大人ってなにやってんだろうな、って年中思う。特に、最近自分の近くにいる大人を見ているとつくづくそう思う……それは、とても偉いらしい一人の大佐と、その部下である一人の女性だ。



 久しぶりに足を踏み入れた古巣はなんとも言えない喧噪と、それからもうもうとした埃に満ちていた……無事な窓ガラスが殆ど無いし、無事な人間も殆ど居ない。建物に資産価値が無いってのは素晴らしい事だ、誰が住んでようが誰も文句は言わないし、誰がぶっ壊してもやっぱり誰も文句は言われない。物心付いた頃には既にここに居た、この貧民街に。ここに居て、路上でどうにか暮らして居た。周りもそんな連中ばかりだったから、それを疑問にも思わなかった。腕っぷしが強くなってからは、周りの奴を殴り飛ばして風雨をしのぐ屋根も辛うじて手に入れる事が出来た。もっともコロニーも気を使ってくれているのか、この辺りに殆ど雨は降らなかったが。だから埃で酷いんだ、この街は。埃っぽくて、ごちゃごちゃして、そして汚い街。それが世界。
 ……そう思って生きて来た、ついこの間まで。
「……ギュネイ?」
 ドサッ、と後ろで物を取り落とす音が響いてギュネイは後ろを振り返る。……見れば、顔なじみの少年が自分を見てまるで幽霊でも見たかのように青ざめた顔で立っていた。足元には、買い物を済ませて戻って来たばかりだったのだろう彼の、茶色の紙袋から正月を迎えるための品々が転がり出している。
「シャルロ、」
「ギュネイ。……本物か、うわ、お前本物のギュネイか! 生きてたのか!」
「生きてるに決まってるだろ、何言ってんだよ」
「馬鹿言え! 皆でウワサしてたんだ、ギュネイは人買いに攫われたとか、食肉業者に売られちまったとか……」
「はあ!?」
「あとは、遂にケツの穴でのし上がったとか……」
「ねぇよ!」
 とりあえず彼に駆け寄って、その存在を確認する。……懐かしい匂いがした。すえたこの街の匂いだ。ああ、戻って来たな、と思う。
「うわー、それはともかく顔でなんとかなったのは確かだろー? 待てよ、大晦日だから皆で騒ぐつもりだったんだ、もちろんお前も来るだろ? あー、お前はいつかなんとかなると思ってたよ、だって『美人』だもんなあ……」
「止せよ気持ち悪い、殴るぞ」
 ソバカスだらけの旧友の横っ面に、予告だけで無くギュネイは軽くパンチを食らわして笑った。
 ……0091、十二月三十一日。



 ナナイに「地元に戻ってゆっくりして来たら?」と放り出されたのは正午過ぎのことだった。ギュネイは素直にその言葉に従った。いわゆる治安の良い高級住宅街を出て……長く暮らした貧民街に向かう。拾われた先で過ごす日々が、息苦しくて辟易していたのも確かだ。この一ヶ月ほど、ナナイと一緒に暮らしてギュネイにもようやっと分かるようになってきた……ナナイは、シャア大佐が好きなんだ。でも、シャア大佐はちっともナナイが好きじゃ無い。っていうか、人間がそもそも好きじゃ無い……多分。
「……でよー、俺がギュネイを見つけた時の驚きったら分かるー!? ああ、良かったこいつ生きてた、たとえケツの穴が大きくなってても、俺達一生友達だぜ……って」
「だから、それはねぇよ! いい加減にしろよな」
 旧友のシャルロが呼び集めたおかげで、ギュネイがねぐらにしていたその貧民街の顔なじみの子ども達、殆ど全てがそこには集まって居た。ソバカスのシャルロ、こいつは調子が良くて、いつも適当な事ばっかり言ってる奴だ。それからモーイ、ラシャー、ウィレム……と、なけなしの小銭で買った大晦日の晩餐を楽しむメンバーを見渡して、ギュネイはふと気付いた。ああ、金か。ナナイに金をせびってくれば良かったな。そうしたら何か豪勢な食事が、こいつらに届けられたはずだ。
「……おい、シャルロ。……ミミは?」
「……」
 そこでぱつん、と糸が切れるように場が白けた。……誰の顔を覗き込んでも、まっとうな返事は帰ってこない。
「うん、あー……。ミミはな」
 よほど経ってからシャルロがボソリと呟いた。
「ミミは駄目だった。あのな、お前がこの街から居なくなったのと同じ頃……一ヶ月ちょっと前か。その頃に、取った客が最悪でさ。あいつ、ボロ雑巾みたいになって、一応街までは戻って来たんだけどさあ……ま、その……駄目だった」
「……」
 そうか。……ギュネイは手元の酒に手を伸ばし、はすっぱだったけど可愛らしかった少女の顔を思い浮かべる。ふわふわしていて、柔らかくて、ミミはそういう少女だった。……そうか。ミミは死んだのか。
「……お前、ホントに今どこにいんの。……無理とかしてねぇの」
 誰だったか分からなかったが、急に誰かにそう問いかけられて顔を上げる。
「……無理なんかしてねぇよ。……軍隊にいる」
 多分そう言う事になるんだろうな、と思いながら、ギュネイは酒を煽った。……なんだよ。なんなんだよ、年越しだっていうのにこのしんみりした感じ。
「軍隊ー!? えー、無理だろ、ギュネイにそういうのは無理だろ、全然なってねぇもん礼儀とか!」
「はあ、悪かったな」
 シャルロがことさらに陽気な声を上げる。
「えー、ホントはどっかでケツの穴大きくしてんじゃね……」
「しつけぇよ」
 背だけは高いギュネイは、今度は有無を言わさずシャルロの後頭部をぶん殴った。……そうか。ミミが死んだのか。……そうか。



