ビクトリアエンバンクメント



「申し訳ありませんが、御宿泊のお客さまに関する御質問にはお答えすることが出来ません。」
「えーと……それは、政府関係の人間が、仕事で知りたくても?」
「軍の方でもです。」
 いつもの事ながら地球連邦政府の嫌われっぷりはすごいよな……と、どのコロニーに立ち寄っても思うことをアムロはまた思った。
「あー……はいはい分かりました、じゃあいいよ。」
 軽く溜め息をつきながらフロントに乗り出した身を起こすと、目の前の受付嬢は先ほど声をかける前と寸部違わぬ表情で軽く微笑んでいる。教育が良いのだろうか、確かに宿泊客の情報を容易く流すホテルなどあり得ないだろうが、ここまで即座にきっぱり断られてしまうとすこし持て余した気分になるのも事実だった。大体、俺がなんで軍人だって分かった。私服で来たのに。
 煮え切らないものを大量に抱えたまま、アムロはそのホテルを出た。振り返ってみる。高級そうなホテルだった。……実に高級そうで。



 あいつの好きそうなホテルだった。



 このコロニーに入港したのは昨日で、そしていつもながらに曖昧な情報を追いかけた上でのことだったが、それでも今日になってアムロは諜報活動をしてみることにした。……いや、自分の専門はモビルスーツを操ることであり、上陸のついでにちょっと、というかなり軽い気持ちではあったが。ラー・カイラムを降りる時にたまたまブライトに会って、ブライトは面白そうにジャケット姿のアムロを見ながらこう言った。「このコロニーにいそうなのか?」そんなことが分かったらしらみつぶしに自分達は全てのコロニーを調べて回っていないだろ、と思う。「土産買ってる。」とだけ答えてアムロは艦を出た。



 コロニーの中をふらふら歩き回って、夕刻になってからあまりに自分が何もしていないことに気付く。しかたない、それじゃホテルでも調べてみるか……と尋ねて行ってみたら、一つ目のホテルからさっきのような有り様だ。別に、コロニーの人々全てがシャアの大ファンだとは思いたく無いが、それにしたってなんで連邦軍がこんなに嫌われなきゃならないんだ。……と、まったくやる気の無くなったアムロは端正で古く、それなりに赴き深い夕暮れの町並みの中をまた歩き出した……このコロニーはヨーロッパ風なんだな。そもそも、このコロニーの名前はなんていったっけ? そう考え出したアムロの目に、急に『ビクトリア・エンバンクメント』と書かれた地名を示すプレートがが飛び込んで来た。ああ。英語の名前だ。それじゃ、これは多分イギリスっぽい町並みなんだろうな。
「……うわ、」
 そう思いながらさらに延々と、連なるれんが造りの建物の間を歩いていたら、建物と建物の隙間のところで、急に強い横風に吹きつけられた。珍しい。コロニーの中で、こんな大風にあうなんて。……ああ、大体なんで俺、歩いてるんだ。こんなことならエレカをレンタルすれば良かった。
「………」
 赤く染まる町並みの中で、家路に急ぐ人々やちらほらと点り出すネオンライトに紛れて、アムロはしばらく固まったように立ち止まってしまった。目にゴミは……大丈夫、入らなかったようだ。そこでもう一回歩き出そうとして、また『ビクトリア・エンバンクメント』というプレートを見つけた。おや、とアムロは思った。おかしい、あの看板はさっきも見た。あれから少し歩いたぞ、俺。
 面白いな、と思ったアムロは今度は上を見上げながら歩いて言った………すると、またあるのである。『ビクトリア・エンバンクメント』というプレートが! これは本当に何ごとだろう。そして、細い路地を抜けた向こう側に、どうやらそういう名前のとても細長く巨大なものがあるらしい、ということにやっと気付いた。どうする。どうせシャアは見つからないし、それが何だか見に行ってみるか。
 そこでアムロは、次に『ビクトリア・エンバンクメント』というプレートが見えた時に、路地に入り、その看板が示すものの方へ向かっってみたのだった……そこでまた大風。なんだ。……なんだって、こんな風の通り道が出来ているんだ……と思ったアムロの目の端に、暮れかかりのそらを横切ってゆく鳥が一羽、瞬間みえた。



 ………いる。



 唐突にそう思った。路地はうす汚い裏通りで、先程までいた大通りからのざわめきが、まだ背中の向こうに聞こえてきている。『ビクトリア・エンバンクメント』という巨大な細長いものがあるらしいにしては、そうして行く手はやけに薄暗い。しかしアムロはジャケットの胸を押さえて、そこに拳銃が入っていることを確認すると、ともかく路地の向こうに飛び出した。



