目が覚めたら真っ白な部屋に居た。
「……」
アムロは目を凝らし、やがてそれが見慣れた母艦の天井であることに気づく。
「……気が付いたか。」
驚いたことに、ベッドの脇にはブライトが座っていた。
「……ブリッジは……」
「今、艦はロンデニオンに帰港中。……無理に話すな。」
「腹が痛い……」
「ろっ骨を二本と、内臓も少しやられている。」
「……」
アムロは黙った。……意識がぼんやりとしているのは、それでは麻酔のせいか。左腕に幾つものチューブが刺さっている。自由になる右腕を伸ばそうとした。……泣きそうな顔のブライトの方へ。
「……起きるのか?」
ブライトが両腕を伸ばして来る。それに捕まって、アムロは上半身を起こした。
「……教えてくれ、ブライト。」
気になって仕方の無いその事実を聞いた。
「 ……シャアは?」
……ブライトが、ゆっくりと、首を横に振った。
「……っ……!」
痛い。……何故こんなにも心が痛むのだろう。
「……おい、」
急に自分の肩に顔を埋め、啜り上げ始めたアムロにブライトの方が驚いたらしかった。
「……シャアは死んではいない! ただ、ここには連れて来れなかっただけだ!」
「同じだ……!」
アムロはもう、ただひたすら泣いていた。……涙が止まらない。……どうして。
「あの孤独な魂を、助けてやれなかったのなら同じ事だ……!」
「泣くな!」
「嫌だ!」
堪えても堪えても、涙が込み上げてくる。……どうして人々は彼を求めた、どうして人々は彼を祭り上げようとした、どうして人々は!
「……ボギーからの伝言だ。……『シャアは逃した。宇宙は元に戻る。』」
「戻るもんか!」
アムロはとても泣き止めそうに無かった。……ブライトは彼を持て余した。
「……悪かった。二度と、こんな任務には行かせない。ここにずっと居ろ。だから……」
「そんな問題じゃ無いんだ!」
……一年戦争の頃ですら、反発こそすれ、自分に頼ることの無かった頑固なアムロが声を上げて泣いている。ブライトはその背中を摩った。
「……子どものように泣くものでは無い!」
「嫌だ!」
どうして。……どうして誰もシャアの中にある『ただの人間』を、知ろうとしないんだ、助けようとしないんだ。……どうして!
「……アムロ。……もう一つ、ボギーから渡されたものがある。」
ブライトは軽くアムロの背中を叩きながら続けた。……子どもが幼かった頃、むずがって泣いた頃、良くこうやって宥めたな。
「……何だ。」
アムロは肩に顔を埋めたまま聞いた。
「本だ。……皮張りの本だ、タイトルは『クリュニー派とシトー派』。」
「何だって。」
アムロが少し笑った。妙な本だと思ってブライトは荷物を受け取った。……では、アムロには何か心当たりがあるのか?
「……聖書に関する本だろう。」
「その通りだ。……クリュニー派もシトー派も、修道会の名前だ。……傍線の付いた箇所がある。……読むか?」
「頼む。」
朗々と、ブライトはラテン語でその文章を読んだ。……アムロが顔を上げた。顔は涙でぐしゃぐしゃだ。それを手でぐいと拭うものだから、もっと酷くなる。
「……意味が分からない。」
「……そうか。」
ブライトは気まずい気持ちになった。……この言葉をアムロに送ったのはシャアだ。それを、自分が音にして伝えることには少し抵抗がある。
「……では仕方が無い。訳そう。……ラテン語の『amo』は『愛』だ。……この文章を英語に訳すとこういう意味になる……」
「ブライトはラテン語が読めるのか?」
「あぁ。……昔、パブリックスクールで習った。士官学校に入るより前に。」
咳払いを一つしてブライトは一気に読んだ。……それはひどく情熱的な言葉だった。……シトー派修道会を作り上げた、十三世紀の聖人の言葉としては異様なくらい。
「『愛は、愛以外の何ものでもなく、愛することがただ愛の全てだ。』……聖ベルナルドゥス。」
……涙が止まらない。
この言葉を俺に送ったシャアこそが、本物のシャアなのだと、アムロは思った。
……馬鹿じゃ無いのか。
沢山の人々が彼を様々な名で呼んだ。
『タナク』だったり『オールドテスタメント』だったり、『ビブリアヘブライカ』だったり。
沢山の人々が彼を理想として崇めた。
しかし、そのどれでもない本当の彼をアムロは知ってしまった。
彼は、どの名前も気に入らない、と言っていた。
そういう、鬱病で不眠症で聖書を良く読む、繊細な男だった。
……馬鹿じゃ無いのか。
この台詞はなんだ。
……この、分りやすくて単純な『愛』は何だ。
聖書の言いたいことが本当はたった一つであるのと同じように、シャアの言いたいことも本当はたった一つなのだろう。
……馬鹿じゃ無いのか。
この台詞はなんだ。
……涙が止まらない。
……本当に、なんて単純な『愛』だことだろう。
「……『愛は、愛以外の何ものでもなく……」
アムロは繰り返した。
「……愛することがただ愛の全てだ。』」
「ああ、そうだ。」
分かっているのかいないのか、ブライトが頷く。……アムロは泣き止むことを諦めた。
「……あいつ、馬鹿だな……」
「……まあ、そうかもしれない。」
「俺に『愛の言葉』を送ってどうするんだ、」
「道理だよ。」
ブライトが嘆息しつつ続ける。
「……だからこそ……私達は彼を探し続けて止まないんじゃないか。」
アムロはブライトから受け取ったその皮張りの宗教書を枕の下に押し込んだ。……傷が癒えたらまた艦隊の日々が始まる。
「……眠りたい。」
仕舞いにアムロはそう呟いた。
「そうしろ。」
ブライトが答えて両腕を解いた。
「眠って、目が覚めたらそれからまた……『シャア』を探す旅に出ればいい。」
その通りだ。……アムロは思う。……そして、泣き疲れて深い眠りに落ちて行った。
Biblia Hebraica 終わり。
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2006.08.28.
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