「・・・」
確かにこのあたりで止めさせないと大変なことになるのかもしれない。私は軽く天井を仰ぎつつ続けた。
「・・・分かった、ではそれまでに夕食と課題と、それから・・・風呂を済ませること。」
冷静に考えればひどくばかばかしいことこの上ないのだが、私達は同じ家で、準備万端でその時を待った。
『・・ご、十時五十九分四十五秒をお知らせします・・・』
コウと同じように時報に電話をかけ、十五秒前にカウントを始めた。電話を切って、すぐにコウの携帯の番号を押す。・・・最後のひとつ以外を。・・・ドアの向こうの居間では、コウが携帯を睨みつけているはずである。
ーーー10、9、8。
さして正確とも思えないが、大体ちょうどの時間にかけられるはずではある。
ーーー7、6、5、4。
指をコウの携帯番号の最後の数字、3の上に乗せた。
ーーー3、2、1。
押した。・・・かかった。ということは、私の方が早かったということだ。・・・賭けは勝ちか?それとも早過ぎたのか?・・・ドアの向こうから、コウの携帯が鳴っているのであろう着信音が聞こえて来る。
「・・・?」
そこで違和感に気付いた。・・・携帯の鳴っている音がする。しかし、自分が耳を押し付けている受話器からは、一向にコウの声が聞こえて来ない。・・・まずいな、ショックを受けたのか?出る気力すらないのか?・・・携帯はドアの向こうでなり続けている。
「・・・コウ?」
ついに私は受話器を置いて、部屋に駆け込んだ。・・・すると、凄まじく驚いた顔でコウが私を見た。
「コウ?」
「あ、はい。・・・え?」
「何を惚けている。・・・この下らない『賭け』をやろう、と言い出したのはお前だろうが。」
「えっ、うん・・・うん、そう、そうなんだけど・・・」
勝手に拝借して寝床代わりにしているシャアのベッドの上に座り込んで、コウはまだ驚いた顔でガトーを見つめていた。手には携帯を握ったままだ。
「なのに、何故出ん。・・・話が終わらないだろうが。」
「違う!」
すると、驚いたことにコウがそう怒鳴った。
「いや、あのごめん・・・ちゃんとやる気だったんだ、五秒くらい前までは、賭け。ほんとだよ。」
それから何故か顔を真っ赤にして携帯をかざして見せる。
「ほらな!ガトーって書いてあるだろ、相手!」
それは携帯のアドレス先を示すページらしく、確かに『ガトー』と画面には表示されていた。
「・・・で。ボタンを一つ押せば済む話だろうに、何故押さんのだ。」
「だってさ・・・!」
するとコウが急に暴れ始めた。・・・なんだったか、こういうの。ああそう、逆切れだ。逆切れというんだ日本語では。
「俺、気付いちゃったんだよ!・・・俺がガトーに電話しようとするだろ!すると、ガトーも同じ時間に、俺に電話しようとしてるワケだろ、これ!時間決めて、二人で電話しようとするとかって・・・よく考えてなかったけど・・・よく考えると・・・めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか・・・っ!」
「ーーーは?」
「俺、もうやんない!誰ともやんないから、この賭け!」
「・・・そうか、それは賢明だな。」
なぜコウが『逆切れ』しているのかはよく分からなかったが、とりあえずそう答えた。
「あとっ、同じ家にいるのに電話とかかけるのももう絶対やんないから!馬鹿みてぇ・・・!」
「その事実にはもう少し前に気付け。」
ガトーがそう言うとコウの『逆切れ』がすこしひどくなった。何度か蹴りを入れて来るが、ガトーはもちろん器用に全部避ける。
「・・・同じ家にいるなら会って話す方がいい!だから電話とかもうやらない・・・」
くっそ!と最後に盛大に毒づくと、コウはガトーに掴み掛かってきた。
「・・・」
その身体を受け止め、背中をぽんぽんと叩きながらガトーはこう言った。
「・・・賢明だな。」
・・・そんなこっぱずかしい午後十一時。
「で、コウくんは例の『賭け』、きっぱりやめたみたいなんだけど。・・・君とは結局やったのかい?」
昼食時、大学の前庭で弁当を広げていると面白そうな顔をしてシャアと、それから眠そうな顔をしたアムロが近づいて来た。
「・・・やった。」
「へえ!どっちが勝った?」
「・・・」
目の前の二人は満面の笑顔でそう聞いて来る。・・・結果を聞いた所で別に面白くもなんともないと思うのだがな。
「勝敗はつかなかった。・・・私の家でやったからな。隣の部屋に相手が居たので、電話に出る前に互いの顔を見てしまって、それで仕舞いだ。」
「・・・・」
「・・・・」
みると、二人とも解せない、という表情だ。
「あのー・・・ガトーさんに質問です。同じ家にいるのに、わざわざ電話のかけあいっこをしたのでしょうか・・・」
何故かアムロがわざわざ手を挙げて、慇懃に聞いて来た。
「した。・・・何か問題か。」
「・・・うざい。」
するとアムロが頭を掻きながら横目でシャアを見てそう言った。シャアも頷きながら答える。
「ああ、ウザい。・・・確かにウザいな、信じられないな。」
「・・・ちょっと待て。確認しておくが、今の『うざい』は褒め言葉の『うざい』か?それとも本当に・・・」
「あーっ、超うぜぇー!信じられないー!恥ずかしいー!俺だったら絶対やらないー!」
「愛だね、愛だよ。・・・本人達は分かっていないところが本当にウザいよ、どうするアムロ!今私達は盛大に惚気られたんだぞ!?」
「逃げるに決まってんだろ!」
「ちょっと待たんか、貴様らっ・・・!」
ガトーは二人を引き止めようとしたがもう遅かった。凄い勢いで走り去ったアムロとシャアのかわりに「がーとーぉ!」という叫び声が聞こえ、図書館のあたりからコウが駆け寄って来るのが見える。
「ガトー、見れくれよ!ハヤトがさ、『やっぱタダ働きしてもらいっぱなしじゃ悪いから』って言ってこんなすげえ弁当俺にくれたんだよ!」
「・・・そうか。」
コウは豪華なコンビニ弁当を振り回しながらガトーの脇にやって来た。・・・弁当が偏るぞ。
「隣に座ってもいいか?」
「構わん。・・・ところで一つ聞きたいんだが。」
「なに?」
ガトーも自分の弁当に戻りながら、こう聞いてみた。
「私は『うざい』か?」
「・・・・」
コウは隣にあぐらをかき、コンビニ弁当を包むラップに手をかけたところだったがその動きが止まった。そして暫し考えた様だが、やがてこう答えた。
「うん。・・・うざいっちゃあうざいかも。靴下片一方しか洗濯に出さなかった時とか、ニンジン残した時とか。」
「・・・そうか。」
コウの『うざい』が自分の知っている『うざい』の用法だったので、私はむしろ安心した。そこでしばらく黙って二人で弁当を食った。
「・・・でも、ガトーが居てくれて良かったな。・・・ガトーってほんと、うざくてサイコー。」
「・・・そうか。」
その『うざい』の用法も辛うじて理解した。・・・まあいいか。そして思った。
どんなにシャア達にうざいと言われようが、夜の十一時に互いに電話をかけるのも、たまにはそんなに悪く無いんじゃないかと。
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