まだ梅雨は明けていなかった。
「あー・・・・・ガトー、これさあ、夕立ちだぜ、きっと夕立ちが来る・・・・」
というより、季節はまだ夏にすらなっていないのである。だがしかし天気にも『機嫌』は存在するらしく、七月の頭のその日、京都ではしつこい長雨がやんで日中思いきり晴れ上がった挙げ句に、夕暮れ近くなって大きな暗い雲が見えはじめていた。
「夕立ちって言えばさ、小学生の頃・・・・」
そんな光景を、ガトーの部屋である留学生会館の窓辺で眺めながら、コウはなにやら1人で呟いている。自分の部屋にコウが転がり込むのはもう半分諦めて放っておいているガトーは、自分のベットに座り込んで本を読みながら、そんなコウの言葉を聞くともなく聞いていた。
「小学生の頃、夕立ちが急にザアーって降って来てさ。学校の校庭がまるで湖みたいに一面水になっちゃってさ。それで、側溝なんてどれも溢れて、ごぽごぽ言ってるのを見たりすると・・・・・・・なんだかワクワクしなかったか?」
そこで、コウは一応振り返ってガトーを見る。ガトーは本から顔も上げなかったが、一応頭の片隅で自分が小学生の頃の夕立ちについて考えてみようとはした・・・・・・・・・覚えていないな。校庭が湖?
「ザアーってさ。・・・・・・ザアーッッッッッ・・・・って、夕立ちは、なんか容赦ないよな。まっ茶色の大きな湖。」
コウは別に話を聞かないガトーに怒るでもなく、またひっくりかえに座った椅子の背もたれに寄り掛かったまま外を見はじめる。そんなことを言っている側から、バタッッ、という大きな音を立てて、窓ガラスに大粒の雨がぶちあたりはじめた。・・・・・コウが、話を聞いてやらなくても怒らない。・・・・・・・機嫌が悪いな、とガトーは思った。それか、精一杯に頭の中で考え事をしている証拠だ。まあ、機嫌も悪くなるだろう。出来るだけ普通のフリをしようと努力はしているが。
・・・・・・・・・・あれだけ派手に、アムロとケンカをしたのだから。
あっという間に、ザアアアアアアアという音はもうこれ以上は無理というくらい大きくなり、目の前が見えない程の土砂降りの夕立ちになった。夏を先取りしているかのようだ。ガトーは、さすがに窓を閉めようと思って立ち上がった。このままでは部屋がしける。そして、コウはそんなことは考えもせずに夕立ちを見続けることだろう。
「・・・・・おい、閉めるぞ。」
ガトーがコウの脇まで歩いていってそう言うと、コウは急に跳ねるように振り返ってガトーを見た。・・・・・相変わらず機嫌は悪そうだ。しかし、コウはそのままの格好で急にニヤリと笑うとこう言った。
「・・・・・なあ、ガトー、この夕立ち、そこらのシャワーよりぜんっぜんイイ感じだと思わないか?」
「あぁ?」
ガトーがそう返事をした時には、すでにコウは部屋の出口に向かって身を翻したところだった。すごい勢いでドアを飛び出る。・・・・何ごとだ?と、ガトーが考えている間に、もう一回ドアが開いてコウが飛び込んで来た。
「ガトー、シャンプー借りる!」
・・・・・・・・・・・・・・・ああ、なるほどそういうことか。いや、理論上はたしかに何とか出来そうだが、普通やるか?しかし、コウはやる気らしかった。窓からそのまま見ていると、留学生会館のロビーから、コウが飛び出して来るのが見える。そしてそのまま、煙りすら立ちそうな激しい夕立ちの中、Tシャツを脱いで頭を洗い出した。
出入りをする留学生会館の住人達が、面白そうにそんなコウを見ている。あるものは笑って拍手を送り、あるものは近寄らないように遠くを回ってロビーに入ってゆく。・・・・・・なんとなく、ガトーはその光景を見続けていた。
「終了ー!!!!」
しばらくすると、そう大声で叫びながら、コウが部屋に戻って来た。頭からは雫がこぼれ落ち、スニーカーはグシャグシャと音をたてるままだったが、いちおう手に持ったTシャツだけは搾ったらしい。
「いやあ・・・・・多分これくらいの夕立ちじゃないと、ちゃんと綺麗にならない。・・・・いい雨だった。」
そのまま部屋に入って来ようとするコウに、さすがにガトーがつっこむ。
「・・・・おい。貴様が何をやろうと勝手だが、部屋を水浸しにするつもりか?」
そう言われてコウは初めて、自分がなかなかにビショヌレなことに気付いたらしかった。少し、自分のジーンズをつまみ上げて確認する。・・・おおずぶぬれ。
「・・・・・・・・・タオルと服を貸して下さい・・・・・・」
「サイズが合わん。」
「下着なら似たようなもんだろ?」
「いや、腰回りが合わん。」
しょんぼりと下を向いたコウに、ガトーはきっぱり言い放った。すると、コウがこう言う。
「えっと、じゃあシャアさんの・・・・・・」
「シャアの服は殆どここにはないぞ。特に下着は。大体アムロの家に・・・・・・・・・・・」
そこまで何気なく言ってしまってから、ガトーはハッと気付いた。・・・・・・・・見ると、コウがうつむいていた顔をゆっくりと上げる所だった。
「・・・・・ああ、そう。」
・・・・・すごい目だった。コウとはよく部活動の剣道で手合せをするが、当然だがその時コウがどんな表情なのか面を付けているからガトーには分からない。・・・・・・だがしかし、こんな表情なのではないのか?唐突にガトーはそう思った。そういう顔で、そういう目だった。
「・・・・そんじゃいい、なんとかする。」
それだけ言うと、コウはプイっと部屋をもう一回出て行ってしまう。・・・・そうだ、コウには理解出来ないのだろう、だから機嫌が悪いのだろう。何故、シャアの服がほとんどアムロの家にあるのか、何故自分はアムロと大げんかをすることになってしまったのか、何故何故なぜ、・・・・・・・・・何故自分には理解の出来ないことばかり!!!
「・・・・・・・・・・・・・これくらいの夕立ちじゃないと、」
部屋を出てゆく直前に、コウがまたそう言うのが聞こえた。
「ちゃんと綺麗にならないんだ。」
ガトーは自分の口からシャアとアムロの関係をコウにも分かるよう説明してやろうなどとは、全く思っていなかった。こういうことは、自分でなんとかしないとダメなのだ。・・・・・例えば、思いきり夕立ちに打たれてみるとか。そういう方法で。その方法をコウが選ぶのなら、それもまた良いし、なにより他人の問題である。
コウはというと、驚いたことに夕立ちが止み、そして服が乾くまで部屋の中に入って来ないと決めたらしかった。ガトーは、そんなコウを見るともなく窓から眺めながら、夕飯は暖かいものを作らなきゃあならないな、などとぼうっと考えていた。
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