その店は花屋の地下にある。
「よ」
「……驚いた! お久しぶりですね」
 宇宙世紀0092、十月二十日。
 お久しぶりですね、とバーテンダーに言われるのも無理は無かった。前回この店を訪れたのは何時のことだったろうと、アムロは軽く首を捻る。以前は本当に足繁く通っていた店だった。
 その店は花屋の地下にある。一軒の小さなバーだった。
 アムロの自宅があるロンデニオンは古いコロニーで、街並も何処かレトロで古色蒼然としている。軍港以外には学園都市として有名で、コロニーの半分ほどはだから大学が多かった。
 自宅といっても、艦隊勤務のアムロにしてみれば長期航海の合間に運良く戻れれば良い方で、物置的意味合いが強い。ロンデニオンは今乗艦している艦の母港だったが、忙しいときは便の良いホテルに宿を取ることもままあったし、ひどい時には宇宙港から出ることすら出来ず艦の中でオフを過ごしそのまま宇宙に戻る生活が続いていた。
 そう考えると、この店を「きちんと」訪れるのは一年ぶりになるかもしれない。
 0091末、シャアとチベットで会った直後に、泣きそうな気持ちで訪れて以来。
「また『凄い物語』があったんですか」
 目の前のバーテンダーは、注文すら取らずに勝手にアムロの目の前にCCのグラスを置く。ダブルのロックだ。本当によく分かっている。
「……まぁな。今回は話す気はないけど」
「あれ、なんだ、残念。そんなことを言うのなら、私もとびきりに面白いことがあったのですが話してあげません」
 日付が変わる直前の、週末のバーだというのに妙に人気が少ない。というか、自分と入れ違いに出て行った客が一人いただけで、他に客は居ないらしい。
「しばらく来ないうちに、寂れたのか、ここ」
「違いますよ」
 バーテンダーが面白そうに顔にかかる金髪を掻き揚げる。
 ……金髪で、引き締まった長身。
 どこかシャアに風情の似た男だ。
「じゃあ、なんだ」
 アムロは目を細めながら酒に口を付けた。
 当たり前のように店内にはエアロスミスの、スティーブン・タイラーのダミ声が満ちている。いつもそうだ。
「髪の色、変えるんじゃなかったのか」
「ええ、そうしようかと思ってましたよ、本人に会うまではね。でも自分もこれが地毛なので、染めてしまうと負けるようで悔しいな、と」
「……」
 ちょっとまて。
 今、目の前のバーテンダーは凄まじいことを言わなかったか。
 本人に会うまで、は?
 それはシャアに会ったと、そう理解して良いのだろうか。
「会ったのか」
「会いましたよ? 今年の……いや違うな、去年十一月末だな。誰も連れずに普通にそこの扉を開いて彼はやって来ましたよ……うん、そういえばCCのロックだったな。ダブルのロックだった。お二人にしか分からない暗号なのかな、って思えて少し妬けましたね」
「……」
「客が減ったのは、ご時世じゃないですか」
 淡々とバーテンダーは話を続ける。
 ご時世か、確かにな。
「戦争になるんでしょうかね」
 目の前の、明らかに軍人である自分に向かって、だがバーテンダーは歌うように言うのだった。



