いましも出かけようと言う時になって、コウが玄関でゴソゴソとやりだした。ガトーは嫌な予感がしたのだが、案の定、覗いてみるとコウが嬉しそうにスニーカーをいじっている。
「・・・・・おい。」
声をかけたのだが、返事がない。
「・・・・・おい、貴様。何をやっている。」
すると、コウがおどろいた、と言わんばかりの表情で顔を上げた。
「ヒモだよ!・・・・ガトー知らないのかよ、靴ヒモ!!」
いや、靴紐はもちろん知っている。
「・・・・・訂正する、靴紐で何をやっている。」
「靴ヒモを、靴に通してるんだよ!」
「・・・・・どうして元から通っているのを使わない。」
ガトーの質問はもっともであって、コウの脇にはそのスニーカーが新品であることを示す、星のマークの空き箱と共に、何故か『元から通っている』靴紐が打ち捨ててあった。つまり、コウは必死に靴紐を付け換えていたのだ。付属している紐とは別の靴紐に。
「えっ、信じらんないよ・・・・元から通ってるのなんか、カッコ悪くて誰も使わないよ。・・・・ともかく、コンバースのオールスターなんか、靴ヒモかえないと全然ダメだって。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ガトーはしばらく考え・・・・・それから、一つの結論に至った。
「・・・・・おい。」
「聞いてるよ。もうちょっとで終わるから待ってろよ。」
「・・・・・おい。そんなに『見た目』ばかりを気にしていると、ロクな人間にならないぞ。」
「・・・・・何だよ、それ!」
コウは少し怒った。しかし、靴紐は換え続けている。
「だいたい何だ、なんで一つの穴に靴紐を二本も通すんだ。」
「今はそういうのが流行ってるんです!!・・・・もういいよ、ガトーはちょっと黙ってろよ。」
コウは真っ白のコンバースのオールスターハイカットに・・・・・・・もちろんガトーはそんな商品名は知らなかったが・・・・・・ともかく楽しそうに赤と青の紐を通し続けていた。フランス国旗のようなスニーカーになりそうだ。
「・・・・・・・もう既に、ロクな人間にはなれないな。」
「どういう意味だよ!」
「・・・・『見た目』ばかりを気にしていると、シャアのような人間になってしまうと、そういうことを私は言っている!!」
ガトーがそう言い放つと、コウの手が少しだけ止まった。それから、首をすくめてこう返事した。
「何言ってるんだ、俺がシャアさんみたいに綺麗になるハズないだろ。」
「・・・・まったく意味が伝わっていないな・・・・・」
「分かってるって!」
コウは怒った顔で、紐を通し終えた片方のスニーカーを持って立ち上がった。
「シャアさんみたいに『容姿端麗』になっちゃう、ってことだろ!」
「・・・・馬鹿か貴様は。それに、『容姿端麗』は男に使う言葉ではないぞ!」
「・・・・えっ、それじゃなんて言うんだ!?」
不機嫌になってゆくガトーはともかく、コウはもう一足のスニーカーに手を伸ばした。
「『容姿端麗』というのは、女に使う言葉だ。・・・・男の場合は、同じ意味を表現するのに『眉目秀麗』という言葉を使う。四文字熟語の基本だぞ。」
「えっ、そうなのか・・・・・・・」
「・・・・いずれにせよ、いま言おうと思っていたこととは見当違いだ。」
するとコウは考え込んだ。
「・・・・ごめんなさい。・・・・もうちょっとだけ、分りやすく言って下さい。」
「・・・・つまり・・・・・そんなに『見た目』ばかりを気にしていると、『顔だけのヘタレ』になってしまうぞ、と、そういうことだ。」
「・・・・・・・・・・・」
今度は意味が通じたらしかった。・・・・コウは黙々とスニーカーに靴紐を通してから、ガトーの方を向き直ってキッパリとこう言った。
「・・・・俺、中身が綺麗だから!」
ガトーは本当に固まった。
「・・・・俺、顔はたいしたことないよ!どっちかって言うと、血液や内臓が綺麗なんだよ!血圧だって高くないし、目もいいんだ!!ぜんぜんヘタレてない!!・・・・それじゃあガトー、おなか触ってみるか?」
ガトーは立ちくらみがしそうになった。・・・・ああ、もうすぐ靴紐は通し終わるな。
「・・・・・・・・」
「俺のおなか、触ってみるか??なあ。」
コウはついに両方のスニーカーに靴紐を通し終えたらしく、そう言って立ち上がるとTシャツをめくる。・・・・本当に自分の着ているTシャツの裾をめくったのである。・・・・・・・確かに『綺麗』なお腹が見えた。
「・・・・本物の馬鹿だな貴様・・・・」
ガトーがため息をつきながらそう言った時、奥からシャアが顔を覗かせた。
「・・・・・・分かった。君達が、どこまでも生温くて、どこまでも恥ずかしい、ということはとても良く分かった。」
ああ、忘れていたけど、今日は非常に珍しく留学生会館にシャアが帰って来ていて、それでこれから三人で出かけるところだったんだ!
