2005/09/22 初出

 ばらいろ小咄。『うさ』


 コウが窓辺に座り、さきほどからずっと「うさ!」「うさ!」と呟いている。・・・・しばらく見て見ないフリをしていたのだが、ついに我慢の出来なくなったシャアは聞いてみた。
「・・・・コウ君。ウサギでも見えるのかい?」
 おりしも、『中秋の名月』の時期だった。九月の初め。・・・・というより、今晩はそのために、コウの家に全員が集合している。ガトーが『月見団子』を作ってくれるらしい。このマンションまで歩いてくる道すがらに見上げた秋の月は、確かに大きく美しかった。日本人は四季を楽しむのが上手いな、とこういう時に思う。
「・・・・うさ!」
 コウは嬉しそうにもう一回そう言ってから、シャアの方を振り返る。
「ウサギは見えないですよ!・・・・俺が見ているのはベランダです、でも、白いあたりがウサギに似てるかな・・・・」
 そう言ってコウは窓のむこうを指差す。コウは、一人暮らしの大学生にしては異様に広い、2LDKの分譲マンションに住んでいた。なので、それ相応に広いベランダがそこにはあった。
「・・・・・・・・・」
 シャアは読みかけだった『Boon』を閉じるとコウの脇に寄る。ちなみに、『Boon』はコウの買ったファッション雑誌で・・・・十月号にはLevi'sの特集が組まれていたから、絶対に買うだろうと思っていた・・・・シャアはちゃっかりそれを借りて読んでいたワケだった。
「・・・・ね!・・・・『うさ』!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 シャアはたっぷりと言葉を失った。・・・・コウの指差す先には、確かに月ではなくて、ただのベランダが見えた。そして、そこには・・・・アムロがいた。
「・・・・コウ君。」
「はい?」
「・・・・私が思うのには・・・・」
 そう言えば、さっきアムロが『俺、煙草吸うから』と言って、ベランダに出て行ったような気がする。コウのマンションが禁煙なわけではないのだが、今日はガトーが『咽が痛い』と言い張って、『部屋の中で煙草を吸ったら団子を作ってやらん』とまで宣言した。だから煙草を吸いたかったら、ベランダに出るしかなかった。
「・・・・あれは、『うさ』ではなくて、」
 さて、ベランダには確かにアムロがいた。煙草をくわえているらしく、こちらには背を向けて立っている。穿いているジーンズがかなり大きめに見えるのは、コウからの貰いもののせいだろう。・・・・そうして、上に羽織っている白いジャージは、背中に・・・・『USA』とロゴが書いてあった。
「『ユーエスエー』・・・・と、読むんじゃ無いのか?」
 いわゆる、『アメリカ』のことを示す『USA』である。しかしコウは面白そうに首を振った。



「・・・・・・・・『うさ』!」



 ・・・・確かに読める。『USA』は『うさ』と読めるのだが、そうなると今度は、コウが繰り返しその言葉を呟いている理由が分からない。台所からは、ガトーが白玉粉を湯で上げたところなのだろうか、ザザーッという水音が聞こえてきた。
「・・・・分かった。話題をかえよう。『USA』が『うさ』の正体だったのはともかくとして、何故・・・・さっきから何度も『うさ』『うさ』言ってるんだ?」
「・・・・え、それはね!・・・・面白いかな、って思って。『うさ』って呼んでいるのに、アムロが振り返ったら。ね、それって面白くないですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 シャアは少し考えた。・・・・ではコウ君は背中に『USA』とロゴの入った、アディダスのジャージを着たアムロを振り向かせるために、何度も『うさ』『うさ』呼んでいたわけだ!
「・・・・カケますか。カケましょうよ、シャアさん!『うさ』って呼んで、アムロが振り返る方に、俺はみたらし団子一本!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ・・・・どうするかな。今日はなんだ?と言われたら、お月見の会、だ。中秋の名月のために集まった。ベランダにいるアムロには、この会話は聞こえていないはずだ。・・・・シャアはもう一回、アムロの様子を眺めてみた。



