不眠に悩んだ事が無いのでそもそも、不眠症というのがどういうものか想像もつかなかった。一年戦争の頃多少神経過敏になった事はあったと思う。あの頃は自分も若かった。しかしそれは食事が摂れないとか、そういう類いのものだった。
軍人というのは基本的に過酷な職業である。食べられる時に食べて、寝られる時に寝ておかなければ体力が続かない。多少無からず図太くなる方が普通だった。
「……」
ゆらり、と不思議な揺らめきを伴って、自分が眠りに落ちてゆくのが分かる。眠りに落ちる瞬間。この瞬間が存外に好きだった。身体が弛緩し、意識が沈んでゆく。全て解き放たれるかと思うのに身体は最後まで抵抗する。その時に感じる小さな重力。
……これはそもそも何が生み出している重力なのだろう。地球? ……それとも自分の身体?
でもそんな抵抗感も僅かなもので、あとは緩やかな世界にただ引き込まれてゆく。アムロの場合はその先に大抵いつも同じ光景を見る。有り体に言えばそれは夢なのだろう。
いつも同じ光景を見る。穏やかな光が迸るその空間でいつも彼女に出会い、
『大尉! 非番中にすいません、大尉!』
しかしその日の睡眠は耳元の通信パネルから飛び込んで来たアストナージの声に遮られた。
「……」
アムロは目を開いたベッドに設えられた寝袋の中から片手だけを出して音声をオンにする
「……俺だ。どうした?」
『非番中にすいません。サットンがリガズィを貸して欲しい、って言てるんですがどうします?」
「……」
睡眠を中断されたアムロは、起き上がって返事をする気力も無かった。
「……殴り飛ばせ」
『は?』
「……そのあと貸してやれ」
『はいよ、分かりました!』
格納庫からの連絡はそれで終わった。アムロは軽くため息をついた、ほらみろ。……寝られる時に寝ておかないとこの有様だ。もう少しで、あの穏やかな光の満ちる空間に行けたのに。
すっかり目が冴えてしまった。そこでアムロは枕の下から一冊の本を取り出した。『クリュニー派とシトー派』。……内容はまったく意味不明の、おまけに自分には到底似つかわしく無い『宗教書』である
「……」
ペラペラと少しページをめくった。やはり内容は全く頭に入って来なかった。こんなものを読んでいるからあいつは寝られないんだ。
……シャアもきちんと眠れればいいのに
アムロは思った。眠れれば、神経を四六時中毛羽立て、世界に対する怒りに震える事無く、全てを投げ出して、時には眠れればいいのに。
……そうしたら。
目の前にララァのてのひらが見えるのに
そう思いながら、読みかけの本を広げたまま、アムロは今度こそ深い眠りに落ちて行った。
2009.03.30.
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