聖痕
アムロが初めてその痕(あと)に気づいたのは、十七歳の時だった。
当時、アムロはシャイアンで暮らしていた。
ある日の朝、何の気無しにバスルームで顔を洗い、鏡を見た瞬間にそれは視界に飛び込んで来た。
「なんだ、これ」
ギョッとした。
鏡の中に映る自分の額に、見覚えの無い赤い筋がある。右上から左下へ。鏡で見る場合は当然それは逆筋に走る。
左上から右下へ。
短髪であったので、その傷跡(ではないかとアムロは思った、)は実に目立つように思った。
自分は寝ぼけて、ベッドヘッドの角材で頭を打ちでもしたのだろうか。
ただ、半日も経たずにその赤い痕は綺麗さっぱり消えたので、アムロはそれ以上気にしなかった。元々美醜を気にする様な外見でもない。極々凡庸な見栄えの自分だ。
それが始まりだった。
シャイアンでは七年暮らした。
人生を語る時に、それが長いのか短いのかアムロ自身にもよく分からない。
だがともかくシャイアンにやってきて七年目にーーー転機が訪れた。
その七年の間にアムロが気づいたことは、その『痕』が必ず心の疼きと共に額に現れるという事実くらいだ。
そう言う時は大抵、一年戦争の頃のことを思い出している。
考えても考えても考えても仕様の無いような、十五の頃の、青春についての様々を。
そうして、気づいたのだ。
これは自分の『傷』ではない。
間違いなくア・バオア・クーで、自分がシャアにあたえた傷なのだ。
……そんなものが自分の額に現れ続ける。
……不思議だなあ。
アムロは思った。
この世には多くの人が生きていて、自分もきっとその中の一人だ。
老いて青春を懐古することも、それでも現実の日々を淡々と生きることも、共に慣れたつもりでいた。
だが、面白いくらいにその『痕』は自分の額に現れる。
−−−アムロがやや、立ち止まる度に。ほんの少し、過去を振り返る度に。
『シャア・アズナブル』という記憶と共に。
「せいこん……?」
「『聖痕』だ。まあどう表現したら良いのだろうな、信仰心の現れだ。簡単に言うと」
その日、ブライトとそんな会話になったのは、本当に偶然だったのだと思う。
時は過ぎ、グリプスも第二グリプスと呼ばれる闘いすら過ぎて、それは宇宙世紀0091年のことだった。
あの、自分の額に現れるよく分からない『痕』を発見してから、ちょうど十年目のことである。
「いにしえの話だよ。昔、キリスト教という宗教があって、信じられないのだがそんなことが極まれにあったらしい」
「……極まれに、ってどんな」
「イエス・キリスト(救世主)が受けた受難を自分も精神的に受けたような気持ちになって、その掌に磔刑の『痕』が現れてしまうような信者がだ。イエス・キリストとは十字架の刑に処されて人生を終えた。その最後と同じように掌や足に、楔を打ち込まれたような痕の現れる信者がいたんだよ。宗教的トランスもそこまでいくと凄いな」
「……」
「自分はそういうものがあったって構わないのじゃないかと思うが。……おい、アムロ?」
「あ? ……あぁ、うん……」
「まったく聞いてないな、人の話を……」
新たに組織されたロンド・ベル隊の旗艦、ラー・カイラムの士官食堂で、食事を続けながらブライトはそんなことを話し続けていた。しかしアムロはどちらかというと血の気が引けていたのだった……宗教的トランス?
……違うだろう。
何故自分の額に、
自分がシャアにあたえたはずの、
『傷』が。
……『痕』が。
現れるのかといったら、それはシャアを思い出す度に止むに止まれぬ焦燥が心の内を駆け抜けるからであって、
「……馬鹿正直だな」
「え」
驚くほどあっさりと、士官食堂でブライトに額に口付けられていた。
「なんっ……」
「お、一瞬で消えた」
周囲からどよめきが上がっているが淡々とブライトは食事を取り続けている。
会話から察するに、ブライトと『聖痕』についての会話をしている最中に、自分の額に例の赤い筋が現れ、それをブライトが宥めたということらしい。
「……」
「睨むな」
「睨むさそりゃ! ミライさんに言いつけるからな」
「……同じ場所に居合わせたら、ミライも同じ行動をとると思うが。……それは」
それじゃ何で現れるんだと、それは深い命題だと思った。
「そういう……傷跡だよ」
気を抜くと、やはりその『痕』は額に現れる。
赤く赤く。
……あぁ、ただそれが、
『聖痕』などでないことを俺は知っている。
あぁそれが聖痕でないことなどを俺は知っている、それは多分、
シャアを求めてしまう自分が生み出した、
生きていく上での、
ーーー悔恨(かいこん)の証しなのだ。
「……会いたいな」
その男に。求める全てに。
「……そうか」
周囲の喧噪もなんとやら、ブライトの掌がアムロの額にそうっと触れた。
シャアムバージョン……というよりどっから見てもブラアムであるところに関する苦情は受け付けません(笑)!
2009年のメルフォお礼からの再録です。アム誕でした、当時しかも。
2011/01/27
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