 そこは、なんとただの道路であった。しかも、川に面していて向いに建物が無いため、ひどくガランとした印象を受ける。
「………」
 しかしアムロはあたりを見渡した。……そうして、目的のモノを見つけて軽く息を飲んだ。
「……何故この通りが『ビクトリア・エンバンクメント』というのかというと……」
 奇妙な色をした等間隔に並ぶ街路灯の一つの下に、黒っぽいコートを着た男の姿が見える。男は後ろを向いているのに、まるでアムロの動きなんか分かっているんだと言わんばかりに勝手に話し続けた。
「そう言う名前の遊歩道が、実際ロンドンにあったからだ。……ロンドンは分かるか?」
「分かる。」
 アムロはそう答えながら、もう一回胸に手を当てて拳銃を確認した……大丈夫だ、ある。そして、ゆっくりと男に近付いていった。石畳の地面を、猫のように歩きながら。
「ふむ、分かっているのなら話は早い。……つまり、旧世紀のヨーロッパ地区にイギリスという国があって、そこに『ビクトリア・エンバンクメント』という有名な遊歩道があった。……テムズ河沿いの遊歩道だよ、君。クレオパトラの針、なんていう名物のある。ウォータールーからストランドあたりまで続く、その遊歩道にあやかって、この川べりの道には『ビクトリア・エンバンクメント』という名前がつけられた……説明は以上だ。たいがい、人間なんてものは植民地に碌な名前をつけない。しかし、元の名前以上に新しい名前の方が有名になることもある、『ヨーク』からつけられた『ニューヨーク』なんて名前がそれだ。………適当だけど、ニューヨークの方が実際有名な街だろう。」
「……何が言いたい。」
アムロには、シャアの言っていることがまったくちんぷんかんぷんであったのでそう言った。すると、そこで初めて面白そうにシャアが振り返った。アムロはもう、シャアの随分近くまで歩いて来ていた。
「いや、何も。……君に話すことなんて、何一つあるものか。」
「俺もだ。」
 そこで二人は奇妙に沈黙した。……そうなんだ何かあるようで、そうなんだいつも何もない。
「殺さないとならない。」
「私もだ。気が合うな。」
 二人はそう言い合って、このままだと何日間もそのまま睨み合っていそうな勢いだったが、急に思い付いてアムロはこう言った……いや、今すぐ拳銃を取りだしても良かったのだが、どうしても気になることがあったのである。
「この灯り……なんか、変だ。」
「……なんだと?」
 シャアは一瞬、アムロが何のことを言っているのか分からなかったらしい。だがやがて、街路灯の灯りの色の事を言っているのだと気付いて、逆にこう聞いて来た。
「ああ、この灯りが? どこかおかしいか?」
「だって、だんだんに光が強くなって……」
「……ああ。水銀灯だからな。珍しいかもしれない。確かに、今どき水銀灯なんてあまり見ないな。時間をかけて徐々に明るくなるのは普通だ、そういう特徴がある……」
 と、そこまで答えてシャアは急にしまった、というような顔になった。……こんな話をしている場合ではないのである。なんで二人が会って、ここで出会って、水銀灯とか。……水銀灯とかそんなことを。
「聞いたことが無い。」
 アムロはすこし困ったように言った。モビルスーツの設計は出来る。ミノフスキー粒子をドライブに変換させて利用する方法についても説明出来る。……しかし、水銀灯とはなんだ。俺は小学校しか出ていなくて、必要で無いことはひとつも知らない。水銀灯は、宇宙世紀の生活には無縁に思えた。
「……思うに、もちろんロンドンの『ビクトリア・エンバンクメント』には、水銀灯ではなくて『瓦斯灯』が点っていただろうよ……しかしまて、君、ガス灯は分かるか。おそらく、このコロニーを設計した人間は『ビクトリア・エンバンクメント』にひっかけて、そしてちょっと変わった灯りを点してみたくてこの街路灯を水銀灯にしたのだ。」
「分かる。」
 アムロは少し馬鹿にされた気がしないでも無かったが、そう答えた……ガス灯と宇宙世紀とは、更に関係がないような気もしたが。そこで、続けて、疑問に思ったことを口に出してみる。
「それじゃあ……ええっと、なんだっけ、そのすいぎんとう……水銀灯っていうのは、英語だと、」



 また鳥が飛んでいるなあ、と、目の端でそらを見ながらアムロは続けた。……もう夜は暮れ切っているのに、気の短いコロニーの夜が回って来ているのに、何でそれが見える、俺?



