悪いことというのは続くもので、今週の自分がまさにそれだ・・・とコウは思っていた。
まず月曜日、知真館の312番教室でコケて、机の端に頭をぶつけた。右側のおでこに大きなコブが出来た。同じ授業を取っていたカイさんには大笑いされたが、実際には泣きたいほど痛かった。次に火曜日、ラーネッド図書館で上の方の書架から本を取ろうとして、何故か梯子を踏み外した。おかげで腰から床に落ち、これまたひどく打った。足を捻らなかったのは不幸中の幸いだが、その日の部活動の時にガトーに大目玉を食らった。スポーツマンとしての自覚に欠けると言われたのだ。水曜日、今度は右手首に見に覚えのない赤い発疹が現れた。シャアさんは金属アレルギーではないのか?
と言っていたが、その日に限っていつもと違う時計をはめたり、ブレスレッドを身につけたという記憶もない。
・・・今週の俺は絶対に呪われている!
もうお祓いに行こうかな、俺今年厄年だったかな、いや、だいたい男の厄年って何歳なんだ、厄払いって高いのかな・・・とコウが考え始めた木曜の夜のことだった。
「花見に行かないか。」
ガトーがそう言いだしたのでコウは一気に舞い上がった。・・・マジですか、花見!? 確かに今年はまだやってない。ああ、俺この一週間で唯一幸せな思い出がその花見になるかもしれないよ!
「どこへ?」
と聞いたら、昼休みだからなあ、という返事だった。四月に入ってからもう一週間ほどが過ぎている。この機会を逃したら、今年は花見をし損ねるかもしれない。
「・・・昼休みに花見する気なのか?」
「お前、この週末まで京都の桜は咲いていると思うか。」
想像以上に可愛らしい返事だったので少し笑ってしまった。
「・・・近所で間に合わなかったら桜を追いかけて山に登れば良いじゃないか。・・・奈良の吉野とか、」
「お前、そこまでして日本人は花見をするのか。」
結局、留学生会館の近くだったら御所だろうという話になって、昼休みに神学館前で待ち合わせをすることにした。ガトーはもうやる気まんまんで、いつの間に用意したのやら五段重ねのお重箱を取り出している。・・・本当にどこでいつ、こんなものを買ったんだろう。っていうか、このお重箱いっぱいのお弁当なんて、いくら俺でも食べきれるかなあ(昼休みに)!
「リクエストは。」
「団子!」
ガトーは笑って、それじゃ一段全部団子にしてやる、と宣言した。途中まではすごくいい感じだった。
・・・ところがだ。
「・・・あれ、ガトー。」
今、思えば、すさまじく些細なことなのである。
「・・・これはなに。」
ガトーはご飯はちらし寿司だ、二段目は肉だ、お前は肉が好きだから・・・と、紙に絵を描いて弁当の説明をしていった。
「桜だが。」
「・・・・・・」
順調に四段目まで来て、ちなみに四段目が団子の予定で、それでは一番上の段には野菜の煮物を詰めよう、今ちょうど煮込んでいるのがある、とガトーが台所の煮物の鍋を指差した時に気がついた。・・・いや、正確には見もしないで、匂いを嗅いだだけで気づいたのである。台所まで走って行って、予感は確信に変わった。
「・・・って、この煮物の、この桜って、ニンジンを型で抜いて作ったのじゃないか・・・!」
「そうだが。」
「俺が、ニンジン食べられないの知ってるだろ!」
「お前、彩りは大事だ。・・・どうしても食えないというのなら、それ以外を食べればいいだろうが。」
「それでも、嫌なものは嫌なんだよ!」
我が儘である。・・・あからさまな我が儘ではあるが、それでも腹が立って、その時はそう叫んでしまっていた。
「・・・」
ガトーは一瞬、悲しそうな顔をした。一気に後悔したのだが、言いだした手前引くに引けない。
「・・・俺、ニンジンが入っているなら行かないから!」
「なんだと?」
「・・・俺、明日花見行かないから!」
「ふざけるな、そんな馬鹿な理由があるか!」
さすがにガトーも怒ったらしい。しかし、コウはそのまま留学生会館を飛び出した。
・・・バカ! バカガトー・・・より、俺の方が何十倍もバカに違いない!
