北米、オークリー基地に所在する諜報三課の本部は、実に平凡な建物の中にあった。
 目立ちもせず。だからといって怪しいほどに隠れもせず。立ち入ることを許されている人間はさすがに少ないが、おそらく諜報組織の本部としては正しい在り方だ。
「課長、面会人です」
「あー? 軍人か、一般人か」
「軍人です」
 そんな三課本部で課長であるハンフリー・ボガートは数ヶ月ぶりの平穏を噛み締めているところだった。
 0092、十月末。
「あー、ここまで来てもらった方がいいような客か」
「どちらでも大丈夫じゃないでしょうか。顔なじみの方ですよ」
「んだそりゃ」
 少しふざけた性格の秘書にそう伝えられ、仕方ないのでボギーは出て行ってやることにした。
「んじゃ、ロビーで待っててもらえ」
「はいはいはい」
「はいは一回!」
 ……ここ数ヶ月、嵐のように忙しかった。事件自体はそれなりの解決を見たが、ボギーに回って来た後始末も冗談ではない分量だった。
 軍人ということはカイじゃあ無いってことだよな……と思いつつロビーに向かう。それ以前に、あいつが連邦軍の基地になんぞ来るワケがねぇか。
「……」
 ロビーで待っていた人物の、おもに格好を見てボギーは呆れた。



「んだよ、珍しいなあ、そっちから会いにくるなんて」
「まあ、気が向いたので。挨拶を、と思って」
 ロビーにいたのは、同じオークリー基地所属のコウ・ウラキ大尉だった。
 格好がおかしい、というのはあれだ……軍服を着ていない上に、大きなスーツケースを脇に置いて立っていた。年齢から考えると出張、と考えておかしくないのだが、カジュアルな服装のせいかその生まれつきの面立ちのせいか、修学旅行の学生のように見えてしまうのは何故だろう。
「待て。まてよ、ついにてめぇまで『軍を辞める』とか……そういう話じゃないだろうな」
「俺まで、ってなんですか」
「最近そういう話が俺の周りじゃ立て続けなんだよ」
「知りませんよ、そんなこと自分に言われても」
 コウ・ウラキは何ともいえない顔をして、それからなんだか小さなディスクを投げつけて来た。
「軍は別に辞めないんですが……あの、産休で」
「は?」
「産休ってのはおかしいな、育休か。そうです育休で、一年間この基地からはいなくなるので」
「はぁあああ!?」
 合点はいった。いったのだがやはり内容に呆れてしまう。
「月に……嫁さんとこ行くのか」
「そうです」
「予定日は」
「もう一週間後くらい? 上司にはさんざん引き止められましたけどね、一応取っても良いことになっている休暇だし……」
 コウ・ウラキの言っていることは確かだった。軍人といってもまあ地球連邦の公務員のようなものには変わりないので福利厚生は充実している。一年の育児休暇など一般企業ではほぼ不可能だろう。彼には身重の妻が月にいて、その事実はボギーも知っていた。
「それ、連絡先です」
 投げつけられ、ボギーが胸で受け止めたディスクを指差してウラキが言った。
「……わかった……が、本気かよ」
「本気です」
「このご時世に」
「わかってます。……戦争になるでしょうね、おそらく一年のうちには」
 わかっている。だがそれでも育児休暇を一年取る。
 最初は呆れ果てていたボギーだが、そのうちなんだか面白くなって来てしまった。ウラキは本当に基地を出る直前だったらしく、腕時計を見て「ああもうほとんど時間が無いな」と呟いた。
「そこまで送るぜ」
 微妙に別れがたくなってボギーがそう言うと、ウラキも珍しく笑った。
「じゃあお願いしますよ、ハンフリー・ボガート大佐」



 育児休暇を申請するウラキもウラキだが、許可を出す連邦軍も連邦軍だ、とは思う。
「もし本当に戦争になって、兵が足りない……ってなったらまあ普通に呼び戻されるとは思うんですけど」
 狭いとは言えないオークリー基地の中を、基地内巡回のバスの停留所に向かって二人は歩いた。ボギーは煙草に火を点け、当然の様に禁煙地区だったのでウラキは苦い顔をした。
「だな」
「でもまあ宇宙に兵を上げる動きも、それなりの対応も、連邦軍はまったく取ってないわけじゃないですか」
「……その通りだな」
「そのあたり、ツッコんだらあっさり休暇の許可が下りました」
 宇宙の、アムロ・レイあたりはこれを聞いたらどう思うことだろう。
 自分が必死なのに、と怒るだろうか。
 同い年の大尉二人に、それなりの親交があることをボギーは知っていた。
 しかし。
「ったく、なんつーかアレだな。すげえよ、そこまで自分の意志を貫き通せるっつーのもよ」
「そうですか?」
「まったく生意気になっちまって……」
 しかし、アムロ・レイも笑って見送るような気がする。今、自分が愉快な気持ちでしかたないのと同じ様に。
「あーあ、お前さんも本格的に引退かあ……」
「二度と戻って来ないようなこと言わないで下さいよ。ちなみに引退はとっくにしてますよ。俺が引退した瞬間は、アイランド・イーズが地球に落着した時、でした」
「……」
 バス停についてしまった。
 わかっている。理解している。自分に出来る最良のことをコウ・ウラキは迷わず選ぼうとしている。
「何人目だっけ」
「四人目です」
「名前は?」
「アナベル。……男の子でも女の子でも、アナベル」
「もうどっちかわかってんだろ」
「ニナはね。俺は楽しみにしたいから聞いてない」
 戦争になるだろう。否応無しに起こるであろうそれに対する行動は人ぞれぞれで違って当たり前だ。
「……元気でな」
 ついにバスが来てしまった。
「はい。呼び出されないことを祈ってますよ」
 コウ・ウラキはボギーをあからさまに苦手だと言い続けているが、元々生真面目な性格なので綺麗な所作で敬礼をして、それからバスに乗り込んだ。
「……」
 ボギーは煙草をくわえたまま、そのバスが建物の向こうに見えなくなるまで見送っていた。
 戦争になるだろう。
 それでも自分に出来る精一杯のことをやり続ける男の後ろ姿に、まったく表舞台には出て来ないだろう彼の後ろ姿に、ボギーは、
 確かにひとすじの光を見た。











2009.08.11.







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