第七官界彷徨




 誰もが気になっていながら、聞けない一言というものがある。まことしやかに噂は囁かれ、そうしてその噂だけは一人歩きしているのだが、だけど誰にも聞けない一言。
「・・・・大尉!前っから聞きたかったんですけどね、教えてくださいよ・・・!!」
 その晩勇敢にもそう言い出した猛者は誰だったのだろう。覚えていない。ちょっとばかり機嫌の良い晩だった。『機嫌の良い晩』、という表現もおかしいが、軍艦にはそんな夜がある。例えば長い航海の途中で久しぶりに寄港をしている夜。上陸許可が降りている夜。半舷休息になっていて、そうでない者も第一種の戦闘配備からは解放されているような、そんな夜。
「 大尉は、実はゲイだと聞いたことがあるんですが、本当なんですかー?」
 重ね重ね、誰がそう聞いたのかはもう覚えていないのだが、妙に人間が集まって、思わず酒盛りのようになってしまっていたその日の食堂で、誰か陽気にがそう言ったのだけは確かだ。
「・・・・・・はぁ?」
 その台詞を聞いて、さすがに聞かれた張本人のアムロ・レイは目を丸くして固まった。周囲はシーンと静まり返るかと思いきや、逆に盛り上がる。
「おおー、それは自分も聞いたことがあります、」
「自分も興味あります、その噂!本当なんですか?」
「大尉はゲイなんですか!」
 ここで何故か一同大爆笑。・・・・場所はラー・カイラムの士官用食堂で、その日は何もかもが許されそうな空気がそこに満ちていた。だからこそ『機嫌の良い晩』なのである。アムロは思わず、肩をすくめながら同席していた艦長を見た・・・・艦長のブライト・ノアですらも、その日は付き合いよく士官用食堂に出て来て酒を飲んでいた。すると、面白いことに彼もまた肩をすくめてみせる。面白くなってしまったアムロは思わずこう答えた。
「みんなの期待を裏切ってしまって全く悪いんだが・・・・俺は・・・・」
 にやにや笑いながら群衆は次の一言を待っている。
「・・・・全くのノーマルなんだ!・・・・なんか証拠ないとダメか?」
 むさ苦しい軍人達の集団は、またそこで大爆笑した。・・・・そりゃそうだよな、噂は噂、である。だが一体なんだって言って、『アムロ・レイはゲイなんだ』なんて噂が流れ、そうして誰もが『ああそうかもね、ちょっとそんな気するね』などと思ってしまったというのだろう!
「大体、えー、そんなウワサが、本当にあるのか?」
 当のアムロ自身が噂のことは知らなかったため、今度は逆に回りの人間に聞きはじめた。
「ありますよ、ありますその噂は!」
「知らない人間なんかこの世にいないくらい有名な噂ですってば!」
「だっておい、そんなことになったら、ベルトーチカとか、あとチェーンはどうなる・・・」
 力説している下士官の頭を小突きながら、思わずアムロは苦笑いした。ベルトーチカというのは地球にいるアムロの内縁の妻、みたいなもので、チェーンにいたってはこの艦に乗ってから懇意になった年若い恋人みたいなものだ。この二人のことはゲイの噂と同じくらいに、誰もが良く知っていた。アムロは有名人なのである、だからその一挙一動即は常に噂の種なのだった。
「そう言う問題じゃないんですよ、ええっと、それは多分大尉が・・・・」
「そうそう、」
 アムロが否定すると、今度はまたムキになって酔っ払った下士官達がそれに答えた。
「・・・・俺が?何?・・・・どこかカマっぽいか、困ったな、そりゃなんとかしないと・・・・」
「いや、カマっぽいというよりは・・・・繊細で色っぽいかと思います!」
 遂に、我慢出来なかったようでブライトが吹き出した。ブライトときたら、アムロが頑固な十六歳の小僧だった頃からの彼を知っている人物である。繊細ではあったかもしれないが、さして取り柄もない野暮ったい少年時代から彼を知っている人物。アムロは誉められているのだかけなされているのだか分からない複雑な気分になって来たので、とりあえずその台詞には黙っておいた。それを、下士官達は不機嫌ととらえたらしい。都合良く繊細なアムロさんならではの、などと考えたかもしれない。
「・・・・・いや、間違いです!」
「今のは失言です!!アムロ大尉は、だからつまり・・・・包容力があります!女性のように!そう感じられるのです!」
「・・・・・・いや、ちょっとまて、そりゃさっきの台詞よりひどい・・・詩的だなオイ・・・・」
 言葉に詰まったアムロは仕方がないのでその台詞を吐いた下士官の頭をとりあえず後ろからひっぱたいた。大の大人の男に対して女性のような包容力!だの繊細だの色っぽいだの。気色悪いぞ。
「俺は別に、そこらにいる普通の男だと思う・・・・そこらにいる。普通の二十九歳の男とあまり変わり無いだろうよ、なんでそんな話になったかなあ・・・・」
 すると今度は、非常に控えめに、群衆の中の誰かがこう言った。
「・・・・それは、やはりニュータイプだからではないですか。」
「うん、そうだ、だからじゃないかな。だから、人と違うような気がしてしまって、」
 ・・・・人と違う!それが、ゲイっぽいと思われることならとてつも無く迷惑な話である。
「えー・・・・」