こうして、木曜日も最悪の終わり方になってしまった。・・・あぁ、お祓いって朝の何時からやっているのだろう。
次の日、気にはなったがコウは待ち合わせ場所に行かなかった。・・・つまり、昼休みに神学館前にいかなかったのである。
・・・ガトーは、一人でも花見をするだろうか。
・・・ガトーは呆れて、俺のこと嫌いになるだろうか。
・・・今年は花見をしないで終わるのかな・・・。
夕方には、もうまったくコウはヘコみきっていた。変な意地を張らずに、ニンジンがあったってガトーと一緒に花見をすればよかった。・・・そうすれば、きっと嫌なことばかりだった今週が、素敵な一週間に変わったに違いないのに。
「・・・ただいま・・・。」
それでも、夜には足が自然とガトーの待つ留学生会館に向いていた。自分のマンションではなく、ガトーの待つ留学生会館である。・・・本当に俺って情けないな、と心から思う。
「・・・遅いぞ、何をしていた。」
驚いたことに、ガトーはいつも通りの顔をしてそこにいた。
「何って・・・」
ふと机の上を見ると、昨日と同じようにそこにお重箱が載っている。しかし、昨日献立を考えていたときとは違って、今日はそのお重箱は料理でいっぱいのはずだ。昼に、俺が食べなかった料理で。・・・そのお重箱を見て、続けて平静なガトーの表情を見た瞬間に、コウは胸が張り裂けそうになった。・・・約束の時間に約束の場所に行かなかった。それも、『ニンジンの入ってる弁当は嫌だ』とか、そんな子ども地味た理由で。・・・だけど、ガトーはいつも通りの顔をして自分を出迎えてくれた。
「・・・気は済んだか。」
「・・・っ、」
そんなコウの気持ちを知ってか知らずか、ともかくガトーは冷静にこう言った。
「・・・じゃあ、二人揃ったことだし・・・・花見に行くぞ。」
「これから!?」
「夜桜だったらどこだ。・・・京都御所は夜桜用のライトアップなんてしていなかったな。・・・今から見に行くなら、場所はどこだ。」
「・・・出町かな。・・・出町柳の中州っぽいところにある桜が、ライトアップしてたかと思う・・・」
「ではそこだ。」
テーブルの上には、何故か『四段』になったお重箱があった。・・・昨日は五段で、一番上に桜の花びらを模したニンジンの煮物の詰まっていたお重箱である。それが、今日は何故か『四段』になって、ニンジンが消えてなくなってそこにあった。
・・・大体、ガトーが悪い。
春の夜風の中を、今出川通りを出町柳まで歩きながら、コウはだんだんと泣きたい気分になって来た。目の前に、お重箱を紫色の風呂敷で包み、大事そうに抱えたガトーのおおきな背中が見える。・・・泣きたい。本当に泣きたい。今週は最悪だ。コウは思った。
・・・大体、ガトーが悪い。・・・俺を最後の最後でいつも俺を甘やかす、ガトーが悪い!お重箱のもう一段は一体どこに消えたんだ・・・!
「・・・裏表があるよな・・・」
出町柳にたどり着き、亀の形をした飛び石をこえて鴨川を渡り、桜の樹の足下に立ったところでコウはようやっとそれだけを言った。
「・・・なんだと?」
「・・・ガトーって、本当に裏表があるよな・・・」
「 ・・・何を言う、私はいつも公明正大だ。」
「・・・いや、裏表があるよ。・・・バカみたいに厳しくて、なのに、ときどき・・・バカみたいに優しいじゃないか・・・」
まるで桜みたいだ、とコウは思った。・・・そうだな、桜みたいなんだ。・・・ガトーが。
「・・・何を言ってる。」
・・・はらはらはら。
思い切り最後の花びらを散らしている、京都、出町柳の中州の夜桜が眼前にはあった。
「・・・だって、」
コウは言った。・・・とても伝えきれるとは思わなかったが。・・・ついに泣き出してしまった。
「・・・あまりに違うもんだから、」
「・・・だから、何が。」
ガトーは紫色の風呂敷包みを抱えたまま、困った様な表情でそう返事した。
「・・・優しいのと、そうでないのが。」
・・・ガトーが。
・・・はらはらはら。
「・・・あぁ・・・昼に見る桜と、夜桜って、なんでこんなにも見え方が違うんだろう・・・!」
・・・はらはらはら。
ガトーは泣いている俺の頬に自分の指をこすりつけ、泣くな、と一言だけ言った。俺はただただ夜桜の中でみっともなく泣いていた。・・・お重箱の五段目が消えた理由を知りたかった。すると、ガトーは「アムロにくれてやった」というのである。
もうとても泣きやめそうになかった。・・・悔しかったのだ。アムロにお重箱の一段目をあげて欲しくなんか無かった。全部自分で独り占めしたかったのだ。・・・昼も夜も!
しかし、とても言葉になりそうにない。遂にガトーは困り果てたように、お重箱と一緒に俺を抱きしめた。
・・・昼に見る桜と、夜桜って、なんでこんなにも見え方が違うんだろう・・・!
でも両方綺麗だ、と思った。
・・・そうして俺は、その両方を、心から愛している。
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