コウが実にせわしなく自分の後ろを歩き回るので、ついにたまらなくなったガトーはドスのきいた声をあげてしまった。
「・・・・・・・貴様。心配しなくても、三十分も経てばきちんと出来上がる。・・・・・大人しく腰をかけて待っていることも出来ないのか!」
「・・・・・・・でもさー!」
そう言われれば、コウは少しだけガトーから離れるのだが、またすぐに後ろに忍び寄ってくる。そうして、邪魔だと言うのに、ガトーの作業を覗こうとしてムリに顔を出すのだった。コウはガトーの手元が見たいのだが、良く見えないらしい。理由は単純で、ガトーの方がコウより大きいので、それで後ろからでは良く見えないのだった。
「・・・・・・・ほんとに出来るのか、三十分だけで出来るのか??・・・・クッキーって、そんなに簡単に出来るものなのか??・・・・なあ!」
ガトーは流しの前でため息混じりに、ボールの中身をかき混ぜる木ベラを持つ手を止めた。そして、後ろを振り返る。
我慢出来ないくらいワクワクしています!!・・・・という顔のコウがそこにいた。
「・・・・・貴様が何故、今日に限って『クッキーが食べたい』などと言い出したのか知らないが・・・・。」
その日曜の穏やかな午後、留学生会館で「お茶でも飲むか」とガトーが言ったら急にコウが「クッキーが食べたい」と言い出したのだった。「出来たら手作りのヤツ」と付け足すのも忘れなかった。・・・・何故だ。もちろんガトーの部屋には『手作りクッキーの作り置き』などというしごくロマンティックなものは無かったので、ガトーはこうして急きょクッキーを作る羽目に陥っていたのだ。
「だって、今日はホワイトデーだろう、ホワイトデーには毎年姉さん達がクッキーをたくさん焼いて、それで俺もそれを食べてたから、だから食べたくなったんだよ!!」
まったくもって理解不可能だったか、よくよく聞いたらこういう話らしい。日本にはバレンタインデーのお返しをする、ホワイトデーというナゾの風習があり、お返しするものはクッキーやキャンディーと決まっているらしい。・・・・そして、バレンタインデーにチョコを貰った弟のために、準備するべきホワイトデー用のお返しのクッキーを、毎年姉達が作って、その日にコウに持たせてやっていたらしいのである。・・・・・甘ったれた話である。ともかく、そんなわけでホワイトデーというのは、何故かコウにとっては『手作りクッキーをおこぼれで自分も食べられる日』ということになってしまっているらしかった。・・・・・まったくもって、理解不可能だ。
「・・・・・ともかく、これ以上邪魔をするようだったら、もうクッキーなぞ作ってやらん。・・・・たとえ世界で一番作るのが簡単な菓子であったとしてもだ。」
「世界で一番簡単なのか!・・・・見てるだけだから、動かないようにするから。」
何故かしつこくコウがクッキーの作り方に興味を示すので、もうガトーは放っておこうと思った。・・・確かにクッキーは、世界で一番作るのが簡単な菓子だろう、だって材料を混ぜて適当なサイズに分けて、オーブンで焼くだけだ。・・・・そこで、とりあえず立ち位置を決めた。そこから動くな、と命令した。・・・・コウは頑張って、動かないことにしたらしかった。ガトーは、クッキーのタネを混ぜていた木ベラを流しに放り込むと、もうすこしこねようか、と思ってボールに手をつっこんだ。・・・・そしてこねる。
しばらくこねていたら、ちょうど良い感じにタネがまとまってきた。卵がたくさんと、それから奮発してマーガリンではなくバターも入っているので、そのタネは少し黄色っぽい。ガトーはその長い指で少し堅さを確かめて、満足そうに頷いた。・・・・タネと比べると、ガトーの指は妙に白く見える。
「・・・・・・なあ。」
すると、じっと動かずに我慢して、クッキーの出来上がる過程を眺めていたはずのコウがへんな声をあげた。・・・・なんだ。ガトーは思わず、ボールを抱えたままコウを睨んでしまった。
「・・・・・・あの、しゃべっちゃってゴメン。でも俺、動いてないだろ。」
「・・・・・・まあな。なんだ、余計なことを一言でも話て邪魔をしてみろ、このクッキーはすべてニンジン型にして焼いてやる。」
コウは心から悲しそうな顔になった!・・・・・ああ、ニンジンの味がしなくても、形がニンジンだなんて!!・・・・ニンジンだなんて!とてもおいしそうなのに!!
「違うんだ!待ってくれ、ニンジンはダメだ!!・・・・・・そうじゃなくってさっ、」
「・・・・・・だから、なんだ。」
よくよく見ると、コウはガトーの手を凝視したまま固まっている。・・・・なんだ、素手がまずかったとでもいうのか?しかし、型を抜くにしても、ちぎってほどよいサイズにまるめるとしても、クッキーを作る時は皆最後には手を使うだろうが。・・・・コウときたら、憎たらしい相手を睨み付ける時のような目で私の手を見ているな。それが面白かったので、ガトーはもう一回聞いてみた。
「・・・・・・だから、なんだ。」
するとコウは何を思ったのか、でもきっぱりとこう答えた。
「・・・・・そのクッキー、とてもおいしいんだろう?・・・・・それじゃあさ、」
・・・・・・・・・そう、だから、そうじゃなくってさ。
「・・・・今、ガトーの手をなめたら・・・・それもおいしいかな、クッキーの味がして。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ニンジン型決定だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・貴様、」
ガトーはボールを取り落としそうになったが辛うじて耐えた。根性でコウの顔を睨み返してみたが、まったく本気で真剣な顔のままだ。・・・・・・・・・何か言わなければ。・・・・・・いや、後ずさるな、自分。顔を背けるな、自分。ここで引いたらダメだ、とガトーは思った。
「・・・・・・・・・・・貴様・・・・・・・このタネは・・・・・・つまり、まだ焼いていないのだから・・・・・ナマであって・・・・・」
その瞬間に、コウがガトーの手に注目するあまりに、ガトーの顔を見ていなかったのは不幸中の幸いだったと言えることだろう。・・・・・あぁ!
「・・・・・・・・・このまま食べたら腹を壊すに決まっているだろうが・・・・・・馬鹿なことを言うな!」
「・・・・・あっ、そう言われればそうか・・・・・!!」
そこで、コウはボールの中身を凝視することをようやく止めて、顔をあげてガトーを見た。・・・・・なので、その直前まで、
ガトーの顔がうっすら赤くなっていたのなんかを見のがしたわけだった。・・・・ガトーは怒り狂って、ニンジン型のクッキーを作り始めた。
ともかく三十分後には、二人は無事お茶を飲むことに、かろうじて成功したらしい。
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