 それで思わず思いっきり不満げな声を上げてしまった。今度ばかりは今度は回りの連中もしゅんとした。
「・・・・しかしですね。つまり、それについても聞きたかったのは確かなんです、だから、」
「そう、ニュータイプですよ!ニュータイプだと、何か違って見えたりしないのですか、この世界が。」
 その晩の、つまり素敵に『機嫌の良い晩』のラー・カイラムの乗り組み員達はどこかひと味違った。それで、彼等はここぞとばかりに、常日頃気になっていて気になっていて、だけれども聞けない質問を、アムロに浴びせかけようと決め込んだらしかった。ゲイ疑惑の事とか、それからニュータイプ能力の事とか。それはどんなものなのか、とか。この艦のこのモビルスーツ隊隊長には、そりゃあ多くの謎があって、誰もがそれを聞きたいと思っていたのだが、だがこれまで聞いて来れなかったのだ、この質問にはアムロも困った。
「・・・・悪い、言っている意味がよくわから・・・・・」
「つまりですね!」
 一人の男がビールのスタイナーボトルを持ったまま、手を上げて立ち上がった。
「ニュータイプだと、つまり何もかも『分かって』しまっていて、例えば今現在ですらも、交わそうと思えば頭の中でシャア・アズナブルと会話を交わせるのではないかと自分などは思ってしまうんです!そういうことですよ!」
 その発想にとりあえずアムロはたまげた。
「・・・・って、今か?」
「今です!」
「・・・・シャアとか?」
「そうです、シャア・アズナブルとです、二十四時間、いつでも、どこでも!」
「・・・・・・・・・・・って、なんだおい、その消費者金融のキャッチフレーズみたいなのは・・・・・そんな能力が俺にあったら、そもそも戦争になってないと思うな、多分・・・・」
 そのアムロの返事に、もはやブライトは目頭に手をあてて笑いを堪えている。アムロは思わず憎らしくなってこう言った。
「シャアに関することだけで言ったら、ブライトの方が詳しいぞ、俺は何しろ数回しか会ったことがないけど、ブライトはずっと同じ艦に乗っていたことがあるんだから!」
 ばっ、と皆の目がブライトに向く。ブライトは、少し焦ったようでこう言った。
「あー・・・・それは事実だ。が、もちろん私はニュータイプじゃないから彼の考えていたことなど人並みにしか分からなかったし、人並みにすら分からなかったと言うべきかもしれない。・・・彼は、そう、学者のような難しいものの考え方をする人間だったからな。」
 よほど言葉を濁した、それこそ学者のような返事をするブライトはともかくとして、アムロはどうやら自分が得体の知れない人間として仲間達に見られているのだとやっと気付いて、どうしたらこの自分のもののとららえ方を、分かりやすく説明出来るものだろうかと考え始めていた。
「・・・・・うん、だから、勘、のようなものなんだ、ニュータイプっていうのは、多分。現実に何処か違うかって言われると、サイコミュが動かせるか動かせないかくらいの違いで、その他が厳密にどこか違うかと言われると・・・・」
 あまり自信なさげに首を振りながらアムロはそう言った。言っている本人に自信がないのだから、もちろん皆も分からない、という顔をする。
「確かに俺は上手くモビルスーツに乗れるのかもしれない。・・・・それは、『分かる』からだと思う。分かって、見えているから。人間には普通、第五感までしか感覚がないだろう。視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚。・・・が、俺は確かにそれよりもう一つ、感覚が多いような気がする。それが『勘』だ。良く言われる六番目の、つまり第六感、だ。強いて言うとこれがニュータイプ能力かな、とも思う。・・・・でもそれは、頭の中で会話が出来るようなものとは違う。全く違う。そうだな、『分かるだけ』だ。戦闘の最中には、確かに言葉にして何かを交わしているような気もする。・・・・だけど、それも『そんな気がする』だけだ。相手には届いて無いかもしれない。・・・・上手く表現出来ない、つまり『第六感の世界』があって・・・・・」
 面白いのだかどうだかは知らないが、回りの人間はいつしかそんなアムロの話に聞き入っていた。・・・なにしろ、聞くに聞けなかった質問に、アムロが答えてくれているのである!
「その世界を少し彷徨っている感じなんだよ、シャアと戦っている時は。・・・・これで分かるか?いつでも会話を交わすことが出来るなんて、そんなの無理だ。・・・・そんなことになったら、」
 ブライトが席を立った。・・・・・アムロのゲイ疑惑から、ニュータイプとは何か?というしごく複雑なところにまで話題が発展した、有意義な(?)宴会ではあったが、艦長が席を立ったところを見ると、そろそろおひらきらしい。
「・・・・・そんなことになったら、シャアがトイレでリキんだ時にだって電波が飛んで来てしまって・・・・・・・・・大変なことになるじゃ無いか!」
 皆が繊細だとよってたかってくくりをつけた男の、なかなかに下品な冗談で宴会は幕を閉じた。もちろんみんなは満足して食堂を後にした。アムロがゲイであろうが無かろうが、皆が愛するこの艦のモビルスーツ隊隊長には違い無かったからである。