「コウくん、おなかを仕舞いたまえ。・・・・冷えるぞ。」
「・・・・シャアさん、たぶん俺のおなか綺麗だと思うんだけど。・・・・・・・触ってみる?」
コウのそういう台詞にシャアは首を振って答えた。
「いや、命が惜しいので止めておく。」
「・・・・・・・・・」
実際、ガトーは血管の切れそうな顔で玄関に立ち尽くしていた。
「そう?・・・・なんだよ、みんな遠慮深いなぁ。あと、念のためにひとつ聞きたいんですけど・・・・」
コウはTシャツを下ろすと、悪びれもせずシャアにこう聞いた。完成したスニーカーをそっと玄関にそろえるのも忘れなかった。
「・・・・『顔だけのヘタレ』ってことないですよね!・・・・俺もシャアさんも、ヘタレなことは無いですよね!」
その場の空気が凍りついた。
「・・・・・・・・・・・・」
シャアはしばらく返事をしなかった。・・・・それから、ゆっくりとこう言った。
「・・・・ガトーがそう言ったのだな?・・・・その台詞は、残念ながら聞こえなかったのだが、ガトーが確かにそう言ったのだな?・・・・『顔だけのヘタレ』と。」
「はい!!・・・・・・・・あれ??」
コウが笑顔でシャアにそう答える。・・・・ガトーは少し天井を仰ぎ見た。
「・・・・話し合おう、アナベル・ガトー君。」
「・・・・・・・・・・・・」
ガトーは腕を二、三回ぐるぐると準備体操のように回し、それからこう、返事をした。
「・・・・・・よし、望むところだ。」
ガトーとシャアの二人が部屋に戻ってゆき、コウは一人玄関に残される。
「・・・・あれ??・・・・あれっ!!」
コウはしばらくそのまま突っ立っていたのだが、やがて事態に気が付いた。
「・・・・って、ダメだよ、あれっ!?・・・・出かけなきゃ、二人とも!なんで出かけないんだよ、アムロと待ち合わせだろ・・・・・ガトー!!!シャアさん!・・・・・どうするんだ!!??」
・・・・・・返事はない。部屋の中からは、どこか殺気に満ちたヒソヒソという会話だけが低く聞こえてきて、どうやら時間のかかる話になりそうだった。・・・・・なんだよ!
「もう、二人とも・・・・・」
ふと、足元を見る。・・・・・するとそこには、今靴ヒモを通したばかりの、新品のスニーカーが、きちんと揃って置いてあった。
「・・・・・二人とも、ダメだなあ・・・・!!」
思わず履いてみたくなる。いや、もちろん履いた。そうしたら、ウキウキしてきた。
「・・・・・俺、先にアムロのところ行くからね!」
部屋に向ってそれだけ叫ぶと、コウは新しいスニーカーで、勝手に出発することにした・・・・!!
むろん、後からガトーとシャアも合流し、アムロも含めたコウ達四人は鴨川の河原の散策を楽しんだのだが、それはまた別の話だ。・・・・・・・・『顔だけのヘタレ』論争がどうなったのかは知らないが、コウは新品のスニーカーをこころゆくまで大活躍させることが出来て、
幸せな気分になったのだった。・・・・・そんな春先のある日の出来事だった。
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