 秋の気配の強くなった風の中で、少し寒そうにアムロは煙草を吸っている。・・・・ベランダの縁に寄りかかったり、夜空を見上げたりしながら。赤茶色の巻毛が、ときどき風にあおられてもじゃもじゃになる。・・・・ずいぶん猫っぽい動きをするウサギだな。



「・・・・もうすぐ出来上がるぞ!・・・・なんだ、アムロはどうした。」
 台所から、醤油と砂糖の溶け合う香ばしいみたらしのタレの匂いと共に、ガトーが顔を出した。
「シャアさん!カケはどうする?・・・・俺、もう一回だけ呼んでみるよ。・・・・『うさ』!」
 その時には、もうシャアは窓の向こうでバタバタと風でふくらむアムロの白いジャージから、目が離せなくなっていた。・・・・月はもういいから、このウサギを見ていたいな。
「・・・・コウ君、それじゃ私は『別の言葉で振り返る』の方に、みたらし団子一本。」
「えっ・・・・振り返らない、じゃないくて?・・・・そうすると、『うさ』はどうなるんだ?」
「・・・・ちょっと黙っていたまえ。」
 そうして出来ることなら、このウサギを振り向かせたいな。・・・・それで、一言だけ小さくこう言った。



「・・・・アムロ。」



 驚いた事に、その瞬間アムロが弾かれたように・・・・こちらを見たのだった。秋風の吹くベランダで煙草をくわえたまま、室内の方に向き直る。
「・・・・えー、」
 コウは本当に驚いたようで、最初目を丸くしていたが、次に文句を言った。
「・・・・ズルいですよ、シャアさん!普通に名前を呼ぶなんて、」
「だが、ベランダに室内の声は聞こえないんだろう?・・・・それなら、なんと呼ぼうと同じじゃないか。」
「えー!でもズルいですよ、『うさ』って呼ぶから面白かったのに!」
「どうでもいいが、団子は仕上がったぞ。・・・・お前達食べないのか。」
 ガトーが台所から綺麗に盛り付けられた丸い団子と、それからタレの入った器を持って出て来たので、会話はここまでということになりそうだった。
「食べるに決まってるじゃないか!・・・・とにかくズルいよ、振り向かせるのが条件じゃ、カケにならないよ、だって・・・・」
 コウはまだ口を尖らせている。



「・・・・シャアさんが呼んだら、アムロは『分かる』に決まってるよ!」



 ガラリ、とサッシを開いてアムロがベランダから室内に顔をだした。
「・・・・団子が出来たのか?・・・・なんの話してんだ?・・・・シャア、ちょっと来いよ。」
「ベランダに?」
「いいから来い。・・・・もう一服するって言ってんだよ。」
「・・・・人を誘う態度とはとても思えないな・・・・」
 それでもシャアは立ち上がると、一服するために部屋を出ていった・・・・ずいぶん猫っぽい動きをするウサギと一緒に一服するために。・・・・満足そうな顔で。
「・・・・なんだよ、ちょっと、もう・・・・どういうことだ!?恥ずかしい、俺、なんだか恥ずかしいよ、団子でも食べなきゃやってられないよ・・・・!」
「団子でも、とはなんだ貴様。私が作ったのに団子でも、とは。・・・・こら、そんなにいっぺんに口にいれるんじゃない!!」
 お茶を持って慌てて走り寄ってきたガトーに、コウは窓の外を指差して言った。・・・・団子を口一杯にほうばったまま。
「・・・・『うさ』!」
 団子を詰め込んだまま『うさ』と言ったので、少し『うひゃ』に近い発音になった。ガトーは窓の外を眺めてしばらく考えてから・・・・ああ、と手をうった。アムロのジャージのロゴに気づいたのだ。それから「ところで月見なのに、ウサギを見ながら団子でいいのか」と言った。・・・・コウは首をすくめてちょっと悔しそうに首を振ってから・・・・「うさ!」ともう一回言った。





 アムロとシャアの二人は秋風の吹くベランダで、まだ煙草をふかしているようだった。



    






2005/09/22







HOME