 この一年を振り返ってみると、明らかに世論は「開戦止むなし」に傾いて来ているように思えた。
 連邦政府が戦争を始めようとしているわけではない。むしろ大仰な彼らはそれを「戦争」とすら認めないだろう。親コロニーのテロリスト共がごちゃごちゃと騒いでいるな、とまあその程度の認識だ。以前からそうだった。
 変わったとしたら、宇宙が変わったのだ。勝手に反地球運動を繰り広げていた小さなテロリスト達に同一の方向性と目標を認識させ、短時間で大きなうねりにしてみせたシャアの手腕には恐ろしいくらいのカリスマが感じられた。
 シャアの手腕。
 表立って全ての事件に関わっているわけではないが、それでも全てにその影を感じさせずにいられないシャアの、手腕。
 今、シャアが一声を掛ければおそらく宇宙は一気にそちらに傾く。
 それが「ご時世」だ。開戦の気運だ。
 確かに、酒を飲んでいる場合では無いな。
「ね、せっかく久しぶりに顔を出して頂いたのに仕事の話もなんですね。もっと色っぽい話をしましょうよ」
「……あのなぁ」
 つらつらとグラスを眺めて考え込んでいたアムロの思考は、まったくもって呑気なバーテンダーのそんな台詞に遮られた。苦笑いしながら水滴の付き始めたグラスを改めて手に取る。
「最近、恋人は? あ、シャア・アズナブル以外ね」
「あれは恋人じゃないだろう……そうだな、最近懇意にしている女性ならいるよ」
「新しい彼女出来たんですか! 何で一緒にいらっしゃらないんです。連れて来て下さいよ」
「月にいるからな」
 アムロはチェーンの顔を思い浮かべながらそう答えた。バーテンダーはへぇ、遠距離恋愛ですか、などとしきりに頷いている。
「その方はやっぱり金髪?」
「やけに髪の色にこだわるな。や、彼女は黒髪だ」
「ひどい! 金髪の方が好みじゃなかったんですか!」
「そこで怒られても!」
 そこまで会話を交わして、おかしくなってアムロは笑った。バーテンダーはと言えば自分の髪の毛を引っ張って「やっぱり染めるべきだったのかな? うーんでも……」と一人愚痴ている。
「よし、話題を変えましょう」
「そうしてくれ。酒を追加。あと、豆」
「はいはいナッツね」
 バーテンダーの長く綺麗な指があっという間に次の酒を作りカウンターに乗せて来る。
「本当のところ……ブルネットと金髪じゃどっちが好きなんです」
 そう言われてアムロは考えてみた。考えてみたというより思い出してみたのだ。
 最初に浮かんだのはセイラ・マスの金髪だった。次に、ララァのブルネット。
「……どっちも?」
 正直にアムロが答えると、バーテンダーが臍を曲げた。良い年の男だというのに唇まで突き出して拗ねている。
「気が多い」
 ああ、まったく遠慮のない良い店だと思いながらアムロは続けた。
 次に浮かんだのはベルトーチカの金髪。それから、最後にチェーンのブルネットだ。
 金髪、黒髪、金髪、黒髪。……単純に言うとそのループだ。
 そこまで考えてアムロは呆然とした。
 気づいてしまったのだ、あまりのレベルの違いに。
 確かに金髪と黒髪には違いない。
 ただ、比べられるのか、比べて良いのか、という問題だ。
 セイラとベルトーチカを。あまつさえ、ララァとチェーンを、だ。
「……まずい」
「何が」
 急に黙り込んだアムロを不審に思ったのか、バーテンダーは黙って次の言葉を待っていたようなのだが、暇らしく音楽を入れ替えていた。
「俺、年々、女の趣味が悪くなっている気がするよ……!」
「……何ですそれ」
 バーテンダーは心底呆れたようにそう呟いた。
 それから、ならやっぱり私にしませんか、とアムロを口説くことも忘れなかった。
 相変わらずだ。
 無駄話をして、日付が変わる。
 今日と明日の境。



「……そう言えばこの店の名前って?」
 久しぶりに気持ち良く酔うほど飲み上げたアムロは、店を出る直前にふと気になってそう聞いた。
 その店は花屋の地下にある。一軒の小さなバーだった。
 思えば店の名前も知らない。そもそも看板が無いからだ。余程の運で紛れ込まなければこの場所がバーだと知る人間もそうそういないだろう。
 そのアムロの質問に、シャアに良く似た面立ちのバーテンダーは声を抑えて笑った。
「そういうのはね」
 綺麗な所作でアムロを店の外に送り出す。人の顔を見れば口説いてくる割に、別に身体に触れて来るわけでもない。
 本当に居心地の良い店なのだった。
「そういうのはね……『最終回』にやっとわかるものなんですよ。お約束です」
「……なんだそりゃ」
 アムロは笑いながら、階段の上からバーテンダーに手を振った。



 だがしかし、なんということだろう。
 実際、その後アムロは『最終回』がやってくるまで、この店を訪れることは無かったのである。











2009.08.05.







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