わぁ……っと歓声に近いようなざわめきが上がったのはレベル2のCブロックからだった。船底にほど近い。砲列甲板の領分だ。
「なんだ」
 驚いてアムロはシュミレーターから顔を出した。両舷格納庫は艦の上下をぶち抜く様に、縦長に存在している。だから、船底のざわめきもともすれば耳に入ってくるわけだった。すると、馴染みの整備兵が声をかけて来る。
「え、大尉知らないんですか? このところ大喧嘩をしているんですよ」
「誰が」
「砲列甲板と整備班がです」
「……」
 アリスとアストナージが、の間違いじゃないのか。
 すると、そんなアムロの表情に気づいたようで整備兵が先を続けた。
「お察しの通りです……アリスの親父さんと、班長が」
「原因は何だ」
 遮る様にアムロは聞いた。
「いや、それが」
 ところがとたんに整備兵が言い淀む。
 あぁ、面倒くさい。
 アムロは思いながらシミュレーターの中から這い出した。
「君、なんと言ったっけ……ウィリアムズ曹長」
「はい!」
 名札と襟章を見ながらだったが、エースパイロットに自分の名前を呼ばれ、相手は緊張したらしかった。即座に背筋を伸ばし、敬礼を返して来る。
「聞かせてもらおうか。その、大喧嘩の原因とやらをだ」
「え、マジっすか」
 アムロに首筋を掴まれた一兵卒は、可哀想なくらい緊張しているようで言葉に脈絡が無い。というか敬語も忘れてしまったようだ。
「それが、そのぉ……」
 ウィリアムズ曹長が話し出したのは実に下らなくも情けない、喧嘩の理由だった。



「……ブライト」
「アムロ」
 その晩、アムロは非番と分かっているブライトの執務室を訪れた。ブライトもそう忙しくはないらしく、だらりと書類などを読んでいる。
「聞いたか」
「あぁ」
 砲列甲板と整備班(モビルスーツデッキ)の大喧嘩の理由……というのが、そもそも自分達の、つまり『ブライトとアムロの指揮能力』をネタにしたものらしかった。
 確かに自分は、ブライトが手隙でない時艦隊の指揮を執る。本来は副艦長のメランなり、そうでなければ艦隊として編成を組んでいるのだから他艦の艦長に指揮権を移行するものだが、どうもロンドベルではそうならないきらいがある。この部隊独自の慣習である。実は連邦軍の軍法的にはやや問題がある。
 それにしてもな、と思ってアムロは続けた。
「本当に聞いたのか? 『アムロ大尉に直接声をかけられたら20ポイント、ブライト艦長に直接声をかけられたら30ポイント』……なんて喧嘩の中身を」
「聞いたな。そして呆れた。呆れたからここで書類整理に没頭している」
「そんなにヒマか、今この艦隊は」
 詳しく説明するとこういう話になる。
 アムロと、それからブライトのどちらが指揮官として素晴らしいかという話になって、砲列甲板と整備班は……こう書くと分かり辛いが、ともかくアリスとアストナージは大喧嘩に陥ったらしい。食堂で。案の定飲みながら。
 ―――宇宙世紀0092、十月頭。
 砲列甲板はブライトについた。当然だ。ブライトの指揮能力はずば抜けているし、むしろ機動兵器が主流になった昨今でここまで艦隊の射撃能力を重んじる指揮官もそうそうはいない。これが砲列甲板の言い分だ。
 全く逆に、整備班はアムロについた。その専用機を整備し、その事実に誇りをもっている彼らが他の道を選ぶとは到底思えなかった。戦局など、ブライト艦長の一言ではなくアムロ大尉の一挙一動即で決まる。これが整備班の主張だ。
「こう言って良ければ」
 アムロは今日、持参の蒸留酒を手に持っていた。
「……なんだ」
「ウザいんだが」
 それぞれの主張が、何故『アムロ大尉に直接声をかけられたら20ポイント、ブライト艦長に直接声をかけられたら30ポイント』などというルールに発展し、最終的に賭けになっているのかというとそれはアレだ。
 つまり、声をかけられる=人心を掴む素晴らしい上司、という理論らしい。わけがわからない。
 ちなみにアムロの方がポイント数が低いのは、ブライトが艦長で艦橋から滅多に出て来ないからで、そこで考えた挙げ句にペナルティを設けることにしたらしい。
 更に最終的に賭けでの勝負に持ち込まれているのはアレだろう……アリスタイド・ヒューズ中尉が大の賭け好きで、一枚上手だったから、というところだろう。アストナージが乗せられたとみてほぼ間違いない。
「どうする」
 勝手に艦長室のキャビネットに近づいたアムロが、カットグラスを持って戻って来る。
「あー……賭けの対象にされたことは過去にもままあるが、今回は本当に下らな過ぎて対応策を考えるのも馬鹿らしい。やる気が出ん」
「同じくだ。シミュレーターでの撃墜数やチョコレートの数とは話が違う。道理でこのところ、妙に整備班の連中に懐かれるな、とは思っていたんだ。……いや、前からか?」
「私も艦橋にいて、どうして砲列甲板からやたら通信が入るのか気になっていた。それも急ぎではない用事ばかりだ」
「……」
「……」
 そこで、アムロとブライトは顔を見合わせた。
 確かに以前にも、賭けの対象にされたことはあった。が、今回のはまたひどい。
「こう……なんというか……自分が獲物にされている、というのが柄じゃないんだよな。ムズカユい」
 アムロが適当に作った水割りを振りながら言う。
「お前でそうなのだから私は尚更だ。……が、直接アリスに仕返し、というのはチョコレートの時にもうやってしまっただろう」
「ああ、あったな、そんなの」
 バレンタインのチョコ獲得数が賭けの対象にされ、苦りきったアムロが『アリスタイド・ヒューズ中尉にだけ』チョコレートを手渡し、胴元だったアリスが闇討ちにあったのはそう昔の話では無い。
「……よし」
 急にブライトが全ての書類を畳んで身を起こした。
「この手はどうだ」
 獲物にされるのは二人とも好きじゃない。
 ……どちらかというと二人とも獲物を追いたい性質の人間だ。
「シフトは調整する。だから……」
 ブライトの提案して来た打開策に、アムロはやや呆れつつも頷いた。



