2004/08/30 初出

 ばらいろ小咄。『チン』

「・・・・・問題はどの単語を選ぶか、だ。」
 コウとガトーとアムロとシャア、といういつも通りの四人は、昼過ぎの学食で好き勝手にくつろいでいた・・・・ガトーとシャアは三限がもとから無かったし、コウとアムロは同じ授業を取っていたのだがたまたま休講だったのだ。
「出題は面白いと思わないか。『留学しないと学ぶことの出来ない「生きた日本語」を一つ選び、それについて述べよ。』」
「・・・・あぁ、さっきの授業のレポートか。・・・・貴様は、そういうのは得意だろう、俗っぽい日本語を山ほど知っていそうだからな。」
 コウは友人に借りたらしいファッション誌(ゲットオンだった)を覗き込み、リーバイスRED特集のページで難しい顔をして考え込んでいたし、アムロはコウに借りた授業のノートを、必死に書き写しているところだった。
「・・・・・だあっ!なんだよ、なんで一回分でこんなにあるんだよ、コウ!」
「あー・・・・それは、この間の授業の日、俺が朝練でガトーに負けて苛立ってて・・・・それで、思わず本気でノート取っちゃったからだ。」
「・・・・・・コピー屋行ってくる・・・・・・」
 と、アムロは早々にノートを写すことを諦めたらしい。生協に行ってくる、と言い残して、ノートとコピーカードを持って学食を出て行った。
「得意だから困っているんじゃないか。・・・・・確かに沢山知っているよ、リアルな日本語をね、ただ、流行語のようなものが多くて・・・・もうちょっとこう、レポートらしく、学問的に仕上げたいんだが。」
「貴様が授業のレポートにそんなに熱心だなんて、明日はきっと槍が降る。」
 ガトーが馬鹿にしたようにそう答えたが、シャアは気にもしない風で答える。
「そう、例えばそれだ!・・・・『槍が降る』。何故天変地異を表現するのに『槍が降る』というのか、そういうところまで海外の語学学校では教えるのか、これは留学しないと学べない日本語か・・・・つまりそういうレポートな訳だけれど、ちょっと待てよ、君。・・・・『槍が降る』くらいなら、慣用句としてちょっと気の利いた語学学校なら教えていそうだよ。・・・・それじゃダメだ。」
 シャアがまったくめげないので、ガトーはついにため息をついて、読みかけの山本周五郎の小説を閉じた。
「・・・・素直に、自分が驚いたものを選べば良いだろうが。・・・・例えば、私だったら・・・・」
「ガトーだったら?」
 シャアはボールペンを片手に、ノートを目の前に広げて真剣に聞いている。・・・・へー、シャアさんて日本語に関するレポートってなったら一応、メモも日本語で書くんだ。コウはちらり、とミミズのような字ののたうつシャアのノートに目をやったが、次の瞬間にはナイキのダンク限定モデルの特集ページに興味は移っていた。・・・・くそ!!こんなに新作が出るのか、今月!
「・・・・私だったら、そうだな・・・・・」
 ガトーは腕を組んだ。シャアはわくわくしながら返事を待っているらしい。