 さて、ほろ酔い加減で自分の部屋に戻って来たアムロは、部屋にある端末の電源を入れた。今艦が駐留しているコロニーから外部ネットに接続して初めて、相手も珍しくリアルタイムにネットに繋いでいることに気付いた。


>>おはよう
>>なんだ、朝か?こっちは夜だ
>>いや こっちも夜だ


 何気なくメッセージを送ってみたら返事が帰って来た。アムロは着替えながら会話を続けた。


>>今なにやってる?
>>会議中
>>・・・・・仕事しろよ
>>やってる それよりこういうのが珍しい メールじゃ無くて会話とかが
>>俺、今日ゲイじゃないかってみんなに聞かれた


 着替え終わった。アムロの打ち込んだ内容に相手は少し考え込んだらしい。


>>それは初耳だ 君ゲイだったのか?
>>いや、まったく
>>だよなあ そんなことになったら恐くて後に回らせられない
>>自分の心配かよ


 アムロは端末を持ったままベットに潜り込んだ。艦の中には低いアナウンスが流れて、明日のイチハチフタマルにこの港を抜碇するむねが伝えられていた。


>>・・・・あと、ニュータイプ能力というのは 二十四時間ずうっとあなたと会話出来るような能力なのか?ともみんなに聞かれた
>>それも凄い発想だな だったらなんで今チャットしているんだ私達
>>そうだよな、だから俺それは、普通のひとはあまり持ってい無い『第六感の世界』を彷徨うようなものだと答えた
>>・・・・・あれが『第六感の世界』なら


 眠くなって来た。もう切ろう。アムロは思った。相手の言いたいことはとても良く分かる。人間はそんなに便利な生き物ではない。俺はそう繊細でもない。残念ながらゲイでもない。・・・・・平凡な平凡な人間なのだ。俺は平凡でいい。そう思った。相手はそうは思わなかったかもしれない。だから、逆に傘に着たのだ。そして、何かをしようとしている。だから俺達は今戦っている。


>>思うのだけど このインターネットとかの方がよほど凄くて 遠くにいるのに見も知らぬ誰ともですら 会話が出来たりするから
>>俺はもう寝るぞ
>>・・・・『第六感』を越えた 第七の世界なのかもしれないと思わないか


 アムロは本当に眠ることにした。俺とシャアだけが会話を交わす世界はなるほど『第六感』の世界で、相手がいないとダメなのだけれど、これは誰にでも出来るから、などと思いながら端末のスイッチを切る。・・・憧れるように自分を見ていた、士官食堂での下士官達を思い出す。・・・違うのに。ただただ、平凡な俺がここにいるだけなのに。・・・・そうだな、皆分かっているんだろうか。シャアの言う通りだ。アムロはチャットをしている自分達二人を思い浮かべて笑った。それから、誰もが想像もしないであろう、そういうことを話してやりたい衝動に笑った。こういうところは我ながら不遜だ。滑稽だ。・・・だが出来ない、このつながりは説明出来ない、




 ・・・そして平凡な自分達が、インターネットでやり取りをして、その海を泳ぐ夢を見た。お酒なんかを飲みながら。偶然に、趣味のサイトで知り合ったりして。それで俺は構わないんだよ、と、なにかを傘に着たあの男に言ってやりたかった。・・・本当は分かっているくせに。何故重い自分を目指す。そうなんだ、そういう、自分はもっと容易いもので良かったのに。そういう自分達で良かったのに。・・・・最後には、アムロは夢を見ながら泣いていた。素晴らしいじゃ無いか。どうしてそれじゃダメなんだ。・・・・ああ、気付けよ。叶わないゆめだから泣けるのだ。えんえんと泣けるのだ。・・・・そうだ。・・・・・確かに、シャアの言う通りに。




 そこは第七の世界なのかもしれなかった。・・・そこを泳ぐ平凡な魚に、ほんとうはアムロはなりたかった。





   






*誕生日小説なのに、何故年々暗くなるのだろう・・・・・(笑)。ごめん、アムロ・・・。そして誕生日おめでとう。
2003.11.04




HOME