その日は夕刻に散歩に出たら、思ったよりも遠くまで歩いて来てしまっていた。・・・ありゃりゃ。加茂川の左の川べりに腰掛けて、二人で並んで沈んでゆく夕日を眺める。ガトーの住む留学生会館から加茂川までは、実は結構な距離があった。・・・留学生会館はどちらかと言うと烏丸通に近かった。京都市の真ん中あたりだ。それを、河原町通をこえて、さらに加茂川すら渡って、左の端の方にひたすら、ずんずん、ずんずん。・・・歩いて来てしまっていた。
「・・・・すげー・・・・・」
歩いて来てしまった理由は簡単で、あまりに夕日が凄まじかったからだ。赤くて、しかも大きかった。何もかもを真っ赤に染めてしまうような、大きな夕日。その夕日に照らされながら歩いていたら、いつの間にやら会話も少なくなって、歩調ですら早足になっていた、そして気が付いたら加茂川の左側、だ。
道路から河原に降りて来て、これ以上は無理だろう、というくらい夕日が良く見える場所たどり着いたところで、やっと二人は西を向いて足を止めた。・・・・赤い。
「・・・・真っ赤だ。当たり前か。・・・・・夕日だもんな。」
「それにしても赤いぞ。・・・どこかで火山でも噴火したのか。」
火山が噴火すると大気圏の中には塵がまき散らされることになり・・・おかげで空気中に光の乱反射がおこり、何故か夕日が綺麗に見えるようになるのだとは、確かにコウも聞いたことがあった。それはともかく、河原に腰かける。目の前の向こう岸、向こう岸には府立医科大が見えた。・・・・それから、河原をマラソンしている変なおっさんも。その向こうの夕日も、とても良く。
「・・・・・俺、思ったんだけど・・・・」
ほら、来たぞ。・・・ガトーは思った。だいたいコウは分かりやすい。歩く道すがらから、妙に手を握りしめたりほどいたりを繰り返しているから、何を考えているのかなんて分かり過ぎるほど良く分かった。
「・・・・・ガトー、手を繋ごうか。」
「ああ。」
「ガトー、キスしようか。」
「ああ。」
「・・・・ガトー、セックスしようか。」
「・・・・ああ。」
すべての台詞に適当に答えた後で、申し訳程度にコウの顔を見た・・・・台詞とは裏腹に、その顔には何の表情もない。自分を見てすらいない。・・・それはそうだろう。コウは自分で、言っていることの意味が分かっていないのだ、その顔はひたすら夕日を睨み続けている。・・・・それは険しい表情で。意味は分からないのだろうが、あの夕日に飲まれて、今はそう言わずにはいられないのだ。
「・・・・ごめん、ちょっと間違えた。俺、違うこと話しちゃったよ。」
まて、少しは正気だったというのか?・・・・・というガトーの突っ込みを聞く前に、コウは自分で話題を変えようとした。・・・・夕日が赤いな。そして、その夕日に染まった自分達二人も赤い。
「・・・・・・で、話は変わるんだけど・・・・・」
コウはガトーが隣にいたことを今思い出したんだ、と言わんばかりに隣に座るガトーを見て、そして続けてこう言った。
「・・・・・俺と、セックスすることになったらどうする?」
・・・・・話題が変わっていないぞ。
子供はとてつもなく残酷な台詞を平気で吐くな。・・・・ガトーはやはり赤い夕日を眺めながらそう思った。今、自分と隣に座るコウの距離は50センチ程しか離れていない。分かっているのか?・・・いいや、分かっていないのだ。しかし、無知は美徳ではない。コウは、子供ではない。・・・・だがしかし、子供はやはりとてつもなく残酷な台詞を平気で吐くな。・・・・ガトーはそう思った、それからゆっくりと考えた。・・・・どうせコウは頭に血がのぼっている、考えてもしようのないことについて散々考えた挙げ句に、だ。・・・・・そこでガトーも、考えた挙げ句に一言だけこう答えた。自分も残酷な台詞を吐いてやろう、傷付くなら傷付けばいい。
「・・・・・優しくする。」
・・・・・・コウはそれを聞いて、またずいぶん考え込んだらしかった。・・・・・『優しくする』。・・・・・なんだ、それは。
・・・・・なんだ、それは!
一瞬にしてコウの頭に血の登る音を、ガトーは赤い夕日にまみれながら聞いた気がした。
「・・・ンだよそれ、ガトーっぽくないな。」
「私らしくないとは、どういう意味だ。」
「優しい、ってのが既にガトーっぽく無いんだよ!戦ってるガトーっぽく無い、っていうか・・・!」
「どうするか、と聞かれたから答えたまでだ。」
「嘘だ!・・・・そんなことされたら、俺、死ぬ!」
・・・・わけが分からない。・・・・ガトーはいっそここでその沸騰した頭を抱えたまま死んでくれ、と思った。ああ、加茂川の河原でだ。それでいい。おい貴様、それじゃ貴様は一体自分が何を言っているのか分かっているのか?ほんとうに、分かっているのか!!??
「・・・・じゃあ、どうしたら納得するというんだ。酷くしたらいいのか。」
「それでも死ぬ!」
ああ、どっちみち死ぬというのだな?・・・しかし、ガトーがそういう前にコウが吐き出した。
「そうだ、死ぬ、どっちみち俺は死ぬ、いますぐだって死ねそうだ・・・・!!」
目の前に広がる夕日を見つめながら、コウは涙を流していた。・・・赤い赤い光。隣に座り、しかし決して互いには触れない自分達のそういう関係。・・・ああ、凄い赤だ。・・・・ガトーは思った。
心をわしづかみにしたような赤だ。・・・・そうして、そこから、血が流れる。
・・・・しばらく河原で嗚咽したらコウは気がすんだらしい。もう、赤も治まって、紫に近くなったような空をまだ睨み付けながら、ゆっくりと肩で息をした、そうだ、治まれ。・・・・・・・治まってくれ。
『・・・・もどらないと、』
・・・・思わず二人は声を揃えてそう言っていた。・・・ひどくゆっくりと、そしてどこか辛そうに、コウが立ち上がる。もちろんガトーも立ち上がった。・・・・よせ、やめろ。そうだ、戻らないと、酷いことになる。
(・・・・・もう、とおの昔に。)
空はすでに、赤と言うより紺碧に近かった、それを眺めながら二人は加茂川の河原から立ち上がる。・・・いいや、それでも互いには触れない。・・・触れるものか。ガトーは思った。
(もう、とおの昔に『あともどり』など、)
・・・・・・・・・・・『あともどり』など、出来る場所を、超えている二人なのかもしれなかったが。
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