「・・・・・『チン』だな。」



「・・・・・は?」
「・・・・・へ?」
 ガトーの口から出た言葉に、思わずシャアが、それからスニーカーのことで頭が一杯だったコウですら、思わず間の抜けた返事をしてしまった。
「・・・・だから、『チン』。・・・・・動詞としての『チン』だ。」
 しかしガトーは至って真面目な顔で続ける。・・・・その言葉の意味に、さすがに日本人であるコウが先に気がついた。
「・・・・あぁ!・・・・ああ、確かに!それ、日本人だったら誰でも意味が分かる・・・・けど、きっと日本語学校じゃ教えないな!」
「・・・・・動詞?・・・・・動詞って・・・・あ、待てよ!」
 少し遅れて、シャアも気がついたらしい。
「・・・・・そうだ。『チンする』、だ。電子レンジで物を暖めることを、日本ではこう言うだろうが。『このお皿チンして。』とか『それ、チンして暖めてから食べたら?』とか。」
 ・・・・・シャアは本気で感動しているらしかった。
「だが、多分・・・・・日本でないと使わない日本語、だな。勉強して覚える日本語の中には、きっとこの言葉は入っていないだろう。・・・・だから、『生きた日本語』だと思う。」
「すごい・・・・!!」
 シャアは急いで『チンする』という言葉を、なかなか下手な手つきでノートに書き留めた。・・・・そこまでは素直で実に素晴らしかった。・・・・が、何故か続けてずうずうしくもこう言った。
「・・・・・気に入った!私がこの単語でレポートを書くから、君は他の単語を探したまえよ、ガトー!」
「・・・・・・何だと?」
 そうだ、二人は同じ授業を受けていて、それで出された宿題だったのだから、つまりガトーも同じテーマでレポートを提出しなければならないのである。
「貴様な・・・・」
「いや、君は大丈夫だろう、いくらでも面白い日本語を知っていそうだから。例えば・・・・中山きんにくんとか、ガッツ伝説とか。」
「それは貴様だ、おい・・・・!!ずうずうしいにも程があるぞ!!」
 アムロはまだコピーを取りに行ったまま戻ってこない。・・・・コウは、しばらくガトーとシャアの喧嘩を眺めていたのだがやがて、雑誌を閉じると肩をすくめてこう言った。
「・・・・・なあ、ガトー、譲ってあげなよ、『チン』くらい、大人なんだからさ!」
 ・・・・・貴様がそれを言うか!!普段あれだけ子供じみた言動のくせをして!!
「・・・・・あのだな、」
「それより、俺今のでちょっと思った・・・・・『チン』、ってフランス語だと何の意味なんだ?・・・・だってさ、名前であるじゃん。」
『・・・・・・・は?』
 もめていたフランス人二人が同時にそう言った。コウは笑顔で(かつ、かなりの大声で)こう続けた。
「だからさー、有名な絵本でタンタン、ってあるじゃんか。・・・・あれさ、フランス語版だと名前がチンチ・・・・」
 シャアが慌ててコウの口を押さえようとした。ガトーは間髪入れずに山本周五郎でコウの頭を殴った。
「・・・・・ここは学食だぞ!」
「止めたまえ!落ち着きたまえコウ君!」
 ちょうどその時、アムロが学食のドアをくぐってみんなのところに戻って来るのが見えた。・・・・質問をしようと思ったところを思いきり邪魔されて、コウはかなり不機嫌になったらしい。そこで、持ち前の気力でフランス人二人を押し退けてこう叫んだのだった。



「なんでタンタンは、フランス語版だと『チンチン(TINTIN)』なんだー!!」



 ・・・・・仕方がないのでガトーとシャアも叫ぶことにした。
「我々は『チン』の話をしていたのであって・・・・!!」
「 そうだ、あくまでも『チンする』の話であって・・・・!!」
 ・・・・・戻って来たばかりのアムロは、全員の頭をコウのノートでひっぱたきたい衝動に駆られたが、それすらも下らない、と思って耐えた。・・・・・かわりに、机を思いきり叩き付けてこう言った。





「・・・・・・全員、チンチンチンチンうるせぇんだよ・・・・・・・・!!!」





 さて、事の経過を聞いたアムロからの提案はしごく簡単だった。・・・・つまり、「シャアが『チン』で、ガトーが『チンチン』で書けばいいだろ、レポート!!」というものだった。・・・・もちろんガトーは丁重にその提案を断った。更に追記すると、フランス語の『チン(TIN)』は正確には『ティン』という発音の方が近く、グラスを鳴らす音、といった感じの擬音の意味しかない。それからしばらくガトーが沈みがちだったので、コウはいいことを教えてあげた・・・・・つい先日、とある団体が各国の翻訳者に対して取ったアンケートで、見事『日本の関西弁』が『翻訳しづらい言語』のトップ3にランクインしたのである。・・・・日本というのは、『もうかりまっか』『ぼちぼちでんなー』が、『お元気ですか』『ええ元気です』になってしまう国なんだよ。・・・・・だから、そんなに沈むなよ!!



 ・・・・しかし、ガトーはあまり元気にならなかったらしい。・・・・・日本語は、なかなか奥が深いようだ。


   






2004/08/30




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