「……英語だと、『ウォーターシルバー』……とでも言うのか?」
 いや、俺知らないから知りたくてさ……と言いかけた続きの言葉は咽の奥に詰まったままになった。何故かその瞬間にシャアの腕がのびて、アムロの首を掴んだからである。……あまりに突然で、アムロは内ポケットから拳銃を取り出す暇も無かった。まずい。これでは、殺されてしまう。
「……貴様が、」
 シャアが言った。悔しいことに、二人には体格差があった。シャアの方が生身ではアムロより身長が高いのである。首元を確実に掴んだ腕を上にねじり上げられて、そうしてアムロは窒息死について考えざるを得なかった。
「……貴様が、『水銀』のことを『ウォーターシルバー』というような馬鹿だから……!」
シャアはアムロの首をねじる手に一層力を込めた。



「……ウォーターシルバーというような馬鹿だから、だから私は、貴様を殺さなければならなくなったんだろうが……!!」



 ワケが分からない、とアムロは思う。……ただ、もう意識が途切れる、と思った次の瞬間に何故かシャアがタイミングよく手を離したので、死なずに済んだ。        
 身体を丸めて思いきり咳き込む。そして、すぐに跳ね起きて拳銃を弾かれるように構えたが、その時にはもう、自分に向けてその数倍の銃口が向けられた後だった。
「……わからない、」
 どこにいたのだか知らないが、シャアの護衛らしき人々が躍り出てアムロに向かっていっせいに銃を向けている。……だから、ニュータイプ能力なんて、ほんっとうに役に立たないったら! アムロは思った……シャアだけ分かってどうする。シャアだけ分かってどうするんだよ! こんなにも回りににひとがいたのに、シャアのせいで、他の何もかもが分からなかった! もはや迂闊に銃も撃てない。いや、ここで死んだって別に良かったから、撃ってみたって良かったが。
「……『水銀灯』は、英語では『マーキュリーライト(MERCURY RIGHT)』というんだ。」
シャアは最後に、ゆっくりとそれだけ呟いた……そして、たくさんの銃に睨まれてアムロが身動きが出来ないうちに、さっさと消えていなくなっていた。マーキュリーライト、って。……水星の光、ってその方がよっぽどロマンチックで馬鹿っぽいじゃないか。ウォーターシルバーくらいで切れるなよ。



 ……ずいぶん時間が流れたようで、実はあまり経っていなかったのだろう、アムロはその水銀灯だけが等間隔に点るビクトリア・エンバンクメントで急に我に返った。もう銃口に狙われてはいない。いつのまにかひとりだ。……帰ろう。ひどく疲れた。



 ラー・カイラムに戻った時にも、また偶然ブライトに会った。「収穫は?」とブライトが聞くので、アムロは「無い。………ごめん土産忘れた。」と答えてやった。すると、変な顔でブライトが自分を見ている。なんだ?と思ってアムロは聞いた。
「……首が、手で絞められたみたいに赤くなってる。下手な娼婦にでも捕まったのか?」
 ブライトの顔は、いつもの事なのだが真剣このうえない。その台詞が冗談なのかどうなのか判別しかねたアムロは、首をすくめただけで返事はせずに自分の部屋に戻った。しかし、すぐに鏡を覗いてみることは忘れなかった。
 ……ああ、なんてこった。シャツの襟を広げてみると、たしかに首筋に手形のような、赤い模様がついている。……ふざけるな。この仕返しだけは、とにかくしてやろうとアムロは心に誓った。……あいつの首を必ず掴んで、そしてねじり上げないと。





 その時にも俺には、『ビクトリア・エンバンクメント』の上を飛んでいった、あのとりが見えるのだろうか。

     



シャアとアムロ 2002.03.03. コピー本『LANDSEND.』 逆シャア。 *『U.C.』より再アップ


だんだん思い出して来ちゃった・・・(笑)。それで、上野駅のコンビニでなんとかコピーして発行した
本だったのですけど、結局ページが入れ代わっちゃったりしていてきちんとは読めなかったんですよ(涙)。
で、サイトで結局修正版を・・・上げたりとか・・・しました多分・・・。
マズい、だんだんヘコんで来ました(笑)。あ、話としては「S14」も「ビクトリアエンバンクメント」も
気に入ってます。「ランズエンド」っていう本のタイトルは、イギリスのコンウォルの、有名な精神病院がある地名から。
タイトルも大概だと思いますが、こんな地名の場所に精神病院作るイギリス人の神経も大概だと思います(えっ)。
2008/02/21


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