 三日後、遂に砲列甲板からも、整備班からも悲鳴が上がった。
「どうして、アムロ・レイ大尉とブライト・ノア艦長は……」
「この数日、常に一緒なんですか!」
 対応策としては簡単だ。ブライトの提案は、それじゃあバラバラに行動しなければ良いだろう、というものだった。
 そもそも二人を『比べる』という原因がこの賭けの根底にはあるのだ。
 だったら比べられ無くすればいい、というのがブライトの打開策だった。
 常に二人で居ればいい。
 ブライトが声を掛けた人間には、当然の様に脇に立つアムロも声を掛ける。
 アムロが演習中には、指示を出した人間にブライトも一声掛ける。
 それだけのことだ。
 あまつさえ、オフの時間も全て二人でべったり過ごすことにした。
 モビルスーツパイロット達が呆れても、泣き叫んでも、寝るときですら、艦長室に当然の様に入って行くアムロの後ろ姿に、ついにアストナージが縋り付いた。
「辞めて下さい! 皆が邪推するからっ……」
「あぁん?」
 アムロの返事は平坦だった。しかし、目は座っていた。
「俺とブライトの能力を比べたい訳だろう。……それでこんな下らない賭けをしているわけだろう、比べたければ比べればいい、比べられるものならな!」
「だからっ……!」
 アストナージの悲鳴が功を奏したのかは知らないが、次の日には艦に平穏が戻っていた。



 なお、儲け損ねたアリスの憤懣は知るところではないが、とりあえず騒ぎの外にいた艦橋の通信兵達が『今回のことがネオ・ジオン総帥に知られなくて良かった』とこそこそ呟きあっていたことは公然の秘密である。
 アリスタイド・ヒューズ中尉がバレンタインに続いて二度目の闇討ちにあったのかどうかも、同じ様に闇の中、だ。











2009.08.07.







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