 今、本当には自分が、何処に居て何をやっているのか、この友人達には簡単には説明出来ないような気がした。……物心付いた頃には既に俺はここに居た。ここに居て、路上でどうにか暮らして居た。周りもそんな連中ばかりだったから、それを疑問にも思わなかった。……ついこの間までは。それを当たり前なんだと思って生きてきた。……でも。
 大人ってなにやってんだろうな、って年中思う。特に、最近自分の近くにいる大人を見ているとつくづくそう思う……それは、とても偉いらしい一人の大佐と、その部下である一人の女性だ。一ヶ月彼らと一緒に暮らして、そして分かった事がある。それは、



 こんな奴らに任せておいたって俺達は何時まで経ったって幸せになれない、ということだ。



「……ミミは本当に死んだのか?」
「……ああ、お前、ミミのこと好きだったもんな、ギュネイ」
「墓は?」
「ねえよ、当たり前だろ。……死体は役人が持って行ったぜ、宇宙に捨てたんだろ」
「……」
 街のどこかで花火が上がり始めた。この貧民街からはもちろんその光景は見えないし、子ども達は日々を生きて行くのに精一杯なのだが、皮肉なことに音だけは良く聞こえる。
「シャルロ」
 自分に言い聞かせるようにギュネイはそう言った。
「なんだよ」
 スラムの出口まで見送って来たシャルロが不思議そうに顔を上げる。……言っても仕方ない、と思いつつもギュネイは続けた。
「……俺、絶対に強くなる」
「そっか」
「強くなる。それで、絶対、この世界を変えてやるんだ」
「……死ぬなよ。俺、軍隊とかって全然分からないけどさ、とにかく死ぬなよ」
 シャルロが自分の拳をギュネイに突き出した。……花火の音はまだ響いている。ギュネイはその拳に自分の拳を合わせて、きっぱりと答えた。
「……あぁ」



 明日の昼まで好きにしていいわよ、とナナイには言われていたのに、結局午前中の、それも早いうちにシャア大佐の屋敷の辿り着いてしまった。
「……どうしてこんなに早く戻って来たの?」
 大佐の寝室の前まで行き、警備の兵に許可を取ってから中に話し掛けると凄まじく不機嫌そうなナナイの声がした。
「……もうちょっとしたらそちらに行くから、それまで静かに待っていなさい。……返事は?」
「……」
 それはとてもけだるそうで、だけど幸せそうで、そうして……ヘドが出そうな『母親』の声だった。聞きたくは無かったけどな。
「……アイサー」
 それだけ、ギュネイは答えた。一瞬問いかけそうになる。聞いてみたかった、教えて欲しかった、ナナイに。
「……そう。それでいいのよ、暫くそこで待機していなさい。すぐに行くわ」
「……」
 でも、言えなかった。



 あんたは、それで本当に幸せなのか、と。
 ……言いかけたギュネイの言葉は。



 その心の奥底に沈んだ。











2008.02.18.







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